魔の手を払って御座候
希望から絶望、そして希望。禍福はあざなえる縄のごとし。次々その表情を変えてゆく。
ということで、マユがいなくなるとすぐに、たぬき商会へ送り込む人員の選抜を開始した。
ヒノモト剣術ということになれば、ロウ入道とテライモの名が上がる。しかもこの二人、今メキメキと腕前を上げていた。簡単な「手の内」や「構え」、あるいは素振り程度ならば、臨時の指導員として申し分ない。それに、出来のよいところを何人か。
ただし、すぐに問題が生じる。
まずはロウ入道とテライモ。これまではまったく表記がなかったが、最近ではノボルに心酔している。いや、心酔し過ぎている。稽古でたっぷりと汗をかき、滝のように流れて目に入っても、それを拭おうとしない。それ以前に、まばたきすらしようとしないのだ。
何故かと問うたことがある。答えは単純。
「師が、汗を拭ってよし、と命じてないからです」
二人はノボルを師匠と呼んだ。年はほとんど変わらないというのに。そこが、心酔し過ぎのイチ。
確かにノボルも入門したての頃、汗を拭ったら師匠に叱咤されたことがある。それ以来、ノボルは稽古中簡単に汗を拭ったりしなくなった。それは現在でも続いている。
ヒノモトの道場で寝起きしていた頃は、床板に落ちた汗に足が引っ掛かるので、床板の汗ふきを命じられた。しかし、ブラフ屯所の雑兵隊道場は、足元すべてが地べた。流れる汗は落とし放題だった。
とはいえ、目に入る汗に、まばたきすらしないというのが、心酔し過ぎのニと言える。これでは指導員、あるいはたぬき商会への移籍を命じたとしても、素直に受け入れてくれるかどうか。
気を揉んでいても仕方ない。翌日の夕食後、他の数名とともに、執務室へ呼び出した。
「現在わが王国は、未曾有の危機に瀕している。そこで剣技の上達めざましい君たちに、ヒノモト・ノボルから頼みがある」
ロウ入道たちの顔が引き締まった。ただならぬものを感じてくれているようだ。
「まずこれより、王国の現状をヤハラどのに教育してもらう。君たちはその内容をしっかり頭に叩き込み、自分はどのように振る舞うか考えてもらいたい。いいな?」
はい、という返事が返ってきた。
ヤハラがかわり、指導員候補たちにボルザックの存在を語り始めた。その人となり。政治手腕と悪辣ぶり。さらには底知れぬ欲の深さを。
そして都で発生した暗殺騒動と、対テロ勢力の誕生。指揮をとるドラゴ中将、その失脚と殉死。
勢力を増したボルザック一派による、王室の独裁。新領地への圧力。
それに反抗した、ドラゴ中将派の決起と敗北。
そして昨夜のうちに知った、決起軍将校たちの逮捕。
さらには経費削減のための、ドラゴ中将派生き残りへ、口減らしを要求している現状。
「……………………」
「……………………」
候補者たちは、なかば呆然としている。自分たちが訓練と稽古で夢中になっていた時、世の中はそのようになっていたのかと。
「事実、我が雑兵第二中隊から、カイさんライゾウさんをはじめとした数名が、現在王都へ潜伏中。情報収集に当たってもらっています。そしてここからが大切なところなのですが……」
現在雑兵第二中隊は、たぬき商会の支援を受け、決起軍生き残りの収用を計画している。さらにはその生き残りたちに、ヒノモト剣術を仕込み、新たな反ボルザック勢力とすることを考えている。
「そこでみなさんには兵職を辞していただき、決起軍生き残りと接触。ヒノモト剣術の基礎を指導して回ってもらいたい、というのが殿の意向です」
旅と剣術。
わずかな収入で糊口をしのぎ、剣を振って歩く。とてもではないが、恵まれぬ待遇だ。そしてヒノモト州から指南役が到着すれば、縄張りはどんどん狭くなる。
「……師匠、指南役が商会に満ちたら……俺たち、どうする?」
無口なテライモが、口を開いた。
「向かいの商会本社に、移動してもらおうと考えている。心配ない、民間人となろうとも、我々が雑兵隊であることに変わりはない」
「師匠、勢力を拡大するってことは、いざとなった時には……」
「一人残らず決起に参加してもらうことを、俺は強く望む」
明日の知れない旅烏、遊びも女も縁がない。だから嫁を二人も持ったノボルが、頼める筋合いではない。いや、散々苦労をかけておいて、死ぬ時は一緒だなどと、かなり虫のいい話をしている。
「どうかな?」
としか聞けない。とてもではないが、命令するなど、ノボルには無理だ。
「……民間人になって……剣を教えてまわるなら」
この日のテライモは、口数が多い。
「……農民町民から有志を募るの……どうか?」
「えぇのう、テライモ。兵隊だけじゃねぇ、剣術は誰が習ってもよかろうて」
ロウ入道は乗り気だ。もちろんアイデアをだしたテライモも。
そうなると、他の五人も黙ってはいない。
「どうせなら元決起軍だけじゃなく、現役にも教えてまわろうや」
「すぐその気になるぜ、俺たち兵隊は単純だからな」
「隊長、たぬき商会の支店ってのはどこどこにあるんですか?」
みな、やる気だ。困難しか待ち受けていないというのに。
「やる気はいいことですが、みなさん都合の悪い方など、いらっしゃらないのですか?」
「なんじゃなんじゃ、軍師どのから頼んできておいて、今さら口減らしの口減らしかい」
笑いがおこった。狡猾な者が発する、湿った笑いではない。若々しく力に満ちて、明るい笑い声だった。
兵たちは、若い。そして、ノボルもまた。若者は困難に飛び込んでゆく。後先など考えず、涼しい顔で飛び込んでゆく。
あぁ、責任やら仕事やらを背負い込んで、老けていたのは俺だったのだな。と、ノボルは感じた。
「ですがみなさん、第二中隊が削減を命じられるのは、三六名と予想されます。あと三〇名近くが、指導員としてみなさんと同じように浪人となる予定ですので、やる気はまだ小出しにしておいてください」
「なんじゃ? 俺たちの他に三〇も来るんかい? こりゃ働き甲斐があるのう!」
ヤハラの制止は逆効果。むしろ火に油をそそぐ結果となった。
だが、それでいい。いや、もっと積極的に宣言しなければ、この若さと勢いに負けてしまう。
だからノボルは思った。
こうでなくてはならない。俺たちは、若いのだから。
暴走しかねない雑兵隊を制することができず、複雑な顔をしていたヤハラの肩を、慰めるように叩く。
「……殿、ドヤ顔はやめてください」
軍師はとても嫌そうな顔をした。
それから三日。
身重のアンジェリカが、わざわざ執務室に来た。文が届いたというのだ。
差出人は、ゴンとなっていた。指を折り、日数を数えてみる。
決起当日、ドクセンブルグから出した文らしい。早速封を切ってみる。
下手くそな字がのたくっていた。内容は、自分の身に何かあったら、二人の嫁をもらってやってくれ。嫁たちには、ノボさんを頼れと言ってある、というものだった。
「……ヤハラどの、カリブーの町に兵を出す。準備してくれ」
「どうされました殿、唐突に?」
「主どの、姉上の身に何かあったのか?」
ノボルは文をヤハラに渡した。そして、心配顔のアンジェリカには微笑みを。
「心配はいらない、アンジェリカ。お前の姉上たちを迎えにゆくだけだ。……それから、リコを呼んできてもらえないか? 二人に話がある」
アンジェリカの不安そうな表情は、治らない。しかしノボルの言葉に従って、部屋を出て行った。
「さて、ゴンさんの嫁たちを迎えにゆくのだが、誰を遣わすかな?」
ノラたちを迎えにゆくのはいいが、もしかしたらボルザックの兵たちが先手を打って、屋敷を取り囲んでいるかもしれない。いや、すでに身柄を確保して、尋問を受けるゴンに対して、人質にしているとも考えられる。
そうなると、出迎えは馬鹿にはつとまらない。こんな時に使えるカイやライゾウは、まだドクセンブルグである。
「状況に応じて正しい判断をくだせる、臨機応変な者……う〜〜ん……」
ヤハラは悩んだ。
ノボルはその傍らに、そっと寄り添った。
そして大樹の根のように太くなった自分の腕を、自慢気に撫でまわす。
いわゆる、「腕におぼえあり」のポーズである。そして無言のアピールを続けた。
「殿?」
「お? 俺が行っていいのか?」
「いえ、腕がかゆいのかと」
出迎えのリーダーが決まらないうちに、アンジェリカがリコを連れてきた。
二人を畳に座らせる。そしてノボルも。
「二人とも知っているだろうが、決起軍が都へのぼり、大きな騒動となった。その決起軍にはアンジェリカの姉姫とノラの亭主であり、俺の友人であるゴンさんも加わっている」
二人の嫁の顔に、不安の色が走った。しかしノボルの話に、口は挟まない。耐えるようにじっと耳をかたむけている。
「ゴンさんの手紙だ……彼の身に何かあったら、嫁二人をもらってくれ、とある。まあ、相手の意思もあるので、もらうもらわないは別として。……最低限の対応として、これから身柄を引き取りにゆく。そして事が済むまで、我が家でかくまってやりたいのだが、どうだろう?」
二人の嫁は、「お気遣い、ありがとうございます」、「かたじけない」と頭を下げた。
ゴンの身に何かあったのか? と質問されなかったのは、ノボルにとって幸いだった。




