番外編・父の日
二年前の父の日に気まぐれを起こして書いたものです。
この俺、寺井洋介が再び小説の語り手をする羽目になるなど誰も思いもしなかっただろうが、この事実に対して他の誰よりも驚いているのも、またこの俺自身なのである。
ちょっと待て、いや、すごく待てと言いたい。
なぜ、俺が語り手を? 晴輝や優雨でなく?
俺はもうコレの現役はとっくに引退しているんだ。
俺はもうとっくに高校を卒業し、大学へ進学、就職して、結婚までして二人の子宝に恵まれたのだ。
俺はもうおっさんなのだ。
そりゃあ、高校生だった頃には数々のエピソードを語ってきましたよ、そんな時代もありましたよ。だがな、俺ももういい歳なんだよ。
ちょっと擦り剝いた程度のケガの治りが遅くなったりさ、朝起きて、あれ、なんかおっさんの臭いがするぞ? と思ってその臭いの元をたどったら自分の枕だったりさ、そんな歳なんですよ。
だからね、こんなライトノベルもどきの語り手なんてもうやってらんねーんだよな、悪いけど。
じゃあ、俺もう帰るから。愛妻と子供たちの待つ家に帰るから。お互いにもっと有意義な時間を過ごそうぜ。
…………。
段落を空けて場面転換はされても、この職務からは解放されないらしい。
良いだろう。状況が掴めないし、不本意ではあるのだが、仕方ない、やってやろうじゃないか。
俺が語る今この時は、六月の第三日曜日の夜のことである。
本来ならば、日曜日のこの時間は家でのんびり過ごす時間なのだが、職場でちょっとしたトラブルが発生したため、ヘルプ的ピンチヒッター的な感じで出社しなければならなくなり、今はその帰り道なのだ。
先ほどから愚痴ばかり言っていて申し訳ないのだが、こればっかりは許してもらいたい。日曜日に仕事、というのはどうあっても萎える。精神的に。
もうすぐ家に着きそうではあるものの、腕時計で時間を確認すると、ああ、サザエさんはもう終わってしまったな。
玄関前に明かりの点いている我が家の前に着いた俺は、しかし、暗澹たる気分で扉を開けた。
『お帰り、父さん(お父さん)』
あな珍しや、子供たちが二人揃って俺を玄関で出迎えたのである。子供たちは高校生になって、だんだん素っ気なくなってしまって、それが密かな悩みの種だったのだが、これは本当に珍しい。
「ただいま。一体、どうしたんだ、二人揃っての出迎えとは?」
と訊くと、逆に優雨が訊き返してきた。
「ね、お父さん。今日は何の日か分かる?」
何の日かって? 今日は普通の日曜日だろう?
何か特別なイベントがあっただろうか、と考えてみるが思い当たる節がない。六月は祝日もないはずだ。
「いや、分からん。誰かの誕生日か?」
と俺は言うものの、少なくともうちの家族は四人とも六月生まれでないことは分かっている。
先ほどからクエスチョンマークが続くなあ、と思いながらも兄妹の顔色を窺うと、二人はお互いに正反対のリアクションを取っていた。
晴輝は勝ち誇ったような、優雨は敗北を喫したような、そんなリアクションである。
「はは、だから僕は言っただろう。父さんは、他人の記念日は覚えていても、自分の記念日は全然覚えられない人だって」
「えー。ねえお父さん、ほんっとーに覚えてないの?」
「ああ。分からないし、覚えてもない」
「だそうだ。さあ、約束は守ってもらうぞ、優雨」
「兄さん、マジで妹にジュースをおごらせるつもり?マジで妹に集るつもり?」
「集るとか、人聞きの悪い言い方をするな。大マジだよ。大体、負けた方がジュースをおごるって話を持ち掛けてきたのはお前だろう」
「ちぇっ」
「そして、約束を守れとしつこく言ってきたのもお前だ」
「ちぇっ、ちぇっ」
まったく。口は悪いが、なんだかんだで仲の良い兄妹だ。一体、誰に似たのやら。まあ、それは嬉しい限りであるのだが、
「そろそろ、俺を家に上がらせてくれないか」
俺にはよく分からない理由でブウブウギャアギャアワンワンニャゴニャゴ揉めている晴輝と優雨と共にリビングに向かう(その時優雨が鞄を持って行ってくれた。本当に今日はどんな日なんだ?)。
俺の部屋は二階にあるのだが、少し億劫だったため、優雨にはリビングのソファのところにカバンを置いてもらい、俺はスーツの上着もまたリビングにあるハンガーにかけておいた。
さて、晴輝と優雨が二階に上がっていくのを見届けてから、我が愛妻はどこかなあとその姿を探すと、キッチンの方にいた。どうやら晩飯の準備をしているようだ。
俺は、スープを煮込んでいるらしい彼女のもとへと向かった。
「ただいま、茉衣子」
「お帰りなさい、洋くん。今日もお疲れさま」
おたまを持ったまま、エプロン姿の茉衣子は優しい微笑みを浮かべた。
ちなみに、俺たち夫婦のお互いの呼称は大学時代から変わっていない。
晴輝が生まれたときに、一度「おとうさん」、「おかあさん」と呼び合おうとしていた時期もあったが、二人ともなんとなくしっくりこなくて、結局元のままになった。
しかし、なんでだろうな。俺と同じく四十代に差し掛かったはずなのに、茉衣子は高校時代に初めて会った頃と同じくらい、いやそれ以上に可愛くて美人である。
「そんなことないわ。それを言うならあなたの方が若々しいと思うけれど」
「そうか? 俺は自分が確実におっさん化してきているのを感じるんだがな」
「でも、性格、というかキャラは変わらないと思う」
「キャラ? 『茉衣子との結婚生活が幸せすぎる! 美人は三日で飽きるという俗説があるが、その例外が俺の腕の中にいるぜ!』みたいな感じか?」
「そういうところ! やめてよ、もう。高校の頃は普通に私をイジってきたけれど、大学に入ってからは褒め殺ししにかかってるよね」
「褒め言葉の暴力!」
「暴力反対!」
と、こんな具合に妻とイチャついてから、俺はダイニングに向かった。テーブルの上にはすでに出来上がった料理が並べられている。
そして、その料理もなんと豪華なこと。
手作りのドレッシングのかかったシーザーサラダに、ローストチキン、おまけにホールのいちごのタルトまである。今日はクリスマスだったのか、ってぐらいのご馳走である。とてもうれしいのだが、その一方で俺の脳内はクエスチョンマークで溢れている。
分からない。今日はただの六月の第三日曜日じゃないか。
とりあえず俺は食事の席に着き、妻と子供たちが来るのを待つことにした。
どことなく落ち着かない心持で三人を待っていると、茉衣子がスープの入った器を持ってきた。さすがに四人分の器は一度に持ちきれないだろうと思い、思わなくても俺は茉衣子を手伝って器を運ぶことにした。
中身を見ると、どうやらビシソワーズのスープらしい。
「しかし、晴輝と優雨はなにをやってるんだ? もう飯ができたのに。呼んでこようか?」
「大丈夫よ。もう降りてくると思うから」
と、茉衣子が言うと、本当だ、二人分の階段を下りてくる音が聞こえてきた。そして、晴輝と優雨はすぐにダイニングに現れた。
包装紙に包んだ何かを持ちながら。
『父さん(お父さん)、いつもありがとう』
……やれやれ、子供たちのそんなたった一言で、俺はようやくすべてを理解した。
「ああ、今日は父の日だったのか」
子供たちからプレゼント(晴輝からはワイシャツ、優雨からはネクタイピン)を貰ってから、俺たちは茉衣子が作ったご馳走をいただくことにした。
食事は美味いわ、家族間の会話も楽しいわで本当に幸せなひと時だった。ちなみに、勘違いをしないで欲しいからあえて言っておくが、場面転換をしたのは、別に子供たちと茉衣子からのサプライズにうかつにも感動して泣いてしまったなんて理由ではないのである。良いか、勘違いしないでくれよ。
「そういや、晴輝。光一んとこの咲良ちゃんとはどこまで進んだんだ」
と、俺が訊くと、晴輝はブッと飲んでいたジュースを吹きだした。初心な息子め。
「父さん、いきなり何を言い出すんだよ!」
「俺は賛成だぜ。あの娘は、本当に気立てのいいお嬢さんだよ。あのバカップル夫婦にはもったいないほどのな」
「あら、私はあの二人の良い部分を、咲良ちゃんはちゃんと受け継いでると思うけれど。私もあの娘がお嫁さんなら大歓迎よ」
「母さんまで! 僕とあいつはそういうんじゃないんだってば」
「あーあ、わたしが男だったら、速攻で咲良ちゃんを口説きにかかるのに」
「でも、優雨にはそういう話がないよね」
「うん、別に百合の気はないんだけど魅力のある男がいなくてね」
「お兄ちゃんが好きだから?」
「お母さん、それだけは絶対にない。冗談でも言って良いことと悪いことがあるよ」
「僕も激しく同意だが、その吐き気を催したような顔は、なんかやめろ」
「晴輝は良いが、優雨はな……。いずれそういう時が来るのは分かっちゃいるが、やっぱ辛い、寂しい」
「ふふ。まだ、早いでしょう」
「そうだよ、わたしはまだまだお父さんの娘だし、それは例えわたしが結婚するようなことがあっても、変わらないよ」
「優雨、お前……」
「そういえば、今、唐突に、突発的に思い出したんだけど、わたし、新しい携帯ストラップが欲しいんだよね」
「父の日に父親にねだるな」
「そうだぞ、まったく。……あ、そういえば、今、唐突に、突発的に思い出したんだが、俺、今度の休日に雑貨屋に行く予定があったんだよな」
「あなたも簡単に釣られないで」
こんな感じに時間が流れていくのだが、ここまでわずかながらも語り手をやって来たのだが、もう語るべきことはあまり残されていない。
小説の体を装っているものの、そんな大層な話じゃあないんだよ。
食事を終えてからは、久しぶりに四人でトランプを楽しんだ。
大富豪では、俺と優雨が富裕層を独占し、茉衣子と晴輝から2やジョーカーを搾取したり。
七並べでは、優雨が上手い具合に列を止めていたため、晴輝が早々にパスを使い切ってしまったり。
特に笑えたのは、ババ抜きだな。最後に残った晴輝と優雨がいつまでもババを取り合っているせいで、これまたいつまでもゲームが終わらなかったりな。おかげでこのまま、日を跨ぎそうである。
すまんな、読んでいる方は面白くなかっただろうが今回の話はこんなもんだ。
父親であるこの俺が家族と父の日を楽しく過ごしました、というただの自慢話なのさ。
ちなみに、兄妹の両親は、私が高校生の時に書いていた作品の主人公たちでもあります。今に至るまでこき使われるとは、彼らも思っても見なかったでしょうね(笑)