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決起の処理に御座候


 グラスを持った手に、なんの感触もなかったはずだ。ただ、こぼれた液体に濡れた感触があっただけだろう。

 将校は右手の斬られたグラスを見た。そして見る見る青ざめる。グラスを割ることなく、斬る。それがどれだけの技量を意味するか? いかに酔っていても、それくらいのことはわかっているようだった。

 ノボルの刀、河原木守下長はすでに鞘の内。第二撃のため、切れ味を蓄えている。

「……酔いは醒めましたかな、隊長どの?」

 ジリと、摺り足で半歩。将校は明らかなたじろぎを見せる。

「勤務時間中の飲酒、婦人に対し不義密通の強要、さらには統帥権の濫用。御自分が何をなさっているか、お気づきでしょう?」

「わ、悪かった。この通り……この通りあやまるから、命だけは!」

 ふんぞり返ったソファからずり落ち、土下座で地面に額をすりつける。

「命だけはと申されてもすでにかくのごとく、ここいら住民に事が知れ渡り、苦情が入ったうえに我々の出動までいたってしまった。……黙って帰る訳には、我々もいきません」

 ハッタリをかました。苦情など、どこからも入っていない。統帥権の濫用というなら、ノボルも勝手に兵を動かしている。……もっともこの場合は、「選抜した兵の行軍訓練」として片付けることができる。一般家屋を占拠したり、上がり込んで酌を強要したりしていないからだ。

 将校はひたすら平謝り。そこを曲げてとか、何とぞとか言って、ひたすら頭をさげている。

 ノボルとしても、斬った捕らえたの面倒は避けたい。目的はそこではないからだ。

 そのかわり。

「先ほどこの家の亭主が、謀叛とかなんとか言ってましたが、なんの話ですかな?」

「はい! 私も詳細はわかりませんが、大規模な暗殺事件があったとかなかったとかで、中央は大混乱。その隙にと魔が差して……いや、お許しを」

「誰から聞いた? どこから仕入れた話だ?」

「あ、あくまでうわさ話で、西組の軍内部では根拠なしに広まっておりまして。これは好機と出動の申請をしまして」

「この家に出動を? この家の亭主が謀叛に参加したと、どうして知った?」

「城を囲んだ兵隊の中に、美人と評判なドルボンドの姫をめとった男がいる、とウワサで聞きまして」

 そんな薄弱な根拠で、兵を動かしたのか? にわかには信じられない。しかし、それだけ中央が混乱しているとしたら?

 もしかしたら、ノボルは知りすぎているのかも知れない。

 先んじて放った密偵。たぬき商会との、連携の強化と情報の共有。そして軍師ヤハラの存在。

 さらに言うならば、ボルザックあるいは中央からすれば、ノボルたちはまったくのノーマーク、ということも考えられる。当たり前にかんがえれば、その通りだ。中隊ひとつが、中央に対抗できるだけの諜報戦力と情報を有していると、誰が考えるだろう。

 将校の所属と名前を訊いて、兵をまとめるよう命じた。ノボルは、行軍訓練の途中で、旧友をたずねただけだと言っておく。どこまで信じてくれるかはわからないが、ゴンの嫁二人を囲ってしまえばこっちのもの。「ノボルはゴンと同志である」とか、「雑兵隊に不穏な戦力有り」といった不信感は、ボルザックに与えなくて済む。

 だから、将校が出てゆくより先にソファへ腰をおろし、二人の肩に手をかけて酒を口にした。

「……隊長、奴らは兵を引き上げました」

 報告が入る。ノボルは素早く窓から確認した。怪しい者もいない。

「ゴンさんから文は届きましたか?」

 問うと、姉姫の方が現物を持ってきた。目を通す。間違いなく、ゴンの文字。そして、ノボルを頼れとある。

「ヒノモトさま、ゴンさまに一体なにが?」

「話はあとで。とりあえず引っ越しの準備を」

 女二人だ。着の身着のままという訳にはいかない。それに、主人との思い出の品もある。

 ノボル個人としては、「なにもそんな荷物、担いでいかなくても」と言いたかったが、二人の嫁をめとった今なら、咎めることもできない。

 女という生き物は、そういうものなのだ、と理解するしかなかった。

 あれも必要、これも持っていきたいという女の都合に付き合っていた結果、馬車は満載・家は空っぽということになった。

「……………………」

「……………………」

 ゴンの嫁二人は、申し訳なさそうな顔をしていた。

「……………………」

 ノボルもさすがに、苦い顔を隠せない。

 しかし、その苦い顔がよかったのか、兵士たちは大笑いだ。

「仕方ありませんな、隊長!」

「女のすること! 笑って許すのが、男の甲斐性ですわい!」

 ゴンにはその甲斐性がある。それはノボルも認めていた。いわゆる英雄と評してもかまわない。

 だがその甲斐性の結果が、これだ。かなり非常識な嫁になっている。「女の子」、あるいは「娘」、もしくは「乙女」という人種が、そのまま大人になっている。

 ウチの嫁二人が、おかしな影響を受けなければ良いが。思わずそんな心配をする。

 しかしそれ以前に。

 狭い我が家のどこに、これだけの荷物を収納する? ただでさえ、三人家族が四人に増え、六人になるのだぞ? 三人「川の字」に寝て、ギッシリだってのに、どうするよ?

 さすがに雰囲気を察したか、姉姫が頭をさげる。

「申し訳ありません、ヒノモトさま。居候の分際で、このような大荷物。すぐに処分を」

「いえ、ヒノモトさま。私の方こそ旧知の仲に甘えてしまって。すぐに荷物を減らします!」

 などと言われて、ハイそうですか、とは言えない。男の沽券にかかわる。

「いや、むしろ荷物が少ないくらいだ。そこに驚いたよ」

 などと見栄を張ってしまう。

 兵士たちはすでに、笑い転げていた。これはしばらく、酒の肴には困らないであろう。

 矢立をとりだし、コッソリ一筆。

 どうにかしてくれと、ヤハラに文を。

 困ったときのヤハラ頼み。

 ゴンと二人、無理を言っていたあの頃を、懐かしく思い出した。

 足の早い兵に持たせて、先に走らせる。そして、ノボルたちも出発した。

 帰路はのんびりしたものだ。もう、ボルザック派を警戒することもない。ゴンの嫁二人を御者の席に乗せ、ノボルたち兵は歩く。

「ところでヒノモトさま、主人に何があったのでしょうか?」

「ん? うん、結構話しにくいことになっている」

 とはいえ、話さない訳にはいかない。

「これは、決死の行動である」

 と断りを入れてから語りだした。

 ボルザックという悪党、侵食されてゆく国家。そして、異を唱える決起軍。その決起軍の中に、ゴンがいる。

「ヒノモトさま、それで決起軍の情勢は?」

 答えにくいことを、姉姫が訊いてきた。

「……………………」

 言葉を選んでいるところに、「逆賊にされたのですね」と、実も蓋もないことを言った。

「返答の時間くらい、与えてくだされ」

「遠慮はいりません。あのような将校が踏み込んできた時に、察するべきでした」

「ヒノモトさま、それは本当なのですか?」

「結論は出ていません」

 問いかけてきたノラに言う。

「ですからお二人とも、早まった考えはなさらないように」

 考えてもみれば、と姉姫はこぼす。

 幽閉されていた第六王子……ノボルが初陣で捕らえた王子が、すでに殺害されているのだ。その時点で、こんにち在るを予測するべきだったと、姉姫はもらした。

「それは決定的な証拠に触れなければ、早合点となってしまいます。あまり自分を責めないように」

 ノボルたちは、たぬき商会の忍びから情報を得て、ヤハラが必要と判断して密偵を放ち、調査した上でようやく不穏と判断したのだ。

 決起軍も王子たちが議論に議論を重ね、その上で取った行動だ。軽挙の働きではない。

「そういえば、ヒノモトさま。ヒノモトさまは妹姫さまも、お嫁に迎えましたよね?」

 ノラが唐突に、当たり前のことを聞いてきた。

「そうなると、ヒノモトさまとゴンさまは、義理の兄弟になりますね」

 飲みかけの茶を、吹き出した。

 なるほど、確かにそうなる。いや、いま気がついたのか、自分。

 いやいや、そうではない。お互い何の意識もなく、しかも離ればなれだったのだ。これが隣近所とか町内の間柄ならば、そのようなことも意識しただろう。そのはずだ。

 ノボルもゴンも、家というものには無頓着な部分もあった。実際、お互いに実家の様子は、あまり知らない。ヒノモト州が特殊な場所だったから、少しゴンに話したことはある。だがそれ以上のことは、ゴンも知らないはずだ。

 結論、義理の兄弟ということに気づかなくても、俺は悪くない。

「ヒノモトさま? アンジェリカをめとったのがヒノモトさまですから、ヒノモトさまはゴンさまの弟になりますよ」

「姉姫さまも、人が悪い」

 別に嫌なわけではないが、流れる汗はイヤなものだった。

 すると、姉姫はクスクスと笑った。

「その御様子ですと、ヒノモトさまは私の名前も、存じていないのでしょうね?」

 全身の毛穴が開いた。イヤな汗が吹き出してくる。

「そのようなこと、言ってはいけませんよ」

 助け船だ。ノラが姉姫をたしなめてくれた。

「ヒノモトさまは、ゴンさまの年齢も存じていないほど、心のおおらかなお方。名前のひとつやふたつで、あれこれ言うものではありません」

 助け船は、泥で出来ていた。

 というかノラさん、あんたの中で俺は、バカ中のバカ扱いだったんですか?

 うん、そうですよね。あんたリコと仲良しだったんですから。

 最近ではヒノモト撫子として力をつけたリコだが、昔はノボルに対する評価が散々だったのを思い出す。

 あの頃の不出来が、今になって祟るのか?

 ノボルは我が身を、少しだけ反省した。


 そんな反省、どうせすぐに忘れるだろうが。


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