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開く未来に御座候


 早朝。……というよりも未明。冬の日の出は遅い。ノボルは定時に目を覚ます。右にアンジェリカ、左にリコが眠っている。嫁をとったのだ、という実感が湧く。二人の掛け布団を直してやり、ノボルは床を抜け出した。稽古着に着替え、大小を腰に落として小屋を出る。

 冷え込みがきびしい。納屋庁舎の番兵をねぎらい、訓練所に入った。ランプを灯し明かりをとる。

 ノボルは正座。一人稽古を始めた。

 まずは斬ろうという気持ちを消す。剣士特有の殺気を消す。人としての気配を消す。

 そしてゆっくりと、刀に手をかけ前触れなく抜いてゆく。抜きつけの速さを競うのではない。天神一流奥の技において、そのようなものは児戯にも劣る。速度など、齢を重ねれば一番最初に衰えるもの。流派がノボルを導くのは、気づかれぬ太刀。知られぬ一刀なのだ。


 抜き打ちで、仮想敵の脳天を拝み打ちにした。刀を納め、次は横薙ぎ。額を横一文字。同じ斬りを、右に向き直って。左に向き直って、あるいは後ろの敵に。どの技も初動……技の起こりを消した、そして淀みと途切れのない動きを心掛ける。

 壁にむかって座り、常識的には刀を抜けない状態を作る。立ち上がりながら抜いて、袈裟斬り。立った状態で、さらに抜けない状況の中、抜いて背後を斬る。

 さらに素振り。訓練所を往復、分解した組太刀の手を交えて素振り。目一杯汗を流す。


 まだ外は暗いが、訓練所の外に気配がした。

 声をかける。


「リコか?」

「はい、ノボルさま。朝食の支度ができましたので」

「うむ、今ゆく。先に行っておれ」


 はい、という声と、パタパタと去ってゆく草履の音。

 ノボルは井戸に回った。稽古着を脱いで、ふんどし一本。頭から水をかぶる。手拭いで身体を拭いて髪を結い直し、畳んだ稽古着を小脇に小屋へ入る。

 換えの和服と帯が、すでに出ている。ノボルは袖を通して、朝食の畳に座った。

 たぬき商会の仕事か、ブラフの町でも麦米、味噌、醤油が手に入るようになった。今朝の麦飯には焙った小魚と大根の漬物、豆腐の味噌汁がついた。特にノボルは麦飯を、五杯も六杯も食べる。

 今日も好調な食欲だった。


「この米や麦もそうなのじゃが、最近はヒノモトの品が安価で手に入るようになったのう」


 金髪碧眼が茶碗と箸でタクアンをかじるという、かなりシュールな真似をしながら、アンジェリカは呟く。


「うむ、イズモ商会の孫娘だかなんだかのたぬき商会が、ヒノモトの品に力を入れているらしい」

「この『オゼン・テーブル』も、ヒノモトの道具なんだよ、アンジェリカ」

「ほう、この個人用テーブルもか? なかなか味わいのある道具じゃのう。特にこの黒塗りを引き立てる艶、光沢。じつに良い仕事がされておる」


 アンジェリカは漆工芸が好みのようだ。


「アタシはこっちのお皿かな? 魚や野菜の焼き物が、緑色のお皿にすごく映えるの」


 リコは陶器を気に入っている。織部とかいう焼き物らしい。


「たぬき商会のことだから、そのうちヒノモトの酒も扱うようになるだろう。そうしたら旬の肴で、試してみるか?」


 嫁二人は顔を見合せ、声を揃えた。


「飲み過ぎは、お身体に障りますよ」


 しかし、とノボルは思った。稽古着や道具一色を揃えて、天神一流の稽古はできるようになった。しかしその威力を発揮するには、やはり雑兵隊に和装を施さなければならない。

 裏切り者のトキカゲがそうだったが、ヒノモトの刀は和服を着こなし、ヒノモトの立ち居振舞いができてこそ、真の力を発揮するのだ。


「一度、みなに薦めてみるかな?」

「何をですか?」


 リコが聞いてきた。


「うむ、雑兵隊に和装を、な。ヒノモトの武術は、和装でこそ威力を見せつける」


 するとリコは笑った。


「男の人は、お仕事のことばかりですね。特にノボルさまのお仕事は、戦うこと。戦さで泣くのは、女なんですよ?」

「なんじゃリコ、妾の胸が痛いのう」

「アンジェリカが胸を痛めることはありませんよ。貴女はやむにやまれず、剣をとったんだから。いつもいつも、剣のことしか頭にない旦那さまとは、訳が違うんだから」

「つまり、すべてはこの俺が悪いと?」

「他に誰か悪い人がいますか?」

「さすがの妾も、今回は味方してやれんぞ、主どの」


 嫁をもらうなら、二人同時にもらうものではない。ノボルは世の男性に訴えたかった。嫁を二人同時……それも似たような年頃だと、結託して亭主を叩きにくるからだ。


「俺が悪いというのはさておいて」

「さておかないで欲しいかな、アタシとしては」

「遠からぬうちにブラフの土地を、たぬき商会で買収にくる。商会の本部を移設するそうだ」

「ほほう」


 さすが王室の出だけあって、イズモの息がかかったたぬき商会の進出が何をもたらすか、アンジェリカにはわかっているようだった。


「しかもそれだけではない。商いが波に乗れば、ドクセンブルグやコズミクのように、にぎやかな商店街や商業施設を設立するそうだ」


 ふむ、とアンジェリカは箸を止める。どうかしたかとノボルが問えば、アンジェリカは味噌汁椀を膳に置いた。


「……この田舎町が豊かになる。それは良いことなのじゃが、それは民のしあわせと呼べるのじゃろうか? なれぬ商業社会に無理矢理押し込まれ、数字ばかり追いかけて気苦労を背負わされる。……それが本当に、民の幸福へとつながるのじゃろうか?」


 なるほど、言わんとすることはわかる。

 だがしかしアンジェリカ、とノボルは説く。王族ならいざ知らず、庶民の子というのは一歳の誕生日をむかえるまでに、大半が命を落としてしまうのだ。医者にかかったり薬を飲める者など、ごくわずか。弱い子から死んでゆく。

 乳幼児の生存率を高めるには、親が栄養のあるものを食べ、よい乳を出すことだと思う。富み栄えること、商業社会に組み込まれるのも、一概に悪いことばかりではない。ノボルはそのように訴えた。


「そのためにも、安くて旨くて栄養のあるものを、腹一杯食べないとな」

「……ノボルさまが言うと、変な説得力がありますね」


 おかわりをするノボルを見て、リコが呆れたように言う。しかし呆れられる筋合いは無い。ノボルはまだ、おかわり四杯目なのだ。リコもアンジェリカも、おかわりはしない。故に、おひつはノボルがそばに引き寄せていた。


「そういえばリコ、親父さんはどうしたのだ?」

「父ちゃ……父でしたら、俺は新しい恋に生きるんだなどと突然言い出し、若い女と電撃婚を果たしましたよ」

「えらい精力的な店主だな」

「半分は私のせいですけどね」

「?」


 リコが言うには、ノボルが領主になり部屋を引き払ってから、リコはブラフに押し掛ける計画を立てていた。それを知った父は、「お前が嫁に行っても、俺は大丈夫」というところを、アピールしたかったようだ。


「実際、ブラフまでの旅費をどうしようか、悩んではいたんですけどね」

「そこに降って湧いた、たぬき商会からの、ブラフ商隊の話か」

「丁度よくイズモさまからお声がかかって。見ず知らずなのに、ブラフまで行くから一緒にどうだ? って……いやぁ、アタシってばツイてるなぁ」


 騙し同然にリコを商隊へ組み込んだ、イズモ・キョウカが悪いのか。ホイホイと一緒に旅をしてくるリコが悪いのか。とにかくリコは、自分の力で自分の世界を切り開いてしまった。


 女とは縁が無い。そう思っていたノボルが、嫁をもらう。たぬき商会が田舎町に出入りする。そして町が栄えてゆく。

 絶対不変などというものは、この世に存在しない。何事も何物も変わりゆく。人の手、人の力で変わってゆく。

 アンジェリカもそうだ、と言えるかもしれない。敗戦を受け入れることで、庶民への道を切り開いた。いや、ドルボンドの未来を切り開いたのだ。そして近隣の王族へ嫁いだりという道から、ノボルに嫁入りという未知の世界へ乗り出した。


「そうだ、世は移り変わるのだ」

『?』


 二人の嫁は、顔を見合わせた。


「二人とも、俺が自分の流派の技を他人に見せていないのは、知っているな?」

「ふむ、流派の秘伝というやつじゃな?」

「でもどうしても、人目につかない場所で稽古したいから、ウチの宿屋に下宿したのですよね?」

「いま現在は雑兵隊に手解きしているが、ゆくゆくは隊の外……領民たちにも教えて回ろうか、と思う」

「できるの? 農家の人でも、剣術を?」


 リコの驚きは、職業差別ではない。この時代この世界で武術というものは、「特別な人が習うもの」なのだ。

 特別な人の例をあげるなら、一に軍人兵隊、二に貴族的な上流階級の者。三にノボルやゴンのような、剣で身を立てようと志す者。……四をあげるなら、ロウ入道や侠客あがりのカイたちのように、体力が余っている者。別名、三度の飯よりケンカ好きという連中だ。

 ということで、武術というものは、一般人のすることではないのだ。当たり前だろう。誰が好き好んで月謝を払い、わざわざ痛い目つらい目に逢いたいものか。将来これで食ってゆく、という目標が無い限り、武術などやるものでは無いのだ。

 それを踏まえた上で、アンジェリカは「ふむ」と唸る。


「いずれはこのブラフから、徴兵せねばならなくなる。いつまでも雑兵隊がワイマールの進駐軍、という訳にもいかぬという訳か。……ひとつやってみる価値は、あるやも知れぬのう」


 ひとつの国が滅び、ひとつの文化や慣習が消え去る。そのことは好ましいことではない。しかし人は、新しいものを受け入れることによって、前へ進んでゆくのだ。

 アンジェリカを育んだ文化が消滅することになるのだが、この嫁はそのことをまるで厭わない。


「ですがノボルさま、天神一流という剣術は……アレですよね?」


 ヒノモト・ノボルという男をよく知り、その思考や生きざまに散々苦汁を飲まされたリコは、あまり乗り気ではないようだ。

 もしかしたら頭の中で、そこいら中ほっつき歩いているヒノモト・ノボルのコピーに、うんざりしたのかもしれない。

 リコ、その未来予想図はどうよ? とノボルも思ったが、あながちハズレた予想でもないので、ノボルも暑苦しさを感じてしまった。


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