5
「うわぁ…。」
街に着いたという声を聞き、焔に手を引かれて馬車から降りれば、目の前には大きな壁がそびえ立っていた。外敵の侵入を防ぐためなのか、空まで届くような木でできた壁。その手前には堀があり、深さは見ただけでは分からないが、水がたっぷり溜まっている。堀の向こうとこちらをつなぐ橋も木製で、跳ね揚げ式なのか、大きな鎖が橋と壁をつないでいた。
「さぁ、主。」
馬車の主へ会計を済ませたフェニクスを先頭に、焔とお上りさん丸出しの私が手を繋いで続く。フェニクスは人の世界で生活していたため、見慣れた光景らしいが、焔は秘境と呼ばれる地帯で生活をしていたらしく、人が沢山いる状況が不安なのかピッタリと私にくっついていた。
関所と言えばいいのか、街に入るためにはチェックが必要なようで、そのチェックを街の入り口で行っていた。多くの人間や従者が荷物とともに並び、順序良くその順番を待つ。並んでいる人も従者も様々な相貌をしており、ありきたりではあるが、色々な人や生き物がいるんだなという感想を持った。列の中で、額に紋を持った従者が主を取り囲み、楽しく歓談しながら順番を待つ姿が多く見られるのを見て、思わず微笑む。平和そうだな、とこれまたありきたりな考えを持ちつつ、次々と視線を滑らせていけば、ある一組のグループの主に目が止まった。その人がイケメンだとか、誰かに似ているとかいうわけでは無い。その人の手にはどこかの街で買ったのか、これまた美味しそうなドリンクや軽食が握られていたのだ。
「主、食べたい?」
私の視線に気づいたのか、くすくすと笑いながら問うフェニクスに、まだ要らないと反論しながら、彼らの手にあるものは何かじっくりと観察してしまう。食にがめついのは、元の世界からの性質か、この世界に来て胃袋が変わってしまったからなのか、今となっては分からない。しかし、食に貪欲になってしまった私は、美味しそうなものがあるとつい目で追ってしまう。だが、いざ欲しいとなっても私は無一文のため、やはりフェニクスに買ってもらうようおねだりをする必要がある。買い食いという一つの娯楽を目の前にして、自由に気がね無く使える、自分で稼いだお金が早急に欲しいと感じたのは言うまでも無い。
チェックの列に三人で並び、ただひたすら順番がまわってくるのを待つ。ただ待つだけでは暇なので、元の世界で子どもたちがよく遊んでいる手遊びを焔に教え、二人で遊びに興じる。フェニクスも一緒にやらないか誘ったのだが、人目を気にしているのか何なのか参加してこなかった。だが興味はあるらしく、ルール説明をする私の話に耳を傾け、私と焔の指先を横目で観察しているようだった。
まるで大型テーマパークのアトラクションのように、列はのろのろと進み、手遊びに飽き、足が少し疲れてきた頃に私達の番が回ってきた。
「…フェニクス、お願いね?」
確認するようにフェニクスの顔を覗き込みつつ小声でそう問えば、勿論と言わんばかりの顔で頷かれる。その顔に安心しつつ前を見れば、金属でできたピカピカの鎧を着た門番が、見えるところに数人。見えないところを数えたらもっと居るのだろうが、屈強なという言葉の似合う体格のいい彼らが門の中に入る人物を検分していた。
「はい、次の方。主は…貴女ですね。どのような御用でスピカに?」
バインダー片手にメモを取る門番と、質問をする門番、威圧のためなのか大きな剣を手にしている門番の三人が目の前に立ち並ぶ。かなり圧迫感を感じながら、堂々と笑顔を浮かべつつフェニクスに視線を送れば、こちらを見て一度ゆっくり頷かれた。
「主は今、喉を痛めている。変わりに俺がお答えする。」
フェニクスが私の前へ出てそう言葉を発したので、門番の視線は彼へと移る。視線が移ったことに軽い安堵を覚えつつ、フェニクスの堂々とした態度で質問に答える姿を見習わなければいけないなと感じた。
「この街へは主の買い物で立ち寄った。俺らは火山から降りてきたので、服や食糧を揃えたい。」
そう言いつつ、背負っていた鞄を門番の前へ置くと、軽く中身をチェックされる。当然だがやましいものは何もなく、出てくるのは布や日用品だけ。誰かが使役しているのか、全身黒いシェパードのような犬が一匹やってきて、クンクンと匂いを嗅ぎ、主と思われる人にガウガウと何かを伝えていた。
「最近、不審者が多くてな。身体検査もお願いしたい。」
門番はそう言うと、すぐさまフェニクスから身体検査を行っていく。慣れているのか、不機嫌なのか、無表情で全身のチェックを受けるフェニクスと、不快感を全面に出した顔で身体検査を受ける焔。そんな二人にエールを送りつつ、私は奥から出てきた女性の門番に、行列を作る人達からは見えない位置につれていかれ、死角で身体検査を行われる。
「使役しているのは、これで全員ですか?」
上から順にボディチェックを行う女性に問われ、はいとだけ答える。はいで良かったのか、そもそも答えて良かったのかすら不安だが、それを顔へは出さないようにし、堂々と微笑んで見せる。ここでフェニクスへどう答えれば良いか聞きに行ったとしたら、それの方が不審だろうと思い、答えてしまったが、果たして正答であったのだろうか。
一通り不審物が無いかチェックをし終わると、彼女は上へ向かって何事やらを呟いた。その視線を追って上を見れば、一匹の大きな蛇が、大きな柱に絡みつくようにぶら下がっているのが視界に入る。あまりの大きさに声を失っていると、蛇は女性に応答するかのようにシーシーと舌を出して何かを伝えていた。
「…そう。印があるのは2体…なら、2体共外に出ているから問題ないですね。」
女性曰く、どうやら合格であるらしく、街への入場を許可する旨が告げられた。その言葉にほっとしつつ、衣服を少しだけ整える。女性に連れられて死角から出れば、すぐさま焔がぎゅっと飛び付いてきた。よろけそうになりながら抱き止めて頭を撫でれば、ほっとしたかのように目が細められた。
「主、許可が降りた。街へ入ろう。」
さっさとこの場を去りたいのか、フェニクスが私の手を取り、街の方へと誘う。空いたもう片方の手は焔と繋ぎ、私は異世界の街へと初めて足を踏み入れた。
門を抜けてまず思ったのは、全てが映画のセットのようで可愛らしいという感想。レンガ造りのお伽噺に出てくるような街は、乙女心をくすぐられる。入ってすぐはメインストリートなのか、多くの人間でごった返していた。花屋に雑貨屋、お菓子屋にパン屋、多くの店が立ち並ぶエリアをフェニクスに手を引かれて歩いていく。
「最初に宿をとろう。荷物も多くなるだろうし、主の勉強や体力面を考えると、十日ほど滞在した方が良いしな。」
ちゃんとした考えを持つフェニクスに反論は無いが、美味しそうな匂いと可愛い雑貨達に後ろ髪を引かれながら宿へと向かう。メインストリートから横道に入り、少しだけ歩けば、そこは宿屋が立ち並ぶエリアなのか、宿屋とおぼしき建物があちらこちらに看板を出していた。
「…入りたいところはある?」
フェニクスにそう尋ねられるが、正直どれも一緒に見えてどれが良いのか分からない。なので、彼に全ての選択を委ねることにした。そうなることを分かっていたのか、フェニクスは二つ返事で了承し、辺りをぐるりと見まわす。そして、多くの宿屋の中からフェニクスが選んだのは、宿屋の中で一番大きな敷地を持つところ。メインエントランスから建物内へ入ると、すぐさま一人のメイドが近寄ってきた。
「ようこそおいでくださいました。ご宿泊ですか?」
ルールなのか、礼儀なのか、必ず私に話しかけてくることに辟易しつつ、フェニクスに視線を送る。
「ああ、十泊したい。空きはあるか?」
フェニクスの問いに、メイドは確認して参りますと言うと、応接セットへ私たちを案内したのち、裏へと引っ込んだ。応接セットには私だけが座り、人目があるからか二人は座らずに私の後ろに控える。時間が時間なせいか、客はあまりおらず、居心地の悪さはあまり感じなかった。ロビーにはクラシックのようなメロディーが流れており、自然と背もたれへ体重をかけてしまうほど、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
別のメイドが持ってきたウェルカムティーで口を湿らせつつ、去ったメイドを待てば、黒服の男性がメイドの代わりに現れた。
「お待たせしております。担当から十泊とお伺いしておりますが、間違いはございませんでしょうか?」
白髪に白髭を綺麗に整えたナイスミドルに確認され、はいとだけ答える。セバスチャンって名前が似合うのはこういう人なのかなと思いながら彼を見つめれば、額に薄くではあるが紋が確認できた。
「かしこまりました。ではお部屋の方ですが、こちらの中からお選びください。お決まりになりましたら、こちらのベルでお呼びくださいませ。」
てっきり人間かと思えば、他種族であるらしいナイスミドルは、ローテーブルの上にいくつかのプランが印刷された紙を丁寧に置くと、隣に可愛らしいベルを置き、奥へと下がっていく。ゆっくり選ばせるためか、気を使わせないためか、はたまた緊張している私を見抜いたか。なんにせよ、その気遣いが私には非常にありがたかった。それぞれの紙を流し見つつフェニクスへと渡せば、決まっていると言わんばかりの顔で、一番お高い部屋を指し示される。
「え…でも…お金…。」
「金ならまだまだあるし、これからだって稼げる。主の安全と安心を毎日買えるなら、金は惜しまない。」
恐縮する私に対し、それ以外の選択肢はありませんとばかりに、他のプランの紙を炎で包んでしまうフェニクス。こんな時だけ呼吸が合うのか、私が何か反応をする前に、焔がベルを鳴らしてしまった。
結局、男性が来るときにはテーブルの上に一枚の紙だけが乗せられており、私が反応を出す前に、心得ておりますとばかりに男性はそれを持って部屋をおさえに行ってしまった。
次に男性が帰ってきたときには部屋の案内をするとのことで、ここまで来たら引くに引けず、そのまま流される形で、もっとも高いプランの部屋へと案内をされる。このときばかりは空気を読む日本人であることが恨めしい。赤い絨毯が敷かれ、お高そうな絵画が飾られた廊下をゆっくりと歩き、際奥の角部屋へと案内をされる。
「ごゆっくりおくつろぎください。」
そう話しながら開かれた部屋は、間違いなくデラックススイートと呼べるもので、日本にいたころは絶対に拝むことのないような豪華な部屋であった。この宿は一階建てのため、一番奥の隅が最上級の部屋となる。扉からして他のものと別格であったその部屋は、宿なのに内部にドアが何個も存在する。今まで元の世界で泊まった宿のドアは、玄関のドアを入れて、基本は2つだった。この部屋は、見えているだけで3つもある。きっと中へ進めば進むほど、2つなんてそんな数ではないのだろう。
後ろでドアが閉められ、焔がすかさずロックをかける。ずかずか進むフェニクスに着いていけば、応接室へとたどり着いた。彼は中をぐるりと見回すと、焔をちらりと見る。視界の端では、部屋を見回した焔が一度頷くのが確認できた。するとフェニクスは私の手を取り、自然な動作で応接室の一番上座の椅子に座らせ、後ろからついてきた焔が、私にピッタリと寄り添うよう足元に控えたのを見届けると、背負っていたバックを置いて、すかさず部屋を出ていく。
「…フェニクスは、何しに行ったの?」
彼の行動の意味がわからず焔に問えば、安全かどうか確認するんだよって可愛らしい声で答えてくれる。平和ボケした国出身であるからか、室内の安全確認なんて考えたこともなかったので、思わず呆けてしまう。でも、そう考えると足元に座る焔は護衛ということか。足元で寛いでいるのかと思っていたが、甚だしい間違いであることに気付き、一人で申し訳ない気持ちになる。
「主、特に異常はないから。」
しばらくして戻ってきたフェニクスに声をかけられ、こくんと頷く。足元にいた焔は、身体の向きを変え、今度こそ寛ぐかのように私の膝へ頭をのせる体勢をとった。これが本当の寛ぎ状態なのかなと思いつつ、サラサラの焔の髪を撫でる。
「きもちい~。」
ほんわかと笑う焔の笑顔につられて微笑んでしまう。絹糸のような髪は何度手を往復させても飽きることがない。掌に少しだけ乗せれば、ハラハラと指の間からこぼれ落ちていく。今まで見たどんな紅葉よりも色づいた、美しい赤。その輝きを羨ましく思いつつ、彼の顔に残った鱗を指の腹で撫でる。
その様子をしばらく見守っていたフェニクスが、少し時間がたってから徐に声をかけてきた。
「…寛いでいるところ悪いが、そろそろ、買い物に行こうか。」
髪を撫でていた手が気持ちよかったのか、うつらうつらしていた焔が、その言葉でバッと目を開く。眠いのか、白目の部分が充血しており、もう目全体が赤色になっていた。
思えば私たちを乗せて長距離を飛んだり、洞窟を噴石から守るため寝ずの番をしたりと、焔にはとても酷なことをさせている。疲れているだろうし、当然眠いはずだ。だからこそ、部屋で休んでいるか尋ねたのだが、その提案をフェニクスがはね除ける。
「焔をここに待機させておくのは無理だ。買い物は、俺が入れそうなところは入るが、難しいところは焔についていって貰わなければならない。…女物の下着屋とかは、この世界では子供以外の男が入るのはタブーなんだよ。…やるよなぁ、焔?」
私に対する言葉から、一気に素へと戻り、焔へ圧力をかけるフェニクス。その様子にどう焔をカバーしようか、わたわたと慌てていると、焔はぐしぐしと目を擦りつつ、私に対する声とは全く違う低い声で一言だけ答えた。
「当然。」
その反応に驚く私とは対照的に、フェニクスが満足そうに頷く。いつもわたしに向ける子供っぽい言葉遣いではなく、別の人格が乗り移ったかのような焔らしくない声色だった。
その後焔は私の目を見て、いつも通りの言葉遣いをしつつ、一緒にお金の勉強をしようと可愛い提案をしてきた。だから、先程の少年らしくない焔は一旦忘れることにした。きっとフェニクスと同様、私に対しては見せない性格の一部なんだろうと思うとともに、なんとなくそこは突っ込まない方が良い気がしたのだ。
「まぁ、送還すれば、主の中で寝られはするけど、こいつ眠らないだろうし。夜まで我慢だな…焔。」
淡々と語りつつ、ぽいっと小さな袋を投げられる。すかさず焔が後ろ手でキャッチし、そっと私の膝の上へ置いた。
カチカチといった金属音が聞こえたから、きっと中身はお金であるのだろう。小さな袋をあけ、中身を膝の上へ出せば、銀色に光る丸い硬貨が五枚入っていた。
「とりあえずそれくらい渡しとく。」
銀貨は日本円でいう五百円玉くらいの大きさ。一つ掴み手のひらで転がせば、片面には彫りの深い外人の横顔が描かれ、もう片面にはこの世界もしくは国にとって意味のあるものなのか、よくわからない紋章のようなものが刻まれていた。表面はよく研磨してあり、指に引っ掛かるところはない。とりあえずへえーと思いながら裏表をよく眺めたあと、袋の中へ大切にしまい、膝の上へ置いた。
「まぁ、適当に買えって言っても、主は勿論、焔も物価が分からないだろうから、下着屋とかへ入るときは俺を送還してくれれば良い。主の中からどの貨幣を出せば良いか助言する。」
フェニクスの言う物価的な金銭の問題まで思考が追い付いてなかったが、言われてみれば確かにそうだ。でも、フェニクスと心で会話すれば、お金を出し間違えることはない。それに、基本的な会話は彼らがしてくれる取り決めだ。私は安心して物を選ぶだけでよい。
「…もし焔を送還しておくなら、一つだけ約束がある。そいつを召喚したあと、俺を送還すること。…絶対忘れるな、いいか?」
フェニクスのその言葉に、はいと力強く返事をする。この発言も、結局は一人にしたくないということなのだろうが、その気持ちは理解できる。この世界で私が生きるためには彼らの力を盾にするしかない。私が一人でいるなんて、この世界にもいるだろう悪人からしたら良いカモだとは容易に想像がついた。
「わすれないでね。」
焔の念を押す言葉に頷きつつ、手袋を外して人差し指で印に触れる。みるみるうちに焔は光の粒となり、私の中へと消えた。
(焔、寝てても良いからね。)
手袋を着け直しつつ焔に向かって心の中で声をかければ、イエスかノーかはっきりしない、うーんという返事があった。
「とりあえずは服飾系から買って、日用品買って、焔と交代して、必要なもの揃えて…で、帰ってこよう。それから食事。」
フェニクスの頭には既に行動プランが出来上がっているらしいので、面倒くさがりな私は、はーいとだけ返事をして、彼に全てを任せることにした。外ではぐれないようにと、今度は手を繋ぐのではなく、腕を組まされ、外へ行く準備は完了。イケメンにエスコートされてのお買い物が始まった。