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没落貴族たちの歩み方 ~der untergegangene Adel Lebensweise~  作者: 雪乃兎姫
第3章 没落貴族の愛し方

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第184話 変わりゆく世界のあるべき姿

 それからデュランの会社は証券所へと登録申請をして株式を上場するため、手始めに公証人の元を訪れることになった。

 初めに断りを入れておくが、法人会社であればどのような会社でも容易に上場できるわけではない。


 上場され証券所を通して株取引が行われるということは、それこそ社会において初めて認められた会社法人であるとも呼べる。即ち、それは多大な信頼の証であると同時に、多くの人の目に触れるということである。


 当然ながら、いい加減な会社法人がその栄光を手に出来るはずもなく、ほとんどの株式会社は非上場なのである。一部の……それこそ社会に認められた会社のみが証券で株取引をされており、その多くが世間に名の知れた企業なのである。


 豊富な資金を持ち合わせていることはもちろんのこと、社会責任や信頼があるかどうかなどが厳しく審査され、それをパスした会社だけが上場することができる。

 また公証人は書類仕事だけに留まらず、これらの審査までをも請け負っていたのだ。


 ここで言う『豊富な資金』とは、一種の保険的意味合いを持ち合わせ、何らかの不祥事を起こした際に弁済する力があることを暗に示してもいる。

 次いで『社会責任』はその一端であると同時に、雇い入れている従業員(賃金労働者)を長期間において雇用できる資金があるかどうかの意味も含まれていた。


 そして『信頼』とは、上記における社会責任とその会社が創業してから今日(こんにち)において、一体何年経つのかという判断をされる。


 一般的に企業とは、その業種にもよるのだが、中小の企業も含めて新規に創業してから5年で10社の内1社……つまり10%の会社しか残らず、創業から30年を超えるとその割合は5%未満、そして創業から実に100年を超えてなお存続できる企業は僅か1%程とも言われている。


 つまり長期に渡って従業員を雇い給料を支払い、尚且つ利益までを出して経営をしていくことは、それほどまでに難しいとも言えよう。


 それこそ大企業と呼ばれる企業人達は、並大抵の努力や苦労で存続しているわけではないのだ。

 ルイスのように父親の代から成り上がってきた者達は、それまでに苦労に苦労を重ねてきたからこそ、誰よりも疑り深く、何を大事にするにもまず金を稼げるときに稼ぐことを信条(モットー)にしている。


 それは無意識下で、企業家としての生存本能が彼らをそのように駆り立てるのであろう。

 この時代の事業家達はそうした利潤を求めに求め、自らと経営する会社が富むために利益を確保することを優先するだけで、近代社会のような労働者を念頭に置いた資本概念というものを有してはいなかったのだ。


 それはまだ社会として、また国としても成熟しきっていないとも言え、度重なる戦争により疲弊した者達を更に死地へと追い込むことになっていたのは言うまでもない事実であった。


 社会における庶民の不安とは、自分達はその日一日を過ごせるかどうかの不安に晒されながら、労働することでどうにか対価を得る。そんな夢も希望も存在しない中、人々は暮らしている。

 だがそれも19世紀末を得て、20世紀を迎えようとする時代には革新的に改善されることになる。


 それが『教育革命』と呼ばれるものであり、一般的にはあまり知られていないが産業革命にも並ぶほど、庶民の生活を大きく変えるきっかけとなった。


 教育は国の基本であり土台あると同時に国民性を尊ぶが、それ故の弊害も生まれ(いず)るものであった。

 それまで低賃金で働かされ、自分の生活は愚かその子供の未来まで絶望に支配されてもなお、彼らは疑問に思うことは無かった。それは基本的教育が広く施されていないことが要因でもあり、国や事業家達にとってみれば至極都合の良いことだったのだ。


 だがそれも教育への劇的な革命が起きてしまうと一変、労働者達は自らの仕事や生活に疑問を持つようになってしまったのだ。


 そしてそれは内々として口に出して不満を述べていたにも関わらず、行動にまで移すことはとんと皆無であった。だがしかし、それも次第に支配階級である労働者の間に教育が広まり、仕事の放棄(ストライキ)や労働組合の結成など企業への反乱へと繋がってゆく。


 けれども時代はそんな彼らの思惑とは違い、まだ成熟しきっていなかったため、国の法律や労働規約などもそれを許そうとはしなかったのだ。

 それが如実に現れていたのが南北戦争終結後のアメリカという国であり、事業家達はミニットメンなどの私兵自警団を雇い入れ、武力を持って彼らのことを押さえ込んでいた。


 だが何事にも終わりが訪れるのと同じく、時に時代は冷酷且つ無慈悲にも民衆へと力を与えることがある。それは民衆が求めていることなのか、もしくは時代が、そして国が求めていることなのかまでは分からないが、それでも時代は立ち止まらずに動き続けている。


 人の人生と同じく、国もまた時代も時の流れに逆らうことが出来ず、歩み続けるしか道はないのかもしれない。

 時にその流れに身を委ねる者、次に自らの人生に抗う者、そして最後に自らその流れを創る者と、その三つの人間へと分けられる。


 デュランは今まさにそんな岐路へと立たされ、自らの道を切り開こうとしていたのだった。

次話更新は木曜日になります。

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