おまけ 後編
外に出てくると言ったら、アンジェリカが傘を渡してくれた。油紙を張った番傘というやつだ。
リコは下駄を用意してくれた。
雨らしい。
なるほど、たしかに蒸すと言えば蒸し暑い。
「飯までには戻る」
そう言い残して、玉座の間を出た。
通路には護衛の雑兵隊たちが立哨している。
どちらまでときいてきたので、ちょっとそこまでと答えた。
「でしたら供を」
「いや、かまわんよ。本当にすぐそこなんだ」
「しかし……」
まあ、彼らも仕事である。無理に断りはしなかった。
下駄の音を引きずりながら廊下を歩く。階段はさすがに歩きにくい。それでも外へ。
どんよりと重たい雲に、空はかくされていた。重たいだけではない。みるからに真っ黒で、今にも振り出しそうである。
いや、もう降ってきたか。足元に雨の雫。ノボルは番傘を開く。
兵士たちに、「待っておれ。濡れると風邪をひく」と言って、雨の中へ。
石畳の上から、芝生の上へ。そして庭園の雑木林へ入る。
枝や葉に当たる雨音がうるさい。貧乏長屋で雨音を聞くのに似て、あまり好ましいものではなかった。
奥へ踏みいると、人がひとりしゃがんでいた。
「……ヤハラどの。身体を濡らすでないぞ」
「……あぁ、殿でしたか」
振り向いた顔には、まだ疲労の色が残っている。
「あっという間だったな」
「本当に、死ぬまでせわしない奴でした」
ヤハラの前には、墓石が建っていた。マキの名と、二日前の日付が刻まれていた。
「それも仕方のない話なのですがね」
ヤハラは言う。名門の実家でマキは、座敷牢に入れられていたという。
「私は辞典の知識で両性具有の存在を知っていましたが、両親も祖父母も旧弊な人間でして」
マキは末の子。兄も姉もすべて、マキを忌み嫌っていた。そんな中、ヤハラだけは座敷牢に、弟をたずねたという。
「殿が玉座に座ったおかげか、ようやく最近牢を出られたようなのですがね」
ヤハラは、何故マキの身体の話をきいても忌み嫌わなかったのか、と訊いてきた。
「俺がはじめてワイマールに来たとき、黒い髪がひとりもいなかったのに、驚いたものだよ」
着ている物も違う、差している刀も違う。ヒノモト独自の文字も、まったく使われていない。
「俺はこんなにも他人と違うところがあるのだ。マキの場合はひとつだけだろ? 大した問題ではない」
それに、ヒノモトにいた頃一度、ふたなりという者に会っている。周りの者は忌み嫌う者もいたが、ノボルには関係がなかった。当時のノボルは、強いか弱いか。剣が達者か未熟か。いやそれ以上に、己を鍛え磨くことにしか興味が無かった。
それは今でも同じこと。国のためになれるかなれないか。とにかく今も昔も必死なのだ。だから原因不明のふたなりと言えども、嫌うという感覚が無かったのだ。
「だから、善良を根拠としている訳ではない」
「それでも救われましたよ、マキは」
「俺は何もしとらんよ」
「それにしても、よく許してくださいましたな。コレのわがままを」
「あぁ、死期が見えたからな」
ノボルは白刃のうえに身を置く、剣士という存在。自然と人の生き死にを嗅ぎわけてしまう。
「はじめて会ったときから、なんとなくではあるが感じていたのさ」
「兄として礼を申し上げます。ありがとうございました。この数日のことは、マキにとっても宝となったことでしょう」
雨が強くなってきた。
あたりはすっかり暗くなっている。
だが、ヤハラは立ち上がろうとしない。
もしも神という者がいるのであれば、ノボルにはたのみたいことがある。
これからというときに、無念を抱いて旅立った者を、どうかとこしえの眠りにつかせて貰いたい。何者もその眠りを妨げることないよう、安らかに眠らせてもらいたい。
俺の願いなど、神が聞く訳がないと知ってはいる。しかしその時は、蹴り倒してでも言うことをきかせてやる。
だからマキ、ゆっくり眠っていろ。
「護衛の兵士が案じている。ヤハラどの、帰るか」
「えぇ、そうしましょう」
一度強く降った雨が、もう弱くなっている。ノボルたちはこの隙にとばかり、兵士たちの提灯を目指して走り出した。
ヒノモト・ノボルに御座候
おわり
みなさま
御愛読ありがとうございました。




