丸顔にて御座候
気配を消して待つことしばし。若い者を三人ほど連れて、ビルが走ってきた。セットした髪も崩れるような慌てっぷりだ。貫禄を漂わせ、決して狼狽えることのなさそうな腹の座った侠客としては、なんとも珍しいことだ。
「帰って来ましたね、ビルの兄貴」
「うむ」
「ヒノモトさまからの文とあっては、あの侠客も慌てざるを得ない、というところでしょうか?」
「俺の力ではないさ」
「御謙遜御謙遜」
「……ところでひとつ訪ねたいのだが」
「なんでしょう?」
「そなた、何者じゃ?」
路地裏で身をひそめるノボルのとなりにいつの間にか、変装と思われる染めた金髪の小娘が寄り添っていた。
年格好と背丈は、リコと似たり寄ったり。前髪まですべて上げたポニーテールで、丸顔のくせにほっそりとした身体つき。……いやシャツにデニムのパンツという、この世界の定番の服装だが、ノボルにはわかった。ほっそりした身体つきだが、かなり密度の濃い筋肉をしている。
「何者じゃ? とは釣れない方ですねぇ。私はコヘイさまから用をたまわってヒノモトさまを助けにきた、いわば救世主ですよ?」
「すると、忍びの者か?」
「マユと申します。以後、お見知りおきを」
炒り豆だろうか、マユはポケットから取り出して、屋敷を見張りながら口に運んでいる。
緊張感の無いやつだ。これで忍びがつとまるのかと、ノボルは思った。しかしまったく気配を感じさせず、ノボルに接近したのだ。腕は折り紙つきなのだろう。
「そうそう、ヒノモトさま。書状はドン親分のもとに無事届きましてね、読んでもらえましたよ。ヒノモトノボルの名前、親分さんも存じていたようです」
「ふむ、それで?」
「書状の内容を、まったく疑ってませんでした。すぐにビルを呼び戻せ、と。一応ビル兄貴の意見をうかがうでしょうが、腹は決まっているでしょうね」
「トキカゲを放逐するか?」
「間違いありません。これであのチャラ男、なんの後ろ楯もなくなります」
ノボルとしては、ドン親分とのしがらみもなくなってくれるので、実に助かる。
「マユ、そなた今、チャラ男とか言ったな。トキカゲを知っているのか?」
「面識はありませんが、見ればわかりますよ。私はあーゆー男が嫌いです……と、ヒノモトさま。どうやらトキカゲめ、親分さんに呼び出されたようです」
「よくわかるな」
「屋敷の中をうかがっている者から、連絡が入りましたから」
マユは指さすが、そこはただの屋根。連絡してくれそうな者の姿は、見当たらない。
「誰もおらんではないか?」
「そりゃ見えませんよ、忍びなんですから」
言われてみれば、その通りである。あまりの緊張感の無さに、この丸顔が忍びだということを、つい忘れてしまう。
もしかしたらこの緊張感の無さが、この娘を忍びたらしめているのではないだろうか? 人間誰しも相手が忍びや間者、間諜の類いだと思ったら、秘密は隠し通そうとするだろう。しかしこんな緊張感のかけらもない、ブニブニほっぺたの丸顔相手なら、油断して秘密もポロリともらしかねない。
案外コヘイのような者よりも、よほど忍びに向いているかもしれない。……考えてもみれば、コヘイとて和装に染めた金髪という、珍妙な姿だったし。
その丸顔が、クスクスと笑い出した。
「どうした?」
「いえね、ヒノモトさま。トキカゲのやつ、親分さんから不採用を申し渡されて、キレたって話ですよ」
「侠客の親分相手にか? あり得ないだろ」
「いま正に、若い衆に引っ張られて、追い出されるところみたいです」
待っていると、髷の結えない長さの髪をした男が、屋敷から追い出されてきた。整髪剤を使っているのか、髪をごちゃごちゃといじってある。和服に袴のヒノモト装束なのだが、前がはだけて袴もゆるい。着装が大変にだらしなかった。おそらくこの着付けで、「俺は無法者なんだぜ」とか「型にはまらない自由な俺、ヤバいくらいカッコいい」とかを表現しているのだろう。
だがノボルとしては、「山止流の切り紙が泣くぞ」と言った評価でしかない。もしくは、「ヒノモトの民が、すべてこのような人間だとは、思われたくないものだ」というあたりか。
そのトキカゲが、散々悪口を屋敷の親分にむかって吐いていた。しかしようやく諦めたか、東大通りへと足を向ける。
「いつヤリますか?」
「夜間が良いかな」
あの腰の座らぬ風体、鍛え抜いた筋金というものが無い脆弱な心。トキカゲは今夜、浴びるように酒を飲む。ノボルはそのように見ていた。
「よろしいんですか? ヒノモトノボルほどの者が、酔った相手を斬っても」
「前後不覚になるまで酔う方が悪い。それは刀を腰に帯びる者として、不覚でしかない」
マユとともに後を尾行る。大通りに出たトキカゲは、一度辺りを見回すと居酒屋に飛び込んだ。
「……思ったよりも弱い心であったな」
「夜まで待てないなんて、ガマンが足りないというかなんというか……」
「その程度の辛抱だから、スケコマシなんぞに身を落とすのだろう」
ノボルも後を追う。マユ同伴で居酒屋に入る。そういえばまだ、昼飯を食っていない。テーブル席に案内されて、すぐにビールと肉を注文した。マユも肉と肉、それから肉を注文する。
トキカゲは入り口のそば、二人掛けの卓に一人きりだ。面白くないという顔で、ジョッキのビールをあおっている。つまみは安い枝豆。あてにしていた金が手に入らなかったのだ、貧乏くさいのは仕方ない。
そんなトキカゲの様子を、ノボルは盗み見るだけにとどめる。あまりジロジロ見て、自分の存在を気取られたくない。
それにしてもトキカゲの視界には、ノボルの姿が入っているはずだ。それなのにヒノモトの民、ノボルに警戒していないとは、どうしたことか?
答えはすぐに出た。
「クソったれ、ドンの野郎……、俺の何が悪いってんだよ!」
すでに一人の世界に入っていた。一人の世界だから他人はいない。他人がいないから、他人の視点に立つ必要が無い。
だからトキカゲは、己の行動を反省することが無い。いつまでたっても同じことの繰り返し。同じ失敗を堂々巡り。いつになっても、彼の望む結果にはならない。
ビールが届いた。グッとジョッキを傾ける。低めのアルコール度数だが、五臓六腑にしみ渡った。人斬り仕事の最中だというのに、頬がゆるんでしまう。
「しあわせそうに飲みますねぇ、ヒノモトさま」
「酒をのんでしあわせにならない者が、この世にいるというのかな?」
「いますよ、自分の不出来が原因で失敗したのに、他人のせいにする人とか」
ノボルとマユの肉が届いた。マユは無言でステーキに取り組む。ノボルが今まで見たことがないような、真剣な姿勢だ。ノボルはまず、ジョッキのビールを空にする。そしてナイフとフォークを操り、ステーキの攻略にかかる。
厚切り肉の香りが届いているだろうに、トキカゲは羨ましそうな素振りも見せない。ただただ一人の世界に閉じこもり、せっかくのビールを不味そうにあおるだけだった。
「食べ物を旨くいただけるというのは、何ともしあわせなことだな」
「もが?」
マユは二枚目のステーキに取り組んでいた。おそらくトキカゲの存在など、頭から消え去っているだろう。
「マユ、トキカゲのことは覚えているか?」
「ふぉんふぁふぉふぉひっふぇふぃふぉふぉふぉふぁふぁ……」
「噛み砕いた上で飲み込んでから喋れ」
「もぐもぐもぐもぐ……ゴックン! ……そんなこと言ってヒノモトさま、トキカゲに気をとられた私から、お肉を奪うつもりですね」
「そのようなことするくらいなら、もう一枚注文するわい。……お姉さん、ビールもう一杯とステーキを一枚」
「仕事を忘れてますね、ヒノモトさま……」
モリモリと食べて、グビグビと飲む。
酔っぱらって叩き出されない限り、トキカゲはこの店から移動しないはず。飲み食いするなら今のうちだ。
二人とも食事を終えて、店を出た。マユに、「もう一人の忍びは、飯を食ったのか?」と訊く。まだだという返事だったので、この店で食わせるように言う。
その間ノボルたちは、向かいの茶店に入り、座席で仮眠をとる。もちろんマユと交代でだ。
「ヒノモトさま、見張りが食事を終えました」
軽く脚を突っつかれて、起こされる。
「見張りにも仮眠をとらせるべし」
マユに命じた。
見張りが仮眠から覚めたところで、店を出る。しばらく時間潰しだ。
と思ったら、トキカゲが店から出てきた。またもや尾行に移る。
「ちょっと飲み過ぎた、というところですかね?」
「足取りはまだしっかりしているが、これからさらに酔いがまわるかもしれんな」
「この先に娼館がありますが、入りますかね?」
「トキカゲに馴染みの女は?」
「ドクセンブルグに入ったばかりですから、まだ馴染みはいません」
「なるほど」
トキカゲは飲み屋に入った。今度は本格的に飲むつもりらしい。ウイスキーの専門店を選んでいた。
「ときに、マユ」
「なんでしょう?」
「なぜお前たちは俺に人を斬らせるのだ? トキカゲ程度、お前たちの腕でも釣りがくるだろう」
「私たちは諜報の専門家。殺しは門外漢です」
「忍びともなれば、なんでもこなすと思っていたのだが」
「なんでもこなすプロなんて、トキカゲごとき相手に、うちのケチなお館さまが出す訳ないですよ」
「だからロハで働く俺を使うのか」
いい迷惑だ。とノボルは思った。




