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リクソール侯爵家に届いたローゼ家の書簡は、リリアナとレティシアの前で、とてつもなく美しい微笑みを見せながら、セフィールは封も切らずにマッチを擦った。
煌々と燃える書簡は、灰皿に乗せらせて消し炭となり果てた。
リリアナがたまらずに「ローゼ家からの正式なものなのですよ!」と叫ぶが、セフィールはどこ吹く風という風情で「内容など知っている」と淡々と答えた。
情報に聡いセフィールに、最近のリリアナとローゼ家の動きが知られていることはリリアナやレティシアにも分かっていたが、こうして中身も見ないとは想像しておらず、レティシアは久し振りに間近に見る怖ろしい父に対して言葉が出て来なかった。
「ローゼ家とは話はついています。リューク兄様からの要請は、リクソール侯爵家とはいえ断る選択肢はありません!」
格上である公爵家の要請に対して逆らえない事をリリアナが告げると、セフィールは「そんな事は分かっているが、リューク殿も自分の息子のツケをこちらに持って来たからには、それ相応の覚悟があると思って良いのだな?」と軽く笑い声を立てた。
リリアナやレティシアでさえぞっとするほど、一見楽しそうに微笑むセフィールのサファイヤの様な深い青い瞳には、先程の燃える書簡のように煌々と蒼い炎が浮かんでいる。
「お父様!私はアンディとは七歳から婚約して、…いいえ、生まれる前から嫁ぐ事が決まっていたのです。ですから、婚家の役に立つ事でしたら、お引き受けするのが当然だと思っておりますわ」
果敢に父に言い募るレティシアに、セフィールの静かな怒りに呑まれてしまっていたリリアナも加勢した。
「レティシアが良いと言っているのです。婚家に入るのを少し早めるだけで、得られるものがとても大きいのです。貴方だってこれを機にクロフォード家に縁談を持ち込む算段は付けておられる筈です。手柄をみすみす手放すような事はなさらないのでしょう?」
セフィールはリリアナの指摘に「当たり前の事を聞くな」とフッと鼻で笑う。
「レティシアはローゼ家に一時的に嫁入り修業に入れるが、そのまま嫁入りまで置くかは、ローゼ家とアンディ殿の誠意によると返事をしておく。レティシアもその様な心づもりでいてくれ。私は早くに嫁ぐお前には、一日でも長くこの屋敷にいて欲しいと思っていた。ローゼ家には、お前を差し出す私の心中を察して頂けていないようだな」
「リューク伯父様もローレンシア義伯母様も昔から実の娘の様に接して下さっていて、今回の事は私がアンディとローゼ家の事を考えて承知した事なのです。お父様のお気持ちを皆が考えなかった訳ではございません。焼いてしまわれた手紙には、リューク伯父様がそれは気を遣われて謝罪された文が綴られていた筈です」
「お前は、父よりもリューク殿の味方をするつもりなのか!?」
目に見えて機嫌を悪くしたセフィールにレティシアも焦るが、レティシアへの愛情が根源にあっての怒りなので気を取り直した。
「私もリクソール家を出る事は寂しいに決まっています!ですから、お父様のいう通りに結婚式前には一度戻りたいとローゼ家にお願いします。嫁入りはこの家から出来るようにしたいと思っておりますし、お父様がウンザリなさるほど度々戻って参りますから、どうか機嫌を直して下さいませ」
そう言ってレティシアは困った顔でセフィールを覗き込んだ。
「……レティシアがそう言うなら仕方が無いが、アンディ殿とうまくいかない場合、子を一人でも為した後ならば、好いた相手と再婚しても良いのだからな。エミール殿の方が良ければ、あちらを離縁させる事も可能だから、子を為すまで耐えて欲しい」
いつものレティシアに激甘の父に戻ったことにホッとするが、エミールと親しくしている情報が父にいっていて誤解されているらしい。
「エミールは兄の様な存在で、よき相談相手の一人です。お父様が思っているような仲ではございませんので、セレーネ様との仲を引き裂いたりなさらないで下さい。私はセレーネ様とは仲良くやっていきたいと考えていますし、セレーネ様自身の才覚もなかなかのもので、そう簡単に捨てるには惜しい方ですわ」
「そうか。…モーヴァンの令嬢は期待以上か。レティシアにそう言わせる位には価値があるという事か…」
顎に手をあて考える姿は、娘のレティシアから見てもなかなかに美麗に映る。しかし、リリアナから悪い事を考えて居る時のセフィールが、傍目には一番美しい微笑みを浮かべるのだと何度も聞いているレティシアは、とっさにリリアナの方を見ると、目が合ったリリアナが軽く首を振るのを見て、まだまだ父の怒りは静かに長く続いているのだと察した。
一波乱起こる事は確定なのだと、気を引き締めてレティシアはローゼ家に入る準備を進める事にした。リリアナは相変わらず問題が起きる事が前提で対処するつもりらしく「セフィールが何も報復しないなんてありえないから」とレティシアにもリュークやローレンシアにも言っており、ローゼ家は厳戒態勢が敷かれることとなった。
♢♦♢
そして七日後にレティシアがローゼ家に入った。
レティシアからすれば、ローゼ家は第二の我が家も同然なので、何の緊張感も無いが、その夜はレティシア為に歓迎の意を込めた晩餐会を開いてくれ、祖父母や曽祖父まで全員が揃って賑やかな晩餐となった。
レティシアはアンディの隣りの部屋を宛がわれ、実質ローゼ家の若奥様として扱われる事になった。
ローゼ家の使用人達は、昔からレティシアを『お嬢様』と呼んでいるので、呼称はそのままお嬢様かレティシア様と呼ばれるが、結婚したら急に変わるのかと思うとレティシアも少し気恥ずかしいというかこそばゆい気持ちになる。
中扉で繋がる部屋の住人のアンディは、割合平気でレティシアの部屋に入って来る。勿論ノックやこちらの返答があっての事だが、レティシアとしては、父には言えない事だなと思うが、特に色っぽい事が有る訳でも無く、アンディは令嬢の部屋が珍しいらしく、リクソール家から持って来た細やかな意匠の家具などを繁々と興味津々に眺めて見て、造らせた職人の情報や、レティシアの趣味趣向などを聞いて来たりした。
今迄と変わらない親戚関係の延長のような雰囲気だが、レティシアは流石に内心では寝室に婚約者の訪問がある事に少しの緊張感があった。悔しいので表面上は平気な振りだが、アンディにもしも、もしも婚約者として求められれば、断る事はあり得ない。
少々若いが、レティシアも十五歳となり、来年には社交界にデビューして成人と見られるようになる。成熟していない身体での妊娠は危険もあるが、リクソールの父でさえ、子が出来れば再婚してもいいと馬鹿な事を言う位、レティシアには子供をもうける事が望まれているので、婚約者溺愛設定で動いているアンディが、レティシアと子が婚約中に出来たとしても誰も不思議には思わないだろう。
♢♦♢
レティシアがローゼ家に入ったという話は社交界に広がり、ローゼ家の若様が他の女性に目もくれないのは、婚約者であるレティシアに惚れこんでいるからだという話になり、ご婦人方やご令嬢は、一途な婚約者でレティシアが羨ましいと微笑ましく爽やかな恋人達に憧れ、年配の夫人達まで頬を染めて噂するくらいに女性受けする話になった。
男性側も、その流れに逆らう事は出来ず、内心では真面目な公爵令息に対して勿体無いと思うものは多々いたが、それを声高に言えば、ご婦人方や奥方を敵に回してしまうのが目に見えたので、概ね、結婚式まで待てないアンディの若さが初々しいと、そういう風な捉え方の方向に向かった。
情報操作の甲斐もあって、なかなか好意的にとられ、ローゼ家関係者とレティシアは胸を撫でおろした。
しかし、予想された嵐はやはり早々に訪れた。
監査室室長であるセフィールが、ローゼ領とアーデン領に監査に入ると宣言した。
ローゼ領とアーデン領を分けてわざわざ査察するという事は、ローゼ領の副領主とアーデン領の領主を兼ねているレイモンドは、アーデン領の方に付きっきりにならざるを得ず、リュークか、それに次ぐ人物が対応に当たらなければならず、査察官を受け入れる準備のために、次期公爵であるアンディがローゼ領に飛ばざるを得なくなった。
貴族の間では、リクソール候が、溺愛する娘をローゼ家に召し上げられた腹いせかと騒ぎになったが、査察官の代表がリリアナになった事で、両家の争いでは無く、通常の監査だと受け止められ、皆がそれぞれ自領を引き締める結果になった。査察がいつ自領に入っても大丈夫なようにと、領に戻って視察する貴族の当主が一気に増える事になり、社交シーズンにもかかわらず、当主不在の家が多発した。




