その2
「それでは参ろうか、姉上」
「そうですね、アンジェリカ」
立ち上がろうとするアンジェリカに、リコは手を貸す。話が終わると、二人はさっさと出て行こうとした。
「おや? ずいぶんと急ぎだな」
「ノボルさまの方が、のんびりしすぎなのではありませんか?」
「まったく、主どのの旅支度があるというのに、座ってなどおれぬわ」
どうやら二人の中では、ノボルが迎えにゆくことになっているらしい。
「当然じゃろ? 身分は平民になろうとも、かつてドルボンドのイチ姫であった姉上。それを迎えにゆくのは主どの、ヒノモト・ノボルより他にあるまいて」
自分の嫁になって、たくあんを好物にしているから忘れていたが、アンジェリカは王族。高貴な生まれなのだ。そしてその姉上も。
年末に顔を合わせた時には、ごく普通のラフな出で立ちだったので、つい忘れてしまう。
「しかしアンジェリカ、俺にも仕事があるし、うちの軍師がそれを許さないだろう」
「そうでもないぞよ?」
アンジェリカはいやらしい笑みを浮かべ、指をさす。
そこには苦り切った軍師の顔があった。
「それではノボルさま、すぐに支度をしますので」
「姉上、たぬき商会で馬を借りた方が、良いのではないかえ?」
「そういえばノボルさま、馬に乗ったお姿を見たことがありませんが……」
乗れない、とノボルは答えた。
「では馬車は?」
「それも乗れぬ」
さすがの天神一流も、馬術までは教えてくれなかった。馬上剣術や馬上槍の必要を、ノボルは感じていなかった。だから今後も、術を納めるつもりは無い。
「それは問題がありますね、殿」
ヤハラが耳打ちしてくる。チラッと目に映っただけだが、とてもイヤラシい笑顔に見えた。
「帰ってきたら馬術の稽古ですね」
「いや、ヤハラどの。俺はいままで、馬を必要と思ったことはないので……」
「殿、これから先指揮する兵は、一〇〇〇名単位になります。馬で駆けながら兵を鼓舞しなければなりません。……どうぞよろしく」
寄り切られた。というか、簡単に土俵を割ってしまった。
どうもヤハラどのとは、合い口が悪い。こちらの痛いところ痛いところを突いてくる。
「なにをコソコソと、男子二人で話しておるのじゃ? カリブーの土産の話か?」
「あちらの町では、何が名産になるんでしょうね?」
「アルコール……は、無いのう。妾の記憶では軍師どの、自ら酒は嗜まなかったはず」
「逆にうちの特産品は、漬物になりますね」
「よし、姉上。たくあんを切って。主どのに持たせよう。姉姫たちも道中、口が寂しかろうて」
事態の厳しさがわかっていないのか? はたまた、知っていながらも無理に明るく振る舞っているのか? おそらく後者であろうと、ノボルは予想した。
まだ、幼い二人。それでもツワモノの妻であることを強いている。そしてそのようにあろうと、努めてくれている。
すまんと一言、胸の裡でわびる。
「では、殿が直々に迎えにゆくとして、護衛はいかがなさいましょう?」
まずは人数。一二〇人から三割が辞職し、各地にヒノモト剣術を伝える役を負う。つまり、この連中になにかあってはならない。当然のように護衛役からは外す。そうなると、のこり八四名から選抜しなければならない。
「ヤハラどの、屯所の守りは大丈夫だろうか?」
「入道さんとテライモさんたちがいます」
「よし、では中堅どころを一〇名ほどつけてくれ」
「では、たぬき商会で馬車を三台、手配しておきます」
たのんだぞと言い残し、ノボルは支度のため自宅へもどる。
果たして、合戦と相成るや?
可能な限り、戦いは避けたかった。今は潜伏すべき時。あまり目立った行動はとりたくない。
王軍相討つ、という状況も避けたかった。
もしもボルザックの兵が、すでに屋敷を囲んでいたら、どうするか? すでに二人が、身柄を拘束されていたら、どうするか?
さまざまな状況を考えて、ノボルは対策をこうじていた。




