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古神偃武  作者: 西崎 劉
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五話 契約の塔と陰陽の鍵


 

 飛翔して目的地へ近づくにつれて、黒雲に錯覚するほどの無数の魔物たちが飛び交う姿をスタンたち三人は目の当たりにする。

 その姿にさすがに恐ろしくて身体を竦ませるが、コハクとゲンカは泰然としていた。

「……前が見えないくらいだもの! 進めないよっ」

 魔物たちの声量で耳鳴りを覚えながら、コハクに訴える。下手をすれば、木の葉の様に吹き飛ばされそうだった。

 すると、ゲンカは微笑みながら、軽く腕を振った。その途端、回りが血の海に染まり、肉塊が海上へ落ちていく。

「…………」

 にっこり微笑んでスタンに手を差し延べる。

「我等の世界では、弱いものは生きる価値がないのですのよ。進路を邪魔するものは、切り開くまで。……もう、目の前に障害物は無いでしょう? スタンギールさま」

先程まで鳴きわめいていた魔物たちが、今の行為でシンッと静かになった。

次に取った行動は二つに別れる。

一つはコハクとゲンカを避ける様にその場を逃げだしたモノ。

もう一つは襲いかかって来るモノとだ。

 コハクは、好戦的な笑みを浮かべると、背から大剣を抜き、構えた。

「ゲンカ、スタンギールの守護を任せる。俺はこいつらと少し遊んでいくから、先に行けっ!」

そう言って、襲いかかってきた魔物たちの方へ滑るように飛翔して向かった。

 ゲンカは軽く肩を竦めてスタンの手を取ると、空いた手を中空にかざして二言三言呟く。

(……空気の匂いが変わった?)

 辺りが一瞬ぶれた様な気がした。不思議そうにスタンが見渡していると、ゲンカが微笑みながら下を示してみせる。

 スタンは促されるままその方向に視線を向けた。

「……塔?」

 小さな島だった。草も木も生えていないゴツゴツとした岩しか無い殺風景な島である。

その島の中央に無骨な塔が一つ、そびえるように建築されてあった。

スタンはゲンカを振り返る。

「……ここに居るの?」

「例の香りは《ここ》から出ています」

 スタンはしばらく上空からその塔を見下ろしていたが、塔のてっぺん近くに窓が一つだけある事に気付き、目を眇めた。

(……あそこ、かな?)

 架空していこうとして、ふと側にゲンカがついて来ないので振り返る。

「……ゲンカ?」

 ゲンカは困った様子で、指で塔の窓を示す。

「……先に行けというのね? うん」

確かに話しかけているはずなのだ。

だが、声がスタンには届かないし聞こえない。

今まで無かった事なので少し心細かったが、今は一刻も早くシュレーン王子に会うこと、それが目標だったので、大きく頷いて先を急いだ。

スタンが塔の窓辺にたどり着いたのを確認したあと、ゲンカは自分の前を立ちはだかる 《壁》に視線を向けた。

「……悪趣味だわ、どれだけの妖魔を糧に作られたのかしら、この《条件付けさせられた障壁》は」

徹底的に妖魔や魔物を拒む障壁。

さすがにその上位の位置にあるミルたちには効果が無かったようであるが。

ゲンカはちらりと背後をみやる。

そう遠くない場所で、光の爆発が大小点滅した。

「向こうも楽しんでいる事だし、わたくしはこれを解く事に専念しましょう」

 スタンが気付く事もなく通り抜け、ゲンカをはじき出した障壁に手を当て、探査の呪文を唱えだした。

「これで、進入しようとする者が居る事を、相手に知らせる事となったけれど、その分先に行ったスタンギールさまへの関心が減るわ」

ふと、ゲンカの回りに今までとは格段に格の違う魔物や妖魔たちが出現する。

その魔物たちの中心に、漆黒の衣装を纏った男が現れた。

「……ほほぅ、貴様。妖魔だな! アレを狙って来たかっ! きさまも取り込んで儂の傀儡にしてくれるわっ!」

 ゲンカは妖艶な笑みを魔導士バイアンに注ぐと、赤い舌でちろりと唇を嘗めた。

「あなた方の様な《魔導士》に取り込まれるほど、わたくしの格は低くないですわ!」

 

 

ちょうどその頃、ゲンカを障壁の外へ残して塔に近づいたスタンは、ソッと窓から中を覗いた。

(……誰も、いないのかな?)

すると、中は薄暗い闇である。

スタンは窓に足をかけてもぐり込むと、部屋の中を観察する。

(……うわっ! 高い……っ!)

明かり取り用の窓だったのか、床までが恐ろしく距離があった。

何しろ、床に何が置いてあるのか、薄暗さが拍車をかけて判らないくらいだ。

ぐるりと見渡すとこの部屋は丸天井らしい。

 スタンは振り返って背の翼を羽ばたいて飛べる事を確認すると、窓の桟を軽く蹴った。

(……広い……けど、誰もいない……あれ?)

円を描きながら下降して床に近づくにつれて、部屋の中央にぐるりと刻印が刻まれた白い石で出来た台がある事に気付いた。

その台に、全裸に近い姿で四肢を拘束された、目を見張るほどの美貌の少女が居て、驚いた表情のままスタンを見上げている。

スタンは、少女の白くて細い手足が、拘束されている事によって擦り傷になっている事に気付き、顔を顰める。

長い時間、空に居たせいか床に着地した時よろめいたが、なんとか羽ばたいて体制を整えた。

「……乙女の柔肌になんてことしているのかしら! ここの塔の持ち主はっ」

「…………」

スタンはプリプリ怒りながら、絶句している少女の拘束された右腕に近づくと、手錠を外そうと覗き込む。

「……鍵……が必要だよね。どうしよう」

 スタンは少し考え込んでいたが、ふと思いついて、右腕に嵌まっている腕輪を外し、台の上に置いた。

「……どうした、スタンギール」

腕輪がとけて人型になり、楽しげな表情をしたバンクウが現れた。

少女は、スタンの名前を聞いて目を大きく見開くが、スタンはそれに気付いていない。

「この娘を助けて、るりりんの居場所を聞くの」

バンクウは片眉をはね上げて「なるほど」と呟いた。

指をバチンと鳴らすと、少女の四肢を拘束していた足輪と手錠がはじけ飛ぶ。

 少女は弱々しい様子で身体を起こすと、泣きそうな瞳でジッと見つめた。

「…………」

「……? なに」

少女は、一つ涙を零して微笑むと、怪訝そうに側に立ち尽くすスタンに飛びついて、ギュッと抱きしめる。

透ける衣をまとっただけという、ある意味煽情的な恰好の少女に抱きつかれ、顔を朱に染めた。

「《お姉ちゃん》だぁ……嬉しいよ……」

スタンは真っ赤になったまま硬直していたが、「お姉ちゃん」という言葉に反応し、目を瞬いて少女を見つめる。

少女はと言うと、涙が止まらなくなったのか、ポロポロ涙を零していた。

「……もう、絶対会えないって、思っていた」

ふと、遠い記憶を思い出す。

抱きついてきた少女を身から引き剥がし、ジッと間近で見つめ、記憶の中の面影と照らし合わせた。

「………………まさかと思うけど、《るりりん》?」

 遠い昔の呼び名を耳にして、少女は泣き笑いの表情で「うん」と頷いた。

「スタンお姉ちゃんが、助けにきてくれるなんて、思ってもみなかった……。だって私、一言もそういう事、手紙で書かなかったから」

すりすりと再び擦り寄る少女に、スタンは自分の羽織っていたマントを着せてやる。

「……でも《泣いていた》でしょ。手紙が涙で滲んでいたよ? だから、来たの。それから……」

スタンは腰に手をあて、怒った様な表情をして見せる。

「《シュレーン王子》?」

 少女は、ギョッとして顔を上げた。

「長い間、よくも騙してくれたわね?」

指を突きつけて言うと、《るりりん》事、シュレーンは、深くうなだれスタンから離れた。

スタンは指折り数えてみせる。

「何処が《落ちぶれ商人の娘》ですって? どおりで、リャーメンに出掛けた父さんに、あなたから聞いた住所を尋ねてもらったら、変な顔したわけよ。……で、その住所に何があるの。空き地? 公園?」

「…………私の実家」

シュレーンは上目遣いにスタンを見たが、スタンがツンとそっぽを向いたので、益々泣きそうな顔になった。

「それだけは、正直に答えたのね? 驚くよねぇ……そりゃあ。《お城》があるなんて、普通考えないものね」

 シュレーンはスタンのスカートの裾を握しめたまま俯いて震えた。

「…………嫌わないで…………」

 スタンは深くため息をつくと、苦笑した。

「誰が《嫌いになった》なんて言ったのよ。今も昔もるりりんは可愛いあたしの妹よ?」

 そう言って、少し首を傾げた。

「……でも《王子》と名がつくからには弟……なのかな? でも、どうみてもその体型は女よねぇ……」

 シュレーンはしばらくスタンを見ていたが、覚悟を決めると、借りていたマントをするりと脱いだ。

「……るりりん?」

不思議そうに問いかけたスタンの前で、唯一着用していた薄絹も脱ぎ捨てる。

軽い音が床に落ちた。

薄暗い部屋に、仄かに明かり取りの窓から差し込む一筋の光にその裸体を晒す。感嘆が自然と漏れる見事なプロポーションだった。

スタンは顔を朱に染めてそれを見ていたが、ある事に気付き真顔になる。

無言のまま、下に落とされたマントを屈んで手にすると、シュレーンに着せた。

 そのまま、包み込む様に腕の中に収める。

「…………おねえ、ちゃん?」

 不安そうに問いかけるシュレーンに、スタンは囁いた。

「《大丈夫》だから。るりりんは、あたしの大切な妹よ」

瑠璃色の瞳を覗き込み、銀の髪を撫でてやりながら微笑む。

再び、シュレーンの頬に涙が伝った。

「誰のために、こんな所に来たと思っているのよ。るりりんだからこそ、あたしは来たのよ?」

 シュレーンはへなへなと座り込んだ。

「…お姉ちゃんは、私のこと、《化け物》と呼ばないんだね……」

 ポロポロと涙を零しながら泣きすぎて赤くなった目をスタンに向けた。

「……父さまも、母さまも私を疎んじた。……兄さまと姉さまは、化け物といって近寄りもしなかった……」

「…………」

「私に残ったのは、スタンお姉ちゃんだけだった。乳母のスザンナや主治医の一人であるフェムは優しくしてくれたけど。でも私の立場が私に優しくする理由にしか思えなかった。……素の私と出会って《妹》だと言ってくれたお姉ちゃんだけが、私を《私》と見てくれた……」

 シュレーンは、座り込んだまま見上げるようにしてスタンを見つめながら綺麗に微笑む。

「……だから、怖かった。私の立場やこの身体の秘密を知られたら、全て変わってしまう様に思えて、失うのではないかと思ってとての恐ろしかった。……お姉ちゃん、長い間騙して御面なさい。そして、有り難う……。もう、思い残すことは無いよ」

 シュレーンの言いように、スタンは目を見開く。

「……るりりん?」

「……ここで、儀式が行われる」

 スタンは怪訝な表情をした。

「なんの?」

「《魔神召還の儀》」

 シュレーンは、寒々とした声で一つ呟く。

スタンは目を見開いた。

「私の身体は、魔力に係わるモノたちにとって吸引力があるから、それを利用すると言っていた」

 スタンは少し考え込む。

「…………《どうやって》?」

 シュレーンはツイとスタンから視線を逸らし、深く俯く。

「……………あの呪文を刻んだ台で、私は召還を願う者に《抱かれる》の。……それは、神や魔神を召還する者がする、第一の契約。そうして相手が私を汚し、一体化する。感情の昂りと暴走が相手を導き、もう一人の《私》に会う」

 スタンは顔を強張らせた。

「今の私は《女》の私。普段は表に出てくる事は無かった、臆病な自分自身を体現した心。……もう一人の《私》は、全身に契約の呪を刻んだ《男》の私。……今の私の中に封じられ眠りつづける、世を恨み契約を交わした心。先にたどり着いた者だけが、その心と第二の契約を結ぶ事が出来る」

突然、そう遠くない場所で凄まじい爆音と振動が塔全体を震わせた。

スタンは反射的に明かり取り窓がある場所へ視線を向ける。

「……それらが召還されたら、るりりんはどうなるの?」

「私は消えるだけ」

 スタンは、シュレーンを見てギュッと唇を引き結ぶと、座り込んだシュレーンの手を引き立ち上がらせようとする。

「逃げよう!」

 シュレーンは俯いて横に首を振った。

「駄目。出来ない」

「何もしない内に、諦めるの!」

 じたんだ踏んで怒るスタンに、切ない笑みを向けた。

「……スタンお姉ちゃん。ここは《契約の塔》なの。私をここへ連れてきた、契約者である魔導士バイアンが、私が逃げださない様に作った二重の檻の一つ。……例えここで逃げだす事が叶っても、バイアンは再び私の前に現れる。現れて、私が嫌がる事を平気でする。お姉ちゃんの存在を知ったら、きっと傷つける。……契約が執行されるまで、私はずっと呪術的にバイアンに捕まったままで、人形であり続けなければならない。操られ、何をするか判らない……それに怯えなくちゃならないっ! それは、嫌だから。……だから、お姉ちゃんだけでも逃げて。……会えただけでも嬉しかった」

 ふと、今まで成り行きを見ていたバンクウが、面白そうな表情でスタンに声をかけてきた。

「……塔に侵入者が居る事に、魔導士が気付いたぞ。どうする? スタンギール」

 スタンは険しい表情でバンクウを見る。

「ゲンカさんとコハクさんは負けたの?」

 バンクウは肩を竦めた。

「いや。その者の《匂い》に惹かれて集ってきた魔物相手に遊ぶ事に没頭している。きりがなさそうだ」

 スタンは深呼吸して《背》の翼に声をかけた。

「《ミル》ちゃん」

 呼ばれてスタンの背に生えていた翼が消え、代わりに黒い小鳥が宙を舞った。

「あたし、覚悟決めた!」

 真っ赤な表情のまま、ギュッとスカートの裾を握りしめて、ミルとバンクウを見る。

「二人で時間稼ぎして欲しいの。魔導士が来ないように」

 スタンの言いように、バンクウとミルは異様な輝きを瞳に宿らせた。

「《遊んでいい》のか?」

 スタンは大きく頷く。

「スタンギール、それを我等に《許す》のだな?」

 スタンは再び頷いて二人を見た。

「あの《魔導士》限定なら、いいよ」

スタンの言葉が終わるか終わらないかの内に、ミルとバンクウがフイッとその場から消えた。

シュレーンは、困惑した様子でスタンと消えたミルたちを見比べる。

「……お姉ちゃん……その《名前》?」

 シュレーンはその二つの名前を知っていた。

それは、遠い昔の思い出の中で、スタンが側に置いて遊んでいた烏とイタチにつけたものだったからだ。

スタンはシュレーンの問いに答えず、シュレーンに確認する。

「るりりん、契約を執行したら塔を出ても大丈夫なのよね? あの魔導士の手綱を切る事が出来るのよね?」

 シュレーンは何故それを聞くのか判らなかったが、その通りだったので頷いた。

「……その契約を執行するのは、あの魔導士ではなくても、いいのよね?」

 シュレーンは何が言いたいのだろうと、不思議そうにスタンを見上げた。

「その通りだけど……お姉ちゃ……あっ……」

 スタンは屈み込むと、シュレーンの頬に手をあててついばむ様に接吻をした。

シュレーンは真っ赤な表情で硬直したままスタンを見る。

「もう、やけくそよっ! ……同性でする羽目に陥るとは思わなかったけど、るりりんが乱暴されるのは、みてらんない!」

「…………」

「それだったら、あたしが相手してあげる。殆ど同じ身体の構造なんだものっ! いくらかマシよっ」

 シュレーンはハッと我に返るとプルプルと首を横に振った。

「駄目……駄目! それは、駄目っ! お姉ちゃんに悪いっ!」

「……それしか方法ないでしょ。それとも、他の人がいい? そんなに先程のキス、嫌だった?」

 シュレーンは更に真っ赤な表情で首を横に振る。

「……だって………だから!」

 スタンは少し傷ついた表情をする。

「御免ね、ヘタでっ! でもね、あたしだって、切ないものがあるのよ。だってアレ、ファースト・キスだったんだからっ!」

「スタンお姉ちゃんっ、そうじゃないっ」

 スタンは顔を顰めた。

「……なに? 悪かったわねっ! るりりんのおめがねに叶う様な美人じゃなくて。でもそこまで力一杯嫌がらなくてもいいじゃない」

 シュレーンは更に首を横に振りながら、スタンの服を掴み顔をその柔らかな胸に埋めた。

「そんなんじゃない……そういう事ではなくてっ!」

 不信いっぱいの表情でスタンはシュレーンを見る。

「……じゃなくて?」

 スタンは必死の表情でしがみついて来たシュレーンを受け止めながらある事に気付く。

シュレーンのうなじと耳が、スタンが触れる度に反応する様に震え、益々朱に染まる事に。

「……るりりん?」

 再び問いかけるとシュレーンは顔をスタンの胸に埋めたまま答える。

「その申し出は本当に嬉しい。だって《私たち》は、そういうのを欲しがる体質だから。……だけど、それを利用されるのが嫌で、隠してきた。そういうのをずっと我慢してきた。おまけに、お姉ちゃんが本当に好きだから、そんな事をしたら、絶対《自制が効かなくなる》。その結果、自分がどうなるか判らないんだものっ」

 スタンはそれを聞いて絶句した。

「…………それでも、お姉ちゃんは《いいの》?」

スタンは天井を仰いだ。

己の顔に手をやり、少し間を取る。

ややして、不安そうに見上げるシュレーンの視線にぶつかり、苦笑した。

「……成るようになれよっ! 受け止めてあげるわよっ、るりりんの全てっ! もう、こうなったら女は度胸よっ! 毒皿なのだからっ!」

 スタンは、初体験が未知との遭遇状態だという事に、多少の虚しさと脱力を感じたが、目の前で起きる事、自分自身で決めた事に関して開き直る事は逸品である。

「さっさと済ませて、とっとと逃げだすわよっ! ……取り敢えず、例の台に寝てちょうだい」

そう言って、スタンは呪文の刻まれた台の方をビシッと指さした。

シュレーンはその言いように絶句したが、次に涙を瞳に浮かべてクスクスと笑う。

「……なによ」

「だって……だって、スタンお姉ちゃん」

 スタンの腕の中で小さく笑いながら懐かしそうに呟く。

「スタンお姉ちゃん。そういう所、全然変わっていない……」

 



 

気がつくと、暗い闇の中に立ち尽くしていた。

初めは自分が何故この様な状況に至ったか思いつかず焦ったが……つらつらと思い出した記憶によって、ここが何処か理解する。

(……我ながら冷静に対処出来たわよね。……同じ構造の身体だから出来たのかしら?)

顔を真っ赤に染めたまま呟く。

油断すると、先程までの濃密で激しくも艶美な行為を思い出しそうで、頭の中が沸騰しそうだった。

(取り敢えず、問題の場所に《入った》という事なのかしら。ここからが、本番なのよね)

見渡すかぎりの深い闇。

観察の目を四方に向けていたが、自分が裸のままの上、透けて幽霊の様な状態でいる事にそこで気付き羞恥と驚きで悲鳴を上げかけた。

が、気がそれる。

(……あれ……は……?)

 目の前に、黒い茨で戒められた、痛々しい様子の少年が一人横たわっていた。

スタンは近寄ると屈んでその少年を観察する。

そして、首を傾げた。

その少年の顔は、そう遠くない過去に《見たことがあった》のだ。

たしかにその顔は、シュレーンが《もう一人の私》と言う事だけあって、身長の差があれどそっくりである。

(……でも、どこで……だったっけ?)

首を傾げてまじまじと観察する。

だが、スタンが《見たことがある》と感じたソレは、シュレーンとの対比で会ったことがあるという意味では無かった。

たしかに現在のシュレーンと体面する以前に見た気がするのだ。

 スタンは、しばらく目を閉じたまま目を覚まそうとしない少年を見ていたが、このままではどうしようもないので、取り敢えず起こす事にした。

「シュレーン王子、おはよう」

 


 

 呪具としてここに封じられたのは何時だったか、今ではどれだけ思い返そうとも眼前の闇に飲まれて出来たためしがなかった。

 それでも捕らわれた当初は様々な抵抗を試みたが、全身を封じ痛めつける茨が邪魔をし、どれも不発で終わっている。

全身を焦がしつづけた《欲》が、徐々に消えていくのを、ぼんやりとした意識で自覚していた。

それが意味する事はただ一つしかない。

焦がれつづけて、それでも恐れた《時》が叶いつつあるのだ。

 表に出ていた意識が内側に封じられ、普段表に出た事が無かった意識が表に出た。

(……私の《生》には意味があったのか?)

 全身に描かれた呪文が、淡い輝きを醸しだした。

(……私は全てにおいて《負けた》のだろうか……?)

 フッと、今まで永遠の責苦の様な《欲》が消失する。それと同時に自分以外の気配が近づきつつあった。

(それもいい。……もう、疲れた)

 己を包む闇に深く身を委ねる。

(《殺す》なら、早くしてくれ……)

 そう思った時、想像もつかなかった声が耳朶を打った。

「シュレーン王子、おはよう」

 ここに訪れる事が出来るのは、自分をこの様な目に合わせた魔導士バイアン以外にいないだろうと思い込んでいたから、少年の姿を持つ、もう一人のシュレーンは驚いて目を開けた。

 見知らぬ少女だった。淡い光に包まれ、半分透けた幽霊の様な身体の少女。

 動く事が叶わなかったので、首を巡らせ少女を見上げる。

「……あなたは?」

 少女は困った様な表情をした。少し考え込んだ後、意地の悪い笑みを浮かべる。

「秘密よ。……でも、ヒントだけはあげる。以前にね、あなたと会ったことがあるのよ。だから、根性で思い出しなさい」

 シュレーンは驚いた表情をした。

「……あなたと?」

 少女は頷く。そして次に真剣な顔をした。

「もっと話していたいけど、時間がないの。あたしの友達が時間稼ぎをしていてくれて、信頼はしているのだけど、余り彼らを放っておけないのよ。……わたしがここへ来た意味は判るよね?」

 シュレーンは物憂げな様子で頷いた。

「人は変わったけれど……もう、どうでもいい。何がしたい? 魔神を呼び寄せ、世界を破壊する力を手に入れる? それとも、現に呼び入れて混乱を招く?」

 少女はその言いように顔を顰めた。

「あたしはそんな力は必要ない。あたしが欲しいのは契約の鍵だけ。さっ、ちょうだい」

そう言って、シュレーンの方へ手を差し出した。

シュレーンはというと、驚いた様に少女を凝視する。

少女は何も行動を起こそうとはしないシュレーンに少々焦れた様だ。

 苛々とした様子で屈むと茨に戒められたシュレーンの腕を掴み強引に引き上げる。

 その透ける幻のような身体では到底掴む事が出来ないだろうとたかをくくっていたシュレーンだったが、しっかりとした実体を持ち、しかも生身の人間と変わらない様な温もりと柔らかさがある事にギョッとした。

 次に無理やり戒めを破った事で身体を引き裂く痛みを覚悟したが、驚いた事に茨は抵抗する事もなく、シュレーンをあっさりと開放する。

 今まであれほど強固に拘束していた事が嘘のようだった。

「何、ボケボケしているの。海の向こう側ではね、王子を探してパガードさまたちがいらっしゃっているんだからっ!」

 シュレーンは、目の前の少女がどういう立場の者なのか色々思考を巡らせていたが、王宮からの迎えに関わりがあると受け取り、視線を落とした。

「……放っておいてくれないか?」

シュレーンはツイと視線を逸らす。

「どうせ、私が城に帰っても、喜んでくれる人はいない。兄さまも姉さまも私が居なくなった事でホッとしているにきまっている。だから、私をおいてここから帰って……」

少女は全て言わせずシュレーンの頬を叩くと、涙を滲ませた瞳で睨み付けて叫んだ。

「あたしのかわいい《るりりん》は、そんな情けない事を言うやつだったわけ? あたしが苦労してここまで来たのは、無駄だったっていいたい訳なの? 答えなさいっ! シュレーン王子っ」

シュレーンは叩かれた頬を抑えたまま、目の前の少女を凝視する。

懐かしい呼びかけだった。

温かい小さな腕を思い出す。

シュレーンは泣きながら怒る少女を見つめながら、恐る恐る問いかけた。

「…………スタンギール、《お姉ちゃん》?」

 


 

暗い闇の前方に延びる細い道。

 スタンはシュレーンの腕を引いて懸命に走っていた。

二人の走った後の道は、呆気ないほどの脆さでボロボロと崩れていく。

余りの脆さとその後に残る恐ろしい程の暗い闇にスタンは鳥肌をたてた。

「……《鍵》ってなんなの?」

前方に見える、小さな光が徐々に近づいてくる。

初めはまるっきりの闇だった。

 足元も判らず、故に道を知っているだろうと思われるシュレーンに導かれるようにして走っていたが、光の点が見えはじめると、スタンがいつの間にか先頭に成っている。

「それは《秘密》。でも託せるのが他の誰でもない、お姉ちゃんで良かった」

先程までの無気力で投げやりな様子が嘘の様に明るい口調だった。

スタンはそれが嬉しい。

「託す、託すって王子はいうけれど、その鍵はあたしの想像する鍵とは違うの?」

 スタンは女性体と男性体の区別を付けるため、少年姿のシュレーンを《王子》と呼んで

いる。少女姿のシュレーンを《るりりん》と呼んだように。

「お姉ちゃんが言っている鍵って、ドアの鍵の様なものを想像しているでしょ? ……たしかに《招き入れる》という意味では同じかも知れないけれど、原料は全然違うものだよ」

 そう言ってにっこり笑った。

「……王子?」

「だって、普通の鍵だったら《神》や《魔神》は呼べないでしょ?」

スタンは「そうよね……」と呟く。

シュレーンは笑顔で頷きながら額を流れ落ちた汗を拭った。

「そうそう。特別な材料で作られた、《特殊な鍵》なんだ。でも、それはある場所ではないと鍵の意味がないんだよ?」

 しばらく走る内に、正面の光が広範囲になり、とうとう二人は足を止めた。

 スタンは目を大きく見開いたまま二人の行く手を遮る様にしてそびえ立つ光輝く《壁》を見上げた。

「いっ、行き止まり?」

 スタンはてっきり外へ出られると思っていたので、シュレーンの手を放すと、慌てて壁を探ったが、滑らかで冷たい感触なだけで扉らしきものが見つからない。

 シュレーンは、おろおろしながら壁を探っているスタンを見ていたが、小さく笑うとその《壁》に触れた。

「……それは、私の《中》と現実世界の境目にある《壁》だよ、お姉ちゃん」

スタンは反射的に振り返った。

そこで見たものに蒼白となる。

「お……王子っ!」

スタンの見たもの。

それは、壁に触れた事でどんどん身体が光りながら溶けていくシュレーンの姿だった。

「何しているのっ! 壁から手を放すのよっ! 死にたいのっっ!」

スタンは慌てて壁から引き剥がそうとするが間に合わない。

シュレーンはそんなスタンを見ながら横に首を振ると、これだけ言った。

「呼び出す事が出来るのは、一つだけ……願い事は一つだけ叶う」

「シュレーン王子っ!」

「……私の命が鍵だよ」

コロンッとしたものがスタンの手の中に落ちた。

小さな拳ほどの虹色の玉。

「シュレーンっ! いやーっ!」

 悲鳴の様な声を上げた時、意識は現実に戻り、スタンは泣きながら柔らかい腕の中から起き上がった。

「……スタンお姉ちゃん。私の中から《半分》が消えた」

「…………ごめんっ! 助けられなかった……助けたかったのに……っ!」

 俯いて涙を零すスタンに、残ったシュレーンは寂しく微笑んで首を振った。

「ううん。いいの……もう一人の私は、お姉ちゃんに会えただけで《満たされた》んだよ? 寂しくも苦しくもなく、幸せだったから、いいの。……それに、契約をバイアンと交わしてここで呪術を施された事によって、逃れようもない《鍵》になっていた。鍵があるかぎり、私は縛りつけられる。その鍵が抜けた以上、私はここから出る事が出来るの。だから、気にしないで……スタンお姉ちゃん」

スタンは暗い表情でそっと手を開いた。

そこに光る玉がちんまりと納まっている。

「……せめて……あんただけは助かるのよっ! 絶対」

スタンは脱いだ服を急いで着ると、台の上のシュレーンを抱き上げて床に下ろした。

「…………」

 シュレーンは涙を腕で拭いながら決意を新たにするスタンを黙って見つめる。

「もう、これ以上失うもんですかっ!」

シュレーンは不安を誘うほど身体が軽かった。

 スタンは裸のシュレーンに自分のマントを着せて手を引くと、その部屋の出口へ向かって駆ける。

遠く……近く激しい戦闘の気配が伝わってくる。

時々爆発の余波で、塔全体がビリビリ震えた。

 スタンは、シュレーンの手を引いて螺旋階段を下へ下へと駆け降りる。

 何個目の扉を抜けたのか……突然、視界が暖かな日差しに包まれた。

 外に出たのである。

 眩しそうに嬉しそうにシュレーンは空を見上げた。

 一見何も起こっていないかの様な光景。

 塔を囲む岩だらけの島の向こうに果てしなく広がる海。

 陽光でテラテラと瞬くように海面が光っている。

それ以外は何もない。

だが、スタンは知っていた。

目に見えないが確かにこの塔を囲む透明な《壁》がある事を。

「スタンお姉ちゃん。私はね……直に外を見たのは初めてなの」

 嬉しそうにそうスタンに言って、微笑んだ。

「いつも表に出ていたのは《鍵》になった、もう一人の私。だから、一度こうやって日差しの下に出て見たかった……光の中のお姉ちゃんを見たかった」

 スタンは怪訝そうに手を繋いでいるシュレーンを見下ろした。

「……るりりん?」

 シュレーンはスタンと繋いだ手に開いたもう片方の手を重ねて微笑みながら見上げた。

「スタンお姉ちゃん。私たちを覚えていてね? ちゃんと、生きて側に居たって事を忘れないでね?」

「………るりりん、それ、どういう意味?」

 シュレーンは答えず、胸一杯に海の香りのする空気を吸い込むと、空に向かって叫んだ。

「塔の封印は解かれ、鍵の所有者は決定した! 残念ねっ、バイアン。あなたの願いはここで断たれるのっ!」

 シュレーンは呆然と横で立ち尽くすスタンに背伸びをして、唇に軽く己のそれを重ねた。

 そして、細い腕をスタンの首にからませ囁く。

「……わたしは門なの。門だけでは駄目。鍵だけでも駄目。二つ揃って初めて契約は成就する。……さぁ、お姉ちゃん。玉に《願い事》を」

 軽い音がしたと、スタンは思った。

それは砂の音。

スタンは震えながら呆然と足元を見下ろした。

そこには一人分ほどの砂の山。

急速にスタンに近づく気配がある。

 顔を上げると、見知らぬ三十後半頃の年齢の男が、額を汗と血で染めて、荒く肩で息をつきながら憤怒の表情で立っていた。

「……貴様……っ!」

 スタンはのろのろと顔を上げた。

「何故、邪魔だてするっ! この計画には、短くない年月と価値ある様々なものが、費やされたんだぞっ! この代価は命でもって贖ってもらうわっ」

バイアンは駆け寄ろうとするが、途中で見えない何かにはじき飛ばされ、後方へ吹き飛び尻餅をついた。

悔しげにバイアンは顔を上げると、スタンの側にいつの間にかミルとバンクウが戻ってきていて、可笑しそうな表情のまま腕を組んで立っている。

「無駄だ。貴様はこの娘に触れる事は叶わぬ」

「……なにっ?」

「お前は、鍵を手に入れ損ねたのだ。今更、足掻いても無駄だと知っているだろう?」

 バイアンはグッと詰まる。

「貴様は、方法を違えた。鍵を作るのに、心のあるものを使ったからだ。心あるものは惹く者へ有利に導く。故に、このような状態になったのだ。例え心持つ者でも、鍵が心委ねる相手を知っていたら、いかようにも方法があったものを。落ち度が招いたのだ、他を責める前に己の不甲斐なさを責めるがいい」

 スタンを守る様に立つ、二人の少年の、感情の浮かばない目をバイアンは戸惑いながら見比べ……ある事に気付き、顔を引きつらせる。

何処にでもいるような目立たぬ容姿に惑わされ、遅まきながら気付いた事があった。

二人の歩いた先に足跡が残らなかったのだ。

影は二つ、足元に相応の大きさのものがある。

だが、脳裏に先程散々邪魔をしてくれた男女二人を浮かべた。

「……貴様も、あの忌ま忌ましい妖魔たちの仲間か? 儂をさんざん邪魔してくれた」

 すると、二人の少年の内、一人が薄く笑った。

「あれらと存在理由が違うが、確かに我等の眷属だ」

人にしか見えない少年たち。

凡庸にしか見えない気配と仕種。

だが、バイアンは彼らの目が恐ろしいほど澄んでいる事に、疑問を持つ。

しかも《人間》であるはずなのに《眷属》と答えた。

その意味は……。

 バイアンが警戒の眼差しをミルたちに向けている間も、スタンはぼんやりとした様子で手の中の玉を見つめていた。

――― 願い事は?

スタンは、遠い日に見たシュレーンの幼い笑顔を思い出した。

クスクス楽しそうに笑いながら、少年と少女のシュレーンの幻は、妖精の様に囁く。

風になびく銀の髪、深い瑠璃色の双眸。

愛しかった小さな弟妹。

 スタンは枯れた表情でぼんやりと目を瞬く。

「……《願い事?》」

 ――― スタンギールお姉ちゃんの望むまま……。

 スタンはゆっくり「うん」と頷いた。

「魔力を与える《魔神》や《神》なんて

《いらない》。あたしは魔導士ではないし、魔術なんて興味ないもの。だけど、願い事が叶うのなら、あの子たちをあたしに《返してっ》!」

 瞬間、スタンの周囲は光に支配され、スタンが右の指に嵌めていた、真珠の指輪が弾けた音を、遠く聞いた様な気がした。

 


あと数話で完結予定です。

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