ビラモア砦に御座候
青々と生い茂る麦よ、健やかなれ!
ワグナー侯の統治するゾーナ州は、農作物の宝庫だった。
いよいよ到着したのだ、我々の戦地に。守り抜かねばならぬ、緑の農地に。王国の食料庫とも言える実りを目にして、ノボルの戦気は改めて沸きあがり、胸に満ちる。
「広い農地ですのぉ、軍師どの」
ゴンも盛緑のまぶしさに喜色を浮かべた。
「ゾーナはワイマールの宝。流れ流れて堆積した栄養素豊富な土が、実りを約束してくれる領土です」
「なんというか、こう……食い物が実る景色というのは、奮い立ちますのぉ!」
「やはり、そこですか……」
ゴンの笑い声と、肩を落とすヤハラ。もうすでに見慣れた光景だが、新たなおかし味がわいてくる。
「ヤハラどの、ビラモア砦はそろそろですかな?」
ノボルが訊くと、軍師見習いは静かにうなずいた。
「ついに来たな、ゴンさん」
「おう、存分に働かねばのぉ!」
「改めて確認しますが、ヤハラどの。まずは領主さまと西軍指揮官に、着任の挨拶でしたな?」
「その後は、作戦と陣地の確認ですね」
「……作戦の確認は、聞いておりませんでしたな」
「どうせ変更はありませんけどね。何しろ敵軍が、まだ出立してませんから」
それはそうだ。敵の姿が見えなければ、作戦も変更のしようがない。
「それから雑兵隊の持ち場に移動」
「野営の準備をしてください。それで私の任務は終わりです」
もう、別れの時か。
胸に痛みが走る。少しばかり、名残惜しい。
思えばノボルにとって、見習いとはいえ軍師という人種は、初めて遭う未知のものだった。感心するほど明解な解答……リコの件をのぞいて。わかりやすい説明……リコの話をのぞいて。確実な進路を指し示してくれる、頼もしい姿……以下省略。
また会いたい男だ。そしてその時は、より優れた自分でありたい。
いままで胸に抱いていた野心とは、また別の大望が生まれる。
「淋しいですか、ヒノモト小隊長。私との別れが?」
「さよならだけが人生だ」
「素直に淋しいと言っても、いいんですよ?」
「俺は淋しいぞい。ヤハラどののような人は、初めて見たからのぉ」
「私もゴン小隊長のように、豪快な人物は初めて会いました。きっと生涯、忘れることはないでしょう」
素直な言葉には、素直な答えを返す。
「ですが私は、本陣で駒のように使われているでしょうから、いつでも会えますよ」
「そういえばドラゴ中将は、雑兵隊小隊長以上は、本陣の出入り自由と言ってましたが」
「本当ですよ。ですからお二人は、本陣で下っ端扱いされている私を見て、幻滅する機会があるわけですね」
すでに、こんな軽口を効く間柄になっていた。
ふと、ノボルは考えた。
「ヤハラどの」
「なんでしょう?」
「本陣に入ったヤハラどのが、本職の軍師……つまりヤハラどのの上役に、『雑兵隊とつき合ってバカになったな!』などと言われたら、我々はどうすれば良いのか……」
「その時はヒノモト小隊長の許嫁のように、責任を取っていただきましょうか?」
「ですからアレは、許嫁未満だと……」
何度言えばわかってもらえるのか。
そうこう言っているうちに、街道を両脇からはさむ、ふたつの小山が見えてきた。こんもりと小高い、樹が生い茂った山だ。その麓には建物がある。ノボルの想像よりは数が多く、造りも大きい。
「では、そろそろ」
ノボルとゴンは頭を下げ、自分の小隊にもどる。ヤハラの「御武運を」という言葉がありがたかった。
隊長と副長が先頭に立つ。ノボルは第二小隊に幟を揚げさせた。雑兵隊の幟だ。
建物に詰めていた兵士たちが、ガラスもはめていない窓から顔を出す。手を振ってくる。歓声が上がった。
「雑兵隊、一一七名っ!」
門衛に申告、そのまま止まることなく裏門を通過した。
雑兵隊の到着を歓迎してくれる、現地の兵士たち。通りはすでに人だかりができている。
広場に入り、小隊ごとに整列。そのまま待機の号令を残して、隊長と副長は本陣と思われる建物に、姿を消した。現地の将軍へ、挨拶に行ったのだろう。想像に難くない。
ヤハラの馬車も、雑兵隊の整列を越えて停まる。そしてヤハラもまた、隊長たちと同じ建物に、姿を消した。
しばらくして、ワグナー侯らしき人物とルグル将軍と思われる人物が、隊長たちの先導で姿を現した。どちらも精悍な顔つきで、いかにも「武将」という雰囲気を漂わせている。
領主ワグナー侯は、ふさふさとした髪を後ろに撫でつけた、四角い顔のヒゲ。しぶとい戦術を使いそうな、重味のある古将といった雰囲気。ルグル将軍は頭髪が抜け去っていたが、逆にそこが迫力になっているヒゲ。ワシ鼻が印象的で、猛将という言葉が似合いそうだ。
隊長副長が隊に合流したところで、二将からの挨拶を受けた。雑兵隊はそのまま集団で施設の案内を受ける。
本陣建物、糧食受け取り場所。ドラゴ中将の話では、「ちょっとした集落」ということだったが、ノボルにしてみたら「ちょっとした街」という規模に見える。その中で地元兵士たちが隊列を組んで駆け足したり、物質の運搬に戦闘訓練と、精力的に活動している。
路地裏に向かって、号令をかけている男がいた。長槍を構えた兵士たちが、狭い路地から飛び出してくる。右に払い左に払い、全員動きを揃えて突き。それが低い体勢で繰り出してくるので、下から下から攻め上げられる状態になる。敵兵はみな、浮き足立つこと間違いなしだ。
剣士たちは真剣を使い、麻袋を突く訓練だ。ノボルからすれば、いささか突きすぎの傾向にあるが、意気軒昂なのでその点をもって買いとする。
案内の説明では、それぞれの建物が各部隊の宿舎になっているそうだ。ただし、雑兵隊は陣地外に天幕で野営なので、まったく関係が無い。
広い場所に戦さ場ドロボウと呼ばれる、騎士たちの姿があった。重そうな甲冑を着込み、珍しく馬上槍の突き合いをしている。また、別の騎士はランス片手に馬をはげまし、標的に駆け抜けざまの突きを入れていた。くだけ稽古を積んでおきながら、なぜ戦さ場ドロボウのような真似しかしないのか? ノボルには理解できない。
合戦間近となれば閉鎖しますが、と案内が指さす。建物には、酒場の文字。それも一軒や二軒ではない。一区画全部が酒場だ。
そして通りの向かいからは、窓や表で鈴なりになった女たちが、手を振ってきた。こちらも、一区画すべてである。
「ノボさん、金は持って来たかいな?」
「不覚にも、ほとんど持ち合わせが無い」
「……帰ったら、ノラに相手してもらうかいのぉ」
「勝ち戦さまで、酒もおあずけだな」
そんな二人に朗報だ。この一画で遊ぶなら、遊興費は次回俸給からの天引きが可能だそうだ。
ゴンは早速娘たちの品定めを始めたが、ノボルはその袖を引いた。
「ゴンさん、戦さから帰ったら、もう一戦しなければならなくなるぞ」
「どういうことかの?」
「今回の手取り、少ないわねぇとか言われて、針のムシロに座らされる羽目になる」
「……ノボさん」
「なんですかな?」
「…………男って、何なんですかなぁ?」
「きっとアレでしょう……。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、重き荷物を背負いて泥の坂を歩む者……」
「ノボさん、顔は笑っとるが、腹は泣いちょるぞい」
「男ってものは、とかくつらい生き物です」
「俺ぁ、腹も顔も泣いちょるぞい……」
女とろうか、遊びにしよか。今日も明日も出来心。
しかし、ここでノボルは気づく。
「ゴンさん、なぜ俺はリコに遠慮するつもりでいるのだ? 俺の女という訳でもないのに!」
「女という訳でもないのに、尻に敷かれとるからじゃろ。それはノボさんが悪い」
歓楽街を抜けて、三メートルほどの高さの、泥壁に行き当たる。泥壁には鉄製の門扉が開いていて、街道はまだ続いて見えた。泥壁のこちら側には、足場が組んである。そこには待機の弓兵がくつろいでいた。
「なるほど、あそこから矢を射かけるのか」
「ゾッとするのぉ。本番では足場一杯に、弓兵が並ぶんじゃろ? 敵は針ネズミじゃい」
「おい、見ろゴンさん!」
ノボルは門扉の向こうを指さす。その先には、また同じような泥壁がそびえ、やはり足場がかかっていた。もちろん弓兵が鈴なりである。
「ドラゴ中将は可能な限り捕虜をとれ、と言っていたが……」
「……こりゃ必殺の陣ではなかろうか?」
「これでまだ泥壁があったら、俺は笑うかもしれない」
「俺はノボさんが笑う、に一票じゃ」
そして予想通り、ノボルは笑うことになった。頑強な泥壁がそびえている。もちろん門扉も弓兵も標準装備だ。
「三壁を揃えたのは偉いが、一の壁を破られたら、弓兵たちは見殺しかいのぉ?」
「弓兵たちの撤退時期が、ひとつ勝利の鍵になりそうだな」
「突撃してくる兵士が一線を越えたら、撤退する約束にでもなっとるのかのぉ?」
だとしたら、一の壁と二の壁は敵の数を減らすのが目的。決戦は三の壁ということになるのか?
細かいことは、作戦の最終確認で知らされるだろう。
ノボルたちは、泥壁の外に出た。砦を守る壁は、もう無い。その代わり小山の裾が街道をはさみ、その向こうには広い平地と国境線の丘。
雑兵隊は行進をやめた。各小隊長が呼ばれる。先頭の隊長たちの元へいくと、案内役が書類を広げていた。
「これが雑兵隊の配置です」
その書類は、簡単な地図であった。




