4 英雄の最期 Ⅱ
遅れました。
気が付けば誕生日が過ぎていました・・・・
【いにしえに 君と夢見し けふの飛騨 朝露結ぶ 竹のまほろば】
「こちらの歌は我が主、国香が死の間際に詠んだ三つの歌の一つであります。主人は百年以上ものその歳月のすべてを、あるお方との約束を果たすためこの飛騨の地に神さぶ故郷を創り上げ、我らを創造されたのであります。」
そう語る彼の横顔はどこか古い友人を懐かしむような、なんだかとても寂しそうな面持ちに見えた。
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始めに知覚したのは、視神経を焼くような眩しさだった。
重力という逃れようのない縛りから解き放たれたその魅惑の浮遊感は、弛緩した四肢を穏やかに包み込み、暑さも寒さも感じぬ、泡沫の安らぎ。
いっその事、このまますべてを委ねてしまいたくなるような心地よさに酔いしれるその時、閉じた瞼を強烈な光が貫いた。
夢幻のまどろみを楽しむ余裕もなく挿し込まれる現実的な痛みに悶え、束の間の平安を手放した。
うぅっ・・・・・・・!
弛緩した四肢は粘度の高い泥中にいるかのように動くことはなく、瞼を貫き瞳を焼くその光を遮ることはできなかった。
眩しさに耐え兼ねて、重く閉じた瞳を開く。
すると目の前には見慣れた、だが、久しく鮮明に見ることが叶わなかった我が家の天井が目に入った。
今となっては逢うことも叶わぬ愛する人が、生前に描いた妹背の大桜。
老いて輪郭さえも鮮明に見えなかったその天井画の桜が、美しく目の前で咲き誇っていた。
ふと辺りを見渡せば、打覆いをかけられた自分を囲う子孫らが、浮遊する自らの足元に見えた。
彼、彼女らはいずれも悲壮感を漂わせ、中には大声を出して泣き叫ぶ者もいた。
嬉しいものだ。自らの死を嘆き悲しんでくれるのは・・・・だが、笑顔で送り出してほしいと言ったではないか・・・・
人一倍泣き叫び、布団にしがみつく愛らしい昆孫の頭を、半透明となったしわくちゃの手で撫でる。
一瞬震えていた肩が跳ねるも、それに触れることも抱き寄せることもこの体ではできはしない。
「別れの覚悟はできているか?」
いつの間に現れたのか、年若い男とも女とも取れる美麗な声が問いかける。
振り返るとそこには、黒金に輝く一対の翼を背中に携え、同じく黒金色の羽団扇を腕に抱く齢20に届かんばかりの美少年が立っていた。
空中に於いて赤く塗られた一本歯の高下駄を静かに鳴らしながら近づいてくる。
国香は直感する。彼は自分を迎えに来たのだと。
恐れはなかった。だが、悲しさと寂しさが胸中を埋め尽くす。
「私は地獄に堕ちるのか?」
部屋を漂い、思い出に浸りながら国香は問いかける。
「それを決めるのは私ではない。だが、安心しろ。私が迎えに寄こされたのだ、お前たちの言う地獄とやらには行かないのだろう。」
静かに、そして感情の一切がこもっていないその声にわずかな優しさを感じる。
部屋の隅に置かれた使い込まれた桐箪笥に近づき、奥にしまわれた古い画用紙を撫でる。
「私はこの家を愛している。この家族を愛している。人笑うこの町を、鳥啼くこの森を、神遊ぶこの大地を、神さぶその時まで永遠に・・・・」
窓から見える朝霧の晴れた町をゆっくりと見下ろす。
音もなく静かに後ろを歩く彼は静かに答えた。
「お前が護ったこの家も、町も、みないつかは朽ち果て滅びゆく。それゆえに美しく、それゆえに尊いのだろう。永遠などないほうが良いのだ。だが、お前の行いは無駄ではない。それを誇れ。」
慰められているのだろう。少しばかり優しい声音で諭された。
見た目こそは自分よりも圧倒的に年下であるが、その物言いは圧倒的な歳月の差があってこそなのだろう。
床の間に掛けられた埃一つついていない大太刀を愛しむ様に撫でる。
刃渡り99cmを超える長大な太刀。国香の生涯の大半を共に過ごした友。
剣林弾雨の戦場を共に駆け抜けた半身ともいえるそれを一層優しく撫でる。
「覚悟は決まった。鳥よ。翼を持つものよ。私は逃げも隠れもしない。連れていくがよい。そのために来たのだろう?」
彼は死を受け入れない者を連れていく。それを生業とした天狗。
未練があろうと、地に縛られようと強制的に連れ去る者。
人はそれを死神と忌み嫌う。
「相、わかった。」
集まった家族らに向き直り、最期のときまでその光景を目に焼き付ける。
鳥は羽団扇を大きく振るった。
室内に一陣の秋冷な色無き風が吹き抜けた。
箪笥にしまわれた画用紙には、黒く輝く大きな鳥が広大な大空を羽ばたく姿が描かれていた。
和歌は全く分かりません。