チョコレート狂想曲
滑り込みでバレンタインデー特別編です。
本当はいつもの面々で書きたかったのですが、今後本編でバレンタインデーを扱いたいと思い、今回は兄妹や咲良ちゃんの両親たちの高校時代の話をお楽しみください。
2月14日。バレンタインデー。
俺、葉山光一にとって、決戦の日である。
チョコを貰えるかどうかではなく、貰ったチョコを食して無事でいられるかという意味で。
俺には幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた、光野姫香という彼女がいる。世に言う幼馴染。中学から高校の今まで連んでいる友人、寺井洋介に散々囃し立てられ、からかわれ、後押しされてようやく彼氏彼女の関係になれた、大事な彼女だ。無邪気で可愛らしく心優しいーー勉強が得意でなく天然で人を振り回すところも含めて、姫香以上の女の子を俺は知らない。
そして、彼女以上に殺人的な料理を作る女の子を俺は知らない。
調理が不器用で味付けが下手、というレベルを通り越している。漫画みたいに衝撃的な味で、漫画みたいに生死の境を彷徨う。
周りの人たちの協力も仰いで、何とか姫香に料理をさせる機会、そもそも料理をしようという発想までなくさせようとしていたのだけれど、今日ばかりは避けられない。
気持ちだけ受け取れないのがバレンタインデーだ。
しかし、今日のための備えはきちんとしてある。
その手の惨状を知っている寺井洋介に頼んで、同じクラスの面々の協力を取り付けることに成功した。
決戦の朝、俺は隣を歩く戦友に声をかける。
「洋介、今日は大丈夫だよな?」
洋介はネックウォーマーに顔を埋めながら答える。
「ああ。手筈通り、今年は茉衣子さんに姫香さんのチョコ作りを手伝うようにお願いした。予防線は色々張ったが、その時点でもう安全と考えて良いぜ」
茉衣子さんーー宮野茉衣子さんはクラス委員長にして、俺たちと親しい友だちだ。品行方正、真面目で優しく美人。…………特に彼女と洋介は仲が良く、互いに好き合っているのではないかと考えているのだが、果たして。
ともあれ、彼女が姫香の料理を見てくれたのなら大丈夫だろう。滅多なことにはならないと思う。
「一応、茉衣子さんに連絡してみるわ…………っと、噂をすればあっちからかかってきた」
洋介は着信音の鳴った携帯を耳元に当てる。
「もしもし、わたくし警視庁の者です。寺井洋介さんの携帯電話を預かっておりまして、代わりに応対させていただいております。寺井のご友人の方でしょうか」
『ものすごくそれらしい応対をされて一瞬戸惑ったけど、あなた洋介くんよね⁉︎ 紛らわしいことをしないでください!』
電話口から宮野さんの叫ぶようなツッコミが、俺の方にまで届いてきた。洋介は宮野さんに対してだけ、執拗に弄ったりボケたりする。
「あー、悪かったよ。ちょうど俺の方からも姫香さんのチョコについて訊こうと思ってたんだ。…………ああ。……ああ、光一に謝るって何だ? ………………はっ⁉︎ え、その一瞬で? …………わかった。大丈夫だ、気にするなって、茉衣子さんは悪くねーよ。じゃあ、また後で学校でな」
電話を切った洋介は、引き攣った表情を俺に向ける。洋介の電話での相槌からしても嫌な予感がするのだが。
「すまん、光一。最強の第一関門が突破されてしまった」
曰く、こういうことらしい。
宮野さんと一緒に作っている時点では普通のチョコだった。しかし、調理の途中で宮野さんがお手洗いで数分席を外していて、戻ってきたら刺激臭と微かな煙を発する物体に変わっていたという……。
宮野さんは非常に申し訳なさそうにしていたが、洋介も言ったように彼女のせいではない。
どうやったら、チョコを作るだけの工程で刺激臭と微かな煙を発することになるのか。人知を超えている。
というより、そんなものを食べたら俺の命が保たない。
青ざめる俺を見た洋介は慌てるような口調で、
「光一、心配するな! まだ色々手は打ってある。水川に姫香さんチョコの成分の採取と毒物の中和を頼んである」
およそチョコに対しての文言とは思えない発言が聞こえたが、それはさておき、水川の協力は心強い。
水川行成もまたクラスメイトで、発明家でもある。彼の作った発明品でSF関係のトラブルに数多巻き込まれたことがあったけれど、味方になればこの上なく頼もしい奴だ。
すると、今度は俺の携帯の着信音が鳴った。通知を見ると、水川からの着信だった。
「水川か? 洋介から聞いたよ。水川が協力してくれてるって」
『はい、その件で僕は葉山くんに電話をしました。そして、申し訳ない。僕は失敗してしまいました』
「え、失敗?」
『はい、すでに寺井くんから聞き及んでいるでしょうが、僕は光野さんのチョコから微量を採取し分析、毒物を中和させようとしました。しかし、分析の結果、未知なる物体が発見されました。性質からして人体に悪影響を与えることに間違いないのですが、既存のどの毒物にも合致しない。つまり、中和を施すこともできないのです。…………どうか、お達者で』
嫌な感じで電話が切れた。
洋介を見た。洋介まで青ざめている。
「ま、ま、ま、まあまあ、大丈夫だ! まだ大丈夫だ。水川には、危険要素を除いた上で、限りなく姫香さんが作ったものに似せたチョコを用意させた。それを本物とすり替えさせれば……おっ、かかってきたな」
先ほどから、俺たちの携帯電話がひっきりなしに着信を知らせる。普段はマナーモードにしてあるが、今朝は特別だ。
……ここからは、洋介が頼んだクラスの面々(主に武闘派)による活躍をダイジェスト気味にお送りする。
先祖が忍者の家系である服部服平。
『すまぬ! あるじからあるじの許嫁殿への偵察の任務を与えられ、こちらの任務は遂行できない。許せ、友よ!』
非公表政府特命エスパーの大園百合。
『ごめんなさい! 光野さんの周辺に妨害念波が張られていて、アタシの能力が使えないの。……ッ! ごめん、後でかけ直す!』
元某国軍部所属エーススナイパーの十三沢醍醐。
『…………言ったはずだ。スナイパーは誰の側にも立てない臆病な生き物だと』
異世界からこの世界に転生してきたらしい、ビアンカ=フローゼット。
『……わたし、魔法を習う前にこっちに飛ばされちゃったからさ、そういうのはさ、ね、』
活躍どころか謝罪のダイジェストだった。
俺と洋介があらゆる手段を講じては失敗するのを繰り返していった結果、その時は訪れた。
学校の前にまで歩みを進めていた俺たちは、校門の前で手に息を吐きかけながら待っている姫香の姿を認めた。
制服の上に薄い桃色のコートを着て、マフラーを巻いた冬場の格好。俺の姿を見つけて、ぱあっと笑顔の花が咲くーーバレンタインデーでさえなければ、どれだけそれが俺の目に眩しく映ったろう。
「おはよっ、光一♪ 寺井くんも。今日はわたしの方が早かったねっ」
機嫌良く挨拶する姫香に、俺たちは「「お、おはよう」」とぎこちなく返す。
悪意のない純粋な姫香の笑顔が今はとても恐ろしい。
最早打つ手をなくした俺たちに残ったものは、もう互いへの友情のみだ。
「もう、終わりを受け入れるしかないのか」俺は小声で言った。
「何があろうと、一人で逝かせはしねーよ」洋介も小声で言った。
ルーベンスの絵を前にしたネロとパトラッシュのような固い友情。その場面のBGMまで聴こえてきそうだった。
そんなことなど露知らず、姫香は俺たちに無邪気に笑いかける。
「なぁに? 何か内緒話してるの?」
「いや、別に。それよりもずっと待ってて寒かったんじゃないか。校舎に入ろう、姫香」
「ううん、ちょっと待って。……ちょっと、だけ」
顔を少し赤らめてソワソワしだす姫香。
二人の邪魔をしたら悪い。そう言わんばかりの表情で立ち去ろうとする洋介の腕を掴む。「裏切らない」と言ったよな?
「今日はバレンタインデーでしょう。だからね、チョコを作ってきたんだ。いつもお世話になってるから、寺井くんにも義理チョコを……」
姫香が言いかけた瞬間、洋介は俺の手を振り払い全力で校舎へと走って行った。脇目も振らず全力疾走だった。
「待て洋介! お前、裏切らないんじゃなかったのか!」
洋介は走りながら振り返る。
「お前を裏切らないのと、自分の身に降りかかる火の粉を避けるのは別の話だ! 姫香さん、俺のことは良いから愛情たっぷりのチョコは全部光一にあげてやれよ。じゃ!」
かつて親友だった裏切り者はそう言って、校舎の中へと消えていった。「そんな、愛情たっぷりなんて……」と照れている姫香。作ったチョコが厄介もの扱いされているのを聞き逃している。
孤立無援となった俺。冬の風がさらに冷たく感じられる。
「光一?」
姫香が下から俺の顔を覗いてくる。どこか不安げな表情で。
「もしかして、チョコ、迷惑だった?」
「いやいやいやいや! 迷惑じゃない! 迷惑じゃないんだけど、俺もチョコは……」
「あのね、今年は、その、恋人になって初めてのバレンタインデーでしょう。だから、どうしても食べて欲しくて張り切っちゃったの。今日も先に校門で待ってたりして。でも、もし迷惑だったら……」
「迷惑なんて、とんでもない! 食べる! 食べたい! 食べさせて!」
叫ぶように、俺は言った。
迷いも後悔もない。姫香が気持ちを込めて作ってくれたチョコレートだ。俺が受け取らずして、誰が受け取るというのか。いや、姫香のチョコを他の誰にも渡したくない。
気持ちが決まれば、行動は早い。
俺は姫香から可愛らしく包装されたチョコを受け取る。開けると、そこからは話に聞いていた刺激臭がして微かに煙が出たチョコがあった。「ゲテモノほど案外食ってみると美味かったりするんだよな」という洋介のいつかのセリフを思い出しながら、俺はチョコレートを口に入れる。
途端に、俺の内側で姫香の思いでいっぱいになった。胸がいっぱい。……いっぱいいっぱいになって、その思いは重く重くなっていき……。苦しいのは一瞬だけ。その後は快楽にも似た意識の喪失が訪れる。
意識が途切れそうになりながらも、俺は最期に振り絞るようにして姫香に伝えた。
「チョコレート、……ありがとな……」
壮絶な表情を浮かべて倒れ伏した友人を、昇降口から密かに眺めていた寺井洋介は苦笑を浮かべながら言った。
「ま、オチは読めてたよな……」
※
朝、救急車に運ばれていった光一を見送り、俺、寺井洋介はあっという間に放課後を迎えた。
冴えない俺にとっては、本来バレンタインデーなんて縁のない話だ。普通の平日と何ら変わりはしない。チョコなんていつでも食えるしな。
コンビニでチョコでも買って帰ろう。そう思った時、誰かに学ランの肘の部分をそっとつままれた。何事かと振り返ると、茉衣子さんが何やら緊張した面持ちで立っていた。
「あん? どうした? 何か用か?」
「洋介くんは、今日って誰かからチョコ貰ったの?」
引き止めた用事がそんなことかと、俺は何故だか一瞬ガッカリしたような気分になった。
「いや、誰からも貰ってねーよ。帰りに自分用に買って帰ろうかと考えてたくらいだぜ」
ありのままを答えると、茉衣子さんは安心したように表情を明るくさせた。
「あの、手を出してくれる?」
「手? なんで?」
「良いから! ほら!」
「お、おう」
言われる通りに手を出した。茉衣子さんは辺りをキョロキョロと見回しながら、サッと俺の手の上にプラスチックの袋に入った何かを置いた。白いリボンで口を縛った青い袋だ。
「茉衣子さん、これは……?」
「早くしまって! 早く!」
「え、あ、ああ!」
また彼女の言葉に従って、俺はそれを鞄の中に滑り込ませた。
「茉衣子さん。もしかして、これってチョコか?」
「そうよ。……あ、でも、義理よ、義理! そう! 洋介くんにはいつも仕事を手伝って貰ったりしてるから、そのお礼に」
「なるほど……。ありがとな」
一瞬どきりとしたが、茉衣子さんが義理というなら義理なんだろう。それでも、チョコレートをくれるだけ嫌われていなかったのは、まあ、嬉しくなくもない。
「じゃ、じゃあ、私もう行くわね。ごめんなさい、引き止めちゃって」
「いや、こっちこそありがとな。この義理チョコ、どこで買ったんだ?」
何の気なしに訊いてみたが、茉衣子さんは気まずそうな、恥ずかしそうな、形容の難しい表情を浮かべた。まずいことを訊いてしまったか。
「ああ、別に何となく訊いただけだから、答えなくても、」
「手作り」
「えっ?」
「手作り、だから。その、味わって食べてくれると嬉しいわ。……じゃあね!」
普段「廊下は走らないで」と注意する茉衣子さんは、逃げるように教室を出て、廊下を駆けて去って行くのだった。
そうか。手作りだったのか。
手作りの義理チョコ。
義理チョコのつもりでくれた茉衣子さんには悪いが、心臓が跳ねている。頬も緩む。きっとにやけてしまっているのだろうな、今の俺は。
チョコレートを渡すことと貰うこと。それ自体に特別な意味はなくて、重要なのは気持ちなのだろう。どれほどの好意を茉衣子さんがチョコに込めてくれたのかは知らないが、俺にとっては忽ち浮かれてしまうほど嬉しい気持ちだ。
他人事だと思って特に気にも留めていなかったことが、実感をもって理解することができたのだった。我ながら単純な男だと呆れてしまうが。
ま、何にせよ。
今日はどこにも寄らずに、真っ直ぐ帰ることにしよう。
光一くんは生きてます。でないと、咲良ちゃんが生まれないので(笑)。
お読みいただきありがとうございました。




