年末スペシャル:完結編
後編
ヒノモトの道具というのは、すべからく安い。
炭をおこして使う、燗酒をつけるための携帯コンロ。タタミと呼ばれるストロー・マット。ゼンという名の小さなテーブル。
ノボルとゴン、娘二人分を揃えた上で、料理の材料とヒノモト酒を購入しても、子供の小遣い銭でまかなえた。
雑兵隊が増員し、ノボルとゴンが中隊長に昇進したお祝いと銘打って、リコの部屋に招いた。ベッドや箪笥を片付けて、タタミを二枚と二枚。殿方用と、リコたちホステス用に分ける。
「おぉ、面白い趣向だな」
「これがノボさんの言う、おもてなしっちゅうやつかい」
男二人が帰ってきた。浴衣姿の娘二人は、タタミに正座したまま、いらっしゃいませと指をついた。剣を外して右手に持ちかえ、二人は部屋に入る。ノボルは袴を捌き、タタミの上に正座する。ゴンも真似をして正座。
「脚が痛くなったら、崩して座ってもかまわない」
ノボルはゴンに笑いかけていた。
携帯コンロの炭火はすでにおこっており、燗もほどよい頃合いであった。リコは徳利をひとつ摘まんでノボルの元へ。
「ノボルさま、どうぞおひとつ……」
「うむ」
浴衣姿をほめてはくれないが、それはいつものこと。剣士の妻を目指す者としては、その程度で不満をもらしてはならないのだ。
しかし、効果はテキメン! ノボルの視線が、熱い視線が注がれている。さすが浴衣。ヤルじゃない、ヒノモトの服。今日のアタシに惚れなおしてもいいのよ、お兄ちゃん!
徳利を運ぶときに、ちょっと突っかかったりしたけれど、そこはリコさんガッツで乗りきった。自分でも怖いくらいにキマッている。今夜はもらったと、心の中で勝利宣言をした。
が。五分後……。
「な……なんでこうなるの……?」
リコもノラも浴衣が着崩れ、もはや修復不可能になっていた。
「申し訳ございません、ゴンさま。はしたない所をお見せして……」
「いや、俺にとっては眼福だったんじゃが……なんでこうなったんじゃ、ノボさん?」
「まずはゴンさん、二人の着崩れを直してやろう」
「お、おう」
襟を直し合わせを整え、帯の位置をあらため。ゴンは見よう見まねで、ぎこちなかったが、それでも……。
「……わぁ」
「あっという間に直ってしまいましたねぇ……」
「なんと、簡単に衣服が整ったのぉ。どういう訳じゃい?」
簡単な理由だ。浴衣は洋服よりもパーツが少ない。ただそれだけのことだった。
「じゃあお兄ちゃん、なんでこんなに簡単に、着崩れしちゃうの?」
「それもまた、簡単なことさ」
失礼すると断りを入れて、ノボルは袴を解いた。自室でくつろぐ時、ノボルはくるぶしまである和服を着るが、袴を着ける時は膝丈のものを着用する。ノボルの袴は馬乗り袴といって、股間の分かれが深いのだ。常丈の和服では履くことができない。
それはそれとして。
「まず、歩き方が違う。ワイマールの民は、股関節を前後に大きく使って歩くが……」
ノボルが実演する。リコには普通の歩き方だ。
「……ヒノモトの民は、これだけしか膝を出さない」
送り出す膝は、身体を支える膝を追い越した程度にしか出さない。
「でもお兄ちゃん、それじゃ走れないんじゃない?」
「走るための服だと思ったのか?」
「おぉう!」
ノボルの説明では常丈の和服で走る時、裾を腰帯に引っかけて、脛をまる出しにして走るらしい。……とてもみっともない姿だそうだ。
「おまけにワイマール人は、足を出したとき骨盤が動き、さらには腕を振るので着崩れしやすい」
着物の裾を脚で引っ張って、骨盤の回転で帯をずらし、腕を振ることで上半身に隙間をつくる。これが着崩れの仕組みらしい。
「和服はパーツが少ないと言ったが、身体のあちこちが反対に動いていると、引っ張りと緩みが生じやすいのさ」
「じゃあ、しずしずと乙女らしく、お上品に歩けばいいのね!」
それならば、なんとかなるわ! ファイトよアタシ、目指せ純情撫子!
と盛り上がるリコだが、ノボルに軽く折られてしまう。「それだけじゃないぞ」と。
「え〜〜っ、まだあるのぉ?」
「文句を言わない。リコ、ここで座ってみなさい」
壁際、柱のそばだ。
リコは正座した。立ってみろと言われて、そのまま立つ。少し着崩れした。すぐに襟元を直した。
「こっちに来て、見ているといい」
今度はノボルの実演。
柱を物差しにして、どれだけ身体がズレるか、よく見ておくように、とのこと。
まずはリコの立つ、座る姿。一度前に頭を動かし、立ち上がった場所は、柱から前にズレている。座るときも頭が前に動いて、座った位置は柱から後ろにズレている。
では、ヒノモトの立ち居る振る舞いは? ノボルは着崩れを直した。
頭がほとんど動かない。柱のとおり垂直に立ち上がる。座るのも同様。垂直に座る。着崩れは起きていない。
リコたちに向かって座り直し、今度は正面から。当然という顔で、左右へのぐらつきひとつ見せず、立ち座る。
「なんで? なんで? なんで?」
「分解して説明しよう」
1 まずは尻を浮かせて爪先を立てる。この時は少し頭が動く
2 片足を着く。ワイマール式はこの時、身体を安定させるため大きく一歩踏み出すが、ヒノモトが足を着くのは反対足のくるぶしの位置。この位置で頑張って、身体を押し上げるのだ
「なるほど、これでアタシも和服美人って訳ね」
「ただし」
不安定な姿勢で踏ん張りが効かない。二度も三度も、リコは転倒した。
「ということになるので、みなさんも練習には気をつけてくださいね」と、ヒノモト人になりたい訳ではないノラが、最後を締めてくれた。
「それではリコ、次は膝行という歩き方があってだな……」
「歩いてないっ! これ歩いてるって言わないよっ、お兄ちゃんっ!」
ワイマールという文化の中に生息する、ヒノモトという文化。リコの目にそれは、奇っ怪な風習としか映らず、二つの文化の間には未だ深くて暗い溝がある。
果たして自分は、ヒノモト・ノボルの妻にふさわしいのか? いやいや、自分はまだ一〇歳。今から自分をみがけば、なんとでもなる!
そう信じるしかなかった。
ドルボンド国を陥落させるため、出発することになる。
ノボルに、突然告げられた。行かないでと、言いたかった。一緒にいられる仕事に変えたらと、駄々をこねたかった。胸にすがりついて、困らせてやりたかった。
だが、身体は勝手に動いてしまう。
「着替えはどれだけ持っていくの?」
「下着は替えがあった方がいいでしょ?」
「お風呂や顔を洗ったりって、できるのかな?」
望んでもいないのに、旅支度を整えてやる。
「もしかしたら、エドガーという商人から刀が届くかもしれない。研ぎに出したのだ、受け取っておいてくれ。代金は払ってある」
そして、振り向きもせずに行ってしまった。
では、行ってまいる。
たったそれだけを、言い残して。
ドルボンド出征の日から、リコは和服で店に出た。
必ず帰ってくる。
その日まで少しでも、この服になれるようにと。
いつか話してくれた、柿色のタスキをかけて、今日もリコは店に出る。




