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それ、私じゃありません!

作者: 真澄

いつもと特に変わったことはないはずだった。なのにこの状況はどうしたことだろう? たしかにいつもより少し長めに残業はした。私の部署で21時まで残るってことは珍しいことではある。けれど全社で見れば21時なんてまだ宵の口なわけで、特別変わった行動というわけではないはずで。なのにこの状況は、いったいどうしたっていうの!


その日、仕事を終えてエレベーターを待っていたら、開いたところに上層階から降りてきた山崎部長が乗っていた。直接の関わりのない部署同士なので、向こうは私のことを知らないけれど、こっちは彼を知っている。なぜなら今年、わずか30歳という弊社史上最年少で部長に就任した、社内の有名人だからだ。「おつかれさまです」というほどの近しさでもなかったので、「失礼します」とだけ言って乗り込み、階数ボタンの前に陣取る。


こんな時間まで残業だなんて、段取りの悪いやつだと思われるかな。でも入社して3年目になって、やっと残業の理由が「仕事が遅いから」ではなく「仕事を任されているから」になったんです!って伝えたい。いや待てよ、向こうは私の年次も部署も知らないんだから関係ないか。エレベーターに乗り込んでドアが閉まるまでの一瞬の間に自分で自分にツッコミを入れる。ああ背中が緊張する。私が乗ったのは16階。目的地は地下1階。この時間は誰も乗ってきてくれないかもしれない。誰か乗ってきてくれないかなあ。


そこまで考えたときだった。言い換えれば、そこまで考えるだけの時間しか経っていなかった。左腕をぐっと掴まれ、からだがくるりと反転して、私の右肩に手が置かれ、目の前に山崎部長の顔があった。え、あれ? 何がどうなった? この状況はいったいどうしたこと?


状況が理解できず、まばたきしかできないでいる私に、部長は怪しい笑みでこう囁いた。


「このあいだの続きをしようか」

「……」

「うん?」

「……は、え? 何が? 何の? え、何ですか??」

「あれ、もしかして忘れてしまった?」

「個人的にお話しするのは初めてだと思いますけど」

「うーん、あのときはそんなに酔っていた?」

「私はお酒は飲みません!」

「じつは双子の姉妹だったとか」

「うちは兄だけです!」

「最近、記憶をなくすような大怪我は」

「まさか! そんなこと」


念のため後頭部を触ってみる。うん、こぶはできていない。


「ありません」

「うーん」


右肩に置いていた手を口許に当て、斜め下を見ながら悩んでいる様子。そのまつ毛がずいぶん長いことがわかるほど、顔が近くにあるわけで。


「ど、どなたかとお間違えではないですか」


すると、心外だとでもいうような顔がこちらに向けられた。だから、近いですってば。


「記憶をなくすような酒の飲み方はしないし、気に入った女性を間違えるような男に見える?」

「でも実際私ではないわけですから」

「うーん、困ったな」


それはこっちの台詞だ!


「いずれにしても」

「い、いずれにしましてもですね、もとの位置に戻っていただけませんか」

「答えを確かめるために、このあと食事に行こうか」

「近い、近いです……え、はい?」

「このあと予定がなければ」


金曜日のこんな時間に会社にいる時点で予定などあろうはずがない。だからってほぼ初対面の他部署の上司に急に誘われたって!


「えー…っと」

「ごちそうするよ、大したものではないけど」

「……」


(部長のおごり)+(銀行に行くのを忘れて財布の中身が千円)=このまま帰るよりイイものが食べられる。

そんな計算が脳内で自動的にされたものだから、答えが一瞬遅れてしまい、その隙にエレベーターが地下1階に到着する。


「はい、決まり」


そして私はそのまま地下駐車場に連れていかれたのだった。あ、そういえばまだ腕を掴まれたままだった!


=====


ピ、とリモコンキーの音がして、少し離れたところで車が反応する。私に車の良し悪しはわからないけれど、女友達と借りるレンタカーなんかとは全然違うクラスだってことはなんとなくわかった。


「山崎部長は車通勤なんですね」

「部長以上の職につくと駐車場を私用で使えるようになるんだよね」

「へえ、そうなんですね」

「うちは電車だとちょっと遠回りになるから、辞令出てすぐに車に切り替えた」


ふーん、と相槌を打ちながらも、頭のなかはぐるぐる回転していた。これ、助手席でいいんだよね? 勝手に乗っちゃっていいのかな。でも開けてもらうのも変か。


「どうぞ、乗って。…あ、でもその前に1個お願い」

「は、はい!」


よかった、何か指示を出してもらえたほうが助かる。車にこだわりのある人ってたまにあるよね、条件出してくること。土足禁止って言ってた先輩が昔いたなあ。


「これに乗ったら、部長っていう肩書きはナシね」

「え、」

「会社を一歩出たらもう上司と部下ではない。ああ、職場の先輩後輩っていうのも堅苦しいからやめようか」

「けどフラットっていうわけにも」

「じゃあ、兄貴の友達くらいの感じで」


兄貴の友達とサシでご飯なんて行かないやい。そう思ったけれど、気を遣わなくていいのであればこちらに異論はない。


「わかりました。では山崎さん、今夜はよろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」


私自身は運転免許を持っていないので、ふだん車に乗ることはあまりない。旅先で友達が運転してくれるレンタカーくらいだ。たまに臭いのキツい車だったり、運転が荒かったりすると酔いやすいのだけど、山崎さんの車の中と、そして山崎さんの運転は快適だった。仕事のできる男はこんなところまでソツがないのか。


「それにしても、どなたと間違えたんでしょうね」

「え?ああ、きみにとっては僕が間違えてる前提なわけか」

「私と似ている人だったのかしら」

「うーん、僕としてはきみだと思っているわけだから、それはなんとも」

「平行線ですね」

「可能性は、まったくゼロ?」

「……そもそも何があったんですか?」


車が赤信号で止まった。山崎さんはハンドルに手を置いたまま、視線をフロントガラスに向けたまま、記憶をなぞり始めた。


「僕はきみに想いを伝えた。きみもそれに応えてくれた。僕たちは唇を重ねた。けれど体は重ねなかった。きみはまだ早いと思っていたようだったし、僕もそれを大事にしたかったから。その代わり、僕は唇をもう少し欲しがった。もう少し、深く。そして、」


そして、山崎さんはこちらを見た。


「そして、きみは許してくれた」


再び車が走り出し、詰めていた息をそっと吐き出す。な、何を今聞かされていたのだろう。こんな密室でイケメンに官能小説を朗読されても困る。


「どう? ありえない?」

「ありえません」


秒速で断言すると、山崎さんの横顔が少し固くなった気がして、私は慌てて言い繕う。


「あ、えーっと、山崎さんとそういうことをするのが生理的にありえないということではなくてですね」

「否定文だとしてもちょっと傷つくね」

「そうではなくて、そんなことをしたのに記憶にないなんてことが、ありえません」

「ふーむ。じゃあ実際にあったかどうかはいったん置いておいてさ、今から僕とそうなることは、ありえるのかな」

「え……」


私は運転席の山崎さんをじっと見た。この人が私を好きだと言って、その唇が私にキスをする? 深く?深く!?


「ごめん、自分で聞いておいて左半身がすごく緊張している」

「あ、ごめんなさい見すぎました。…じゃあ、安全運転のために、答えは保留にしておきましょう」


まあいいか、と笑う山崎さんからようやく視線を外した。大変だ。想像してみたら全然嫌じゃなかった。なんてこった。さっきのエレベーターでの心拍上昇がよみがえってくる。待て待て、今私はこの人に物理的にドキドキさせられているだけであって、これを恋と間違えてはいけない。それにこの人の想い人はどう考えても私じゃない。気をつけろ。いったん落ち着こう。ちょうどいい具合に店に到着したので、車を降りた隙に、バレないように深呼吸をしたのであった。


=====

「やあ、いらっしゃい」

「車、置かせてもらったよ」

「飲むなら明日まで置いておいてもいいけど」

「いや、今日は彼女を送りたいから」


知り合いがやっている店なんだ、と言って、山崎さんが連れてきてくれたのは小じんまりとしたおしゃれなご飯やさんだった。店長さんは山崎さんとはまた違ったタイプのいい男だ。イケメンは知り合いもイケメンである。


「じゃあノンアルで。お連れ様は?」

「あ、すみません。私もお酒は飲めなくて」

「ノンアルのカクテルやお茶の種類もたくさん揃えていますんで、いろいろ試してみてください」


少しホッとした。こういう、お酒のラインナップに自信がありますっていうようなお店でお酒を頼まないと、なんだか申し訳ない気持ちになるし、ウーロン茶とオレンジジュースしか選択肢がないことが多いので、これだけメニューが豊富だとうれしくなる。いいお店知ってるな。さすが仕事のできる男はこんなところまでソツがないのか。運ばれてきた料理もとてもおいしくて、お礼と言うわけではないけれど、私は山崎さんへの尊敬の気持ちを伝えた。もちろん社交辞令でもなんでもない。


「さっきの話ではないんですけど」

「うん?」

「以前から、山崎さんのことはすごいかただなって思ってました。30歳で部長だなんて。それもちゃんと結果まで出していて、私が5年後に同じことをできるとは到底思えません」

「うーん、向き不向きで言ったら、マネジメント職は性に合ってるんだろうな。自分で動くより全体の戦略を考えるほうが楽しい」

「すごい」

「いや、人それぞれの得意分野があるってだけさ。きみにだって僕より得意な仕事があるだろう?」

「……伝票の枚数を数えるのは、たぶん山崎さんより速いです」


それ苦手なやつだ、と言って山崎さんが笑う。


「そういうことなんですね」

「うん?」

「そうやって得意分野をひとつずつ増やしていけばいいんですよね。自分は仕事ができないって結論を出すにはまだ早いですもんね」

「3年目だろ? まだまだ。まだ肩を並べられても困るし」

「なんか3年目になって、ひと通り仕事ができるようになったつもりでいたんですけど、ようやくスタートに立っただけだって気づいてちょっと途方にくれてたんです。けど、」

「けど?」

「やっと先輩たちと同じ位置に立てたんですもんね」

「……」


相槌が途切れたので顔をあげると、山崎さんが優しい目をして笑っていた。でもそれは、


「その前向きさだよ、僕がきみにひかれたのは」


でもそれは、私ではないでしょう? 


山崎さんとの会話はとても楽しくて、私は時計を見ないように気をつけていた。少しでも時間を気にするそぶりを見せてしまったら、じゃあそろそろと言われてしまいそうで。同時に私は、山崎さんがお酒を飲まないことに少し苛立ち始めていた。誰かと一緒にいたときは、記憶をなくすほどガードを外したんでしょう? 私の前ではそれをしてくれないの? 電車で帰りますから気にせずお酒飲んでください、と言いたくて、でもそうしたら時間を気にしなくてはいけなくなってしまうから言えなくて。ああ、このまま終電の時間が過ぎてしまえばいい。


「そろそろ」


いちばん聞きたくなかった言葉を山崎さんが口にする。いやだ。帰りたくない。


「そろそろさっきの答えを聞かせてくれる?」

「え…?」


さっきの答え。山崎さんとのキスがありえるのかどうか。そんなのとっくに答えは決まっていた。でもその唇が求めているのは、私ではないんでしょう? ズキリと胸が痛んだ。でも待って、この人はそれが私だったと思い込んでいるじゃない。それならその誤解を解かなければいいんだ。触れたらさすがにバレるかもしれない。そうしたら申し訳なさそうな目で、もしかしたら冷たい目で見られるかもしれない。でもそれでもいい。軽蔑されるとしても私は、この人を欲しいと思ってしまった。


「山崎さん」

「はい」

「お酒、今からでも飲んでください」

「けどもう電車もないし、」

「私」


いちど深呼吸をする。嘘だってバレませんように。


「私もしかしたら、思い出したかもしれません」


山崎さんは、面白そうにクイッと片方の眉毛をあげた。勝ったと思っていてくれたらいい。嘘に気づくまでは。


「山崎さんがおっしゃってたの、私だったような気がしてきました」

「……それで酒を飲めってことは、今日は帰るつもりないってこと?」


エレベーターのときくらいに、顔が近づいた。


「それはつまり、このあいだの続きをしたいってこと?」

「続きではなくて」


だってそれは私のものではないから。


「はじめからしてほしいです」


山崎さんが席を立った。気づかれた? 嫌われた? 腕を掴まれる。


「場所を変えようか。うちへおいで」


ああ、神様……!


=====


山崎さんのマンションはお店から近くて、緊張が途切れる間もなく、気づけば山崎さんの部屋のソファーに座っていた。山崎さんは私にペットボトルの水を渡してから隣に座り、プシュ、とビールの缶を開けた。たくさん飲んで。そのままわかんなくなっちゃって!


「…私、前にもここに来ましたか?」

「いや、女性をあげるのは初めて」


少しの優越感と、罪悪感。緊張のあまり握りしめていたペットボトルを取り上げられ、顔をあげる。蓋を開けて、改めて渡してくれようとして、山崎さんが私を見た。視線が交ざる。一瞬唇を見てしまったことに気づかれて、無言のまま山崎さんが私に顔を寄せてきた。


欲しい。欲しい、欲しい。


けれど触れた瞬間に「やっぱり違った」と言われてしまうのが怖くて、寸前で下を向いてしまう。泣きそうなのを知られたくなくて、おでこを山崎さんの胸につけた。


「…誰と間違えてるんですか」

「間違えていないよ」

「どうして私じゃないんですか」

「……っ」

「私だったらよかったのに…!」


抱きすくめられた。強く。山崎さんの声が耳元でする。この腕が私のものだったらいいのに。


「ごめん! 違うんだ。違わない、間違いなくきみだ」

「何言って…」

「けどきみが覚えているわけはないんだ。あれは僕の願望から来た妄想なんだから」


ぱちぱち、とまばたきをする。あっという間に涙が引いた。


「……は?」


私の声が1トーン低くなったことに気づいたのか、私の体を離し、山崎さんは慌てて説明を始めた。よし、聞いてやろうじゃないの。事と次第によってはタダではおかない。


=====


部長に就任したことをどこから聞きつけたのか、高校時代の仲間が祝いと称して集まってくれた。証拠を見せろと言われて名刺を出すと、一人が「あれ?」と名刺を奪い取る。


「お前の勤め先ここだったっけ。うちの妹ここで働いてるぞ」

「え、マジ?」

「部署知らんけど」

「関わりのあるなかに佐伯って名前はいないから、全然違うチームかな」


デカい会社だとそういうこともあるんだな。というまわりの声を聞きながら、佐伯の妹のことを思い出す。高校3年の文化祭のときと、佐伯の家に遊びに行ったときの2度、姿を見たことがあった。


「あー、あの子かあ。かわいかったよなー。俺いまだにあれを超える好み顔に出会えてないわ。なんだよ、うちにいたのかよ。気づかなかったわ。不覚だわ」

「お前、絶!対!妹に手出すなよ。声もかけるなよ」

「なんだよ。お前あのときも声かけさせてくれなかったじゃん」

「高3の男が中1の妹を口説こうとしてたら止めるだろが」

「ギリギリセーフだろ?」

「ギリギリアウトだよ!」

「でも30と25なら何も問題ないよな」

「ダメだからな! 絶対ダメだからな!」


……という話が5月にありましてね?と、話の途中で山崎さんがちらりとこちらを伺ってくる。私は視線だけで話の続きを促した。ちなみにギリギリアウトだと私も思う。


「すぐに調べて顔を見に行って、ああこれはドンピシャで好みの顔に育った!と思ったんだけど、それですぐに声をかけたところでただのセクハラにしかならないから、しばらく観察をした。で、そうしているうちに人柄にも引かれまして、これは真剣に口説こうと決めたところできみがエレベーターに乗り込んできたわけです。そのチャンスを逃すわけにはいかないじゃないですか」


私の顔をちらちら見ながら話す姿に、とりあえずしかめた眉をまだほどかずにおく。


「それならそうと言ってくれたらよかったじゃないですか」

「関わりのない他部署の上司に誘われたって警戒するだろ? まずは俺自身を知ってほしかったわけ」

「そりゃまあ…」

「声をかけるきっかけってだけで咄嗟にぶちあげたんだけど、あそこまできみが深刻に考えていたとは思わなかった。ごめん」

「信じた私がバカだったって言うんですか!」

「言い方!いいかた!」

「もう、なんだってまた…」


そんなことまで、と聞きかけて、ああ私を口説くためかと気づいて一気に顔が熱くなった。なんとかまだしかめっ面をキープする。


「兄とこのあいだ会いましたけど、何も言ってませんでしたよ」

「あー、すっげえ止められたから……」


そんなに過保護な兄ではなかったけどな。そこまで止めるってことは…と疑いの目を向けると、山崎さんが慌てて言葉を継いだ。


「いや、違う! あいつは社内恋愛の煩わしさを心配したのであって、別に俺が最低男ってわけじゃないから!」


山崎さんが必死になっている。あんなに仕事のできる、ソツのない男が、私のために慌ててくれている? ちょっと愉快になってきて、頬がゆるんでしまうのを隠すように下を向くと、両頬に手を添えられて、上を向かされた。山崎さんが真剣な、少し緊張したような表情を見せる。


「改めて言う」

「は、はい」

「佐伯結華さん、きみが好きです。顔も、中身も」

「わ、私も…好き、です」


勢いで答えてしまうと、山崎さんから力が抜けて、よかった…!と私の肩に顔を埋めてきた。


「あの、でも、今日好きになったばっかりなので、あとで落ち着いて考えてみてはっきり確認できてから確定ってことで」


慌てて言い訳をする。と、ムクリと顔をあげて、再び私の頬に手を置いた山崎さんは、今夜最初に見たような怪しい笑みを浮かべた。


「それじゃ、今のうちにじゅうぶん注ぎ込んでおかないと」


そうして近づいてくる唇を、目を閉じて受け止めた。それが触れて、両肩にグッと力が入ってしまう。触れただけなのに、全身が熱くなる。


「……今日はこれ以上進むつもりはないから、緊張しないで」

「はい……」


腕をさすってくれて、ホッと力が抜ける。そっと抱きしめてくれたので、寄りかかってみた。


「さすがに好きになったその日にっていうのは、ちょっと早いと思うので……」

「うん、俺もそういうの大事にしたい。それに、大事にしないと佐伯にボコられるし」

「まさか」


ふふ、と笑いながら、わかってくれる人でよかったと思った。別に、初めてなわけではないし、そんなに保守派なわけでもないけれど、なにしろ今日は展開が速すぎたもの。山崎さんの体の温かさを感じながら、エレベーターでの出来事からをなんとなく頭のなかで振り返っていると、あれ?と何かが引っ掛かった。


僕はきみに想いを伝えた。

きみもそれに応えてくれた。

僕たちは唇を重ねた。

けれど体は重ねなかった。


あれ?これって。


その代わり僕は、


「その代わり」


囁いた山崎さんを見上げると、左の頬に手が置かれて、親指が私の下唇をなぜるから、ゾクリ、とする。


「もう少し、ちょうだい」

「……深く?」

「深く」


返事の代わりに私はそっと目を閉じる。

そして私は、それを許した。

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