イズモ・キョウカに御座候
業務多忙につき、明日から三日間の更新が乱れる可能性がございます。一服つけながら気長にお待ちください。
ほい、そうですかというノボルの返事が気に入らなかったのか、ヤハラはこめかみに怒りの血管を浮かせていた。それが笑顔のまま浮かせていたので、相変わらず器用な男だと感心する。
「ヒノモト隊長、ことの重大さがまったくわかっておりませんね?」
「重大なことなのですかな?」
「やはりその程度の認識でしたか」
ヤハラは肩を落とす。その程度の認識もへったくれも、ノボルにとってはへなへな髪の娘など、別に興味はなかった。
「よろしいですか、ヒノモト隊長。まず、あなたが会った娘というのは、イズモ商会総帥イズモタロウの孫娘です」
「それは先ほどうかがった」
「ではそのイズモタロウとは、何者か?」
「商会の総帥だから、金持ちなんだろ?」
「とんでもない金持ちです」
「とんでもない、で始まったら、金持ちではありませんと否定するのが、正しい文法ではないか?」
「まぜっかえしはよろしい、まずは聞いてください」
「そのためにヤハラどののところに来たのだが……」
簡単に言うとイズモ商会、いち国家の息の根を止めるほどの力を持つ、巨大な商人組合である。
このワイマール王国に拠点を置いているとか、発祥はよその国だとか、様々な噂があるのだが、正直言っていつの頃から存在し、誰が始めたものなのかさえ確証の持てない、謎の集団なのである。
「商人の組合ごときが、何故いち国家を脅かせるのだ?」
「ヒノモト隊長、奴らは物流というものを牛耳っているのです」
「物流ねぇ……」
物流などノボルの感覚で言えば、物を右から左に動かすだけで金になるという、アコギな商売でしかない。
その物流を支配するイズモ。機嫌を損ねたら、我が国の農産物でさえ食卓に並ばなくなる、とヤハラは言う。
「我が国の農産物まで? それはなかろう。そんなことになったら、雑兵隊で荷車押して、国中運んでやるぞ」
「そうですね、ヒノモト隊長。我々には頼もしい雑兵隊がおりました。しかし、その勇者たちが荷車を押して農村に出向いて、現地に農産物がなかったらどうしますか?」
「農産物があるから農家だろ。ヤハラどのはおかしなことを言う」
「農産物がすでに、何者かの手によって買い占められていたとしたら、笑っていられますか?」
「……………………」
「例えばヒノモト隊長、今日はヒノモトの刀を購入されたようで」
「……うむ、良い買い物だった」
「いま現在、ヒノモトの刀は斬れ味の割に安価で取引されています。これが何者かに、買い占められていたら。ヒノモト隊長は刀を購入できますか?」
「……………………」
「ある日突然、刀の値段が一〇倍になっていたら?」
「……………………」
「ようやく事の重大さが、わかってもらえたようですね。イズモにはそれが可能なのです」
なぜそれが可能なのか? 簡単に言うと、イズモには国境という概念が存在しないからだ。イズモはあちこちの国に散らばり、商いを行っている。
例えば、イという国にイズモ商会、ロという国にイズモ商会。イの国では米麦が足りないが、織物が余っている。ロという国では米麦が余っているが織物が不足している。このイとロの不足を余っているもの同士を交換し、補い合うのがイズモ商会なのだ。
だからイズモが仲を取り持たないと、イもロも物資が欠乏することになるし、価格を操作することもできる。イズモがいないと、イズモの機嫌を損ねると、大変に困ることになるのだ。
「故に、国家がイズモ商会を優遇している。これが現状です。それならば買い占めのひとつやふたつ、刀の値段を操作するくらい、造作もないことです」
「だが、実際に買い占めも価格操作も行われてはいないな」
「悪手だからです。買い占めをしたところで、イズモの客が倒れる……客が減るだけで、旨味が何もないからです」
「もしそれを実行したら、戦さをせずに敵国を参らせることも可能かな?」
「だから国境を持たない……特定の国に籍を置かないのです。どこかの国に肩入れすれば、別の国から恨みを買う。すなわち客が減りますからね」
ついでに言うならば、イズモ商会の影響力は大国三つに及ぶとも言われ、誰も手を出せない独立国のようなものだ、とヤハラはうめく。
「とりあえず、雑兵隊ここにありと言えども、イズモが相手では分が悪い、ということは御理解いただけましたかな?」
「ん、厄介な連中だというのはわかった」
「で、ヒノモト隊長。あんた何してくれたのさ」「は?」
ヤハラの口調が崩れている。もはや参謀見習いとか、軍師の卵ではない。ただのヤハラになっている。
「さあ吐け。イズモのお姫さまに、なにしやがった。場合によっちゃ、俺もあんたも首が飛ぶぞ! なんとかできるもんならなんとかしてやるから、洗いざらい吐け! 吐いちまえ!」
ノボルの襟首掴まえて、素晴らしい気迫で揺さぶってくる。この男、相当イズモが怖いのだな。普段から散々にこき下ろしてくれる軍師の、アキレス腱をノボルは見た。
「よしわかった、ヤハラどの。まずは手を離して、落ち着いていただこう。イズモの脅威は理解できたし、我々の首が飛ぶことがないと証言したい」
目の血走ったヤハラの手を、ゆっくりと襟から離し、真正面から目を見詰めてやる。鼻息の荒かったヤハラだが、少しだけ呼吸が治まった。
「……本当だな、ヒノモト隊長」
「もちろんだ、心配はいらない。誓ってもいい」
「……では何をしたんですか、ヒノモト隊長。イズモのお姫さまに」
ヤハラは椅子に腰掛けた。湯気の消えたカップで、冷めきった茶をすする。
「イズモのお姫さまに、刀を選んでやった」
「ほう、イズモ・キョウカに、刀を選んでやったと?」
「その通り、他には何もしていない。良いことも、悪いことも」
ヤハラのこめかみに血管が浮かんでいた。いつもの怒りの血管だった。
「イズモ・キョウカが刀を所望する訳が無いでしょう? 嘘ならもっとましなのをついてください」
「嘘ではない。護衛が使うからヒノモトの刀を選んでくれと、向こうから言ってきたのだ。だから忍びの刀を選んでやった」
「だったら何故、イズモ・キョウカ本人が買いつけに来たのですかな? 使用人が出てくるのが普通ですよね、あのレベルのお嬢さまなら」
「そのあたりの事情は、本人に訊いてくだされ。俺はあの娘の予定を管理している訳ではない。それよりも重要なことがある。それをたずねに来たのだ」
「イズモ・キョウカ本人よりも重要な案件が、この世にあると申されるか?」
場合によってはある、とノボルは答えた。
「ヤハラどのは聞き流していたでしょうが、イズモ・キョウカが購入した刀、あれはヒノモトの忍びが使用するもの。しかし、いかにイズモ・キョウカと言えども、ヒノモトの忍びを使役するのは困難だ。ヤハラどの、何があったと思う?」
「ヒノモトの忍び?」
やっぱり聞き流してやがったかとノボルは思ったが、ミステリーという餌にヤハラは食いついていた。イズモ・キョウカ本人が買いつけに来た刀。その持ち主となるのが、ヒノモトの忍び……つまり、ワイマールがドルボンドに放った密偵以上の、実力者。
イズモ・キョウカとヒノモト忍者の関係とは?
これは何かが起きる前触れなのか?
ノボルは素直にそう思った。事実、ドルボンド国は未だに講和に応じていないし、次の戦さは近いとノボルは見ている。
起こるとするならば、一体何が?
ノボルは名刺に目を落とした。
「……………………」
ふと見た名刺に、違和感を感じた。いや、疑問と言った方が良いか。
「ヤハラどの」
「……………………」
ヤハラはまだ、ミステリーという餌を味わっていた。
「ヤハラどの、これを見てもらおう」
「………………ん? どうしました、ヒノモト隊長」
「これです、これ」
名刺にはこのように書かれていた。
『たぬき商会頭取
イズモ・キョウカ』
「……これは?」
「先ほどからヤハラどのが気にされてる、イズモ商会とやら。しかしこの娘イズモ・キョウカは、別の商会を名乗っておる。……さて、これはいかなることか」
「……別の商会? ヒノモト忍者……本人が買いつけ……」
「……ヤハラどの。我々雑兵隊に、何か手伝えることはありますかな?」
考え込んでいるヤハラが、さすがに気の毒になってきた。しかしヤハラは、ノボルの申し出を断ってきた。
「申し訳ありませんが、ヒノモト隊長。この件は我々作戦立案所……参謀本部と呼称が変わりますが、我々が仕切らせてもらいます。場合によっては、調査結果がヒノモト隊長の耳に入らなくなるかもしれませんが、御容赦ください」
「それは仕方ありませんな」
「では私は、この件を参謀長に進言しなければなりませんので、これで……」
そそくさと、ヤハラは出て行ってしまった。四本の刀をかついだノボルだけが、取り残される。
刀が肩に食い込むが、しかし帰らなければならない。昼飯を食べてないことを思い出したが、まずはこの重たい刀を渡さなければならない。ノボルは城を後にした。
東訓練所に帰る。雑兵隊中隊長たちがまだ、新兵の割り振りに頭を悩ませていた。つまり、成績の良い順番に兵を取ってゆくかクジ引きにするか、迷っていたのだ。
そこへヒノモト衆剣士たちのため、予備の刀を背負ったノボルが帰還したのだ。
中隊長たちはサジを投げる。
「予備の刀なんて私費で用意されたら、全員ヒノモト隊長になびくだろうよ!」
とりあえず全員、卓の書類をぶちまけて、不満を露にしてみせる。もちろんノボルも、一緒になって書類をぶちまけてみた。
少しは悩みや不安が消えたような気がする。イズモ・キョウカという、悩みや不安が……。




