弟子のお披露目相手第一号は
『創世』とは何か?
この質問に、この世界で答えられないものはいない。
それはある冒険者の固有魔法名……すなわち二つ名であり、そして彼女こそ、現状最も知名度が高いとされる、レベル10冒険者の代表なのだった。
……つまるところ。
「うう、お腹が痛い……」
私みたいなパンピーは、その名前聞いただけで萎縮し切ってしまうほどの、とんでもない方、ということである。
「む、どうした? 調子が悪いなら無理はするなよ。別に明日でもいいのだから」
私を案ずる師匠(ラニアのこと。別にそう呼べと言われたわけじゃないがなんとなくこう呼んでいる)の声が隣から聞こえてくる。だが、私がこうなっている理由は風邪とかじゃない。なので、その言葉に軽く感謝を示し、何とか平静を取り繕う。
まさかストレスで胃が痛いんです、なんて言おうものなら、それこそこの人の機嫌を損ねてしまう。私が無理を言って弟子入りを頼んでいるのだから、ある程度の無茶は通さねばならないだろう。
………あれ、それともこの人わざとやってんのかな? だとしたらありがとうって言った意味ないな。やっぱさっきの言葉は返してほしい。
「おい、何だその目は、それでも弟子なのかお前は」
私の視線の種類が変わったのを気取られたのか、隣から師匠の抗議の声が聞こえてくる。だが、大体彼が悪いのでとりあえず無視。
というか、この状況でこの人を相手にする余裕は、今の私にはない。
「ラニア師匠、ほ、本当にお会いするんですか? というか、それって私が立ち会ってよろしいものなのですか?」
ただ兎に角不安に駆られて、私は何度目かも知れぬ確認を師匠へ取る。
できることなら否定してほしい。してほしいが、しかしもちろんその答えは先ほどまでと同様、肯定であった。
「お前も気が弱いやつだな。前に一度あったんだろう? 何をそんなに緊張する。『創世』がそんなに怖いか?」
師匠が馬鹿にするように私を笑うが、しかしそういう問題ではない。前回はちゃんと正式な手続きを踏んだものだったし、何よりあの時は無我夢中である種緊張を感じるための冷静さを欠いていたのだ。
だが、今回は違う。
今回は師匠の思いつきで即日行動、よく意味もわからず連れ回され、気づいたら彼女の屋敷、である。心の準備などできようはずもない。
しかも、その理由が『学園』に通うためとかいう訳のわからぬものなら尚更だ。
「はあ………」
これまた何度目かわからないため息をつく。
師匠はそれを全く気にもせず、ただ退屈そうに自分達が部屋に呼ばれるのを待っていた。
……うう、私、本当にこの人の元で強くなれるのかなぁ?
「ラニアタイト=オルメック=ベリルスフェーン様、アデライト=フィル=ランベール様、お待たせいたしました、どうぞ室内へ。イリトディオス=オルス=ボーツァザール様がお呼びです」
廊下の奥から綺麗な男の人が出てきたかと思うと、彼は丁寧に胸に手を当ててお辞儀をすると、私たちに入室の許可を出した。
その所作はとても洗練されていて、おそらく執事としてもとても高位なのだろうことが推測できる。
「あ、ありがとうございます」
漸く入室の許可を出された私たちは、なるべく自然体のまま部屋へと向かう。
レベル10、その最高峰の方のお部屋、一体どの様な光景が広がっているのか、私たちの胸は知らず高鳴ってくる。……多分、恐怖で。
「ぺっ、相変わらず長くてゴツい名前をした女だ」
あ、訂正。師匠は全くいつもと変わらないし、それどころかいつも以上に口が悪い。同じレベル10同士親交があるものと思っていたが、師匠はあまり仲が良くないのだろうか?
頼むから喧嘩だけはしないでくれよ、と私は冷や汗流す。レベル10同士の喧嘩の真っ只中にいられるほど、私はまだ自分の命を捨ててはいなかった。
「イリト様、入ります」
「はいはーい、ずんどこ入れちゃってー」
イケメン執事さんが扉をノックしてイリト様に確認を取れば、中からはとても明るい返事が返ってきた。
ずんどこって一体何なんだろう、と思いながら、私は扉をくぐる。すると、その瞬間──────
「はろー『恒常』くん! 相変わらずしけた顔してんねー? 何か嫌なことでもあったのかな!!」
自分の真後ろ、則ち師匠の目の前に、「彼女」が現れた。
「な!?」
「………………」
全く見えなかった!? これでも、私の目は悪くないと思っていたのに!
私は驚いて飛び退く。しかし、師匠はそれがわかっていたのか特に反応することもなく、心底嫌そうな顔をして彼女のことを見つめていた。
そんな彼を見てイリト様は吹き出しそうになりながらも揶揄う口を止めず、ずっと不機嫌な様子の師匠に対してふざけた言葉を吐き続けた。
「もう、無視なんてひどいなぁ! あ、それとも私の魅力にものも言えないのかしらん。はぁ、やっぱり童貞に急接近は刺激が強すぎたかしらねー?」
「……………」
「ちょっとー、少しくらい反応返したら? 冷たい男ってきらわれるわよ。それとも、もしかして本当に傷心中だったりするわけ? 国が一つ滅ぼうが悠長に笑ってた男が!?」
「……………いい加減にしろ『創世』。嫌なことなど、お前と会うこと以外に何がある。まったく、開幕早々若い少女の前で下ネタをぶちかますだけに飽き足らず、俺の機嫌まで損ねるとは、全く惚れ惚れするクソ話術だな。さすが、1500年もレベル10をやっているだけある。なぁ、この老獪クソババア」
「わお、そんな心無い言葉を言われたのは初めて! しかもババア、だなんて、あなただけには言われたくないセリフなんだけど!? 世界で唯一私よりも年上な『恒常』おじいちゃん!」
「チッ…………」
ぐっ、私には見える、二人の間に火花が散るのが!
どうやらこの二人、一見とても仲が良さそうだが実のところ信じられないくらい仲が悪いらしい。二人の声色は表面上は明るく取り繕われているが、よくよく聴いてみると棘が刺さりまくっている。
というか、どんだけ仲が悪いんだこの二人。会うなり暴言の応酬とは、相当だぞ。
しかし一般冒険者としては、彼らが少し不仲なだけでも緊張してしまうのだ。彼らのうちの一人の目の前を偶然通りかかった山賊が、不潔だからという理由でこの世から跡形もなく消し去られたという報せは、まだ記憶に新しい。
そんなわけで、この状況というのはいつ戦いが始まるのかとドキドキして、大変心臓に悪い。この状況に戸惑う気持ちはあるし、さっき言っていた年齢の話も非常に興味深くはあるが、しかしここはとりあえず冷静になってもらおう。そうでないと、話が全く進まない。
そう思い、私はこの会話に混ざるという恐怖を押し込めてその口を開く。
「あ、あの、お二人とも喧嘩はおやめください……!」
「「はい?」」
私の声に反応して二人が一斉にこちらを向く。
先ほどまで相手に向けられていた殺意に近い感情が、今度は私だけに向かって飛んでくる。
………こ、怖い! まだレベル6ダンジョンのボスで死にかけた時の方が恐怖は少なかった。
だが、ここで怯んでいてはレベル9など夢のまた夢! 私はその視線に負けず悠然とした態度を保った。………正直、今すぐにでも逃げ出したかったけど。
だが、そんな私の思いが伝わったのか二人は漸く互いの矛を下ろし、まともな会話を始めてくれた。
「ねぇ『恒常』、この美少女だぁれ? 彼女ってのはあり得ないとしても、貴方が人間と接点を持ってるなんて驚きなんだけど。てかそもそも、何で一般人がここにいるの?」
突然声をかけてきた見知らぬ少女におどろいたのか、イリト様はこちらに人差し指をむけて、わざとらしく「吃驚!」と言っている様なポーズをとり、師匠へと質問をした。(彼女から忘れられていたことにショックなどない。私が未熟ゆえだ。……ないったらない!)
すると、彼女の謎のポーズを白い目で見ながらも師匠がその問いに答える。
「ああ、今日弟子をとった。ついでに『学園』視察に連れて行こうと思ってな」
「ふーん、弟子かぁ。まあ確かに視察には弟子は連れてっていいことになってるもんねー。しかもちょうど歳の頃もあってるし、いい感じ……で……」
って、えええええええええええ!?!?!?!?
太陽が燦々と大地を照らす昼間、最強の魔法使いと言われるイリト様の大絶叫が響き渡った。
いや、とてもうるさい。彼女は実はレベル10冒険者ではなくレベル10鶏だったのではないか。多分そっちの方が天職っぽいぞ。
「いやいやいや、弟子って、あの弟子!?!? 君が? 弟子!? 多分機会は永遠に来ないなーはっはっは、みたいなこと言って昔笑ってたじゃん!」
「まあ、それも120年前のはなしだ。少しくらい意見が変わることもあるだろう。それに、機会が来てしまったんだから仕方がない」
あまりの驚きに顔がよくわからないことになっているイリト様を横目に、師匠は意地悪く笑っている。……これ、完全にびっくりさせる気で来てたな。じゃなきゃあの絶叫を聞いた後にあんな顔、人間はできないと思う。
まったく彼は性格が悪い、と私は心の中で呆れるが、しかしこれでも師匠である。そういう不用意な発言は控えておこう。いつ私が消し炭にされるか、わかったもんじゃない。
「というか、そこまで驚かなくてもいいだろう。俺とて一人前の冒険者、一人前の魔法使いだ。弟子くらい作ることもある」
師匠はそう言って、微妙に本心も交ぜながらあまりに驚愕しているイリト様に文句を垂れる。彼としても、ここまで驚かれるのは些か予想外であったらしい。
だが、彼女はそれを聴いてもまだ顔を渋らせたままだ。
「いやーほら、正直言って『恒常』くんって社会不適合者っていうか、あんまり人間関係ができるタイプじゃないし……そういうの大丈夫かなーって。結構弟子との交友関係って大切だよ?」
イリト様から珍しく真面目な意見を聞き、師匠は少し唸る。多分自分も同じことを思ってたんだろう。
しかしその程度で傷つくメンタルは彼はしていない様で、とても楽観的に
「ま、何とかなるさ、何事も」
と、能天気に返しただけだった。
はあ、とイリト様からのため息が聞こえてきたのは、多分気のせいじゃない。
あと、私も本当にこの人について言っていいのか不安になってきた。大丈夫かなぁ。
・愛称
基本この世界の人間は長い名前を持つが、大抵略される。フルネームで呼ぶのは正式な時のみ。
…………まあ、レベル10連中のは少し事情が違うのだが。