掟に御座候
ゴンとノラへの挨拶もそこそこに、飯屋へ走る。小柄なリコを小脇に抱えてだ。
「リコ、ヒノモトの者はなんと名乗った」
「コヘイって言ってたよ。金髪のくせにヒノモトの人間だ、って。で、お兄ちゃんみたいな服と刀で、下げ緒……だっけ? 紐の結び方も、お兄ちゃんと同じで。だからミチノクの人だと思ったの。それに火急の用件でござるって言ってたから……」
下げ緒の結びが同じなら、間違いなくミチノクの者だろう。袴の履き方も同じなら万全だが。
しかしそれよりも、火急の用件とは何か?
このような場合、ヒノモトの人間は走らなければならない。一刻も早く終結し、総員一丸となり事態に対応するためだ。だから、気を効かせてノボルを呼びに来てくれたリコには、本来感謝しなければならないのだ。
「助かったぞリコ、礼を言う」
「そんなぁ、礼だなんて。照れちゃうよ」
「……抱えにくい、リコ。身体をクネらせるな」
そうこうしているうちに、店に着いた。帰りましたと声をかけると、リコの父親は視線でフロアを示した。
一番窓際の席、日除けと防寒を兼ねたマントを羽織った男が、ボトルの酒を楽しんでいた。
ノボルは腰の大小を外し、右手に持ち変えた。マントの男、おそらくはコヘイに声をかける。
「ミチノク郷ミズホ村、ヤスケの倅、ヒノモトノボルです」
「これはどうも、ミチノク郷ヒバカリ村の、コヘイにございます」
ヒバカリと聞いて、ノボルは緊張した。ヒバカリは森や山ばかりの区域で、いわゆる忍者の郷だったからだ。
コヘイの金髪は染めているだけのようだった。年の頃は二五〜六、ちょっとした若頭風な貫禄がある。
「で、コヘイどの。拙者に何か?」
「その前に、人払いを」
コヘイの視線は小脇に抱えたリコに。とりあえず床におろして、「人払いをたのむ」と申しつけた。リコは衝立を持ってきて、ノボルたちを仕切ってくれる。
リコが衝立から離れたのを、足音で確認してから、コヘイは口を開いた。
「ヒノモトどの、サンロク村のトキカゲを御存知か?」
低い声、コヘイはヒノモト語である。
「朱鞘の男で、侠客ドン親分のところで就職活動をしている、というくらいには」
もちろんノボルも、ヒノモト語だ。そして二人とも、ミチノク訛りがある。
「ヒノモトどの、そのトキカゲを斬ってもらいたい」
「コヘイどのの方が、腕が上では?」
「私は現在、ワイマールにいてはいけない人間ですから」
ワイマールにいてはいけない人間。ヤハラが以前、ドルボンドに大量の間者を放ったと言っていた。もしかすると、その中の一人かもしれない。
そんなコヘイが、わざわざドクセンブルグに戻っての伝言だ。断ることはできない。
「コヘイどの、そのトキカゲと申す者、いかなる罪状ですかな?」
「本来ならば、汝の知るべきところに非ず、と突っぱねるところですが、特別に……」
まずトキカゲという男。齢二〇や二一だが、定職にもつかずあちらでブラブラ、こちらでフラフラ。日雇いで稼いだ金を博打に使い、剣術道場で遊んでみたり。それ以上に入れ込んでいるのが、女遊び。金を払って、本職に相手をしてもらっているうちは、まだよかった。しかし金が尽きてくると、おぼこい素人娘たちに手を出し始めた。しかも自分の遊興費として、家の金を持ち出して来い、などと言ってだ。そのおぼこい娘の中に、大手の商家「あずま家」があった。面子を潰されたとあずま家は、サンロク村を含むジョウシュウ郷に訴えた。トキカゲのヤツは、ヒノモト中を逃げ回ったが逃げ切れず、ついに出奔。ドクセンブルグへ逃れている。
ということだ。
ここまで説明を受けて、腑に落ちないところがある。
「……コヘイどの、そのトキカゲという男。女をコマして金を持ち出したかも知れぬが、その程度で斬れとはいかがなものか?」
コヘイは酒を一口。懐から紙を数枚取り出した。卓上に並べる。
ノボルは目を見張った。地図である。それも詳細な、ヒノモトの地図であった。
「これは……」
「何を思ったかトキカゲめ、ヒノモトの地図を書いて、売り捌こうとしておりました」
ヒノモトは秘密主義。領主にさえ、その全貌を掴ませてはいない。それはヒノモトが、ワイマール王国を信用していない……いずれは合戦相手になるやも知れぬ。と見ているからで、そんな相手に地図を与えるなどヒノモトの自立と存続を、危うくする行為でしかない。
「トキカゲを斬る理由、御理解いただけましたかな?」
「しかし俺も、安くはない身になってしまったから」
「ドクセンブルグのヒノモト衆は、ノボルどのしかおられません。……なにとぞ」
斬らなければならない理由はある。死んでもらう理由としては、十分すぎた。しかしノボルは軍属であり、戦さで人を斬ることはあっても個人をねらっての殺害など、やりたいものではなかった。
だが、正直に自己保身を述べさせてもらうならば、掟を破ったトキカゲを斬らなければ、ノボルはヒノモトからの刺客に、四六時中つけ狙われることになる。
ノボルは苦し紛れを言う。
「殺害したあとの亡骸の処理は?」
「おぉ、引き受けてくださるか!」
「決め打ちはやめてくだされ。受ける受けぬは亡骸の処理をうかがってからで……」
「それでしたらヒノモトどのとトキカゲに、一日いっぱい人をつけておきます。トキカゲの動向は常にヒノモトどのの耳に入り、いつ殺めようともトキカゲの亡骸は、すぐに処理できるよう手配しております」
そこまでしてくれるなら、殺害も引き受けてくれればいいのに。
そんな苦情を述べたとしても、あれこれ手を打たれていたり、口車ひとつで引き受けざるを得ない事態に持ち込まれたり。すでに道筋は歩くのみ、というくらいに整えられていることだろう。
ノボルは右を見た。そして左を見た。そしてコヘイから目を逸らし続ける。
「ヒノモトどの、他に懸念はございますか?」
せっかく目を逸らしていたのに、コヘイはノボルの視界に割り込んできた。
「ヒノモトどの、なにも問題はございませんね?」
「いや、まだ引き受けるとは……」
「後のことはおまかせください。さっそく今からでも、仕事にかかっていただければ」
戦さで奪う命は覚悟を決めた同士、向かい合って奪い合う命である。しかし人斬りで奪う命は、相手の不意を打ち背後から斬りかかるような、向かい合わない命である。
しかしこの男を斬らなければ、多くのヒノモト衆が不幸になる。
個人の恨みはひとつも無い。しかしお前は、犯してはならぬ罪を犯した。なるべく痛みのないように斬るから、迷うことなくあの世へ旅立て。
心の中で祈ると、ノボルは懐紙と矢立を取り出した。
ドン親分に一筆。
ドン親分
トキカゲなる男、ヒノモトの掟を破りたる者なり。
禍あります故、ゆめゆめその男、取り立てぬよう
ヒノモトノボル
書き上げると、コヘイに見せた。目を通して、コヘイはうなずく。
ノボルは懐紙を折り畳み、もう一枚の懐紙で包んだ。
「…………リコ」
「はい」
いつになく、しおらしい返事があった。
「ドン親分の屋敷は知っているか?」
「……はい」
「すまんが、使いをたのむ」
「……はい」
衝立のむこうから、リコが顔を出した。ノボルたちの会話をすっかり盗み聞きしたかのように、ひどくしょんぼりとしている。
ノボルは文を渡した。
「ビル兄貴の知り合いの、ヒノモトノボルからの書状だと伝えてくれ」
「……………………」
コクリとうなずいて、リコは店を出た。
ノボルは服装を正し、足元をきびしく固め直した。
新品の刀、河原木守下長を抜いて、目釘を始めとした各部位を確かめる。手に入れたばかりなのか、エドガーの仕事なのか。刀の状態は完璧であった。
「早速とりかかって下さるのかな?」
「トキカゲはサンロク郷の者でしたな?」
「山止流の切紙です」
「その程度の腕で、よく任侠に売り込みましたな」
「女をコマすのと同じで、口先で売り込んでいるのでしょう」
「すぐに見破られるだろうに」
「見破るだけの慧眼を持たぬ者は、他人の慧眼を知ることすら無いでしょう。自分に無い能力ですから、説明しても理解はできません」
ノボルは立ち上がった。
「では、後のことは頼みます」
「おまかせください、ヒノモトどの」
ノボルは店主、つまりリコの父親から、ドン親分の住所を聞いた。
東大通り下がる四番地。それがドン親分の屋敷の住所だった。
店を出て大通りの人混みにとけこむ。目立たぬようにして、人と人の間をすり抜けた。
城方面に足を進めること、二区画。それから右に折れて二区画。街中にしては大きな、屋敷と呼ぶにふさわしい洋館がそびえていた。
ノボルは路地裏に身をひそめた。屋敷の門から、リコが出てくる。珍しくしなびていたが、書状は渡してくれたようだ。
コヘイの言う共の者は、まだ姿を現さない。
しばらく様子をうかがっていると、組織の若い連中があちこちに散っていった。頃合いからすると、ドン親分がノボルの書状を読んだ、と見ていいだろう。そして若い連中の行く先は、若頭であるビルのところに違いない。彼を呼び戻して、ノボルの書状を読ませるつもりなのだ。
トキカゲの胡散臭さは、すでに嗅ぎとっていた。だが、組織に入ることを拒否するには、証拠が無い。証拠が無い以上、しばし食客として世話をしてやらなければならない。困っている者を胡散臭いという理由だけで、無下にはできないのだ。
何故ならそれが、任侠道というものだからだ。




