男と女に御座候
飯のあとは湯屋だ。ゴンとともに昼湯につかり、旅と試験の疲れを癒す。ゴンもまた、他州からの受験者だった。
湯の間、リコに洗濯を頼んでおいた。子供の手なので大丈夫かときいたが、母無しだから洗濯はいつも自分がしている、と笑った。
湯上がり、店にもどる途中でゴンが訊いてきた。
「さて、ノボさん。俺はこれから王都の散策に出るが、あんたはどうする?」
「俺はひと眠りだな、さすがに眠たい」
「よし、晩飯にはもどるからな。一緒に食おう」
昼飯時を過ぎた店は、客が少なかった。ゴンは外出の旨、ノボルは仮眠することをリコに伝えた。
「晩飯にはもどるわい」
「俺は二刻(二時間)ほど寝るので、起こしにきてくれるか?」
「わかったよ、二人とも」
ノボルは部屋に入ると袴を外した。大小の刀は、ベッドの枕元に。和装も解いて襦袢だけになった。
ゴンの足音が聞こえる。階段を降りていった。入れ違いに、リコの足音がした。こちらは階段をのぼり、部屋の前にきた。
「リコかね?」
ノックの前に声をかけてやる。
「まだ起きてた?」
「お前が来るような気がしたのでな」
やはり、トレイにグラスとウイスキー。
「ちょっとだけ、飲む?」
「あぁ、だがお前さんはダメだぞ。まだ仕事があるだろうからな」
昨夜はいつの間にか一緒に飲んでいたし。
この国で未成年の飲酒喫煙は、禁止されていない。ただ、酒と煙草と女は働くようになってから、というのが基本だ。
ノボルはベッドで胡座をかいた。前が丸出しにならぬよう、襦袢の裾を持ってきて、スネを出す。リコはそのとなりに腰をおろした。小さなグラスを渡してくれる。そして、酌を……。
「あらためまして、合格おめでとうネ、お兄ちゃん」
「ありがとう。……望んでいた剣士隊ではなかったけどな」
「雑兵隊はどの地区に配属になるんだろうね?」
「ゴンの話では、しばらくは基礎教育らしい」
「しばらくって、どのくらい?」
ゴンは三ヶ月と言っていた。
「外には出られるんでしょ?」
「三日に一日は番兵の任がある、と話してたな。しかし、実際に兵隊暮らしが始まってみないと、わからないことだらけだ」
「わからないことだらけなのに、兵隊さんになっちゃったの?」
「男とは、そういうものだ」
仕事に賭けている、剣ひと振りに賭けているのだから。
「あ〜〜……だから剣士隊じゃなくて、雑兵隊の試験を受けちゃったんだ……」
「君、痛いところを突いてくるね。まあ、それもこれも、大望抱く若者にとっては……」
「もしかして、お兄ちゃん。剣士隊の試験会場も、知らなかったでしょ?」
「東門で訊いたぞ」
リコは天を仰いでいた。「あちゃ〜」というポーズだ。
「なにかあったか、リコ?」
「……あのね、お兄ちゃん。とっても言いにくいんだけど、落ち着いて聞いてね。……剣士隊の試験会場は」
リコは西を指差す。つまり、東門の反対側。ノボルが向かっていた方角だ。
「剣士隊の試験会場は、あと一〇〇メートル先だったんだよ?」
「……ふむ」
落ち着いて答えたが、ものすごく動揺していた。
「もう一度訊くよ、お兄ちゃん。剣士隊の試験会場、知らなかったよね?」
「……まあ……そうなるな」
「そういえば最初に逢ったとき、受験日じゃないとか言われてたけど……もしかして試験の日付も、知らなかった?」
「毎日徴募しているものではないのか?」
「してなかったよね?」
「うむ……だがな、リコ。男子を仰ぎ見るときは、そのような『ダメだ、この人』と言いたげな顔を、するものではないぞ」
「言いたげな顔じゃなくて、言ってるの」
そうか、言ってるのか。
ノボルは黙り込んだ。
リコも黙っている。
「あのね、お兄ちゃん。もしも剣士の募集をしてなかったら、どうするつもりだったの?」
「していただろ?」
「うんうん、ツイてたよね。で、もしも剣士の募集がなかったら、って話なの」
「仕事の口を探してたろうな。次の募集まで」
「いつまで?」
「次の募集までと言ったろ」
「次の募集って、いつ?」
女というのは、じつにしつこい。とノボルは思った。男子に必要なのはあれこれの思慮ではなく、行動なのだ。というのが、まだわかっていないのだろう。
まだ子供なのだから仕方ない、とノボルは考える。
「お兄ちゃん? いまのお兄ちゃん、浮気がバレた男の人の顔になってるよ?」
「どんな顔だ、それは」
「自分に都合が悪くなると、男の人はみんなそんな顔してる。そうでなきゃ、自分に都合のいい言い訳でも、考えてる?」
リコは靴を脱いで、ベッドの上に正座した。正座の習慣などないだろうに、とノボルは驚く。
「お兄ちゃん、こっち向いて」
仕方なし、ノボルも正座になる。
「認めたくないかもしれないけど、お兄ちゃんはダメ人間です」
「どの辺りが?」
「一連の行動、ぜんぶ」
「救いようが無いな、それでは」
なるほどリコの弁では、そうなるかも知れない。しかし、ノボルにもノボルの言い分があるのだ。
まず剣士募集の件だが、これはノボルが指導した天神一流の門人から聞いたものだ。彼はヒノモト州領主、ライダー候の徴兵に応じ、一年の任期を明けたばかりだった。話の出所としては、間違いない。いい加減な話に乗ったものではないのだ。
その内容は春に王都ドクセンブルグで、剣士の大規模な募集があるというものだった。しかも合格者は、下士官以上の身分が約束されている。
大規模な募集というのなら、毎日のように……というか、飛び入りで審査してくれてもよさそうな気がしていた。これならば、試験の日付を確認していなかったのも、うなずけよう。
リコが心配していた、次の募集がいつかという話にしても、ノボルはすぐに行われると思っている。
下士官待遇の試験はノボルが今日受験したが、下士官待遇があるということは、士官待遇の試験もあるということだ。未確認情報だが、剣術教官を募集しているという話も耳にしている。
一芸あらば、なんとかなる。しかも自分の一芸は、今まさに旬のもの。世に通じる腕であれば、引く手あまた。ダメであれば、功の練り直し。
ただそれだけの話なのだが。
次の募集まで間が空いても、剣術で鍛えた身体。力仕事でひけをとることは無い。路銀がとぼしくなったなら、野宿とていとわない。
リコは何故、自分を否定しているのか。ノボルにはわからなかった。
「例えばね、お兄ちゃん。今回はうまくいったけど、何かトラブルやアクシデントに見舞われたら、どうするつもりだったの?」
「そんな時はトラブルの中に、ガッと飛び込んでドッとやっつけて、ビッと決めるものだが……リコ、表情と目の輝きが消えてるぞ?」
「……………………」
リコは死人のような顔をしていた。
しかし、すぐに首を振ってよみがえる。
「いけないいけない、アタシ頑張れ! お兄ちゃんを助けられるのは、アタシだけなんだから!」
助けられる覚えのない身としては、はなはだ不本意なセリフだった。
「お兄ちゃん、アタシが言ってるのはトラブルの解決方法じゃなくて、トラブルに巻き込まれない方法なんだ」
「気をつけていても巻き込まれる。だからトラブルなのだろう?」
「じゃあ、別な例えね。……ゴンさんは、遊びに行ってるよね?」
「男子の遊びに、子供が首をつっこんではいけない」
「だからそうじゃなくって……ゴンさん、案内もなしに出かけたでしょ?」
「何か問題でも?」
「事前に下調べしてるってことじゃない?」
「男の遊び場は、匂いでわかると、師匠が言っていた。案内無しでも問題は無い」
「どう言えばわかってくれるの?」
「泣きそうな顔をするな、俺がついている」
しばし、沈黙。
「よし、お兄ちゃん。アタシ頑張るからね」
「努力する者の姿は美しい。渾身の頑張りを期待する」
「お兄ちゃん、ドクセンブルグの地図は持ってる?」
「いや、無いな」
「これから王都を守ろうとするお兄ちゃんが、ドクセンブルグの地理に不案内で、いいと思う?」
「……仮眠をとったら、手に入れるか」
「ワイマール王国の地理は、大丈夫?」
「……拙者、田舎者ゆえ……御免!」
「逃げるな、アタシが買ってくるから……」
そう言って、リコは巨大なため息をつく。
ノボルとしては、地理に不案内という事実が、不覚であった。
のろのろと立ち上がり、肩をガックリ落としたリコが、部屋から出てゆく。
「……お兄ちゃんのお嫁さんになる人、大変だね」
と言い残して。
地図が手に入るのは、とても嬉しいことだ。世界を知らない自分に、知識を与えてくれる。地の利を考える機会を与えてくれる。
それにしても……。
ノボルの胸に疑問が浮かんだ。
何故リコが、俺の嫁の心配をするのか?
ノボルには理解できなかった。
天神一流に入門したのが、一〇のとき。一三で内弟子に入った。それからは、稽古三昧。ただひたすらに、己の未来を切り開き王国を繁栄させるためだけに、剣を振ってきた。
尊敬されたくてやってきたものではないが、ため息をつかれる覚えも無い。
さすがに、リコの瞳から輝きが失せたときは少しだけ反省したが、何を反省すればいいのか……。
リコが残したグラスとウイスキー。そろそろ終わりにしないと、睡魔に負けそうであった。
今回のエピソードは完全なフィクションであり、主人公の思考や言動は、作者の過去の愚行とはまったく関係ありません。