16:一瞬、逃げ出そうと思った
ローレンス皇太子の婚約者が、わ、私……!?
あの時の衝撃は……言葉では言い尽くせない。
現実のこととは思えなかった。
だが、ローレンス皇太子が私を紹介した瞬間。
ホールでは割れんばかりの拍手が起き、楽団がウェディングソングを演奏し、さらに会場は盛り上がった。その後はもう何がなんだったのやら……。
第二部には向かわず、私はそのままローレンス皇太子にエスコートされ、皇帝陛下夫妻と謁見することになった。そこには私の両親もやってきて、30分程歓談した。それが終わると、他の王族とも挨拶をして……。
その間の私は借りてきた猫のようにおとなしく、ただただ言われるままに行動するしかなかった。
一瞬、逃げ出そうと思ったが、周囲には警備の騎士がしっかりローレンス皇太子と私をガードしており、皇帝陛下夫妻と会う時はもう、どこにも隙はなかった。つまりありとあらゆる場所に騎士がいる。
それにどう考えても私の両親もニコニコと見守っており、この婚約は思い付きなどではなく、かなり前から取り決められていたことだと気づいた。入念な段取りの元進められたに違いないと、姿は12歳、中身は人生経験豊富な私は悟ることになる。
どうして、今の今までこの企み(?)に気づくことができなかったのか?
いや、兆しはあった。
頻繁に皇太子から招待を受ける。
それはどう考えたって普通ではない。
それにペンダントとイヤリング。
これだって普通のプレゼントの域を超えている。
だが婚約者へのプレゼントならどう?
違和感は……ない。
それに公爵家の令嬢に必要だからと受けさせられていたレッスン。
あれは間違いない。皇太子妃教育だ……。
祝賀パーティーへの突然の同伴宣言も。
今日のドレスがこんなにも迅速に用意されたことも。
誕生日以降、ローレンス皇太子がやたらグイグイ来ていたことも。
全部、この婚約につながっていたんだ……!
私が喪女だから? だから、気がつけなかった?
それだけではないと思う。
『ハピラブ』という乙女ゲームにおいて。
攻略対象はヒロインのために、フリーなのだ。婚約者も恋人もいないはず。……デュークはモテるが、本命はいない。
だから私は、自分がローレンス皇太子の婚約者になるべく外堀がどんどん埋められていることにも、気づくことが出来なかったのだ!
これは一体どういうことなのだろう!?
『ハピラブ』という乙女ゲームの世界が、私に何を求めているのかが……本当に分からない。
私は、前世において。
悪役令嬢シャーロットとして80歳の天寿を全うし、人生を終えた。断罪を回避し、長生きすることが出来た。でもその代償(?)なのか、喪女だった。そして今わの際で「恋愛したかった」と思った。
そして転生した。
再び、『ハピラブ』の世界に。
しかも、ヒロインと攻略対象とは3歳の年齢差で。
この年齢差があることで、学園の卒業記念の舞踏会の場での断罪は行われないと、私は考えた。
何より私は断罪を回避する方法を知っている。もう一度断罪回避をやらせる必要はないと思うのだ。だから悪役令嬢から解放されている。今生は恋愛を謳歌すればいいと言われている――そう思ったのだが。
攻略対象の一人である、ローレンス皇太子の婚約者になってしまった。これが意味することは……?
この後ローレンス皇太子とヒロインが出会い、ヒロインが彼を攻略すると決めたら、私は……悪役令嬢として動け!ということなのか。でもそれなら断罪は? 多くの転生した悪役令嬢が、断罪の日を悟り、その日を迎えないよう、回避行動をとるのだ。まさかその根幹までも、ぶっ壊すつもりなのだろうか? 学園の卒業記念の舞踏会ではない場所で断罪が始まる、とか……?
もしそうであるならば、この世界は全力で私に悪役令嬢になることを望んでいる。だがそうであっても。私は断罪を回避するだけだ。だから無駄なのに。
そう、無駄なのだ。ローレンス皇太子の婚約者になったからと言って。私を悪役令嬢にできると思ったら、大間違いなのだ。断罪は必ず回避できる。
むしろ問題なのは――。
「シャーロット、ビックリした? 驚いた? 驚いたよね。でもちゃんと皇帝陛下にも挨拶をしたよね。いい子だよ、シャーロット。わたしとも既に約束をしていてくれただろう。わたしのそばにずっといる。永遠にって。それを聞いてわたしはようやく安心できた。永遠にわたしのそばにる。それってわたしの皇妃になるしかないよね。シャーロットはわたしとの婚約を受け入れてくれるって確信できて、本当に嬉しかったよ」
婚約爆弾宣言の後。
いろいろすべきことをすべてやりきったローレンス皇太子は。
至極ご満悦の笑顔で私をエスコートし、エントランスへと向かった。そして今の言葉をのたまった。
いや、いや、いや。
どこをどう、ツッコミをいれればいいのですか、ローレンス皇太子!
まず、あなた、ご自分の身分を踏まえてください。あとその美貌!
その身分と美貌でグイグイこられて、「ノー」となんて言えません!
それに「自分のそばにいる。永遠に=皇妃になる」がなぜ成立するのか。そこ「皇妃」ではなく「友達」でも成立しますよね……?
というか完全に私を婚約者として溺愛する気満々のローレンス皇太子がいて、本当に断罪回避の行動をとれるのか……自信が……ないっ!
エントランスに着くと、ローレンス皇太子はこんな提案をした。
「シャーロット。明日、君のことを迎えに行くから。学校が終わったら、屋敷でわたしを待っていてくれる?」
私は少し離れた場所で佇む両親を見る。
二人はニコニコと笑顔でなぜか頷いていた。
もしやローレンス皇太子が明日来ることも想定済み、話し合いがついていることなのか。ついて……いるのだろう。そして今の問いかけに対し、「ノー」の選択肢はない。明日、どんな予定があろうとも。優先されるべきは……ローレンス皇太子だ。
「……分かりました」
もうこの返事しかないと分かっているのに。
それでもきちんと許可をとるローレンス皇太子は……。間違いない。根が悪い人ではないのだろう。
「良かった。ありがとうシャーロット」
そう言って極上の笑みを浮かべたローレンス皇太子は、私を馬車へと乗せる。そしてゆっくり後ろ振り返り、待機している両親に合図を送った。
両親はすぐに駆け寄り、ローレンス皇太子に挨拶をし、馬車に乗り込んだ。
ローレンス皇太子とその後ろに控える護衛と警備の騎士に見送られ、馬車はゆっくりと動き出す。
「シャーロット、良かったね。ローレンス皇太子さまの婚約者になれて。夢がかなったね」
「本当に。喜ばしいことだわ。二人とも、プリンスとプリンセスでお似合いよ。ローレンス皇太子さまも、シャーロットのことを大切にしてくれるわ」
両親はこの上なくご機嫌でそんなことを言っているが。
本当にいつの間に婚約の話を決めていたのですかっ!と思わず睨みつけてしまう。
でも12歳児の睨みなんて可愛いだけで。
「よし、よし、シャーロットも嬉しいんだね。良かった、良かった。明日、ローレンス皇太子さまが屋敷に迎えて来てくれるのだろう? 大切なものをシャーロットに渡すって言っていたよ。何をくれるのかな? 楽しみだね、シャーロット」
父親はニコニコと私の頭を撫でるが。
全然、楽しみではない。
むしろ「どーなるの、私!!」という気持ちでいっぱいだった。