疾風怒濤に御座候
忙しい日々は続いていますが、これから先はごくごく短い更新をしてまいります。何とぞ御容赦を。
そしてノボルは土下座していた。
たぬき商会執務室、イズモ・キョウカの前である。たぬきの娘は微笑んでいたが、こめかみには怒りの血管マークが浮き上がっている。
「……よくもまあ、そのような好き勝手をとりつけて」
「なにぶん貧しい民のためゆえ、ここでたぬき商会さまに一肌脱いでいただきたく」
「もちろんその程度の支度、当方にもございますわ。……ですが、事後承諾というのがなんとも」
「平に平に、こうしてヒノモト・ノボル。頭をさげてございますゆえ、なにとぞ……」
仕方ありませんわねと、キョウカは茶を一口。
「たまわりましたわ、ヒノモトさま。隠しものは現金に替えて差し上げましょう。もし食料としての麦米が必要になった場合は、いつでもお売りいたしましょう」
年貢の農産物を現金に替え、査察の目を逃れる。そして食料として必要になったら、イズモから麦米を買い取る。
一見イズモだけが儲ける話に見えるが、現物を残さない、手元に置かないというのは、とても重要なことだった。
現物というものは、かさ張る。一年分の農産物をことごとく隠すのは、いかに豪農といえども難しい話だ。まして小作人ともなれば、隠す場所は限られてくる。これはどうしても、必要なことだった。
「それで、ヒノモトさま。現在都の状況は、どのようになっていますの?」
「まだ確証は得られてませんが……」
と断りを入れてから、ボルザックという男の名を出した。「あの方ですか」と、キョウカには心当たりがあるようだ。
「御存知ですかな?」
「野心家ですわ」
それしか言わない。
「このボルザック、次はどのような手を打ってくると、キョウカどのは踏んでますかな?」
「ボルザックさまが何をされるかというよりも、野心家が何をされるかという見解ですが、おそらくは……」
政敵の追放ではないかと、キョウカは答えた。
「それはつまり、ドラゴ中将を追い落とす、と?」
「基本的にそうなりますわね。簡単にはいかないでしょうが」
「当然です。中将が追われる場面など、想像もつきませぬ」
「……………………」
「いかがなされた、キョウカどの?」
「……いえ、ヒノモトさまが太鼓判を押すと、逆にそこはかとない不安が」
「拙者、馬鹿扱いですかな?」
「不服がございまして?」
「……ぬう」
反論できるものならば、してやりたい。しかしこの娘、知恵の働きはヤハラ並み。あるいはそれ以上。反論などすれば、たちまち返り討ちに逢うだろう。
「まあ、ヒノモトさまにしては今回の一件、非常に手回しがよろしかったと思いますわ」
年貢隠しの件を指している。
「ですが、あまりわたくしと直に接触はしない方がよろしいかと」
「つまりキョウカどのはキョウカどので、なにか目論見があると?」
「女には、常に謎がございましてよ?」
ホホホと口元を隠して、キョウカは笑った。
隊に帰ってきたら帰ってきたで、ノボルはまた忙しい。まずは通常の兵士の訓練。さらには天神一流の稽古をつけ、自分の稽古もする。
さらにはヒノモト剣士の招き入れを調整し、近隣領地へ調整の文をしたためる。
近隣領地へ調整の文。
実はこれをノボルは重視していた。ノボルが仕切るブラフの町だけが凶作であってはおかしい。西側の仲間と連絡を取り合い、大規模な年貢隠しをたくらんでいるのだ。もちろんこれはノボルの知恵ではない。ヤハラの発案だ。
これでボルザックに一泡吹かせてやれますぞと、ヤハラは嬉しそうだった。
さらにはプライベート。
ノボルは若い。そして二人の嫁はとても可愛らしく、ノボルの要求に一生懸命応えてくれる。
「ノボルさま、アタシ……私とアンジェリカ、どちらが先に子供を身ごもるでしょうね?」
「さあ、どちらだろうな……」
寝屋の語り。ノボルの腕枕で、リコがささやく。アンジェリカはすでに夢の中。満足しきって眠りに落ちていた。アンジェリカは初々しい反応だった。それだからノボルも、ついつい愛する手を厳しくしてしまう。
ただこの結果が、ノボル一人の手柄という訳ではない。ノボルがアンジェリカを可愛がるのを、リコも手伝ってくれたから、この結果がある。
リコの嫉妬、というのとは違うようだ。リコは純粋に、アンジェリカを可愛がりたい、という気持ちが働くようだ。まるで血を分けぬ妹を可愛がるように。
アンジェリカも、リコの愛情を拒むことはしなかった。それどころか、先にノボルがリコへ愛情を注いでいると、アンジェリカは姉を慕うように彼女へ恩を返す。
妻二人の仲は、極めて良好だ。どちらがノボルを独占しようなどということはなく、まさに二人で一人といった雰囲気がある。
その片割れとも言えるリコが、子供の話をした。「もしもアンジェリカが先に子供を授かったら、私はきちんとその子に愛情を注げるでしょうか?」と、どこか不安げだ。
「アンジェリカならリコに、子育ての手助けを求めるだろう。リコも子供を授かったら、アンジェリカに助けを求めるだろ?」
「はい」
「リコがその気持ちを忘れなければ、アンジェリカも応えてくれるさ」
「子供が可愛すぎて、奪い合いになるかもしれませんね」
「俺をほったらかしてか?」
リコはクスクスと笑う。
そして、「そのときはノボルさま、我慢して下さいね?」と、腕を首に回してきた。
……もしもリコが先に子供を宿したら、と口にする。
「その時は、しばらくアンジェリカだけを愛するしかなくなるか……」
「ノボルさま、子供が落ち着いたら大丈夫、と申しますよ?」
ノボルも応えるように、リコを抱きしめる。
「こんなに可愛らしい嫁なのだ、子供が落ち着くまで待てはしないだろうな」
妻二人との仲が睦まじい。そして、妻二人も仲睦まじい。
これがしあわせ、というものなのだろう。
この世界はいま、暗雲が空を覆っている。しかし子をつくり育む、という未来がノボルにはある。これをしあわせと呼ばずして、何をしあわせと呼ぶものか。
だからノボルは闘う。己のしあわせと感ずるところを、守るために闘う。己のみではない。日々暮らしを営み、ささやかなしあわせを守る、すべての者のために。
そのためにも、あのボルザックとかいう輩。早々になんとかしなくては。
ノボルには何の知恵も無いが……。
ドクセンブルグの都では、相変わらず中将とボルザックの引き抜き合戦が続いている。大臣、副官、職員と役職を問わず、数こそ力とばかり陣営に取り込んでいた。
もちろん中将陣営は旗色が悪い。しかし賢臣良臣と呼ばれるような、デキル者たちを確実にモノにしている。
ボルザック陣営は暗臣愚臣ろくでなしが多い。莫大な借金を抱えて、ボルザックに泣きついた者もいる。カイたちには活動を自粛させているのだが、それでも噂話レベルの情報は、耳に入ってくるらしい。文は次々と届いてきた。
都はいま、まさに真っ二つ。中将派かボルザック派か? どちらでもない者の方が、少ないくらいだ。
夏になると、さすがにゴンたち地方の者にも、情報が入ってきたらしい。新領地を支配する第二王子直々の文が、ノボルのもとにも届いた。
王子のトーンは、低く静かだ。しかし野心家ボルザックの所業に、心穏やかならぬところは隠せない。文面の至るところに、義憤が噴き出している。
戦地を経験した若い領主たちの間に、自然と親ドラゴ派ともいうべき派閥が立ち上がった。もちろん第二王子を筆頭に、第三第四王子が中核である。ノボルもその閥に組み込まれていた。
たぬき商会の本部社屋と巨大倉庫が建ったのは、もう夏の終わりの頃。年貢隠しの穀物を預ける場所ができて、ノボルもひと安心だ。
しかし町の統治者として、落成式で祝辞を読まされることになり、いやらしい汗をかきながら原稿を棒読みする羽目になる。
そんな折り、カイ経由でライゾウから吉報がもたらされた。
人員確保のために蓄えていたボルザックの軍資金が、どうやら底をついてきたらしい。引き抜き合戦に、しばしの休息が与えられた。
これを耳にしたヤハラは、小躍りせんばかりに喜んだ。
「殿、秋には慌てふためくボルザックの滑稽な姿が楽しめますよ」
「いや、対応するの俺。というか、不作凶作と年貢未払いを怒られてる最中だから。そんな余裕ないってば」
そして期待の秋に突入。周辺領地と息を合わせて、都に大凶作を訴えた。
ボルザックの反応を待っていると、意外なところから嬉しい知らせが届いた。
「……主どの」
執務室。まだノボルは勤務中。コホンと咳払いして、威厳を保つ。
「どうした、アンジェリカ。……リコまで一緒になって。仕事中は、ここに来てはいかんと言っただろ?」
「……報告の義務があるのじゃ」
「なんだ、改まって?」
アンジェリカは、そっと耳打ち。
「……赤ちゃんが、できたのじゃ」




