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レティシアが一大決心で扉を開けると、アンディはレティシアの格好に驚いて、侍女を呼んで「羽織るものを」とショールを用意させた。
「済まない。レティシアは、俺が居ない間は、その様な夜着を着ていたのだな。少々女性に対しての気遣いに欠けていた。流石に目に毒だから、ショールを羽織って貰えないか?」
「………」
レティシアの方は皆の思い違いで、変な覚悟をしてしまったので、恥ずかしくてうつむいてしまった。
「その、話をしたいんだが、迷惑か?」
「…いいえ。アンディが疲れていないのなら、ローゼ領であった事とか聞きたい事は沢山あるわ」
「そうか。リリアナ様から手紙などは来ていないのか?」
「来ていないけど、リリアナ様って?」
「叔母上とお呼びすべきなのは分かっているのだが、叔父上以外は皆がそう呼ぶので、俺が叔母上と呼ぶと、一応総大将の俺が子供っぽく聞こえてしまうので、叔母上にも皆と同じ様に呼んでいいかと聞いたら、俺の呼びやすい方でいいと仰って下さった。リリアナ様も『アンディ殿』と、この一ヶ月間は呼んでくれていた。元々、査察でいらっしゃったから、叔母上と呼べないという事情も先にあったので、そうお呼びしていたのだが…」
そう言って少し頬を染めるアンディを見ていたら、レティシアの方は怒りがこみ上げて来た。人を散々悩ませておいて、婚約者の母親に横恋慕!?洒落にならないどころの話ではない!
「貴方、随分とお母様と仲が良くなったのね」
「リリアナ様は、戦争時、ローゼ領で総指揮官をされていた。俺はエベルネージュでライトンの兵を迎え撃つ先鋒だったから、それ以外のことを引き受けてくれたリリアナ様の采配に随分助けられた」
「それなのだけど、ローレンシア義伯母様や、レイモンド叔父様を差し置いて、リクソール家が出しゃばった真似をした事は、本当に申し訳なかったわ。ローゼ家の方々は皆さまお心が広くて、お母様の勝手に対してお許し下さっているけれど、本来許されるべきでは無い事だわ」
レティシアが頭を下げると、アンディは慌ててそれを上げさせた。
「いや、リクソール侯爵にも支援頂いて、ローゼ領の守りを預けられたから、こちらは一番に考えなければならない自領の事を心配せずに済んだからこそ、思い切って全力で行けた。同盟関係がこれほど有難いものだと有事の際に成らないと実感出来ないものだと反省した。レティシアが俺に嫁いでくれる有難みがよく分かった」
リリアナと違って、レティシアにはリクソール家の娘という価値しか無いとアンディが思ったのだろうかと、今迄のアンディの話ぶりからレティシアは少々穿った見方をしてしまいそうだった。
「それで、エベルネージュとライトンの領地を拝領したのでしょう?」
「ああ。そうなんだが、ミゲルはローゼンタール辺境伯の養子に入って、分家として働いて貰うつもりだったのだが、ランドール家からの横槍で、ローゼ家の領地が増えすぎるのは、国のパワーバランスが崩れるという指摘があって、国に無用な争いを起こさない為に、ローゼンタール辺境伯家は、分家から独立させてエベルネージュの地を任せる事になった」
「ミゲルが、ローゼ家の身内じゃ無くなるの!?」
それは嫌だとレティシアが言うと、アンディは
「エベルネージュが落ち着くまで数年かかるから、分家を離れるのはそれからだが…仕方が無い。リクソール侯爵も、エインズワース伯爵家を分家から離して、新領地を任せる提案を宰相と副宰相の二人から受けたが、軽く突き飛ばしたそうだ」
そう言っておかしそうに笑った。流石、リクソール侯爵だと、他人事の様にケラケラ笑うが、レティシアからすれば父親の事なので、二大公爵家プラス宰相、副宰相の地位にある方々の申し入れを軽く付き飛ばした?ってお断りしたという言い方で無いところを聞く限り、けんもほろろに突き放したお断りをしてしまったのだろうと予想がついた。しかし、エインズワース伯爵家まで分家から離れないでくれたのは、レティシアには、朗報だった。
「それは良かったわ。ローゼ家みたいに領地が広い訳じゃ無いんだもの。ランドール家に気を遣う必要なんてリクソール家には無いと思うわ」
「流石親子だな。リクソール侯爵も似たような事を言って、相手にしなかったらしいからな」
そう言ってアンディは目に涙まで溜めて笑い転げた。
「もう!いい加減笑うのやめて!話が進まないじゃない。それでミゲルは一応ローゼ派閥の伯爵家扱いになるの?」
「辺境伯って元々の土着の貴族のもので、ほぼ分家の名称だから、侯爵家にいずれは成るかもしれない。まあ、ミゲルがローゼンタール家を継ぐ話になってからだけどな」
「そう。ミゲルは、レイモンド叔父様の様に、社交シーズン以外は、エベルネージュの方に行ったままになってしまうのね」
「元々、ミゲルはローゼ領の副領主になる予定でいたのだから、今更だろう?」
少し呆れたようにアンディが言った。
「じゃあ、副領主職ってエミールなの!?」
エミールまで王都を離れられたら寂しいとレティシアが騒ぐと、「アーデンは純粋に兄弟の血筋では無くなるから、ミゲルが兼ねる事に成るか微妙なところかもな」と、そこはアンディも思いが及んでいなかったようで考え込んだ。
「レティシア。アーデン侯爵家は、今は公爵である父とレイモンド叔父上が実の兄弟であられるので、他領の領主と掛け持ちが成立しているが、代々そういう家という執事家のような形態をとっていない以上、段々と血が離れていく派閥の侯爵家という位置づけだ。俺からすれば従兄だが、レティシアは、もう随分血が遠い。前にもいったが、他の侯爵家とあまりにも差をつけるのは良くない」
「以前にルドゥーテ家の件で言われた事は分かっているけど、セレーネ様は、既にわたしの右腕になりつつあるのだもの。アンディが派閥の長として平等の精神を心掛けることは良いと思うけど、私が公爵夫人になるのはまだまだ先の話だし、メルヴィナ様が側妃に成られるからには、私もローゼ家の次期夫人としての派閥形成に、アーデン家に輿入れされるセレーネ様が必要なの。それに私だってエミールのこと、兄の様に思って育って来たのに、血が遠いって…酷いわ!」
レティシアがむくれて見せると、アンディも少し慌ててレティシアの長い髪の先を手に取って、「そうだよな。二人とも綺麗な黒髪でまるで兄弟のようだし、その様にして来たのに、急に他人だという風な気持ちには成れないよな」と宥めるように指で梳いた。
レティシアは、妙な覚悟を引き摺っていたので、そのわざかな感触にビクンと過剰に反応してしまった。
アンディはそれに驚いた表情を一瞬だけしたが、思い直したようにもう一度長い髪を梳いて「レティシアの髪は、触り心地が良いな」と少し声が甘くなった。
レティシアは、アンディとそんな婚約者か恋人のような雰囲気になった事が皆無なので、思わず狼狽えてしまった。内心ではもっと、とんでもない決心をしていた筈なのに!と自分自身に突っ込むが、アンディに髪を指で梳かれたくらいで怯む自分に驚いた。ミゲルやエミールとは、昔に髪を触られたくらいの事はあった気がするのだが、婚約者のアンディとは、今日が正真正銘初めての事で、アンディにどんな心境の変化が有ったのかと思ってしまう。
「レティシアは、ずっと叔母上似だと思っていたが、色彩以外はリクソール侯爵家よりなのだな」
アンディがリリアナの事を叔母上と呼び方を戻した事にほっとした。リリアナと似ていない訳ではないのだが、レティシアはセフィールと並ぶと良くわかるのだが、セフィールに顔立ちが似ていた。弟のルシアンが髪色以外がそっくりなので、気付かれ難い。
「そうね。お父様と並ばないと気付かれないくらいに、黒髪のインパクトが強すぎるのよ。お母様は親ばかで、『レティシアはセフィールに似ているから美人になるわ』なんておっしゃるのよ」
レティシアがリリアナの口真似をして笑うと、アンディは「リリアナ様らしい」と笑った。
呼び方が戻った事で、少しレティシアの警戒度が上がったが、アンディは、リリアナとセフィールの仲の良さにとても驚かされたと話した。三日と開けずに長い文が王都からやって来るし、大体が早く帰って来いという懇願で、噂や自分の目で見たリクソール侯爵とのギャップにも驚いたと言う。それに対してリリアナは嬉しそうにしながらも『まだ無理』と短く返して、それでもセフィールに上司への業務連絡として長く丁寧な連絡を送っていた事から、政略結婚だとばかり思っていた二人が、そうでばかりでは無かったらしいと気付いたという。
その話を聞いたレティシアは、少し遠い目になってしまった。
「うちの両親は、正真正銘の政略結婚なのだけど、お父様の方は、多分、結婚前からお母様の事が好きだったのだと思うわ。お母様は私に政略結婚なのだから上手く行ったらラッキーくらいで考えろという教えだから、おそらくお父様の片想いだったのでしょうね」
「なんだか、あのリクソール侯爵に片想いって言葉が似合わないな!」
微妙な顔でアンディが言うが、実際にレティシアが産まれた時から見て来た感想としては、『父の愛が重い』と思っていた。一見、クールで皮肉屋のセフィールは、ローゼ家の手前リリアナを溺愛しているというパフォーマンスをしているように見えるが、全てが素でやっている。計算はほんの少し入っているのかもといったところだ。
「お母様は、公爵家の一人娘だったのよ?その当時のお父様からしたら、高嶺の花だったのでしょうね」
「だが、侯爵家とはいえ、リクソール家は、ローゼ家よりも歴史も長いし、何よりも内政の強さは、ローゼ領やランドール領よりも上といっても過言じゃない……しかしリリアナ様は、父上と結婚予定だったのだろうな。そう思うと、侯爵の片想いも納得出来る」
「それが無難だったのに、王様からの求婚でしょう?つくづくお母様って規格外な人よね。周りを引っ掻き回す才能に溢れているんだもの」
そう言ってレティシアが再び遠い目になりそうになったが、アンディがレティシアの手を取り「俺達はそれがなければ生まれていないし、婚約者にもなっていない」と静かに笑った。
手を取られて、レティシアはやはり皆の勘違いかと思った事を思い出して、やっぱり多少はアンディにも、女性の慰めが必要なのかもしれないと思い始めていた。今迄、これほどレティシアに触れてこなかったのに、今日はやたらと触れられる気がする。
ここで娼館など勧めたら、誇り高いアンディが激怒するのはもう経験済みな為、レティシアが受け止めるしか無いのだから、思い切ってアンディに疑問をぶつけることに決めた。
握られた手をレティシアからも握って、アンディの瞳を見た。
そこには互いの血が繋がっているのだと感じさせる紫の瞳が、注意深くレティシアの様子を見ていた。
「アンディは、戦争の前線に出て恐ろしくは無かったの?」
「……怖いかと言われれば、人を殺めなくてはならない事が怖かった。だが総大将の俺が弱気になれば、軍が弱気になって被害がでる。だから戦う時は、レティシアの事を考えた。向かって来た敵がレティシアに襲い掛かると思ったら、どうするかは明確だ。一瞬で叩き潰さなくては、エベルネージュの民にとってのレティシアの様に思っている存在が、蹂躙されることを思ったら、向かって来るライトンの兵に砲弾を向ける事に躊躇しなくなった」
「自分が死ぬかもしれない恐怖は無かったの?」
「それは不思議なくらい無かった。ミゲルがいてくれて有難いと本当に思った。俺が居なくとも何とかなるだろうから…敵兵を入れない為なら、何でもしようと思った。味方の兵の家族が泣くのも嫌だと思ったしな」
アンディは総大将でありながら、心の中では味方兵の盾になる勢いで戦っていたらしい。しかもミゲルがいれば、自分は居なくなっても構わないという極端な考えの持ち主だとレティシアも話を聞いて、初めて分かった。
「貴方の代わりなんていないし、前線で大将が死んだら、皆も帰ってなんて来られないわ!」
「それは、落ち着いて考えたら分かったが、必死な時には皆を無事に帰さなければ成らないと、そればかり思った。考えてみれば、俺がどうにかなったら、周りの兵が責任を感じてどうにかなってしまうだろうな」
「それに、私の事を考えたのに、平気で置いていくつもりだったわけ」
「それはミゲルがいてくれるから大丈夫だと思った」
仲違いしている時期は、レティシアに対して横柄だった事から、此処まで自己犠牲の精神を持って生きているとは露ほども思わなかった。皆に守られたお坊ちゃまの初陣かと思っていたが、この様子だと本当に先頭に立って戦ったのだろう。通りで周囲の評価が異様に高い訳である。
「貴方が死んだら、みんなが泣くわ」
「それは、流石に疑ってはいない。だけど、こうしてレティシアと会って、無事で笑っていられる事を実感出来てホッとしている。レティシアが本当に危なかった訳では無いのに、変だよな…」
レティシアは、アンディの言葉に眉間を押さえた。守る領民やエベルネージュの民を仮想レティシアと考えた為に、レティシアの無事を確かめる様にスキンシップが多かったのだと分かったからだ。
皆が心配していたような、一般的な命の危機を感じた男性の事情は、おそらくアンディには当てはまらない。
「私、いつもこんな格好していないのよ。今夜は貴方と一緒に居ようと思っていたのに…」
レティシアが白状すると、アンディは「娼館にしつこく誘われたのを断ったから、叔父上が何か言って来たのか?」とげんなりとした顔をした。
「まあ、そんなところ。直接では無いけど、発端はそうだと思うわ。とどめはエミールからの伝言のセレーネ様からの手紙…」
「セレーネ嬢に、そんなことさせたのか!?あのエミールが!?」
「驚くわよね」とレティシアも同意するが、セレーネに自分を意識させようという意図も透けて見える。セレーネもエミールを偶像対象として見ていたので、男性として意識されていないのを、レティシアを利用してセレーネにも意識させようと目論んだ様な気がした。それを話すと「エミールは苦労性だな。俺達の心配もした訳だろう?」と何処まで好意的にとれるんだ!と少しだけ沸々と怒りの様なものが沸いて来た。
「でも、良く会ってるらしいから、セレーネ様がエミールの術中に嵌るのも、そう遠くは無いわね。それで今夜はどうするの?」
「お・ま・え・は!漢前なことを言うな!それに此方の答えが分かっているのだろう?」
「だって、こっちも色々覚悟して待ってたのに、置いて死ぬ気だったとか思われてたとか、意地悪したくもなるでしょう?これでも母の無礼と、父の理不尽な視察の事の借りが有るから殴らなかったんだからね!分かってる!?私は、今夜の様な決心をミゲル相手には出来ないんだから、ちゃんと生き延びてくれないとローゼ家の未来は、どうなっちゃうか分からないわよ」
「脅しじゃないんだから!」と我慢できずに、アンディに腹パンして、呻く様な声がした時には、後ろを向いてベッドに入ってしまった。
「レティシア、ごめん。悪かった…」
後ろで、アンディの謝る声と扉が閉まる音が聞こえた。
翌日レティシアは、「今夜の覚悟を返せ」と上品な衣を着せた言葉で、セレーネにエミール宛の伝言を頼む手紙を出した。
アンディとレティシアが少し仲良くなったのかな?今回は驚くという言葉が多くて、二人が色々驚きでいっぱいの回になりました。
甘い展開を煽っていたので、レティシアの様に肩すかしの方、すみません。




