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理不尽にて御座候


 おんぶの形ではなく、ノボルの脇の下から腕を回してきて、胴にも脚をからめてくる。その上で頬か額か、背中にすりつけてくる、言わばリコ戦法である。時折リコの、「ふぎゅ」とか「あむ」とかいう、謎の発声が聞こえてくるのが特徴だ。

 いつもはただそれだけなのだが、今日は少し工夫があるようだ。袴を留める紐に、手をかけている。

 モゾモゾモゾモゾモゾモゾ。

 ノボルはいつも、リコのやりたいように遊ばせている。だが、今夜は少し手伝いが必要なようだ。


「袴を解きたいのか」

「もう、どうなってんのコレ!」


 ほどけない紐に、リコは少々お冠の様子。

 当たり前といえば当たり前。そう簡単に袴がゆるんだり、解けて落ちてもらっては困るのだ。そう簡単にほどけるような、ヤワな留め方はしていない。


「ここから攻めてみよ」


 リコの小さな手を導いてやる。すると、すこし解けた。しかし次の玉結びで、また難儀している。

 がんばれ、娘子よ。今度は手伝わない。


 ノボルの出身は、ヒノモト州ミチノク郷ミズホ村。農民出身ゆえに、普段は袴など許されない。ヒノモトで袴を履けるのは、剣術道場の主、その門弟は稽古に通うときのみ。他には戦闘、合戦の折りには、農民たちも袴を許される。ただこれにも規則があり、足軽程度の稽古の進度では、股引き履きにすぎない。

 そして郷や村によって、袴の留め方紐の結び方、履き方が異なっている。さらには刀の下げ緒の縛り、刀の拵え。服や袴の生地で、奴はどこそこの者というのがすぐにバレる。

 例えばノボルは渋茶の和服に袴、たすきと鉢巻きは朱色のものを用いている。しかしよその郷では黒地の上下とか、袴を白地に縦線などと実に種類が多い。

 これは郷や村に、よそ者が侵入してきたと一目で分からせるための、ヒノモト衆の工夫であった。それだけ排他的な土地柄なのである。

 そんな田舎根性丸出しな地域でありながら、いざ他州と戦さ合戦となると、一致団結して無類の強さを誇るのだから、人種とか民族というものは解らないものである。


 ようやくリコの手は、玉結びを解いたようだ。小さな手は、さらにほどきにかかる。

 俺の袴を解いて、どうするつもりなのか?

 これが同年代の女性なら、ヤルことはひとつだ。しかしリコは一〇をいくつ出ているのか、いや一〇そのものではないか、という年齢である。子作りには、あと二年三年は必要だろう。


 そうだ、と思い出す。あまりくわしくは言えないが、言っておかなければならないことがあった。


「リコ、夏には出かけなくてはならなくなった」

「え、夏?」

「そうだ、夏だ。あまりくわしくは言えないが、出張のようなものだ」

「いつ帰ってくるの?」

「未定だ。本当のことを言うと、何をしに行くなかも、決まっていない」


 嘘は言ってない。ただ、本当のことも言ってないだけだ。なぜなら雑兵隊は決戦部隊。事細かに話せることは、あまり多くない。


「もしかして、戦争?」

「必ずしもそうとは限らない」


 敵軍が攻めてこなければ、戦闘は起こらない。ただ、その確率が極めて低いだけだ。


「お兄ちゃんも、闘うの?」

「必ずしもそうとは限らない」


 いや、ヤル気満々なのだが。


「無事を手紙で伝えてね」

「そうだな」

「あんまり無理しないでね」

「約束しよう」

「それじゃお兄ちゃん、子作りしよっか?」

「まかせておけ……って、何故そうなる」

「だってお兄ちゃん、いつ死んじゃうか、わからないじゃない」

「必ずしも死ぬとは限らないぞ」

「それにお兄ちゃん、まだでしょ?」

「何が?」

「ナニが」


 わかってて言っているのだろうか? はなはだ疑問である。そして何を根拠にリコは、ノボルを「まだ男/マダオ」と断定するのか? 実を言うならば、剣に賭けて生国を出ると決めた夜、街の花屋でヨロシクさせてもらっている。「まだ男」ではないのだ。


「それにね、お兄ちゃん。これはアタシの都合なんだけど……出征する兵隊さんに操を捧げるのは、女の子の誇りなの」


 うぎゅ。

 腕も脚もからみつけて、ノボルを離さない。

 自分は自分で必死なのだが、リコはリコで必死なようだ。

 なにも俺のような男に、操を捧げなくても。ノボルは思うのだが、ふと気づく。

 なぜ、俺なのだ? 出征するからか? いや確かに、以前から過剰なジャレつきはあったが、まさか……。

 ゴンはリコを見て、ノボルの「馴染み」と言った。まだ子供なのだから、馴染みなどであるはずがないのにだ。だが、リコのアプローチを見て、そのように言ったのだろう。「もらってやれよ」という思いを込めて。


「リコ」

「や!」

「まだ何も言ってない」

「離せっていうんでしょ。絶対にイヤ」

「離せとは言うが、そういう意味ではない。お前と向き合えないから離せと言っているのだ」


 渋々といった感じで、リコは手足を解いた。

 ノボルはベッドに上がると、リコに向き直り正座した。リコも居住まいを正す。


「……リコ……そなた」

「アタシ、お兄ちゃんのことが好き!」

「早いねぇ、お前さん」

「そういうものよ、女の子って」

「しかし、俺にも事情がある」

「なに? 聞かせて! アタシがなんとかする!」


 えらい勢いだ。

 だがノボルは一言。


「お前さんが若すぎる、というか幼い。その年では、子作りはまだできんだろ」

「そこは余りあるほどの勢いで」

「身体を壊す」

「じゃあ根性で」

「同じだアホタレ」


 どこかで経験したような会話だ。


「でもお兄ちゃん、アタシのこと子作り相手に見てくれてるんだね! うれしい!」

「いや待て、早まるな。そんなに軽々しく、人生を決めてはイカン!」

「軽々しくなんかない! アタシ、毎晩死ぬほど恥ずかしかったんだから!」

「そういう意味ではない。よく聞け、お前さんは可愛らしい。これから先、イイ男が大勢あらわれるだろう。だからこんな男にこんな若いうちから、すべて捧げるようなことを言ってはイカン」

「……もっと分かりやすく言って」

「そうさなぁ……」


 どう言うべきか。ノボルはアゴを撫でて考える。


「リコ、お前さん今いくつだ?」

「一〇歳」

「あと三年待て。三年経ってイイ男が現れない、まだ俺が生きている、そして……」

「そして?」

「そしてまだ、俺のことが良いと思うなら……」

「思うなら?」


 不思議なほど、居心地が悪かった。剣先で正中をねらえども、ねらえども得られず、ジリジリと壁際へ追い詰められているような。そんな感覚だ。


「その時は、俺のところを訪ねてみよ」

「ヤッターーっ! 約束だよ、お兄ちゃん!」


 とうとう、言わされてしまった。なにかこう、後戻りできない場所へ、見えない誰かに背中を押されて、出てしまったような。

 戦士兵士軍属なればこそ、はやく嫁をとれ、子を作れ。いつ命を落とすか、わからぬ故に。

 それはわかる。しかしノボルは、まだ妻も子も家庭も、早いと思っている。もう少し小隊長としての仕事を覚え、せめて隊長くらいになってから、と思っていたのだが。


「じゃあ、お兄ちゃん! お兄ちゃんも他の女に、うつつを抜かしたりしちゃ、ダメだよ?」

「お? そうなるのか?」

「そりゃそうでしょ? ……ん? 別にお嫁さんが二〜三人いても、かまわないかな?」


 養っていけるなら、一夫多妻も許されている。ワイマールは、そういう国だ。

 だが、そんなことよりも。


「ちょっと待て。話の流れが、お前を嫁にすること前提になっていないか?」

「ちょっと違うよ。三年経ったらお嫁さんにしてくれる、って話」

「もらうの前提じゃないだろ。お前にイイ奴が現れなかったこと前提で、なおかつ俺が生きていて、お前が俺に愛想尽かしていないという条件が……」

「この前、お店に若い二人連れが来たんだけどさぁ」


 リコはにこやかに語り出した。


「どうやら未婚の二人で、赤ちゃんができちゃったって話してたのよねぇ」


 その話、何の関係があるのか? 思わず生唾を飲む。


「その時の男の人、お兄ちゃんみたいな顔してたよ?」

「どんな顔だ」

「年貢の納め時、って顔」


 その男、連れの女性とヨロシクやっていたのだろう。そして計画性がなかったに違いない。

 ならば同情の余地はない。自業自得というやつだ。

 しかしノボルは、リコに手を出した訳ではない。この娘からのアプローチはあったが、それも子供が甘えてジャレついていたのと、まったく同じレベルだ。既成事実というものは、二人の間に存在しない。

 だというのにリコは、そんな「お楽しみ男」と一緒にしてくれる。ノボルとしては納得いかない。しかし、反論もしたくない。

 見えない誰かに押さえつけられているような、手足が泥に埋もれているような、抗うに抗えない状態に陥っている。


 相変わらず、リコは笑顔。師が稽古において、「存分に撃って来い」と言っているような、高い位の構えをとっている。


「お兄ちゃんも、年貢は三年分。利子をつけて払ってね」

「だから、払うこと前提な会話はやめてくれ」

「大丈夫、それまでにお兄ちゃんがビックリするくらい、女をみがいておくからネ」


 逃れようと足掻き、足掻けば泥の中へ沈む。しかし足掻くのを休めば、たちまち肩まで泥の中。

 先ほどからノボルの頭の中に、ある言葉が浮かんでいた。浮かぶたびにノボルは、その言葉を振り払っている。

 言葉はやがて質量を増し、ついには頭の中から振り払えなくなった。

 ノボルは言葉に屈した。とうとうその言葉を認めたのだ。

 その言葉は……。


 尻に敷かれる


 という言葉だった。


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