始まりに御座候
出立の前夜、師に呼び出された。
「これを差してゆくが良い」
暗い稽古場、渡されたのは大小の刀。以前から、「差し料は儂にまかせておけ」と言っていた、約束の品だった。
まずは太刀を受け取り、目よりも高くささげて一礼。袋から出して、拵えを拝見。しかし、何がどう良いのかは知らない。そこまでの目は利かないからだ。
ただ、鞘はすぐに気に入った。表面にザラ目がついている。これならば手に汗をかいても、鞘を引きそこなうことが無い。
刀を立てた。鞘を押し上げて、鯉口を切ってみる。
鍔元の本身が、かすかな月明かりに餓えた輝きを放った。持つ者に、覚悟を求める輝きだ。
鞘を抜き放って、刃紋を見る。もちろん、その良し悪しなど判別はつかない。しかし、斬れることだけは理解できる。
長寸は、やや寸足らず。その分だけ肉厚で、簡単に損じることはなさそうだ。それに寸足らずの刀身は、取り回しに便利があると見た。なにより、柄が掌に吸い付いてくる。刀身と拵えの比重も、問題ない。
つまり師匠が自分のため、吟味に吟味を重ねたひと振りといえる。
脇差しは逆に長め、もちろん肉厚。太刀を損じた時の代役として、充分使用に耐えうるものだ。
そちらも鞘に納め、大小の揃いを腰に落とす。
「……うん、じっくり腰にあるというか、重たいですね」
師、あきれた顔で曰く。
「当たり前だ、刀の重さは人の命の重さだからな」
それから何かを観察するような、粘りつく視線をむけてくる。
「命を重んずる者は、刀を重く感じる。命を軽んずる者は、刀を軽く感じる」
どちらを選ぶか?
師は確かめている。弟子としては、師の求める解答をしなくてはならなかった。
「その時々に応じて」
「軽くなるのは、お前の命かもしれんぞ」
「それならそれで。剣に望みを託し、立身出世を狙う者は、みな同じ土俵です。斬られて文句は言わず、斬って文句は聞かず」
「死人は物を語らないだろ」
「自分が黄泉に入ったら、文句を聞きましょう」
「覚悟はできてるってことだな?」
「抜かりなく」
「斬られても、愚痴は言うなよ」
「言わず語らず。それが武侠の決まり事ですから」
師は背をむける。
「出かけるなら、明日の払暁。見送りの手など、わずらわせるなよ?」
「心得ております」
剣を執る者は覚悟を決めよ。
師の教えだ。
覚悟のひとつは斬る覚悟。他者の人生すべてを奪い、その親類縁者すべてから恨まれることを覚悟し、命の重みに苦しむ覚悟を決めるべし。
覚悟のひとつは、斬られる覚悟。己のすべてを奪われようと、それは相手も同じこと。ただ勝敗がどちらかに振り分けられたのみ。恨むなかれ嘆くなかれ、悔いるなかれ。なぜならそれは、剣を執る者の掟だから。
そのかわり、剣を執る者は道が開ける。今の身分を抜け出ることができる。貧しい暮らしから、抜け出ることができる。
もしかすると、国を建て城を持ち、主となる日が来るやもしれぬ。そんな夢を持つことが許される。
稽古場から出た。その瞬間から、戦士であった。
もう、農民の四男でも、剣術修業者でもない。ひとつ命を落とすも拾うも、すべて己の裁量だ。
待っていろ、王都。
自分らしくないとは思うが、気概に胸は熱く燃える。刀には人を熱くするだけのものがあるからだ、と納得することにした。
それから七日。
門をくぐろうとしたら、衛兵に止められた。鼻が高く顔の彫りが深い、白肌金髪の衛兵だ。
王都を取り囲む、四角い切り石組みの高い城壁。その最上部は身を隠す遮蔽物が飛び出て、弓の射座部分は一段下がっている。
角の部分には丸い塔が立ち、尖った屋根が印象的だ。
ノボルたちが「洋城」と呼ぶ、金髪白肌が好むデザインの城壁。そこから王都に入る東門で、止められたのだ。
衛兵はノボルのことを、上から下まで何度も視線を往復させた。
「見慣れない服装だな」
「田舎者ですから」
「王都ははじめてか?」
ノボルはうなずいた。
「ではこちらに記帳してもらえるかな?」
小さなテーブルに、台帳とペンがある。
それで門を通してもらえるのか。ノボルはペンを手にした。
出身地
ヒノモト州ミチノク郷ミズホ村
姓
……………………
名
ノボル
年齢
……。指折り数えて、一八と記入。
「おぉ、ヒノモト州の者か。遠いところから来たのだな。……なんだ、苗字は許されてないのか?」
「農家の出ですから」
「……そうか、だがこれでは都合が悪い。とりあえず何か記入してくれ」
衛兵は困っているようだった。
働く大人を困らせるのは心苦しい。姓の欄には、ヒノモトと入れた。
衛兵の表情が晴れる。そして城壁の中を指してくれた。
「ようこそ、ヒノモトさん。ワイマール王国首都、ドクセンブルグへ」
衛兵の微笑みに、好感度が上がる。どこの誰とも知れぬ者は、安易に立ち入らせない姿勢も素晴らしい。
ノボルは、「お邪魔いたす」と頭をさげた。農民上がりの自分が、「お邪魔いたす」などと丁寧な言葉を使っていることに、そっと苦笑いしながら。
「先を急ぎますか、ヒノモトさん」
衛兵が話しかけてくる。
少し考えて、それほどでも、と答える。
衛兵の微笑みは崩れない。
「私はヒノモトの民を見るのは初めてでしてね……そちらでは、そのような服装の方が多いので?」
「民族服のようなものですゆえ」
衛兵のようにボタンで止める服ではない。左右を合わせて帯で締める服だ。ベルトが必要なズボンではない、袴である。裾は細帯でまとめ、草鞋履き。木刀を入れた袋に、着替えの入った風呂敷包みを結わえている。
そして衛兵のように、剣を吊っていないし、単剣でもない。剣ですらない。
剣が諸刃ならば、ノボルの大小は片刃だ。
剣がまっすぐならば、ノボルの得物には浅い反りがある。
剣が吊るものならば、これは帯の間に差し入れていた。
ノボルの腰間に落とされたのは、剣ではない。刀なのだ。
ノボルの刀にチラチラと、衛兵は視線を移している。
気になるだろうな、と思った。
「ヒノモトさん、本日はどういった御用件で?」
こうも親しげに話しかけてくる理由が、ようやくわかった。刀剣を腰に差したノボルは、武装した者である。警戒されているのだ。
ノボルは台帳を指差した。用件はすでに記入してある。
「これは失礼……ほほう、剣士団採用試験のため、ですか。これは勇ましい」
「試験会場はどこか、御存知ですか?」
「ここからまっすぐ、通りの左側を眺めて歩けば、看板が出てますよ。試験の成功を祈ってます」
「かたじけない」
頭をさげると、言われた通り歩き出した。「かたじけない」という、自分の言葉に苦笑しながら。
歩き出したはいいが、門をくぐってすぐに足を止める。目の前の光景が、あまりに見慣れないものだったからだ。
金髪や銀髪は知っていた。しかし、髪の色が赤とか青に緑。肌の色まで様々とは。黒髪黄色肌、たまに日焼け肌しか馴染みのないノボルには、色酔いしそうな光景だった。
さらには道が広い。田んぼのように広い。そこに商店街が立ち並び、人の波がうごめいて。
建物は見たことのない、土壁の四角いものが軒を連ねている。木造茅葺き屋根など一件もない。
ヒノモト州とは、何もかもが違う。
王都に来たのだな。
あらためて、感慨にふける。はるばる七日間歩き詰めた甲斐が、この光景にはあると思えた。
この都で、俺は……。腰間の差し料と度胸で、きっとのしあがってやる。可能ならば一国一城のあるじ。かなわなくとも、部隊を率いる将軍くらいにはなってやる。
人混みの街中を見た。
ものすごい数の人だ。
中には銀色の鎧を着た者、槍をかついだ者も混じっていて、それがまた立派な体格をしている。
本当に勝てるのか、あんな連中に?
疑問が湧いてくる。
下手すれば墓場へ直行、という事態になりかねない。
改めて自分が田舎者なのだと思い知らされた。
思い知らされたなら、謙虚が一番。剣士の職を得ること。そして勤務に励むことだ。
生涯剣士として勤め上げることが、第一の目標。次に昇進。
昇進するためには強くなること。強くなるには稽古、さらに稽古。そして稽古だ。
……もっとも、田舎で師匠にシゴかれた日々は、あまり思い出したくないが。
つらく厳しい過去が頭をよぎる。少し心がなえたが、すぐに気持ちを立て直した。そうしなければ生きていられなくなりそうなほど、稽古の記憶は禍々しいものだった。
衛兵に言われた通り、道の左側を眺めて歩く。すると少し大きな二階建て。四角い建物が目に入った。外には人垣ができている。開け放たれた窓から、中を覗いているらしい。
ノボルも覗き込んでみた。剣の練習場だった。両刃を型どった木剣、袖無しの青い貫胴衣。そして革を重ねて作った胸当て、手甲にスネ当て。二人一組で一〇組ほど、ところ狭しと打っては防ぎ、防いでは突くと、熱心な稽古ぶりであった。
「お兄ちゃん、剣士かい?」
下の方から声をかけられた。
短い赤髪の小娘が、ノボルを見上げている。
「あぁ、志願に来た」
「じゃあ腕には覚えがあるんだね?」
「どれほど通じるかは、わからんけどな」
とは言ったが、見たところ打ち合いをしている者の中に、これはと思う使い手はいなかった。端から見ていれば、そういうものだとはわかっている。しかしそれでも、あまり上質な剣士には見えない。
剣を振る前の予備動作が大きすぎる。
振ることに夢中で、剣が相手に届くまでの間、隙だらけになっている。
振ったあとの姿勢に乱れがある。
それらが「上質ではない」と判断する材料だった。