「わかるから、怖い」
『時間:200×年11月6日18時30分
場所:市立総合病院
詳細:両親が搬送された病院における春野香純の様子を見届ける。
(追記、春野香純の両親は同日19時01分に死亡)』
この文面を見た時、ぼくは怖くなった。
タイムスリップというおよそ現実ではあり得ないよくわからないものをこれからすることよりも、怖い。
文面からわかることが怖い。
わかるから、怖い。
春野香純という名前は、恐らく姉さんがウチに来る前の苗字だろう。そして、そもそも姉さんがウチに来ることになった大きな理由は、両親を喪ったからだ。
「『搬送された』とあることから、彼女のご両親は何らかの事件や事故によって、……還らぬ人となってしまったのでしょうね」
七海さんは静かな声でそう言った。
こういう文面はテレビのニュースでよく見かける。痛ましい事故や事件の被害が無機質な字幕と共にアナウンサーの声で読み上げられるのを、ぼくはよく目にする。
それに対して、何も思わないわけではない。可哀想だと思い、けれども遠くの他人事だから、すぐに自分のもとを通り過ぎる。
でも、姉さんのことなら違う。他人事のように思えないし、自分のことのように辛くて悲しいーーそう思いながらも、ぼくはきっと姉さんの深い悲しみは分かりきっていない。
ぼくにはちゃんと両親がいる。家では冴えない父さんも、お節介な母さんもいる。それは当たり前の光景で、二人が急に居なくなるなんて思いもしない。
それを姉さんはある日突然喪ってしまったのだ。日付からして、たった四歳の時に。
これからタイムスリップをする先に待ち受けるのは、そんな幼い女の子なのだ。
「夕霧くん……夕霧くん? 大丈夫ですか?」
七海さんが心配そうに、ぼくの顔を覗き込む。
「すみません、考えごとをしてしまって」
何とか答えると、七海さんは穏やかな口調でぼくに語りかける。
「夕霧くん。ここまで連れてきて何ですが、無理に時間移動をする必要はないんですよ」
「え?」
「この情報からして、直接介入しなければならない案件ではないと思います。様子を見届けるだけ、なんですから。タイムマシンを使わずとも、今得られた情報だけで十分ではありませんか。行ったところで……」
七海さんはその先を言わなかったーーただ、七海さんの言いたいことはわかる。
行ったところで。
何も救うことはできないし、ただ幼い姉さんが悲しむ姿を見て、ぼくが苦しむだけだと。
七海さんの気遣いに甘えて、このまま引き返してしまった方がぼくの気は楽になると思う。
でも、ぼくは、
「ぼくは行きたいです。タイムマシンで過去の姉さんに会いたいです」
はっきりと宣言する。
「機会があるのなら逃したくない。そして改めて姉さんと話がしたいです」
漠然とだけど、姉さんの悲しい過去には予想がついていた。覚悟はできている。
「そうですか。では、」
七海さんがキーボードで素早くタイピングすると、電話ボックスの形をしたタイムマシンの扉が開いた。
「過去のお姉さんに会いに行きましょう。お姉さんの真実の一端でも掴めるように」
「夕霧くん、着きましたよ」
目を開けると、ぼくたちは大きな建物の陰に居た。目の前の木々が並ぶ先には駐車場が見えて、後ろには大きな病棟があった。
本当に来てしまったらしい、過去に。
それにしても、時間移動がここまで平衡感覚が狂うようなものだとは思わなかった。一応、それを見越した七海さんから薬をもらって飲んでいたけれど、それでも目を開けていられないほどだった。
「……このあたりはまだまだ改良の余地がありますね。自分で乗るのは久しぶりですが、相変わらずキツいなぁ」
七海さんも言葉通り辛いようで、額を押さえながらタイムマシンから降りる。
それにしても、タイムマシンとは思えない見た目だ。電話ボックスとして完全に周囲に溶け込んでいる。
「一応隠蔽措置はしていますが、それがなくともバレにくいのです。この時代はまだ電話ボックスが少なくなかったですから」
確かに。最近は電話ボックスを見かけることが少なくなったらしいーーらしいというのは、ぼくが電話ボックスが少ない最近しか知らないからなのだけれど。
今度、ユカリちゃんに電話ボックスを知っているか訊いてみよう。
「現在の時刻は18時20分です。指定された時間の10分前ですね。このままお姉さんの元へ向かえばちょうどタイミングが合うでしょう」
「そうですね」
この病院に姉さんがいる。危篤状態の両親を案じているはずだ。
結末を知っているから、やる瀬ない。ぼくには何もできない。見守るしかない。
「夕霧くん。お姉さんに会おうと決めたんでしょう。怖気づきましたか?」
「……すみません。大丈夫です。行きましょう、七海さん」
ぼくは七海さんと並んで、病院の入り口に向かって歩く。
「ところで、姉さんはこの病院のどこに居るんでしょうか? あのパソコンには書いてありませんでしたけど」
「そこはそれ、受付で訊くしかないでしょう」
「え、でも、どうやって……?」
病院に入り口から入って、広いエントランスにある受付に、七海さんはスタスタと歩いて行く。
「すみません」
七海さんが呼びかけると、受付にいる白衣の女性が応対してくれる。
「はい、どうされましたか?」
「私は春野香純さんの友人です。香純さんのご両親が危篤状態と聞いて、香純さんのことが心配で心配で心配で、おっとり刀で駆けつけたんです。香純さんはどちらにいらっしゃいますか?」
七海さんは滑らかに嘘をついていた。しかも、必死に友人を案じるような表情まで浮かべている。
受付の女性は七海さんの真摯さに心を打たれたのか、あっさりと姉さんが居るであろう集中治療室の近くまで案内してくれた。
「七海さん、よくもまああそこまで滑らかに嘘をつけますね」
「あの口八丁はお兄やお姉から学びました」
七海さんは誇らしげに言った。お兄やお姉というのが誰のことかはわからないけれど、少なくとも七海さんにあまり良い影響を与えていないであろうことはよくわかった。
受付の女性によくお礼を言ってから、角から集中治療室の前を覗き込む。
そこにあるベンチでは、二人の人間が座っていた。
一人は、灰色のスーツを着た女性だ。治療室の方ではなく、もう一人の女の子の方に気遣わしげな視線を向けている。
もう一人の女の子ーー薄桃色のワンピースを着たセミロングの、小さな女の子。
十年以上前でもわかる。姉さんだ。
スーツの女性が何か話しかけているようだけれど、小さな姉さんは何も反応しない。
姉さんに表情はない。俯くわけでもなく、かと言ってどこを見ているようでもない。
光を失った真っ暗な瞳、あらゆる感情が抜け落ちた表情は、ええと、そう、憔悴しきっているようだった。
四、五歳の幼女が浮かべるような表情じゃない。大人びている、いや大人でも受け止めきれない現実が小さな女の子の上にのしかかっている。
「夕霧くん、……どうですか?」
隣にいる七海さんが潜めた声で訊いてくる。
「間違いなく姉さんです。悲しそうというか、辛そうというか……」
ぼくが口ごもってしまうと、周囲を警戒していた七海さんも一緒になって覗き込んだ。
「一緒にいるのは恐らく警察の人でしょうね。ご両親が何らかの事故や事件に巻き込まれて、別の場所にいた娘ーーお姉さんを連れてここに来たんだと思います」
「そうですね。親戚の中にも心当たりはありませんでしたから」
「今の時刻は18時50分です。あと10分ほどでお姉さんのご両親は……」
姉さんの両親はもう間もなく亡くなる。
あんなに憔悴しきった姉さんでも、両親が助かることを願っているはずだ。けれど、その願いは叶わない。
姉さんはどれほど絶望したことか。
あんな小さな女の子に降りかかって良いレベルの不幸じゃないだろう!
ぼくの知る姉さんが時折浮かべる寂しそうな表情は、この時に抱く深い悲しみによるものなのか。
だとしたら、ぼくには。
ぼくには姉さんに何ができるんだ?
「君たち、ここで何をしているんだ?」
急に声をかけられて、ぼくと七海さんは跳ねるように驚いた。白衣を着た男性がぼくたちに厳しい視線を向けている。
「あの、えっと、」
「ここは君たちが来て良いところじゃない。出て行きなさい」
「でも、ぼくたちは、」
「夕霧くん、行きましょう。あまりこの時代の人と揉めたくありません」
七海さんに手を引かれて、ぼくは集中治療室の近くの廊下から去ることになった。
その時、名残惜しさから視線だけでも姉さんの方へ必死に向けていると。
幼い姉さんの暗闇のような瞳と目が合ったような気がした。
「すみません、私が警戒を怠ったばかりに」
「しょうがないですよ、ぼくたちは部外者なんですから」
ぼくたちはそのまま病院を出て、元来た道を引き返している。姉さんの様子を見届けられない以上、この時代にもう用はない。
まだまだ実感しきれていないけれど、タイムスリップという特別な経験と、今まで訊けなかった姉さんの過去を見たことから、得られたことは多い。
……それに、七海さんに手を引かれて立ち去ったけれど、あのまま姉さんが両親を失った瞬間を見るのは、ぼく自身が耐えきれなかったと思う。
大好きな姉さんが悲しむ姿はやっぱり見たくない。ぼくよりも歳が幼い頃の姉さんが悲しむところなんて見たら、きっとぼくの胸が潰れてしまう。
だから、これで良かったのかもしれない。
「タイムマシンはちゃんと無事のようですね。誰かに不審に思われる前に、乗り込んじゃいましょう」
タイムマシンのところまで戻って早々に、七海さんは乗り込んでマシンを操作している。
ぼくも一緒に乗り込むと、少し狭くなる。電話ボックスは本来一人用だから、小学生二人で何とか収まっている感じだ。
「準備は良いですか?」
「はい、いつでもどうぞ」
「それでは行きますよ! 3・2・1、イグニッション!」
ロケットを打ち上げるような七海さんのかけ声で、ぼくたちを乗せたタイムマシンは未来に向けて戻っていくのだった。




