めぐる春に御座候
夕食時。リコに言いつけて、ノラと姉姫の分も用意させた。もちろん五人での食事は、ノボル宅では非常に狭いものだった。
麦飯、味噌汁、白菜の漬物。そして焼き魚という献立だ。ノラと姉姫には、ナイフとフォークを使ってもらう。さすがにこの二人、箸は使えなかった。
「リコはわかるのだが、アンジェリカはどこで箸の使い方を覚えたのだ?」
「妾は城におった頃から、箸が使えたぞよ」
「アンジェリカは東方の奇妙な風習ということで、喜んで覚えてましたねぇ」
「姉上、妾を変人扱いせんでくれ」
奇妙な風習を喜んで覚えるアンジェリカ。
そこから先は、考えまいと心に誓った。自分の心が、傷つきそうな予感がしたからだ。
いつものように、ノボルは何杯もお代わりして、客人二人はささやかな食欲で。
そして、食後の茶。
「みんな、聞いてくれ」
腹を決めた。ゴンの死を伝えなければならない。いつまでも、隠せるものではない。
義姉二人は覚悟ができているようだった。リコとアンジェリカも、ノボルの気配を察したようだ。身を硬くしている。
「ゴンさんが、亡くなられた」
リコは、まばたきをしなかった。アンジェリカは瞑目する。義姉たちは、頭をさげた。
少しの間沈黙があってようやく二人の嫁は、ノラと姉姫をなぐさめるように手を握った。
「……非常に残念な結果ではあるが、気を落とされぬよう」
「ノボルさま」
リコから意見が出た。
「ノラちゃんたちを匿うというのでしたら、籍を入れてあげて下さいませ。このままでは二人は……」
「そうじゃ、主どの。姉上たちは気持ちの整理もついておらぬじゃろうが、せめて籍だけでも」
女二人、後家となって生きる術は無い。ノボルたちの世界で女というものは、まだまだ地位の低いものだった。
「俺はかまわぬ。もちろん籍だけでかまわないさ。これから先、二人にも良い男がまた、現れるやもしれん。その時まで、仮にということで」
「そんな、そこまでされては……」
「さすがに心苦しいです」
すぐに、とは言わない。それに、あくまでも仮のもの。そうしなければ、「どこの誰」という身分がついていない状態では、仕事につくこともできない。
「リコ、アンジェリカ。今宵は四人、ここで寝てくれ」
「主どのは?」
「俺は執務室で寝る」
今は悲しみに飲まれているだろう。自ら命を絶つことも考えられる。そうならぬよう、本妻二人をつけたのだ。
ノボルは執務室へ。火鉢をおこし、ウイスキーをグラスに注ぐ。
窓の外を見た。月明かりに寒々とした冬の訓練所が、ほのかに照らされている。
冬の厳しさも、そろそろ峠を越えるはずだが。
毛布にくるまり、グラスを傾けた。
「殿、居られるのですか?」
「あぁ、起こしてしまったかな?」
ヤハラが降りてきた。ランプを灯している。
グラスを出してきて、勝手に酒を注いだ。少量だけである。ヤハラもまた畳に座り、窓の外を見ている。
「ゴンさんの死を、伝えたよ」
「そうですか」
「気持ちの整理もあるだろうが、とりあえず籍を入れることを勧めておいた」
「そうですね、それが良いでしょう」
「ノラさんは酒場で働いていた。勘定ができる」
経理ができる、という意味だ。
「姉姫は旧ドルボンドの富豪と、面識があるはずだ。たぬき商会で雇ってくれるだろう」
「二人とも、キョウカさま垂涎の人材でしょうな」
雑兵隊で欲しくはないか、と訊いた。
欲しくはない、とヤハラは答えた。
「男所帯で、あの花は美しすぎます。兵たちにとって、目の毒にしかなりません」
「それもそうか」
明日は指導の兵たちを送り出し、義姉たちの職を世話して、さらには残った兵に剣術を指南。
ノボルの日常は、やはり忙しい。
そして雪は溶け、水ぬるむ春がきた。
二人の義姉はたぬき商会で職を得て、住まいも女子寮というべき場所に移った。
これでよし、ということでノボルの籍から抜く。これで二人は再出発できるはずだ。
もちろんヒノモト剣術の指南役も、次々と新領地に入ってきた。様々な流派がたぬき商会に入り込み、和服と袴で二本差しが増える。金銀赤青の髪色に和装という、ちょっと他では見られない光景が、新領地の名物になる。
さらには、武者修行。ヒノモト州から訪れる者、ワイマールから来る者。さらには西の隣国、アサルト王国からも武者修行は来た。「幻のヒノモト剣術」を拝見したい、というものだった。
そして遂に……。
アンジェリカが出産。女児であった。
「変に王室風な名をつけて、気位が高くなるといかん。……主どの、ヒノモト風な名をつけてくれぬか?」
「ヒノモトの名か」
「それでしたらノボルさま」
リコの提案は、「ツバキ」であった。
「……ツバキか」
御存知の通り、椿は花がボッタリと落ちるので、ツワモノからは「首を落とされているようで、縁起が悪い」と、忌み嫌われている。
もちろんリコは、そのような話など知らない様子。悪気はまったく無いようで、アンジェリカもまた「美しい花よのう」と、まんざらでもない様子だ。
首を落とされ、あっという間にあの世いき。なんの、そのいさぎよい散り際こそ、ツワモノの本懐ではないか。この世にどのような未練を残そうか。
微笑むように、二人の嫁を見る。未練というならば、この恋女房たちが未練さなと、笑いがこみ上げてきた。
「アンジェリカも気に入ったか?」
「不覚にも、子の名を考えていなかったのでのう。思いがけぬ良い名を授かった気分じゃ」
となれば、ノボルに異存は無い。
「ヒノモト・ツバキ。それがお前の名だ」
柔らかく吸い付くような頬に、そっと指で触れた。ぬくもりが伝わってくる。
これが命というものか。
誰も彼も、どのような悪人でも善人でも、偉人でも愚人でも凡人でも、このようにして命を授かってきたのだ。
その貴重な命というものを、これからノボルは奪おうとしている。
ボルザックである。
彼の者も生まれたばかりの時は、かくも祝福され喜ばれたのであろうに。
そのことを話すと、ヤハラはなま暖かい眼差しで、微笑んでくれた。
「なにか不服でも? ヤハラどの」
「いえ、殿は殿のままでいてください」
「気になる物言いだな」
「では、へそ曲がりヤハラの意見を述べさせていただきます」
世の中には、祝福を受けずに生まれてくる子もいる、という。生まれながらにして、不幸の星のもとにある者もいる。貧しい家に生まれ、口減らし目的で間引かれる命もある。望まぬまぐわい、果たされぬ契り、その代償に結ばれた命もある。
「ゆえに、殿のような喜び方は、ヤハラには出来ませぬ」
「はやくあの忍びに、仕込んでやりたまえ。子が出来れば、ヤハラどのにもわかる」
「私は自分の子を、そのような生まれながらの不幸には、見舞わせませんけどね」
それは遠回しに、「ヤハラはマユを愛している」と言っているのと同じだ。
しかし、もちろんそのようなことは教えてやらない。仕返しとばかり、なま暖かい眼差しでヤハラを見詰めてやる。
さらには、たぬき商会の春の様子。
現役兵士同然の護衛を、二〇〇〇も抱えたイズモ・キョウカ。運輸関係では危険な峠越え、国境越えの仕事を次々こなし、たぬき商会を急成長させていた。
旧ドルボンドはもとより、現在は西の隣国アサルト王国まで、商いの手を広げている。中でも人気の商品は、「幻のヒノモト陶器」と、「幻のヒノモト漆器」であった。長期保管をしていても、傷みや腐敗の無い商品。これが富裕層を中心に、飛ぶように売れた。
まずは旧ドルボンドで、アンジェリカの姉姫の口添えもあり、高額での取り引きが成立。そこから話題を呼んで、アサルト王国に流行が移った。
「あとは北と南の国に売り込めば、四方の国を制圧ですわね」
などと、頬を緩めている。
何しろ人件費が格安なのだ。濡れ手で粟とは、まさにこのこと。
もちろん旧ドルボンドからの売り込みばかりではない。西からは穀物と調味料を仕入れ、現在は南で魚介類の干物、北で鉱物の商いを手掛けている。もちろんこれらにも、ヒノモトの物産品を売り込む予定である。
笑いが止まらないはずなのだが、生まれながらの御令嬢は、オホホと品よく微笑むだけだった。
「まずは資金ですわ、ヒノモトさま」
キョウカは言う。
「討賊倒国も、資金無しでは成立しませんわ」
「そういうものなのですかな?」
命ひとつ、剣ひと振り。維新の断行に必要なものなど、その程度にしか考えていなかったノボルだ。キョウカの言葉は理解に苦しんだ。
「ヒノモトさま、悪人を討ち国を倒し、その後はどのようになさるおつもりですの?」
「?」
「簡単に申しますと、兵士たちには褒美を、民には平和を与えなければなりませんわ」
「平和が金で買えますかな?」
「仕事を与えますのよ。世の不満の大半は、飢えか貧困。国が倒される理由は、これと断言して良いくらいですのよ」
なるほど、ボルザックは新領地から年貢……穀物を巻き上げようとしている。その見返りであるはずの仕事は、王室から出てこないものと見られる。これはヤハラが以前言っていた。
年貢という富を、一人占めしようとしているのだ。だからヤハラは危機を訴え、たぬき商会はノボルに力を貸している。
貧困は怒りを生む。
飢えは暴力を生む。
国が争乱の波に飲み込まれ、無駄な血を流すことになる。
無駄な流血など、ノボルの望むところではない。ドラゴ中将の教えが、それを許さない。
「それにお金というものは、時に槍剣よりも力を発揮しますのよ?」
イズモ・キョウカの笑みは、ノボルにさらなるミステリーを与えてくれた。




