輪の力
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ああ、こーらくん。輪飾りづくりお疲れ様。
他のみんなもだいたい用意は済んだみたいよ。万全の状態で、明日の歓迎会に臨むことができそう。
それにしても懐かしいわ。先生も小さい頃に輪飾り作ったことが何度かあったのよ。色紙を使ったのも、わらを結ったのも。先生にとってはどちらも魔除けとして重宝するものよ。
――え? 紙の方がわらと比べたら、ありがたみを感じない?
うん、確かに人工物って感じがして、神秘を感じるには力不足かもね。でも、お札とかヒトガタなんかは、紙を使った道具じゃない? それとも輪っかの飾りそのものがお手軽で、ちゃっちいものだと感じちゃうかしら。
でもね、先生は昔、この輪っかの「力」っていうのを、実感した時があったのよ。
こーらくん、この手の話が好きだったでしょ? 聞いてみない?
先生は小学生の頃、理科の勉強で役に立つかもと、手のひらに収まる大きさの方位磁針を買ったの。
きっかけは学校の教師から聞いた話。
「こうしている今もね、S極とN極は少しずつ動いているんだ。やがてはS極とN極の位置が入れ替わり、また動き続けて元に戻るんだ。何万年という時間をかけてだけどね」
――なら、方位磁針も極の移動に合わせて動き続けたりしているのかしら?
と先生は考えたの。実際、方位磁針の北と南は、地球全体のものじゃなく、周囲の磁界の向きに沿っていることを知らないままにね。
ベランダとは別方向の小窓の縁に、方位磁針をセロテープで貼り付ける先生。ここだと窓の向こうが南で、部屋の中が北に当たった。そして暇さえあると方位磁針を眺めて、針がブレないか確かめ続けたの。
しばらくたった休日。その日はお父さんとお母さんが出かけて、おばあちゃんと二人きりで過ごすことになったわ。昼近くになっても、先生は窓越しに陽の光を浴びながら、まだふとんの上でごろごろしている。
部屋の戸がノックされて、おばあちゃんが顔を出す。「お昼に焼うどんを作るけど、あんたも食べる?」とのこと。
先生は「うん」と返事したけど、直後におばあちゃんがのそのそ部屋の中へ入ってくる。どうやら、先生がくっつけた方位磁針を確かめているようだった。
しばらくそれを眺めた後、今度は先生へ近づいてきて、耳打ちしてくるおばあちゃん。
「もし、あのままの方位磁針が狂うことがあったら、すぐ、ばあちゃんに教えな」と言い残して去っていく。
ほどなく、台所から歯切れのよい包丁の音が聞こえてくる。先生はむくりと身体を起こし、指摘された方位磁針を見る。近寄った私からの振動を受けて、ぷるぷると震える針。それはすぐにおさまったけど、先生は「あれ?」と思ったわ。
止まる位置がずれている。いつも北を指していた赤い針が西へ、南を指していた黒い針が東へ向かって、3度ほど傾いていたの。
しょうゆ香る焼うどんを食べながら、方位磁針の件をおばあちゃんに告げる先生。するとおばあちゃんは、残りの焼うどんを全部先生に譲って、自室へ戻っていったわ。「食べ終わったら、手伝って欲しいことがあるから、来て」とも付け加えてね。
器を水につけて部屋へ行くと、おばあちゃんは小机の上に道具を並べて、紙の輪飾りを作っているところだった。そこにはおばあちゃん自身が用意したらしい、方位磁針の姿も。
短冊は紫色しかない。統一感はあるけど、どこか気持ち悪さを感じてしまう。
おばあちゃんが自分の横へ座るように促してきた。そこにも短冊の山と液体のりが乗せられている。
「そこにある奴だけでいいから、急いで仕上げておくれ。家中を飾り付けるからね」
先生とおばあちゃんはそれぞれの短冊の山を崩し、輪飾りを作っていく。できあがると、おばあちゃんから「どこそこへ架けるように」と指示が飛ぶ。
実際、現地に向かって試してみると、余計なたるみを生むことなく飾り付けることができたわ。これまで何度も、同じことをしてきたのでしょうね。
30分後には、家中が紫の輪っか飾りに彩られていたわ。歓迎する色合いじゃなく、やはり気持ち悪い。
漏れがないことが分かると、おばあちゃんは先生に、自分の部屋で方位磁針を見ながら待機するように頼んできたわ。方位磁針の近くにある窓は鍵を閉め、他の窓はカーテンもしっかり閉め切るように、とも。
「もしも方位磁針が回り出したなら、息をひそめてじっとしているんだ。窓の近くっていうのもよくないね。確認したら部屋の真ん中でふとんをかぶっているのが一番だよ」
「おばあちゃんはそばにいてくれないの?」
「その時が来たらやることがあるからねえ。済まないけど、いい子にしているんだよ」
おばあちゃんの足音が、自室の部屋の中へ引っ込むのを確認すると、先生は今一度、方位磁針を見やる。
すでに針は135度以上回っていて、動きそのものも速い。30秒に1回のペースで、新しく1度を刻んでいく。
――何万年どころの騒ぎじゃなかったよ。今日の午後だったよ!
学校で聞かされたことにツッコミを入れながらも、先生はなお加速していく針の動きを見つめる。ついにそれぞれが180度反転。北が南に、南が北を指した時。
針が一気に回り始めたの。著しい加速で、針の動きはすぐ、目に映らない速さへ。次の瞬間、方位磁針のカバーが外れて、中の針が飛び出してきたの。
猛烈な勢いで、先生のそばを通り過ぎていった針は、畳の上を転がったと思しき音を残して、それっきり。でも、先生には振り返る余裕がなかった。
顔を上げた先。曇りガラス越しに見える空が、先ほどまでの青とは似ても似つかない、紫色に染まりきっていたの。ちょうど、家の中へ飾り付けた短冊たちと同じ色合いに。
「なんだろう?」と、思わず先生は窓へ手を伸ばしかけて、すぐ引っ込めちゃったわ。
曇りガラスの外側に、大きな影がへばりついてきたから。
影は、当時の先生が、両手を広げても届かない幅の窓を、すっかり埋め尽くしてしまう。ほぼ同時に、ガラスを浅く貫きながら茶色い突起が数本、飛び出てきたの。
影が図体なら、肢と判断するにはあまりに小さい。体毛か別の器官か。貫いた突起は、探るように先端をぐるぐる回している。それに伴って、アンモニアの強烈な臭いが。
――絶対、直に顔を合わせたらまずい奴だ。
直感が、胸と警鐘を鳴らし出す。おばあちゃんの言う通り、気配を殺して、過ぎ去るのを待った方がいいかも。
先生は突起がうごめく窓ガラスを見やったまま、ゆっくり後ずさっていく。だけど、それが間違い。
足の裏へ痛みが走る。思わず短く叫んで尻もちをついちゃった。幸いふとんの上だったけど、どん、と音を立てて部屋が揺れる。
踏んだのはさっき転がった方位磁針の針。もともと銀色で、南側を指していた針の先に、うっすらと赤いものがつく。右足の裏からは、ぽとりと一滴、敷布団の上に赤いしずくが垂れ落ちたの。
一拍遅れて、ガラスが割れる。派手に飛び散らず、一点貫通。耳に残る高い響きと共に、先生の腕ほどの太さがある黒い杭が一本、頭上すれすれに打ち込まれたわ。
杭からは長さ10センチほどの緑色のとげが無数に生え、それぞれでたらめにのたくっている。刺激臭はその強さを一気に増し、鼻を押さえ、息を止めても、目鼻がひりつくかと思った。
部屋の中ほどまで刺さった杭は、先の突起と同じように、ぐりぐりと小さく円運動を始める。けれどほどなく、窓ガラスの向こうで「ケーッ」と鳥に似た叫び声と共に、杭が勢いよく引っ込んでいく。
先生が見た杭の根元は、黒が抜けて白くなり、湯気らしきものが立っていたわ。それは輪っか飾りの真下に当たる部分だった。
杭を引き抜いた影が、窓から離れていく。開けられた穴からは、赤紫に染まった空が直接のぞいたけど、長くは見れなかった。煙にまかれた時のように、自然と涙がにじんできちゃったから。
視線を外す。床に転がっていた方位磁針の針はまた、ひとりでに回り始めていたわ。今度はさっきと逆方向に、でもまた見えないほど加速して。
嫌な予感がする先生は掛布団を引っ張り、身体の前に広げて壁にする。また針に飛んでこられたらたまらないからね。
ほどなく、布団にかすかな手ごたえ。先生はその影から、そうっと顔をのぞかせる。
空は、元通りの青色に戻っていた。けれど、ガラスに開いたいくつもの穴や、足の傷は残ったまま。針はどこかに潜り込んでしまったのか、出てこなかったわ。
とんとん、と階段を上がってくる音。このリズムはおばあちゃんだ。
「どうして、部屋へ来てくれなかったの!」という文句は、戸を開けた先にあるおばあちゃんの姿を見ては、引っ込めざるを得ない。
おばあちゃんは顔にも服にも、あの杭の色と同じ黒色の斑点を、ぽつぽつとくっつけていたの。明らかな作り笑顔で、おばあちゃんは告げる。「窓の目張りを手伝ってほしい」と。
家の窓のうち数枚が、先生の部屋と同じような被害に遭っていたわ。それぞれの穴を塞ぎながら、先生はおばあちゃんに、部屋で見たことを報告したの。すると
「めったにないことだが、この辺りでは、『時間』と『時間』がくっついてしまうことがあるんじゃよ。あの輪の飾りのように結びついて、地続きになるようにな。
厄介なことに規模が大きいとは限らず、家一軒、人ひとりだけが、つながってしまう恐れがある。下手をするとそこへ取り残されて、元の場所にはいなくなり、神隠し扱いじゃ。関わらない者も多いから、信じてもらいづらい」
おばあちゃん自身も、あの短冊を輪っかで連ねたり、方位磁針に気を付けたりするのは、ひいおばあちゃんから聞いたとのこと。
輪っか飾りは「異時間」のものを弾くための結界。方位磁針の回転はどれだけ離れた時間とつながるかの、文字通り指針。
先生がものすごく回っていたことを伝えると、気の遠くなるほどの過去か未来にくっついてしまったんだろう、との答えてくれたわ。




