これぞ侠客に御座候
「さてと、ずいぶん人をナメてくれたじゃないか」
支配人にささやく。アゴをしゃくって、チンピラたちに離れるようにうながした。
「わ、悪かった。許してくれ、そんなつもりはなかったんだ」
「じゃあどんなつもりだったんだ?」
本気で震えているようだった。ノボルとしては、「こんな真似して、ただで済むと思うなよ」という台詞を期待していたのだが。
つまりこれは、いま現在この場にいる人数が、支配人の手下となる。援軍が無い証拠だ。ここをつぶせばヤクザ者特有の、執拗な追撃は無いと思って良いだろう。
「た、助けてくれ……命ばかりは……」
「お前の心がけ次第だ」
「な、何が欲しい。金か? いくらだ?」
切っ先で浅く突く。宝石のような血玉が浮かんだ。そして支配人は、白目を向いた。失神したのだ。用心棒との間の盾はなくなったが、この場はノボルが仕切っている。
「俺としては、はした金など興味は無い。それよりもお前たちのような外道が、さっさといなくなってくれた方が清々する。そこで相談なのだが……この賭場は閉めないか?」
兄貴分をふくめた、残っている者たちに訊く。
すでに刀は両手で執り、下段にかまえていた。
「もちろんこのグループも解散だ」
「そんなことしたら、俺たち明日からどうやって食っていけばいいんだよ!」
「堅気になれ。侠客になりたいなら、真面目に任侠道を修行するんだな」
「無理に決まってるじゃん! 俺たちハンパ者だから、このグループにいたんだし……」
ノボルは刀をひらめかせた。最後に口を効いた奴の、ベルトを斬るボタンを斬る。シャツ一枚だけを斬り落とした。
「……これまでのハンパなお前は、今この場で俺が斬り殺した。これからはまったく新しいお前だ。……一度落とした命だ。死ぬ気になって、修行できるよな?」
ベルトを斬られた男は、尻餅をついた。他のチンピラたちとともに、我先にと出口へ向かう。
そうなると、残るはただ一人。
「斬られたいか?」
用心棒を見た。
用心棒は必死で頭を振る。
「実力の差が、わかったな?」
今度はコクコクとうなずく。海千山千なのだろうが、だからこそ身の危険を感じているのだ。もう、あの殺気は無い。
「ならば去れ。二度と俺の前に姿を現すな」
守るべき支配人を残して、用心棒まで逃げ出した。残されたのは、ノボルと気を失った支配人だけである。
麻雀卓の上に、支配人を転がす。物置からロープを探しだして、仰向けのまま手足を四本の脚に縛りつけた。大の字状態だ。
支配人を乗せた麻雀卓を、表まで引きずる。外に出ると、すでに野次馬で人垣ができていた。
歓声があがる。支配人は、よほど近隣の人々に嫌われていたのだろう。
だが、それはわかる気がする。ノボルもこの手の人間は嫌いなのだ。だからこその襲撃だったのだ。
「……剣士どの……ガッポの一味を、やっつけられたんですか?」
野次馬の一人が見上げてきた。
「こいつはガッポというのか」
考えてみれば、名前さえ知らなかった。
そのガッポが目を覚ました。手足を縛られていることに気づく。焦りと恐怖が顔に出ていた。
棒っ切れで撲ろうとする人々を、まあ待て待てと制する。
「こいつはそんなに悪い奴なのか?」
「へい、ここいらを仕切っているドン親分の目を盗んじゃあ、アコギな賭場を開いて。客を丸裸にして借金抱えさせて、担保は店や家、中には娘や女房を連れてかれた奴もいるんでさぁ」
「こいつ、俺を抱え込もうとしていたが」
「そいつぁアレですね。剣士どのをドン親分にけしかけて、ここいらの権利を自分のものにしたかったんでしょう」
そんなクズを相手にしていたのか。と、恥じ入りたい気分になる。
「剣士どの! この野郎、ヤッちまっていいですかい!」
「こいつのせいで、俺の娘は……俺の娘はっ!」
やはり、待てと制した。
「そいつの処分は、俺が許可するところではない。そのままドン親分のところに引き出すといいだろう」
と言って刀を一閃。衣服だけを断ち斬った。それだけでガッポは、またも気を失う。
野次馬たちは喜んで卓を担ぎ上げた。その姿に、村の神輿を思い出す。
しかし。
神輿は、神さまの乗り物だったな、とノボルは思い出した。そして、あんなみっともない物を乗せた卓を、神輿に例えるのはバチ当たりだとも思った。
ゲスのチンピラは片付いた。証文も戻ってきている。ノボルにとってこの元賭場は、もう用がない。
宿の小娘を思い出した。震えていた店主の姿もだ。証文を見ると、店主は飯屋のベンとある。早くこの証文を届けてやりたくなった。
表通り、記憶も新しいあの飯屋へ。足をすすめていると、店の前で小娘がこちらを眺めていた。
ノボルを見つけたのか、笑顔が咲く。駆けてきた。
「お兄ちゃん!」
小娘は胸に飛び込んできた。ぎゅっと抱き締められる。
証文を渡してやろうと思ったが、小娘が泣き出してしまった。抱き締められたままだし。これでは懐の証文も出しようがない。
ノボルはあきらめて、娘が泣き止むのを待つことにする。早く泣き止むように、頭を撫でてやった。
「心配したんだから、バカ!」
あんな連中に不覚はとらない。……などと言える雰囲気ではなかった。
「なんでこんな無茶するの!」
あいつらが嫌いだったからとか、困ってたのはお前だろう、などとは口が裂けても言えない。
そのかわり。
「オヤジに申しつけておいた、肉の仕込みはできているか?」
言ったとたんに平手打ち。おまけに小さな拳で腹を叩いてくる。
叱られたりぶたれたり。俺はこの娘に、嫌われているのだろうか? それではあのガッポだかジッポだかと、同じレベルではないか。
高揚した気分もどこへやら。心がしなびてしまう。
「あ、ゴメンお兄ちゃん。……痛かった?」
「うん、まあ……心が、ね」
「心が?」
「いや、なんでもない」
それより証文だ。懐から出す。
「ほら、これがお前の望んでいたものだろう」
「?」
「これでお前たちは、もう自由の身だ」
「これが欲しかったのは父さんで、アタシじゃないよ?」
言われてみれば、そうかもしれない。では、ノボルが叩かれたり責められたりした理由は?
「それよりご飯だったよね! 父さん、お兄ちゃんを信じてお肉仕込んでたんだから!」
いやだからその話は、さっき俺が……。
なんだか泣きたくなってきた。
明日は剣士の試験だというのに、こんなことでいいのだろうか?
「さ、帰ろ!」
しまいには子供に手を引かれる始末。ノボルは相性の悪さを感じていた。
さまざまな髪の色が行き交う往来。洋服姿の中に和服がひとり。女のように長く黒い髪を、無造作にたばねた男が、娘に手を引かれている。
端から見たら、さぞ滑稽な姿であろう。
ノボルは小さくなって歩いた。
しかし、背後の気配に足を止めた。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「先に店に入ってなさい」
言ったのに、娘は袖を離さない。
見たのだな? 背後の気配の主を。娘が振り向いてしまったのが、ノボルにはわかった。
気配が濃い。からみつく……いや、まとわりつくような気配だ。
「……なにか、御用かな?」
振り返らずに訊いた。
「ガッポの野郎をヤッたというヒノモトの方は、そちらさんで間違いございませんか?」
低いが、こちらの腹に響く声だ。
この手の声の持ち主は、度胸が座っている。ノボルの判断だ。
それも、人を何人か殺ってるな?
そこまでわかる。
「いかにも」
ノボルは振り向いた。
そこには洋服、スーツ姿の男が頭を下げていた。髪油を使っているのか、金髪をすべて後ろに撫でつけている。そして印象的なのは、一重まぶたの冷たい眼差しだ。
「そちらは、どちらさまかな?」
ノボルが訊くと、ドン親分のところの者だと言った。名はビルというらしい。
「この度は、わたくし共が手を焼いておりましたガッポの野郎をシメていただき、まことにありがとうございました」
「ことの成り行きです。私は今夜の宿を確保したかっただけで、争うつもりなど毛頭なかった」
シレッと嘘を言う。
「病床の親分に代わりお礼申し上げます」
「それは御丁寧に、どうも」
ノボルも頭を下げる。
「しかしヒノモトの方、失礼ながら武勇伝のわりに、ずいぶんとお若いようで」
「若輩がはやっただけです。お恥ずかしい」
「しかしながら、親分からの言付けで、少々お耳に痛いことなども」
察しておりますと言うと、ビルは気を抜かれた顔をした。
「おそらく親分さんは、堅気がヤクザを相手にしちゃならねぇ、とおっしゃったんですよね?」
「……御明察。御理解いただけますか?」
「そちらさまの物腰で、親分さんの人となりが、手に取るようにわかります」
「お気遣い、ありがとうございます」
これでビルは、ノボルに対して苦言を呈さずに済んだのだ。
あれだけのことをして無傷で帰ってきた男に、苦言を呈さずに……。
場合によっては、一刀のもとに斬り伏せられるやも知れぬ相手に、苦言を呈さずに済んだのだ。……。
「そちらさまも、命懸けだったものと察します」
「だから親分は、あっしを選んだと自負しておりやす」
ビルならば、万にひとつも間違いは無い。そこまで親分から信頼されているのは、ノボルも少しうらやましい。
「差し出がましいかもしれませんが、親分から……困ったことがあれば、なんでも相談するようにと、たまわっております」
「でしたら、堅気のみなさんが楽しく遊べるよう、娯楽の場に目を注いでいただきたいと」
かしこまりました、とビル。
「早急に手配させていただきます」
そう言って、侠客は人混みに消えた。