ふーふー、コーヒー
11月22日(良い夫婦の日)にかけて、過去作を大幅に改稿した番外編を書いてみました。
本編をお待ちの方はすみません。
今回は兄妹の両親の話をお送りします。
十一月にもなるといよいよ肌寒さが冬のものとなり、秋なんて本当はなかったんじゃないかと思うくらいだ。
暑さが少しマシになってきたところで、暑いところからいきなり北極に突き落とされたような気分である。こういう時は暖房の効いた部屋にこもるのが良いと思うのだが、その一方で俺はとある楽しみを屋外に見出して、冷たい風の吹く中でも上着を着込みながら、ショッピングモールに身を置いていたーーとある楽しみというのは、俺の五十メートルほど前方に居る二人組のことだ。
男女の二人組。カップル。全く縁もゆかりもないカップルだったら、「リア充爆発しろ」の一言で済ませるところだ。しかし、俺がそうせずに二人組の後をつけているのは、彼らが他人ならぬ良く見知った友人たちだからである。
男の方は、葉山光一。身長が程よく高く、イケメンの一言で表すことのできる端正な顔立ち。勉強もできて、スポーツ万能。多くの嫉妬を買いそうな優秀さであるが、人当たりも良いので、女子はもちろんのこと男子からの受けも良い。…………それに、これを知る人物は多くないが、光一は大変な努力家だ。から、俺にとって光一は親友であり、素直に尊敬できる人間でもある。
一方、女子の方は光野姫香さん。テレビや雑誌を含めて、俺は彼女以上の美少女を見たことがない。姫香さんは愛嬌のある性格と美貌で、老若男女を問わず大人気。……その他のパラメータが壊滅的であるのもまたご愛嬌だ。ああ、でも、歌が上手い。びっくりするほど上手い。今でこそ俺も慣れてはいるが、ちょっとクラスでカラオケに行った時に彼女が歌った際には、クラスのみんなが揃って「呆然、感動、賞賛」の三連コンボを繰り出していたものだった。
そして、この二人は、なんとびっくり、仲の良い幼馴染同士なのである。出来過ぎだと思っただろう? 俺も思ったよ。美男美女の幼馴染カップル。もう「お幸せに」としか言いようがない。
端から見ていると二人がくっつくのに何の障害もないと思っていたのだが、しかし、当人たちはお互いにコンプレックスを持っていて中々自分の好意を打ち明けられずにいた。わからない話ではないが、双方の友人である俺からしたらもどかしいことこの上ない。
とっとと、くっつけ! 幸せになってしまえ!
俺が色々と双方のフォローに回り、結果、なるべくしてなったカップルが成立したのである。
おめでとう。実にめでたい。
そして、二人の初デートが今、現在進行形で行われているのだが、気にならない訳がないよなぁ⁉︎ 二人を結んだキューピッド(自分のことをこのように言い表すのも何だが)なのだから。
そんな訳で、俺は脳内から「野次馬根性」という言葉を削除しながらも、初々しいカップルの初デートを後ろから見守っているんである。温かい目で。友愛に満ちた、それはそれは温かい眼差しで。
「洋介くん、よくもまあ、そんなに自分のことを正当化できるよね……」
呆れたような口調で、俺の覗きに水を差すのは、お供として連れてきた宮野茉衣子さんだ。
宮野茉衣子さん。同級生。クラスの委員長。真面目。長い黒髪。ポニテ。以上。
「私の紹介だけひどくない? 単語の羅列じゃない」
「いやいや、何も言及しないよりかはマシだろ。特徴は捉えてるしよ」
「格差をつけないで、って言ってるの!」
腰に手を当ててぷりぷり怒っている。目をキュルリと逆三角形にして、おおこわいこわい。
だが、改めて言葉を尽くして紹介しなくても、この生真面目さんぶりで、茉衣子さんの特徴は十分伝わってるんじゃなかろうか。
「いーだろ、別に。それより、別に茉衣子さんがついてこなくても良いんだぜ。こんな寒い日に、しかも用事もなしに出歩く必要はねーだろ」
「あなたが何かやらかしてしまわないか心配で、見張っているの! 私だって好きであの二人のデートの覗きをしている訳じゃないんだから」
「何もやらかさねーよ、見てるだけだっての。それに、俺を見張るってんなら、無条件でストーキングの仲間入りだぜ」
「むぅ……。って、洋介くん。さっきから、自分の行動への言い方が悪化してきているけど、自分の罪状に気づいたのかしら?」
「いんや、俺は悪くない。語彙が豊富なだけだ」
「あなたのその自信はどこから出てくるの」
「んなことより、覗きに加担しないなら、とっとと帰れ」
「加担しないけど、帰りません」
「ったく。まあ、俺の暇潰しの相手をしてくれるんなら、…………暖かくしてろよ。風邪引くから」
「……あ、ありがとう」
その後も、何故か茉衣子さんという仲間を得ながらも、俺は二人の後をつけて行く。
二人がブティックに入った時は、その向かいにあるブティックに茉衣子さんと入り、光一たちの様子を見ながらも、せっかくだからと俺たちは俺たちでショッピングを楽しむことにした。
俺がイカすと思ってかけたサングラスは茉衣子さんに笑われてしまったが、悔しいことに茉衣子さんが自分で選んでかけたサングラスはよく似合っていた。ところで、せっかくブティックに来たのにサングラス選びしかしないのはいかがなものかと思わないでもない。
覗きをしながらだから仕方ないものの、今度まとまった時間を取って普通に茉衣子さんと来てみるのも良いかもしれないな。
光一たちが次に向かったのは、某ファストフード店だった。俺たちもお腹が空いていたので同じ店に入り、セットを頼んでから光一たちから離れた距離の席に座った。試しに新メニューを頼んでみたのだが、思ったよりも美味しい。
頬張りそうになったところで、目の前の茉衣子さんに目が行った。ハンバーガーを食べる時もポテトをつまむ時も、所作が美しい。具体的に何がと言うのが難しいのだが、とにかく美しい食べ方をするものだと感心してしまった。
「あの…………あんまり、見られると食べづらいんだけど……」
「ああ、ごめん。茉衣子さんって、食べ方綺麗だって言われないか?」
「食べ方? うぅん……、あまり言われたことはないかな。お母さんに昔よく躾けられたから、汚くはなっていないと思うけど、それがどうかしたの?」
「いや、食べ方が綺麗な人って良いなあって思っただけだ」
「ふぇっ⁉︎」
何故か持っていたハンバーガーをトレーの上に落としてしまう茉衣子さん。何かに動揺したのか、はたまた、歩き方を訊かれたムカデが歩き方を意識した途端に歩けなくなってしまった、みたいな話なのか。
よくわからないが、まあ、後を追う身なので、あまりゆっくり食べてもいられない。今度、カフェとかで茉衣子さんともっと落ち着いた時間を過ごすのも良いかもしれないな。
食事を終えた光一たち(と、後を追う俺たち)は、映画館を訪れた。ここは、このあたりの住民ならみんな観に行くような、そこそこ立派な映画館だ。五、六年前に建ったばかりなので、外装もまだそこまで劣化していない。上映期間がすでに終了している映画の広告をまだ看板に貼っていることから少々不安を感じさせるところではあるが。
ちなみに、光一たちが観に行く映画はすでに聞き出してある(もちろんついて行くことは言っていないが)。彼らが観るのは日曜朝八時台にテレビでやっている、魔法で変身する女の子のアニメ映画だーーこれは姫香さんの方の要望らしい。光一が一人で観に行こうものならたちまち大きいお友達の仲間入りであるが、彼氏として行くなら問題ないよな、あっはっは。
劇場の中に入ると暗くなって覗きも何もしようがないので、俺と茉衣子さんは同じ時間帯に上映する別の映画を観ることにした。内容はよく知らないが、CMで何となく見覚えはあって「大ヒット上映中」とか言っていたので、まあそこそこのクオリティは期待できよう。
「あの〜、洋介くん。そろそろ気づかないの?」
「ん? 何に?」
茉衣子さんが俺と目を合わせずによくわからないことを訊いてくるのだが、俺に何か気づいていないことがあるのか。しかし、俺の答えに不満だったようで、
「何でもありません!」
と、不機嫌気味にさっさと歩いて行ってしまった。半券をしっかり握り締めていることから、映画を観たくない訳ではないらしいが、茉衣子さんは一体何に機嫌を損ねてしまったのだろう。
しかし、わからないまま劇場に入り、茉衣子さんの隣に座席に座った時には機嫌が直っていたので、良いとしよう。
劇場の中が暗転し、宣伝や予告映像が流れ出す。そして、映画が始まる。
それから約二時間後、映画が終わった。色々と思うことがあったのだが、
「………………」
俺と茉衣子さんは揃って沈黙に支配されていた。映画自体には何の文句もない。文句がないどころか、とても良くできた恋愛映画だった。
内容は、高校の入学式でちょっとしたきっかけで出会った男女が面白おかしくも甘酸っぱい青春を過ごし、修羅場を乗り越えつつも男子の告白でハッピーエンド、その後も幸せそうに二人で過ごすエピローグで締めくくった、甘々なラブコメだ。
一人きりか、もしくは何人かの友だちと一緒に観るならば普通に楽しめたのかもしれない。が、二人きりの、それも男女の二人きりで一緒に観ると、変な気分にさせられてしまう。何なのだろう、このいたたまれないような気分は。
そして、茉衣子さんも同じ理由で沈黙しているのかどうかはわからないが、また目を合わせてくれなくなった。心なしか、また頬を赤らめているようだ。
俺は深呼吸をしてから、「行こうか」と劇場から出ることを促した。茉衣子さんはちょこちょこと小さな歩幅でついてくる。券売り場まで戻ると、世界は明るさを取り戻した。うっかり忘れかけていた、光一たちをストーキングするという目的も思い出すことができたしな。
今度、茉衣子さんと映画を観に行くことになったら、もっと内容について予習しておくとしよう。
再び俺たちは光一たちの後ろのポジションにつく。光一たちが最後に向かったのは、光一たちの家の近くにある公園だった。ここは彼らが幼少の頃によく遊んでいた場所だと話に聞いている。
俺が光一と姫香さんと知り合ったのは中学の頭の頃のことなので共有できる思い出はないが、彼らが抱くノスタルジーは想像するに余りある。
こればっかりは俺の方から何をしようもないから、ただ黙って見守るしかない。草葉の陰から見守るしかない(死んではないよ)。しかし、寒いな。身動きを取らずに冬の屋外に居るのは、身体が冷えてしまう。
ふと気づいて、茉衣子さんの方を見ると、やはり彼女も寒いようで腕で自分を抱くようにしていた。長居をしてもあまり二人に動きはなく(これまであまり光一たちの描写をしていなかったのはそのせいでもある)、茉衣子さんを寒い中にずっと居させるのも悪い。
俺が帰ろうと切り出そうとした時、茉衣子さんはポンと顔を真っ赤っかにして、目と口を大きく開けて、光一たちの方を指差しながらガクガクと震えている。一体何事かと、俺も茉衣子さんから二人の方へ視線を戻す。
二人はキスしていた。
大事なことだから、もう一度言うぞ。
二人はキスしていた。
ほんの短い時間ではあるが互いの唇を合わせていた。すぐに離れてしまったが、二人揃って照れ笑いを浮かべながら相手を見つめている。どうやら、俺と茉衣子さんは彼らのファーストキスの現場に立ち会ったようである。
うん、何だろうね、この気持ちは。俺の目的は達成できたはずなのだが、その成功を両のまなこに刻みつけたいところなのだが、そんな一方でこの場から走り去りたいような気分でもあった。茉衣子さんはというと、どうやら俺と同じ心境のようで、クラウチングスタートの構えを取っていた。
いやいや、真面目さんがボケるんじゃあないよ。
ツッコミを放棄するな。
…………可愛いけど。
そんなこんなで、俺たちは光一たちのイチャイチャ現場を野次馬しに来たはずなのに、いざ目撃した途端、尻尾を巻いてトンズラしてしまったのであった。
そうして二人にバレないように公園から脱出し、彼らの家から反対方向の道で、俺たちはようやく落ち着くことができた。呼吸を整えながら、茉衣子さんは言った。
「どうして、あなたまで逃げて来たの? ああいう現場を見たかったんでしょう」
「そうだったはずなんだけどな。誤算だった。確かに、二人のデートの成功を願ってはいたんだが、いざ友人たちがイチャついている現場を見るのは、思ったよりも照れ臭い」
「こんなことを始める前に気づいてよ」
と、ため息をつく茉衣子さん。いや、茉衣子さんもなんだかんだでノリノリで俺について来ただろうが。他の誰に呆れられても、茉衣子さんから呆れられるのは御免被りたい。
だが、寒い外に連れ回してしまったのも事実ではある。そのことに何も思わないほど、俺は悪役じゃあない。だから、
「悪かったよ。温かい缶コーヒーでも奢るから、それで許してくれ」
これくらいの好意は示しても構わないだろう。
その返事として、彼女の浮かべた困ったような笑みを、俺が一瞬見惚れてしまったほど魅力的な笑みを思い出そうとしたところで……。
目が覚めたら、俺は四十代のおっさんになっていた。グレゴール・ザムザ氏のように毒虫になった訳でもなく、高校生の頃から二十年以上歳を取ったおっさんになっていた。
急激に老けたんじゃなくて、ただ俺が高校生の時の過去を夢で回想していただけなんだけどな。
にしても、高校生の頃ならいざ知らず、中年にもなると起き抜けの調子の悪いこと悪いこと。起き上がったところでもう一度ベッドに戻って眠りにつきたい。もう八時間は眠れそうな気がする。しかし、あまり遅い時間に起きると我が愛妻の機嫌が悪くなってしまう。それは非常によろしくない。一枚上着を羽織ってから、俺は二階の寝室から出る。すると、一階のダイニングの方から「ゴリゴリ」という、硬い何かを擦るような音が聞こえてくる。何だよ、「ゴリゴリ」って。
気になって急ぎ気味に階段を駆け下りると、そこには何かを腕で回しているようなことをしている、我が愛妻、茉衣子の背中があった。この中年はまだまだ茶目っ気を失っていないため、その背中に飛びついてやろうと思った。しかし、失敗。何かを察したらしい茉衣子に素早く振り向かれてしまった。まあ、足音でわかるか。
「おはよう、洋くん」
高校生の頃はポニーテールに結べるほどに長かった黒髪をバッサリ切って、肩に届くか届かないかくらいで切り揃えられた茉衣子の髪がふわりと翻る。今となってはこちらの方が見慣れているが、二十年以上側にいる彼女の美貌は、見慣れていても見飽きなかった。ずっと、新鮮な気持ちで「可愛い」と感じられる。もう四十年くらいは見飽きないかもしれない。
「おはよう、茉衣子。二階からもゴリゴリ言う物騒な音が聞こえてきたんだが、何してたんだ」
「ん。これよ」
と、茉衣子が自分の手元を見せてくれた。透明な容器の上に漏斗のようなものがあって、そこにリールのように回す柄がついていた。漏斗もどきの中を覗くと、中には溢れるほどのコーヒー豆が詰まっていた。
「もしかして、コーヒー豆を挽いていたのか?」
「そう、当たり。この柄を回すと、透明な容器の中にコーヒーの粉が貯まるの」
「へえ、いつの間に面白いものを買ってたんだな」
「ふふ。豆を挽くのは機械でもできるし、すでに挽いたものを買っても良いんだけど、自分でやってみた方が何となくだけど手応えを感じるわ。それに、ちょっとくたびれるけど、意外とハマるのよ」
「そりゃあ良いな。かかった手間がよく伝わるな」
「そうでしょう」
「込もった愛情もか?」
「そ、……そうよ」
吃った返事をする茉衣子。幾つになっても照れ屋なところが可愛い、俺の嫁である。
「きっと、世界で一番美味いコーヒーだろうよ。そういや、晴輝と優雨はどうした?」
「もう朝ごはんを食べて出かけていっちゃったわ。あなたが一番のお寝坊さんよ」
「なんだ、子供らは早いな。俺もこれでも早起きしたつもりだったんだがな」
「だから、このコーヒーはあなたの分です。早く起きて来ないかなーと、と豆を挽いて待っておりました」
「それはそれはご丁寧にありがとうございます。……楽しみだな」
茉衣子がコーヒーを淹れてくれている間に、俺は先ほど見た夢のことを話した。茉衣子も当事者だったから、ある程度はその時のことを覚えているだろう。そのついでに、俺はJK時代の彼女が映画館で言っていた「俺が気づかなかったこと」について訊いてみた。一体、当時の俺は何に気づいていなかったのか?
茉衣子はこちらを見ないままに、少し不機嫌そうな声で答えた。
「洋くん、まだ気づいてなかったの? 葉山くんたちのデートを追いかけていたけど、私たちのやっていたことも良く考えればデートだったでしょう?」
言われてみて考えてみる。二人でブティックに出かけ、ファストフード店で食事を取り、映画を観に行き、公園へ行く。……デートだな、確かに。
「言われて初めて、気づいた。俺たちのストーキングも確かにデートだったな」
「そうよ。私は意識してしまって緊張していたのに、あなたと来たら……」
「あっはっは。昔の俺は鈍感だったなあ」
「今もです!」
怒られてしまった。反省はしているが、茉衣子の怒った顔も可愛いので、定期的に茉衣子を怒らせてみたくなる。まあ、ほどほどにな。
そうしている内に、茉衣子がカップに入れたコーヒーと、皿に載ったベーコンエッグトーストを持って来てくれた。どちらも美味しそうだ。
「いただきます」
湯気が立つコーヒーを先に飲むことにした。そっと口に含む。
隣に座る茉衣子がにこにこ笑いながら、こちらを見つめて言った。
「洋くん、最後に缶コーヒーを奢ってくれて一緒に飲んだけど、その時のコーヒーとこのコーヒー、どっちの方が美味しい?」
意地の悪いことを訊いてくる。可愛ければ何を訊いても許されると思うなよ。
俺は口に含んだコーヒーを舌の上で転がして味わってから、喉に流し込んだ。
「参った。茉衣子の淹れてくれたコーヒーの方がずっと美味しいよ」
何だか負けたような気分にさせられた。あまり悔しくはないけども。
ただ、美味しいコーヒーであることに間違いはないのだ。あまりに熱々なコーヒーなので、ふーふー、と少し冷ましながらも、じっくり味わって飲むことにしよう。




