夕顔
夕顔を見ると思い出す。さらわれた非日常_
私がまだ学生だったときの話だ。影口飛び交う教室に不快感を抱きつつ、私は下校をしていた。誰にも届かない鉛のように重い声を風にのせる。風は声の重さなど気にも止めずに、それを空へ舞い上げた。
いつもと違う道。それも、わざわざ遠回りをする道を選んだのは何故だろう。体を動かすことによってストレスを解消したかったのかもしれない。偶然か必然か、その時私は非日常に出会ったのだ。
夕立が透明な宝石の数々を屋根や葉の上に置いていった。何処か懐かしさを覚える民家の前には純白な夕顔が咲いている。けれど、まだひとつだけ蕾だ。つんと指先でつつけば今にも開花しそうな蕾に私は心を奪われた。
見上げずとも空が頬を染めたのがわかる。透明な宝石がキラリと赤く反射しているのはとても幻想的だ。写真にする時間が惜しい位眺めていたい。夕顔の蕾と透明な宝石をじっと見ていると、夏にしては柔らかい風が蕾を撫でた。
『…ねぇ、咲いて…』
何処からかそんな声が聞こえたような気がする。ふわりくるりと、まるで早送りの映像を見ているかのように、その蕾は花開いてゆく…
「小人…」
開ききった花の上に純白の花とは反対に、全てを呑み込んでしまいそうな黒い長い髪をした小人がいた。
「…小人?」
自分がで言っておきながら何故『非科学的なモノ』であると思ったのか。私はこれが悟るということであると、後に気が付いた。
一糸纏わぬ小人はどうやら性別がないようで、まるで陶器の人形のような体に見える。触れたら硝子のように壊れてしまいそうな細い体。好奇心溢れる少年のような瞳。夕顔のように白い肌。夕焼け色に染まった頬。
見れば見るほど惹かれていく。
ポタッ、ペチッ、パタッ…。葉から葉へ、蔓を伝い、時には空中に投げ出され、まるで絡繰りのように小気味良く水滴が落ちてきた。
ピチョン
小人はそれを合図にするかのように、くるりと回転をする。揺れる夕顔、優雅に舞う長い髪。
小人が隣の大きな葉へ飛び移ると、葉に乗っていた宝石がパンッと宙へ弾け飛んだ。小人はそれが面白かったのか、無茶苦茶なステップを踏んだり、跳ねたり、回転したり……。
無茶苦茶な筈なのにそれすらも演技の一部のようで、優雅に完璧な舞をしているように見えた。いや、これはきっと完璧な舞なのだ。
私は好奇心からその小人に手を差し伸べた。小人は、はたと舞を止め首を傾げて私を見上げる。純粋な瞳は、真っ直ぐに私を捉えた。
『これ、なぁに?』
と、小人が言っている気がする。
やがて興味を失ったのか、舞を再開した。その姿もまた可愛らしい。街灯に照らされ、まるでスポットライトのある舞台を見ているかのようだ。
夕焼けはもう霞んで消えかけている。空にはいくつかの星が輝いた。
……終わりが近い。
小人は少しずつ元気が無くなってゆき、ついには花の上にへたりこんだ。しかし、その表情は満足げだ。
このまま夕顔と共に枯れて逝くのだと私は勝手ながら思い込んだ。どうせ出会ったのだから、最後まで見届けてみたい。という思いもあったのかもしれない。
街灯に黒い影が旋回した。それは私の前に舞い降りて、迷うことなく小人を口にくわえて飛び去った。
あっの音も出ない内の出来事だ。
さらわれた非日常_犯人は黒い鳥。
「…帰ろう」
非日常がさらわれた虚しさ以上に、小人によって綺麗に洗われた心が清清しい。
案の定、帰宅が遅れ母親には怒られたがそれはまた別の話。
…何処かの誰かが言った。
『大切な人には花の名前を教えなさい。花は毎年咲きます。その度に相手は貴方の事を思い出すでしょう』
私は週末の仕事帰りに居酒屋へ寄った。居酒屋の店先には花壇があり、夕立の雨粒がコロリと宝石のように転がっている。
「あぁ、夕顔だ…」
今日の空です。
お付き合いして下さり、ありがとうございます!
夕顔の花ことばの一つは『はかない恋』です。
この主人公はもしかしたら、
小人に恋をしたのかもしれませんね。
精進します。