その3
たぬきとイズモは衝突しない。ノボルはそう読んでいた。イズモ・キョウカは世の大平を願っている。そうでなければ、商いが安定しないからだ。
自分が富むためには、相手にも利益をあげさせる。それがイズモ・キョウカの商いと聞いていた。それなのにわざわざ商人同士、いさかいを起こすような真似をイズモ・キョウカはしない。その読みが、ノボルの根拠だ。
しかしヤハラは両者の激突もあり得る、という立場を崩していない。もちろんこれは最悪の場合を考えてという、軍師特有のクセのような用心深さゆえ、というのも知っている。
だが万が一、両者が望んでいなくともそのような事態が発生してしまう、ということも世の中あり得る。
その可能性があるかどうか? ノボルはそこを問うたのだ。
「その可能性は限りなくゼロに近いでしょうな」
と、ヤハラは言った。もちろん偶発的な要素はある。しかしたぬき商会にはその特性である、軍に匹敵する諜報能力があるのだ。場合によってはその能力を使用して、衝突の事前回避が可能である。
「ですがそれでも警戒心を解けません」
「それは軍師としてのクセではありませんかな?」
どうでしょうなと、ヤハラは茶に口をつけた。
「……イズモ」
ヤハラは呟く。
「考えてもみれば、殿。イズモ・キョウカは大商人の孫娘。何が悲しくて祖父に逆らうような、独立開業をしているのでしょうか?」
「……………………」
失念していた。イズモ商会の脅威とたぬき商会の快進撃のおかげで、まったく失念していた。
そもそもあのたぬき、黙っていてもそこいらの貴族など足元にさえ及ばない、超越身分の御令嬢なのに。何が悲しくて独立し、わざわざ市井に身を落としているのか?
「……臭いますな、殿」
イズモ・キョウカ、である。
「パッと思いつくところで、ヤハラどの。どのような路線で臭いますかな?」
「イズモの急先鋒でしょうか? あるいはイズモの突撃隊……」
「つまり、最初からイズモ商会に飲み込まれるのが前提で、たぬき商会は存在すると?」
もちろん根拠も確証もない、とヤハラは言う。
しかしこれまでの協力ぶりを見ていると、雑兵隊……いや、ワイマール新王国そのものがたぬき商会に飲み込まれ、たぬき商会の親兵になりかねない勢いだ。
「イズモは二万を超える軍隊を、掌中におさめるということですな?」
「しかし、たぬきの力を借りずして倒国が成り立たぬのも、また事実」
そのように告げると、あのヤハラが腕を組んで考え込んでしまった。
端正な顔立ちと、几帳面さが似合う印象のヤハラだが、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしり、せっかくのセットを台無しにしている。こんな時に声をかけても、返事はない。ノボルは知っている。これがヤハラの長考スタイルなのだ。
「しかし殿、いまたぬき商会がとっている手段。イズモ商会にできない手段ではありません。わざわざ孫娘を独立させる必要がありません」
長考かと思えば、急に顔をあげた。なかなか忙しい男だ。
「ヤハラどの。たぬきという動物に、反抗期というものはございましたかな?」
「たぬきの都合は知りませんが、イズモ・キョウカが反抗期の家出ですか……」
「割りと迷惑な反抗期ですな」
大の男が二人、あれこれと頭を悩ませているのだ。迷惑というのなら、大迷惑な反抗期だ。そして今、一国家……ワイマール・ドルボンドを合わせれば二ケ国分……に関わる反抗期だとしたら、なおさらだ。
まあ、冗談はさて置いて。
そうなると、たぬき商会の存在理由がイズモ商会の急先鋒、という説が消滅する。キョウカがイズモ所属であっても急先鋒を務められるからだ。
するとにわかに、たぬき商会とイズモの激突が真実味を帯びてくる。
「ここは兵法かな?」
「は?」
ノボルの呟きに、ヤハラは間抜けな反応を見せた。
「いやさ、ヤハラどの。たぬき商会とイズモが相対するとなれば、我々はたぬき商会を押さなければならぬ立場だ。しかしイズモ商会相手では、分が悪すぎる。そこで水面下ではイズモに取り入る準備が必要なのかな、と」
「イズモ・タロウ相手に、それが可能かどうか」
「やはりそうかね。……すると我々としては、なんとしてもキョウカどのに勝ってもらわなければ、困る訳ですな」
「左様」
「そこでヤハラどの」
「なんでしょう?」
「ここまで話が進むと、たぬき商会が正面衝突を避けるという俺の説が、理解できるでしょう」
勝てない戦さにイズモ・キョウカが頭を悩ませるはずが無い。
と、なると。
たぬき商会対イズモ。その可能性が真実味を増せば増すほど、対決しない可能性が増してゆくという、一見奇妙な状態になった。
これはあくまで理論上の世界だから、このような現象が起きる。とヤハラは説明してくれた。
「そしてこのような現象が発生する原因というのが、議論理論の中に重大な矛盾や間違いが存在するからだ、というのが定説です」
「なるほど。ではどこに間違いが存在しているのでしょう?」
「我々論士論客には見つけられません。論客というのは、間違い無しという部品を積み上げる者ですから、自分の論から間違いは捜し出せません。例え完成した理論議論が明らかに間違えていると、わかったとしてもです。だから……」
「俺に何とかしてくれ、と?」
ヤハラ自身学生時代に、この論の中にひそむ虫にはよく出くわしていたという。ヤハラ学生は時として、この虫を討論の中にひそませて、論に生きる同期たちを混乱させたことがある、と言った。
「ところが殿。このヤハラが虫を使役していながら、敗れたことがございます」
「なんと? 相手は誰じゃ!」
ヤハラを負かした男。よもやボルザックではあるまいな! 殺気は瞬時にあふれ出た。ここにボルザックが居たら、すでに首を落としてある。そんな殺気だ。
「その相手というのが、体育教官でして」
ぬ? できる男か? ノボルは警戒心の目盛りを、グッと押し上げた。
「体育教官いわく、下らねぇ議論で遊んでねぇで、剣のひとつも振っておけ! と、拳骨をひとつ……」
なるほど、それがヤハラの退治の仕方か。と思ったが、悟られないように殺気はしまわない。むしろ強く放つ。
「いやしかし、ヤハラどの。そうなるとこの検証は……?」
「下らねぇ議論の類となりますね」
さんざん心配していながら、その結論は下らねぇ議論。この話し合いをイズモ・キョウカが聞いたら、どのような顔をするだろうか? なにをつまらない話しをしてますやらと、呆れた顔をするに違いない。
「とりあえずヤハラどの、たぬき商会の真意とイズモ商会の対応。それがわからなければ、両者の対決など考えても仕方ない、ということになりますな」
「それでも私は念頭に置いておきますけどね」
そして夜が明ける。
朝食は飯盒で炊いた米だ。このころには新領地にも、米食が根づいていた。なれている兵など、器用に箸を使ってみせていた。それに数切れの漬物と、湯でといただけの味噌を汁がわりに。
食事を済ませて点呼をとったら、ノボルは斥候を放った。
向こうはこちらに近づいてくる。向かい合わせに斥候を放てば、今日中に見敵できるはずだ。
残った兵には防御陣を敷かせる。昨日と同じ形だ。そしてワイマール本土へ向かう旅人には、また同じ言い含めを行う。
斥候が戻ってきたのは、昼を過ぎてしばらくしてからだ。午前中に会敵し、一団の到着は夕方前と予測。兵を一〇〇ほど連れているということだ。
他の隊長たちは「一〇〇ぽっちかよ」と笑ったが、ヤハラはそれをたしなめた。
「遠路をはるばる、一〇〇もの兵を寄越してきたのです。ボルザックはまだまだ健在。その力は残っていると考えた方がよろしいかと存じます。それにワイマールの窮地を救うための兵となれば、簡単にはいかないものとお見受けしますぞ」
もちろん前線に陣を敷いた隊長たちだ。ヤハラの警告を受け入れ、すぐに笑いを引っ込めた。
「では殿」
「うむ、予定通り鶴翼で待ち受けるか」
ノボルが指示した形になっているが、これはヤハラの演出。味方隊長たちにとって、頼もしい大将を演じるために打ち合わせたセリフだ。
そのヤハラが一同を見渡して、「それでは皆様、予定通りお願いします」と声をかけた。力強い、「応」という返事があり、隊長たちは散ってゆく。
それを確認すると、ノボルの仕事は手中の雑兵隊を鼓舞することだ。
かつてゴンが率いていた第一雑兵中隊も合わせて、本来ならば二四〇人。そこから三割が抜けて一七〇人ほど。
しかしそこに加えるのが、たぬき兵団七〇〇人である。ちょっとした軍団だ。
その前に、ノボルは立った。
「それでは諸君! 我らが領民を守るべく、我らが領地を守るべく、悪漢ボルザックを討ち暗君を倒すべく、これより敵の先鋒をくじく。……雑兵隊、戦闘配置!」
ドッと声が挙がり、配置に着くため兵たちは駆け出した。土埃が立つ。汗の臭いが湧き立った。防具の金具が鳴っている。
久しぶりだなと、ノボルは思った。
これが戦場の気配だ。
合戦の空気である。
ヤハラは疑わしいものを見る目でジットリと睨みつけてきたが、それでも血沸き肉踊るのを止められない。




