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蜜月話にて御座候


 宿泊地に着くたび、雑兵隊は夕食までの時間を、小規模な訓練にあてていた。時には剣の素振り、あるいは槍の空突き。ある宿泊地では、集団による戦闘訓練……ただし木剣で撃ち合うのではなく、敵勢をうまく包囲して無力化してゆく、陣形作り……を行った。

 そうすれば戦闘勘は研ぎ澄まされるし、士気も大いに高揚してくる。

 いよいよ合戦。ついに戦さ場。誰もが互いに肩を叩き合い、存分に訓練の成果を発揮しようと誓い合う。


 この戦さ、我が軍は勝てるだろうか?

 もちろん勝てるとも!

 なにを根拠に勝てると言うのか?

 根拠は、俺たちがいるからだ!

 俺たちがいるから勝てると言うのか?

 俺たちは、雑兵隊だ! 俺たちが勝たなくて、誰が勝つというのだ! たとえ敵が一〇〇万、一〇〇〇万あろうとも、雑兵隊に敗北の文字は無い!


 兵士たちの顔には、確信があった。必勝の確信だ。自信にみちあふれている顔だった。

 兵士たちを見る、ゴンの眼差しも輝いている。それだけでノボルも、心穏やかでいられた。

 明日はゾーナ州、ワグナー侯の納める最前線。決戦の舞台に入るのだ。


 夜が来た。兵士たちは見張りを残し、天幕の中で眠りに落ちている。

 ノボルたち小隊長以上の士官は、農家の納屋の中で宿泊だ。

 ノボルはここでも戦さ装束。腰に大小を落として立ち上がる。


「第二小隊長、稽古かい?」


 古参の小隊長たちが、剣の手入れを休んでノボルを見た。


「……………………」


 振り向いて、無言のままうなずく。


「外は真っ暗だから、足元に気をつけてな」


 もう一度うなずいて、足をすすめた。


「おう、ノボさん。稽古じゃな?」


 ゴンだ。風呂から帰ってきたところだ。


「風呂はあとでいただくとします」

「ほどほどにの」


 一人稽古をしているところを、ノボルは他人に見られたくない。流派の技を見せたくないのだ。だから兵士たちに、天神一流を教えていない。技術の漏洩を嫌っているのである。

 技を教えぬ理由をいまひとつあげるならば、兵士たちの剣術と天神一流では、剣の振り方からしてまったくの別物なのだ。当然である、剣の形状からして別物なのだから。そこへわざわざ、付け焼き刃の他流派を仕込んだところで、良いことはひとつも無い。

 むしろ彼らは彼らで、自分たちの流儀をのびのびと稽古した方が、よっぽど実になる。現にノボルは兵士たちに、「斬りすぎぬよう、突きすぎぬよう」程度にしか、指導はしていない。

 そのあたりは、ゴンも理解してくれている。闇に足を踏み入れたノボルを、何も言わず見送ってくれた。


 少し歩き、農家の母屋の裏へ。昼間のうちに下見しておいた、少し広い場所。そこが今日の稽古場所だ。

 鼻をつままれてもわからないほどの闇。まずノボルは足の指先で、地面の様子を確認した。それも、二・三歩先といった狭い範囲ではない。稽古場所として考えている、六メートル四方すべてだ。

 足場がどのようになっているかを把握して、ノボルは刀を抜いた。かすかな星明かりに、抜き身の刀は生々しい輝きを放つ。

 無理はせず、ほどほどに。そう心に誓って、大八相に構えをとる。

 足場が悪いので、ソロリソロリと足を運んだ。

 そこから型通りに斬る。大八相ではなく、いつの間にかとった脇構えからだ。それも下から、相手の脇腹を。

 下から脇腹をななめ斬り。ここを斬られると、わずかな傷だとあなどっていても、内臓がその重みではみ出してくるのだ。

 またもや大八相から脇構え。太刀行きはゆっくりと、決して刀や刃を地面や石に当てて、損ぜぬよう。……今度は仮想敵の内腿へ、ひと太刀。股動脈をねらった一撃。股動脈は、心臓よりも低い位置にある。ここを斬れば鼓動の力と血の重みで、出血は止めにくくなる。少なくとも戦闘行為中の止血は不可能。戦線離脱か失血死しかない。


 得意技である、相手の剣や槍を巻き取って、吹っ飛ばす技。斬突をそらす技。忘れたくても忘れられないほど仕込まれた、構えと姿勢と歩法。基本的な素振り、斬撃、受け。

 受けるたびに斬るたびに、ノボルは自分が溶けてドロドロになり、天神一流そのものになってゆくのを感じていた。こういう状態をノボルは、「流派と寝る」と言っていた。流派よ、お前のすべてを見せてくれ。俺のすべてを見せてやるから。

 流派との蜜月。俺と刀と月だけの世界。しかしそんな甘い世界も、侵入者がいると台無しになってしまう。

 だが、それを察してくれない者もいた。


 刀を鞘に納める。人の気配がしたからだ。母屋の裏から出る。星の明かりに目を凝らすまでもない。ランプ片手に歩いてくる者がいた。

 ヤハラ軍師見習いだ。


「ヤハラどの」


 声をかけると、ヤハラは驚いたように立ち止まった。どうやらノボルに気づいてなかったようだ。


「なにか、御用ですかな?」


 ヤハラはランプを高く掲げた。夜目が効かないのだろう。銀縁の眼鏡は伊達ではない、ということだ。

 ノボルから歩み寄り、ランプの灯りの圏内に入ってやる。ようやくノボルの姿が認識できたようだ。安堵した様子がうかがえる。


「ヒノモト小隊長でしたか、捜しましたよ。実はですね……」


 そこまで言いかけて、ヤハラは黙り込む?


「……いかがなされた?」

「あ、いえ……明日、ビラモア砦に到着してからの、予定なのですが……」


 そこでまた、ヤハラは口を閉ざした。何かございましたかと、ノボルは訊いた。

 ヤハラは一歩後ずさり、眼鏡を指先で上げる。


「失礼しました、ヒノモト小隊長。なにかこう、獅子か虎がそばにいるような、そんな居心地の悪さがありましたので」

「それはこちらが失礼でした。少し、稽古をしておりましたので」

「はあ……」

「……わずかばかり、こう……殺気立っていたのでしょう」

「なるほど、道理で。私も背中が、汗でびっしょりです」


 気持ちを静めて、明日の予定を聞く。

 明朝、食事をすませて出発。ゾーナ州の宿泊施設で昼食。そこからはビラモア砦まで一直線。

 現地に到着したら、全体で領主ワグナー侯と、西軍指揮官のルグル侯に挨拶。その後はビラモア砦の中を確認し、雑兵隊陣地に移動して野営準備となる。


「現地の地形を利用した訓練はできますか?」

「もちろんです。が、明日はバタバタするでしょうから、明後日以降になると思います」

「敵の進行は、いかがなものでしょうか?」

「極東部の領地に、兵を集めている最中だとか。……出発には、まだ時間がありそうです」


 さすが軍師見習い、ヤハラの答えによどみは無い。


「規模は?」

「ワイマール軍と同じくらい、と読んでいます」


 ならば、雑兵隊が到着し、ドラゴ中将率いるドクセンブルグ隊が王都を出発した現在、準備は圧倒的に我が軍が先行している、ということになる。戦さにおいて敵に先んじることは、極めて重要な勝利の要素である。


「……小隊長?」

「なにか?」

「どうされましたか、急にニヤニヤと」

「あ、いや、ワイマール軍の方が段取りよく戦さ支度が進んでいるようなので、つい……」

「そこでニヤニヤするのは、我々軍師方の仕事です。実動部隊のみなさまは、デンと構えていてください」


 順調な仕込みが嬉しいのだろう、ヤハラも目を細める。


「しかしヤハラどのは、何を訊いてもスラスラ答えてくれますな。どこからそれだけの情報を、得ているのですか?」

「もちろん詳しいことは秘密ですが、基本的に情報というものはすべて、本陣……軍師のもとへ集められます。ですから私が物識りなのは当然のこと。むしろ知らないことがあれば、バカモンとお叱りいただきたい」

「なるほど……では、ひとつお訊きします」

「なんなりと」


 ノボルは星空を見上げた。


「拙者はずかしながら、敵の策略に落ちて窮地に御座る」

「なんと、小隊長ほどの豪の者が」

「そこで軍師どのにうかがいたい」

「なんなりと」


 ヤハラは表情を硬くする。

 ノボルも真剣に訊いた。


「……ヤハラどの……おなごというのは、一体なにを考えているのでしょう?」

「は?」

「いや、だから……小娘に言い寄られ、いつの間にやら将来嫁にしなければならないのか、しなくてもよいのか、振られるのかどうなのか。どうにも、よくわからない状況に御座いまして」

「えぇ、私にも小隊長がなにを言っているのか、どのような状況なのか、まったくわかりません」

「軍師どの、それは少し冷たくはありませんか?」


 ヤハラは眼鏡を指先で上げた。どうやらズリ落ちていたらしい。


「では小隊長、その娘の器量はいかがなもので?」

「可愛らしい」

「気立ての方は?」

「明るいです」

「家事などは、いかがで?」

「飯屋の看板娘ゆえ、一通りはできましょう」

「では、どこに問題が?」

「軍師どのまで私を追い詰めるか?」

「私にはノロケにしか聞こえません」


 そんなつもりは無かったのだが。ただノボルの見るところを、正直に語っただけだ。それが聡明な軍師見習いには、ノロケにしか聞こえなかったようだ。


「拙者、ノロケなど述べた覚えは御座らぬが」

「では小隊長、その娘のことを好いていますか? 嫌っていますか?」


 二者択一。どちらかを選べ。単純な質問だが、悩める者にはこの選択が、意外に難しい。

 ノボルはまず、嫌っているか? という問いに取り組む。

 解答は、そのようなことはない、だ。

 では好いているか? という問いに取り組む。

 好いているのだろうか、俺は? いや、それよりも。


「なにを悩んでおられる?」

「いや、好いているか嫌っているかよりも、武人の妻などいつ後家になるかわかりませぬ。あれをそのような不幸に、見舞わせたくないと」

「それが答えですよ」


 ヤハラは笑う。


「好いてもいない相手を、そこまで気にかけたりしないものです」


 策士にハメられたような感覚しかない。ノボルとしては、はなはだ不本意な結論だった。


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