王国の災難
ミノルたちが迷宮で人間界の食べ物に舌鼓を打っているころ、エルマダ王国の首都ラーベンスでは大変な事件が起こっていた。
「……」
大神殿に安置されたこの国の秘宝、大宝珠を見て、国王は言葉を失っている。大宝珠とは国の守護神である東王母から贈られた加護の神器だ。
エルマダ王国は大宝珠のおかげで気候が安定し、人々は流行り病から守られてきた。
そんな大切な大宝珠に異変が起きているのだ。
普段はエメラルド色に輝き、淡く発光していた大宝珠だが、今や光は失われ、その表面には紫色の染みが浮き出ている。
「どういうことなのだ?」
蒼白な顔で国王は神官長に尋ねた。
「わかりません。二週間ほど前から少しずつ魔力が抜けている気配はございました。ただ、これまでもそうしたことはあったので、そのうちに元へ戻るだろうと考えておりました。ところが、今朝になって、この染みが浮き出てきたのです」
聖なるものを汚すような染みは、どこか禍々(まがまが)しささえ感じさせる不気味な色をしていた。
「これは由々(ゆゆ)しき事態だぞ。東の方では疫病が流行り出したという報告も受けているが、これと無関係ではあるまい」
「神殿でも事態を憂慮しまして、巫女が東王母様にお伺いを立てておりますが……」
東王母からの返事は平時でも早いということはない。
巫女が祈りを捧げて最短でも三日、遅いときは一カ月以なしのつぶてのときさえある。
大宝珠の力が衰えている今ならば、普段よりもずっと時間がかかる恐れもあった。
「何か打てる対策はないのか?」
国王の問いかけに神官長は深々と頭を垂れた。
「畏れながら、聖女様のお力にお縋りするしか手立てはございません」
「アユーシャか……」
アユーシャ・クルセダは国王の一人娘であり、溺愛の対象でもある。
彼女は生まれながらに神々との交信が可能な体質であり、それ故に聖女と呼ばれていた。
ただし、アユーシャが神々との交信を行うには大量の魔力が必要であり、交信が終わればいつも寝込んでしまうほど消耗してしまう。
アユーシャを心の底から愛している国王は、彼女に能力を使うことを禁じていた。
「陛下、国の一大事なれば……」
「わかっておる。誰か、アユーシャを連れてきてくれ」
国王はこの世の終わりのような顔で娘を呼びにやらせた。
ほどなくして王女アユーシャが宝物殿に入ってくると、悲嘆にくれていた人々も幾分か心が休まるような思いだった。
この王女には元々そうした力があったのだ。
ふんわりとした亜麻色の髪、見る者に安らぎを与える大きくて茶色の瞳、知性を感じさせる額と鼻すじ、抜けるように白い肌、たおやかで優しいしぐさ、抜群のスタイル、まさに才色兼備のスーパー美少女だった。
「お父様、話は聞き及んでおります」
「うむ……」
「私にできることがあるのなら、何なりとお命じくださいませ」
「しかし、そなたの体を思えば……」
アユーシャは宥めるように父の手を取った。
「大丈夫ですわ。私も18歳になりました。子どもの頃のように寝込んだりはしませんから」
「うむ……。それでは東王母様にお伺いを立ててほしい。大宝珠に何があったのか。そして、われわれはどうすればよいのかをな」
「承知いたしました」
アユーシャはその場に跪いて天に呼びかけた。
「我らが守護神東王母様、どうぞ我が声に耳をお傾けください」
……………。
(なにごとですか?)
それは聖女がアユーシャの頭の中に直接呼びかける音無き声だった。
「東王母様、私はエルマダ王女アユーシャでございます。我が祈りにお耳を傾けてくださりありがとうございます。実は――」
アユーシャは大宝珠のことを東王母に説明した。
「(ふむ……、どうやら闇の勢力の下級神が大宝珠を破壊しようとしたようですね)」
「では大宝珠は……」
「(安心なさい。下級神があれをどうこうできるはずもありません。現にちょっかいをかけた者は逆に光の力で消滅しています。ですが、消滅時に発した負のエネルギーで大宝珠が汚されてしまったようです)」
「そのようなことが。東王母様、私共はどうすればよいのでしょうか? 道をお示しください」
「(今の大宝珠は本来の力を失っており、元に戻すためには大量の魔力を注ぐ必要があります。そのための聖杯をそなたに授けましょう)」
アユーシャの手に眩く光る金色の聖杯が現れた。
儀式で使うような大ぶりのゴブレットのような形をしている。
「(その聖杯を持って各地の魔力スポットを巡るのです。ただし、聖杯を扱えるのは聖女であるそなただけです。そなた自らが危険地帯に赴き、聖杯を魔力で満たさなければなりません)」
「国のため、領民のためにも覚悟はできております」
「(ですが、魔力スポットを守るのは闇の勢力の手の者。心して準備に取り掛かるのですよ)」
「ご忠告ありがとうございます」
「(うむ、健闘を祈ります)」
こうして、会話を終えようとした東王母だったが、急に何かを思い出したかのように忠告を付け足した。
「(聖女アユーシャよ、魔力スポットは数あれど、最初に行くならゾルゲ迷宮をお勧めします)」
「ゾルゲ迷宮とは我が国の東部にある?」
「(ええ。運命の歯車がかみ合えば、その地で強力な助けを得られるかもしれませんよ)」
「それはいったい……」
「(ところで、貴女、牛は好き?)」
「牛でございますか? 大好きですが……」
「(それはよかった。貴方ならきっとミノ――)」
ブチッ!
唐突に女神との会話は途切れてしまった。
聖女の持つ魔力が尽きかけていたのだ。
窮地を救う方法を教えてくれた東王母に感謝しつつも、聖女には腑に落ちないことが一つあった。
なぜ東王母様は、私に食の好みを聞いてきたのかしら?
国難と牛肉の関係をどうしても解き明かせない聖女アユーシャだった。
♢
俺とアンゼラの迷宮探索は順調とは言えなかった。
魔物の討伐に苦労しているのではない。
入り組んだ通路に迷っていたのだ。
地下五階までの地図は販売されていたが、それより下ともなると、なかなか市場には出回らないレアアイテムになるらしい。
運良く買えたとしても、それが本物であるという保証もなかった。
もっとも、俺もアンゼラも水や食事の心配はいらないので、道に迷ったくらいで困るということもない。
二人してのんびりと迷宮を散策すればいいだけだ。
「牛頭王様、お腹が空きました」
食事は必要ないと言っている端からこれかよ……。
「アンゼラは天女だろう? 本来、ご飯を食べる必要はないんだぞ」
「いやあ~、気分の問題ですよ。先日、人間の食べ物を食べたじゃないですか。あれ以来クセになっちゃって」
「たしかにあれは美味かった」
エルマダ王国の料理は、地球で言うとエスニック風の味付けで、香辛料が後を引く美味さだ。
「もう一度タンドリーチキンが食べたいです」
「うるさいなあ。そのうち食べ物をドロップする魔物に遭遇するだろうから、それまで待ってろよ」
アンゼラはいろいろと注文が多くて困る。
しかも、別に何かの役に立っているわけじゃない。
幽体になって俺の周りをフワフワと漂っているだけの存在だ。
強いて言えば、孤独を紛らわす話し相手としては心強い。
「牛頭王様、見てください! ジュエルスライムがいますよ。美味しい物をドロップしそうな顔をしています」
ジュエルスライムに顔はない。
転生したスライムとはわけがちがうのだ。
だけど表面がキラキラとつややかで、ゼリーっぽく見えなくもないな。
牛頭アイによる牛頭サーチ!
【ジュエルスライム】
直径40㎝~100㎝ほどのスライム。強力な消化液を飛ばして攻撃してくる。迷宮の掃除屋とも呼ばれ、落ちている有機物を取り込み、消化吸収する。
ドロップアイテム
リングキャンディー(コモン)大きな宝石状の飴がついた指輪
フルーツジェリービーンズ(レア)24種類のフルーツを使ったジェリービーンズ
「喜べアンゼラ、アイツはお菓子をドロップするぞ!」
「おお、憧れのスイーツ! やっちまってください、牛頭王様」
なんか、天女にこき使われていないか?
結構楽しいからよしとしよう!
「うしっ! 一丁やってやるか」
拳でスライムを爆散させて、一撃のもとに仕留めてやった。