その4
何事もなかったように、ヤハラは仕事を続けた。しかし、あれこれ書類を書いているように見えて、ページはひとつもめくられていない。
「いかがなされた、ヤハラどの?」
「なんのことでしょうか、殿?」
ヤハラは顔を上げない。
「いや、だから。ヤハラどのの女の話でござる」
「私はいま仕事中ですので、個人的な話は控えていただきたく思います」
なるほど、ヤハラは忙しそうだ。しかし、やはり書類は動いていない。
「ヤハラどの」
「なんでしょう?」
「知っているぞ」
カマをかけただけだったが、盛大なリアクションがあった。珍しいことに、ヤハラがズッコケたのである。
「殿、なんの話でしょうか?」
ずれた眼鏡をなおすヤハラだが、微妙にまばたきが多い。動揺しているな。ノボルはそう踏んだ。
文机に並べられた、出張中に届いた文を改める。
「おぉ、カイからの報告書か。決起軍生き残りが、新領地に入るようだな」
「はい、我がブラフからの派遣指南役の選抜は、こちらに上げておきました」
選ばれた人員は、なるほど申し分が無い。
「彼らに意思確認は済ませたかね?」
「すでに抜かりなく」
「ボルザックへの恭順の姿勢を示すため、早いところ送り出したいところだな」
入道たち先発隊は、すでに昨日出発したと、ヤハラは言った。
「後発の人員も、現在支度中。明日には出発できるかと」
「なるほど、だがヤハラどの」
「はい」
「ずいぶん派手なリアクションだったな」
「この程度の芸、たやすいものです」
どうやら、ちょっとした戯れで済ませるつもりらしい。
そこへマユが入ってきた。いつも通り、ヤハラにハグ。そして、「ではヒノモト州へ行ってまいります」と言った。
「ヒノモトへ?」
問うたノボルに、ヤハラが答える。
「はい、これなる忍びには、ヒノモト剣士募集の任務をまかせようと」
しかし、いつもならばハグをして終わりなところを、マユはなかなか離れない。
「熱烈だな、ヤハラどの」
「今日はなかなか離れませんね」
ヤハラの返事が上ずっていた。
「ヤハラどの」
「なんでしょう?」
「よかったな」
「ちょっと待って下さい、殿! それは誤解です!」
「それ、とは何を指しているのだろう? 誤解とヤハラどのは言うが、俺はどんな誤解をしたのかな?」
クッとヤハラは唇を噛みしめる。
間違いない。ヤハラはマユに落とされた。
いつそんな仲になったものやら。というか今まで黙っていたとは、このムッツリすけべ。心の中で、悪態という名の祝辞を贈る。
しかしこれで、ヒノモト剣士による剣術の教伝。ノボル軍の戦力強化という問題は、どうにかなりそうだ。
そうなると、残る問題は……。
窓の外を見る。兵たちが、ノラと姉姫の荷物を、仮住まいに運んでいる。
どうやって二人に、ゴンの死を伝えるか?
これに尽きる。




