ゆうフレンズ(2)
教室に入って、自分の席に落ち着く。学校では基本的にはラノベは読まない。妙な誤解を受けやすいというのもあるが、もっと大きな理由は、教室という場で読書なんてしていたらぼっちまっしぐらになってしまうからだ。本を開くことはすなわち周囲へのバリケードを展開することと同義であり、それほど社交的でない私が自らコミュニケーションのきっかけを潰すようなことはあってはならない。私にだって普段話す友達くらい居る。貴重な関係だ。大事にしなければ。…………まだ来ていないようだけれど。
ところで、このクラスには一際目立った存在が居るーー彼女の名前は寺井優雨。
どこのクラスにだってコミュニケーション能力が高く人受けする人気者は居るだろうが、彼女はその比じゃない。
モテモテなのだ。女子に。
ビジュアルは良いが、男性的な魅力ーー例えるなら宝塚の男役のようなカッコよさではなく、むしろそれとは真逆な小柄で可愛らしい風貌だ。自身が可愛い女の子であるけれど、彼女はそんな自分はさておき可愛い女の子が好きなのである。そう公言している。憚りもなく。
彼女は軟派なナンパ男のような口ぶりやアクションで次々と女子たちを手篭めにしている。私が遠巻きに見聞きした限りでは、それらの好意は真っ直ぐ女子たちに向けられており、それほど印象は悪くなかった。彼女に落とされた女子たちも彼女を可愛がっているので、双方相手を可愛がっている不思議な関係性だ。共学であるにも関わらず、ほぼ全ての女子たちを彼女に奪われ、男子の面目も立場も丸潰れである。これは結構側から見ていて面白い。
ちなみに、私が他人事のように言っているのは、そのまま他人事だからであり、私は寺井さんから口説かれたことは一度もない。仲が悪いという訳でもなく、単にコミュニティーの違いからじゃないか、と私は考えている。彼女の審美眼に引っかからなかっただけと言われればそれまでだが。
小市民はスターをよく見ている。
スターに個は映らない。
スポットライトの当たらない私は、今日ものんべんだらりと…………。
「おーはよっ、雪水ちゃん♪」
過ごそうと思った私の目の前に、陽気な声と顔が現れた。
ぱっちりと開かれた瞳に、ちょっと可愛らしくつき出た鼻と唇。柔らかそうな肌。ぴょこんと横に跳ねた癖毛と前髪からはフローラルな香り。
一瞬意識が飛んだような心地がした。
噂をすればーーただ脳内で思い浮かべていただけだけれどーー寺井優雨がそこに居たのである。
「お、おはよう……」
近い距離に少々仰け反り、吃りながらも、何とか挨拶を返す。驚きのあまり固まらずに済んで良かった。挨拶をしたら、すぐに去って行くだろう。そう思って挨拶と共に浮かべた薄い愛想笑いを貼りつけていたが、何故だろう、彼女は私の前から立ち去ろうとしない。どころか、私の全身を隈なく眺めている。まじまじと、あるいはジロジロと。
「あのー、…………寺井さん?」
「優雨で良いよっ」
にっこり笑って彼女は言う。やはり可愛らしい。
しかし、いきなり下の名前で呼べと言われてもなぁ……。まあ、本人の要望なので従おう。
「じゃあ、優雨……さん?」
「『さん』は固いよ。『ちゃん』とお呼び」
何、その女王様のような口調は。
「ちゃんとお呼び。……『優雨ちゃん』と、『ちゃんとお呼び』。……うぷぷぷ」
「え? …………ん? ああ、ダジャレ?」
いきなり言われたので、驚いて上手く反応できなかった。いや、言ってしまえば、先ほどからずっと驚きっぱなしではあるのだが。
寺井さん、もとい、優雨ちゃんの目が不満げに細まっていく。
「雪水ちゃん、そこはちゃんとツッコんでくれないと! 『いや、上手くないからな』って」
自分でも上手くないと思ってたんかい。
「んー、もしかして、雪水ちゃんのツッコミって『きらら系』?」
「『きらら系』って何?」
まんがタイムきららの何かを指しているということはわかるけれどーー私もある程度はオタクだからね。
「説明しよう! 『きらら系』のツッコミとは、ツッコミのセリフを声に出さずに、モノローグで叫ぶタイプなのである!」
「いや、『きらら系』と言わずに、そのままその説明をすれば良かったんじゃ……」
「お、良いね、そのテンポ。ちょうだいちょうだい。もっとちょうだい」
「ちょうだいと言われても」
それに、声に出してするツッコミも普通にあるんじゃないだろうか、『きらら系』ーーそこで、はたと気づいた。
いつの間にか、完全に優雨ちゃんのペースに乗せられている。
ボケとツッコミが日常会話で成立してしまっている。ラノベの中じゃあるまいし、そんなことそうそうあり得ない。オタク同士の会話ならまだしも……。
妙な危機感を抱いていたら、私の席にもう一人の女子が近づいてきた。セミロングの髪に知性的な顔立ちの美人、このクラスのもう一人の有名人である雲居香純だ。
「おはよう、優雨ちゃん。朝から元気が良いねえ。今度はどんな良いことがあったんだい?」
香純さんーー彼女は周囲から苗字で呼ばれることを頑なに拒まれているためこう呼んでいるーーは、顔立ちも派手だが、優雨ちゃんとは違う面で目立つ存在である。すなわち圧倒的な秀才。クラスという単位である程度勉強のできる人なんてざらに居るけれど、全教科満点近く取れる存在なんてツチノコ以上に居やしない。それこそ、二次元でなければ。彼女自身物静かであるからか、生徒間でそこまで話題にもならず、教師陣も特に持て囃したりはしないーーまるで彼女の方から言い含められているかのように。
香純さんが完全記憶能力を持っているなんて噂まであるが、案外本当なのかもしれない。
「優雨ちゃん、また女子を口説いているのかい? 好きだねえ」
「口説くってよりも、仲良くなりたいだけだもん。好きだからね」
香純さんが優雨ちゃんと穏やかな表情で話しているのを見ると、一クラスメイトの目から見ても少しホッとする。
正直なところを言うと、少し前までの彼女は怖かった。誰にでも丁寧語を話し、行き過ぎたほど物腰が柔らかかった。大抵の人は彼女がそういう人だと認知し、そもそも彼女によって違和感を持たせられなかったようだけれど、多分私だけは彼女が何かを隠しているように思っていた。それが何かはついぞわからなかったけれど、最近の彼女は変わった。彼女が纏っていた張り詰めたような見えない迫力が解けて、多分素の状態であろう、ボーイッシュな口調で同級生に話すようになった。
多分、優雨ちゃんのおかげだろう。
優雨ちゃんはずいぶん前から香純さんに近づいていて、くっついていて、側を離れなかった。香純さんも優雨ちゃんには少し気さくに接していて、そういう時間が彼女の厚い殻を破っていったのだと、私は勝手に思っている。
そこまで親しくもないから本当のところはわからないけれど、見ていてわかる程度のことはわかるのだ。
まあ、打ち解けたところで、彼女のスペックの高さには変わりないんだけれど。
香純さんを打ち解けさせた優雨ちゃんもやはり只者じゃないんだけれど。
この人たちは特別だ。凡俗な私とはきっと見える世界が違う。
それを羨ましくは思わないけどね。
何やら優雨ちゃんと話していた香純さんと、ふと目が合った。ただ見られているだけなのに、まるで今考えていたことを全て見透かされているような感覚があった。流石に気のせいだよね。
香純さんはフッと唇を緩ませたかと思うと、優雨ちゃんの方に向き直って、
「優雨ちゃん、海野さんを家に招いてみるのはどうかな?」
こんなことを言い出した。
何故だ。
「家に? え、なんで?」
「香純ちゃん、ナイスアイデアだよっ。密かに狙い続けていた雪水ちゃんと親密になるにはうってつけだよっ!」
私とは対照的に陽気な声でそう言う優雨ちゃん。
その魂胆を私に聞かせても良かったのか?
「いや、あの、嫌じゃないんだけど、別に優雨ちゃんの家に用事はないよ、私」
「んー、そうだよね。ちょっと待って、今口実を考える」
口実を考える宣言を私にしても、だから、良かったのか?
優雨ちゃんと一緒に考え込んでいた香純さんは、すぐに何かを思いついたように目を少し見開いて言った。
「そういえば、優雨ちゃんと海野さんは英語の班が一緒だったよね? 来週の英語の時間に班単位での発表があったはずだ。その打ち合わせをしてみたらどうかな?」
頭の回転が早い人怖い!
「いや、でも、」
強引に展開に巻き込まれそうな気配をなんとかしようと、私が何か言い返そうとすると、
「学校で勉強するのも良いが、ふさわしい場所があるとは思えない。自習室は秋のこの時期は受験が近い三年生に使われている。図書室は話し合いの場に向いていない。この教室に居残るのも無理だ。職員室にあった紙で見かけたんだが、PTAの話し合いの場所に使われるらしい。となると、学校からもそう遠くない優雨ちゃんの家が場所として適していると思うんだ。いかがかな?」
いかがも何も反論の余地がない。
頭の回転が早くて弁がたつ人怖い!
「ねっ、雪水ちゃん、一緒にウチで勉強しよっ!」
虎に翼。寺井優雨に雲居香純。
海野雪水のごときモブキャラに敵うはずがなかった。
「わかりました。お邪魔させていただきます」
こうして私は、脈絡なく、訳もわからず、有名人二人に担がれて、その家に連行されることになったのだった。




