ドキッ! 季節はずれの水着回♪ーーポロリもあるよーー
すみません、書きかけだった水着回が書き終わりましたので、本編の続きに先んじて掲載させていただきます。
現実世界でも季節はずれで、作中世界でも時系列がおかしなことになっていますが、寛大な心でお読みくださいm(_ _)m
続いてきた物語を終えるのは実は結構難しい。エピソードごとに区切りをつけられようと登場人物は生き続けるのだから、続くものを終わらせるとなると、全ての伏線を回収しどんなに綺麗に完結した物語だとしても、どうしても違和感が残る。
違和感というよりかは、名残惜しさだろうか。人生は終わっていないのに、物語が終わってしまう名残惜しさーーさらに踏み入った言い方をすれば、寂しさみたいな感情が残ってしまって、どうにもやりきれない。
だから、難しいんだ、完結させるのが。
物語を。人生を。
だから、僕は僕たちの物語をもう少しだけ語り続けよう。僕が満足するまで。あるいは、物語を読む誰かが満足するまで。
「兄さん。今、わたしたちにはテコ入れが求められてるよ!」
妹の優雨が僕の部屋にいきなり這入ってきたかと思えば、そんなことを言い出した。ノックはしたけれど、この妹、「二回のノックはマナーが悪い」ということを知りながら二回のノックで這入りやがったのである。
……まあ、このくらいのことは日常茶飯事だからいちいち腹を立てなくても良いけれど、放っておけないのはそのセリフである。何? テコ入れだって?
「そう、テコ入れ! わたしたち、割とやり切った感があるけど、やり切ったからこそ更なる展開が求められていると思うんだよ」
「更なる展開も何も、もう最終回やったじゃねーか。やり切ったら、その先はないはずだろ」
「……兄さん、この世にはセカンドシーズン、サードシーズンというものがあってだね……」
「24の話は止めろ!」
今はぱっと思いついたタイトルを挙げたけれど、24に限らず、海外のドラマは複数のシーズンで放映されることが多いよな。続けたいだけ続けている。「晩節を汚す」という考え方が海外ではあまりないのかもしれない。
「そもそも、わたしって『晩節を汚す』の意味がよくわかんないんだよね。いーじゃん、別に。汚れたって」
「何だろう、なんとなく日本的な考え方だよな。潔さを重んじてるんだろうけど……。醜く生きるくらいなら、美しく最後を飾ろう、みたいな話じゃないか」
「でもさー、美しさも潔さも生きてこそ、でしょ。美しく最後を飾るくらいなら、美しくなるまで生きていたいよ。……兄さんも同じじゃない? やけに他人事めいた言い方するし」
「……そうだな。で、脱線したが、テコ入れって具体的には何をするつもりなんだよ?」
僕が訊くと、目を爛々と輝かせ、「待ってました!」と表情だけで物語っていた。顔がうるさい。
「テコ入れとはすなわち、水着回だよっ!」
「……水着回?」
「そう! ストーリーの大筋に関わることはあまりないけど、物語に華を持たせるのに最適な水着回! それに、季節柄、プールに入りたい時期でしょ?」
「今って、色々と片づいた後だから、時系列的には秋か冬なんじゃないのか?」
「ちっちちち。そんな細かいことはどーでもいーじゃん。矛盾とかロジックエラーとか誰も気にしないよ。そこまで丁寧に読んでる人なんて居ないって、どうせ」
「そんなこと言うなよ」
そんなこと言うなよ!
「じゃあ、今は夏ってことで良いんだな。水着回だから、プールに行けば良いのか」
「うんうん」
「プールか……。この歳になって行くのも、なんか気恥ずかしさがあるな」
「この歳って、兄さんまだ高二でしょうが。プールぐらい行けるって」
「まあ、確かにそうなんだけどな……」
「渋るねえ」
「いや、やっぱり、夏は暑いからあまり出歩きたくないからさ。冷房の効いた部屋でのんびり過ごすのが一番良いよ。プールはお前だけで行ってこい、優雨」
「……ほうほうほう。ま、兄さんはそう言うと思ったよ。いーよ、別に。無理に来ることはないもんね。いくら妹様とはいえ、そこまでの権限はないもんねーーいくら、兄さんが大損をしたとしても」
「なんだよ、その言い方は。……大損って、何をだよ」
「気にしないで気にしないで。兄さんは留守番してればいーよ。わたしが役得を独占するから。カルテルするから。独占禁止法なんて知ったこっちゃないね」
「だから、何をだよ? お前はどんな役得を独占するつもりなんだよ?」
「……咲良ちゃんの、水着姿」
というわけで、僕たちは市内のプール施設にやって来た。僕たち、というのは当然僕と優雨と咲良のことである。
咲良は僕たち兄妹の幼馴染で今でも仲が良く、特に優雨は実の兄よりも咲良によく懐いており、いつの間にやら一緒にプールへ行く約束を取りつけていたらしい。その旨を行く道すがら、咲良から教えてもらった。
「優雨ちゃんから誘ってもらったの。久しぶりにプールへ行かないか、って。優雨ちゃんって女の子をデートに誘うのに慣れてるのね。あれよあれよという間に、行くことになっちゃった」
「ああ、先々週も友だちと行ってきたらしくてな。元気の良いことだよ。まあ、今日は咲良と行きたかったから、ってのが理由らしいが」
「聞いたよ。嬉しいな、私、多分誘われなかったら自分からプールへ行こうなんて思わなかっただろうから。晴輝も?」
「僕もだ。クーラーの効いた部屋に引きこもろうと思ってたんだが、無理やり誘われてさ。その理由を後で聞いたら、『咲良ちゃんとわたしって超可愛いから、ナンパされちゃうかもしれないでしょ。だから、兄さんに雑草除けになってもらおうと思ってさ。へへっ』だとさ」
「ははは……。あれ、でも、晴輝はその理由を聞く前に来るって決めたの?」
「そうだけど、それがどうかしたか?」
「なんでかなー、って思って」
「……別に、たまには良いかと思っただけだよ」
僕がそう言うと、咲良はジト目をしながら口を微笑ませるという器用な表情になった。お前は優雨か?
「ううん、別に♪ ところで、晴輝、私ね、今日のために新しい水着を買ったんだ」
「…………へ、へえ、そうなのか。良いんじゃないか、たまにはそういう買い物も」
「声裏返ってる」
「えっ?」
「…………ふふっ、晴輝も男の子だなあ」
「………………」
何だかバツが悪くなり、先ほどから何も喋らない妹の方を振り返ると、手で口許を押さえて大爆笑をこらえているようだった。
この妹、何か企んでいるな。
ともあれ、僕たちは目的地に到着した。市民プール。字のごとく市営のプールなのだが、二年ほど前に改築したため、僕が昔行った時よりも広くなり、設備が豪華になった。僕の記憶の中では確か二十五メートルプールか、十五メートルの子ども用プールしかなかったと思ったが、今では入り口から見える限りでも流れるプールやウォータースライダーがある。
こういう設備にも税金が使われているはずで、僕たち庶民からすれば税金の使い道というのは結構不透明なことが多いけれど、こういう風に目に見える形で表れてくれると悪い気がしない。
優雨や咲良の、期待に目を輝かせているところを見ていると、余計にそう思う。
少しのノスタルジーと新鮮な心持ちで、僕たちは受付で料金を支払いーー子ども料金ではなくなったことに自分たちの身体的な成長を改めて感じながらーー、中に這入る。
優雨たちと更衣室の前で別れてから、僕は男子更衣室で着替え始める。それにしても、更衣室の中は僕の朧げな記憶が正しいなら、昔と全然変わっていない。
壁や床などところどころが錆びていたり、ビニールカーテンの劣化が激しかったり、プールの方に予算を全振りしたかのようにこちらにはお金がかかっていない。しかしまあ、普通に使う分には問題ないだろう。もしかしたら法に引っかかっている可能性もあるが、「この作品はフィクションです。実在の人物、施設等とは一切関係ありません」だからな。
靴とバッグをロッカーに預けて、ハーフパンツの水着に着替えた僕は、鍵を手首に巻きつけて、二人に先んじて更衣室の外に出た。女子の着替えに時間がかかるのは当然だ。先にシャワーを浴びておこうか。
浴びる。いくら外が暑いからといって、上半身は裸のところに勢いよく水を浴びせられたら、その冷たさにおっかなびっくりになってしまう。この手の感覚は昔も今も変わらないーーいや、昔は滝行をしているような気分を味わえていたから、今の僕にはそのアクティブさが欠けている。
これが年を取ったということなのだろうか。感動する心が薄れていく。今まで経験のなかったことに対してその新鮮味から感動するのが感動の常ではあるけれど、年を取って経験を積むと「あ、これは僕の知っている何々だな」と思うだけで、初めて見聞きした時よりもどうしても心は動きづらい。
より多くの感動を求めれば求めるほど、感動することがなくなっていく。何という皮肉だろう。好奇心、向学心や向上心を持つほどにその限界を知るということか。
なんて、益体もないことを考えていると、優雨と咲良が更衣室から出てきた。優雨は水色のワンピースタイプの水着だーー前に見たものと違うから、恐らく新調したものなのだろう。ゴーグルも首にかけている。咲良の方はと言えば……と、ここで僕はひとつ深呼吸をする。
「ふぅ……」
ともしたら、咲良の水着姿に僕が舞い上がってしまうのではという意見があるかもしれない。いくら空条承太郎のような冷静沈着さを備えているとはいえ、僕も男だ。咲良の魅力的な姿を見て理性が揺らいでしまうことも可能性としてはないではない。そのあたりは弁えている、弁えているとも。
だがしかし。しかしである。誤解されるのは僕の本意ではないし、むしろ僕がそんなサカった男子であると思われるのは甚だ不本意である。
違うな。全然違うんだ。
ここで僕は断言しておかなければならない。
僕は咲良の水着姿を見たとしても、全く喜んだりなんかしない。へえ、と言って軽く流しておしまいだ。
例え、未だ成長中の咲良の豊かな双丘が細身の彼女の肢体から大きく主張していたとしても。例え、黒のフリルつきのビキニがその膨らみを視覚的に膨らみを倍増させる効果を発揮していたとしても。例え、美しいくびれの下にある程よい肉付きの太ももがあったとしても。例え、ビキニのパンツが上とは違って控えめであることで、太ももの眩しさをより引き立てていたとしても。そして何よりも、暑さにあてられたのか、少し頬を赤らめている咲良の表情が網膜に焼き付いてしまったとしてもだ。
僕は動揺なんかしていない。全く何も僕は感じていない。
複雑なようで単純であり、単純なようでやっぱり複雑な人間の心は一言で表すのは非常に困難なことだ。だから、「ひゃっほい! 咲良の水着姿サイコー!」なんてセリフで僕の心情を言い表すなんてできやしないし、念のためにもう一度弁解するけれど、僕は咲良の水着姿で舞い上がったりなんかしていない。
僕の心情を正確に言い表すには、例を用いるのがふさわしい。
例えば、僕が三億円の当たりくじが拾ったとするーー宝くじで一等を当てられる確率は飛行機事故に遭う確率よりも低いという話もあるが、これはあくまで例え話だ。とにかく、宝くじを拾った僕だ。もちろん喜び勇んで銀行に向かい、換金してもらうのが普通だろう。三億円を手にすれば、所得税で国に相当持って行かれてしまうとはいえ、一般庶民の要求をあらかた叶えた上でもお釣りが出てしまいそうな途方もない額だ。そんな幸運だ。しかし、それは同時に、金持ちを狙うハイエナたちの格好のターゲットとなってしまうことと同義だ。それに、これまでの平穏な生活とも別れを告げなければならない。幸運が大きければ、そのリスクもまた大きい。そんなことがわかっていながら無心に喜べない。幸運は素直に嬉しい。しかし、リスクは素直に恐ろしい。そんな二項対立の中、喜ぶことも怯えることもできない僕は、薄いリアクションをするしかないのである。
ザッツオール、僕の内心は。
少しわかり辛かっただろうか。僕なりに言葉を尽くして説明したつもりだったけれど、こういうことは香純ちゃんの方が得意だろう。理解が難しいのは百も承知であるけれど、僕が咲良の水着姿にポジティブな動揺をしている訳ではないことを覚えていただければ幸いである。
しかし、ふと僕は考えた。
僕が僕の思っていることを語るのは正直どうでもいいところではあるけれど、咲良の方はどうだろうか。
まさか、僕の賛辞を待ち望んでいることなんてあり得ないだろうが、僕が何のリアクションも取らないことで咲良が傷ついてしまうことがあったら大変だ。僕のリアクションで喜ばれはしなくても、何もしないよりは良いのではないか。
何も心を動かされていない僕のことだから芳しいリアクションは難しいけれど、肩の力を抜いてやってみよう。
深呼吸なんてしない。いつもの、なんてことのない普通の呼吸。
軽く息を吸い込んで、柔らかい表情を作りながら、
「ああ、似合ってるんじゃないか」
「長いわ!」
優雨にツッコミを入れられた。妹にツッコまれた。
「兄さん、その一言を発するまでにどんだけ字数をかけてんのさ⁉︎ 無駄過ぎるでしょう⁉︎」
わたしがツッコミをしなきゃいけないくらいだよ、と吠える優雨。
いや、知らねーよ。ボケたつもりはない。
ともあれ、三人揃ったことだし、プールに這入ろうと意気込んだところである。
それから僅か三分ほど後、優雨とはぐれてしまった。
どうやってはぐれてしまったのかがわからない。
このプールの全体像としては、大部分が楕円状の流れるプールになっており、入口から見て左奥がウォータースライダー、その手前に競技用プールがある。シャワーをくぐったすぐ先が流れるプールであるため、流れるプールを避けることはまずあり得ないはずだ。
現に、僕たち三人はこの流れるプールに入り、少なくとも一周まわっていた時には三人ともプールから上がることはなかった。
「まさか、溺れたりしてないよね?」
「優雨に限って、それはあり得ない。ここは足がつくくらいには浅いし、監視員もそこそこの人数がいるから、危険な事態にはなってないだろう」
「じゃあ、単にはぐれただけってことかな。このプールで」
「ああ、多分な。どうやってはぐれたかがわからないままだけど、とりあえず、二人でまわっていよう。そのうち見つけることもできるだろうしな」
「ええ、そうしましょうか。…………え、あれ、これって……」
突然咲良が頬を赤らめて、何かを考えるようにしだした。
「どうした? 日に焼けたのか?」
「う、ううん、何でもないの! 日焼け止めも塗ってあるし、大丈夫」
「そうか、なら、良いけど」
何かよくわからない理由で楽しそうにしている咲良だけれど、まあ、楽しそうにしているのは良いことだ。
貸し出し用の浮き輪を見つけたので、二人分借りて、僕たちはしばらくの間流れるプールに留まることにした。
留まり、流され、漂う。
ああ、平和だ。他の人も居るから接触には気をつけなければならないが、それでも自分が脱力しきっているのを感じる。
「晴輝、…………何というか、平和だよね」
咲良も同じことを感じていたらしい。
「そうさのう……」
「ふふっ、それはさすがに老けこみ過ぎでしょう。赤毛のアンのマシューみたい」
「はは、さすがにわかったか」
「わかるよ、そのくらい。私もツッコミできるかな」
「できるできる。というか、できてるできてる」
「えへへ、やった」
脱力ついでに口元も弛緩してしまったのだろう、僕の口からこんな言葉がついて出た。「ずっとこのままだったら良いのにな」
「このままっていうのは?」
と、咲良が訊いてくる。訊かれたからには、独り言で済ませることはできない。
「このままっていうのは、このままだよ。願わくば、こんな穏やかな日々が続いて欲しいと思ってる」
「でも、穏やかかどうかはともかくとして、ずっとこのままっていうのは無理よ。万物は流転する。変わらないものはないんだから」
「まあ、確かにそうなんだけどさ。ただ、変わらないものはないってことはないんじゃないか。僕たちの家族やすぐ側に居る人間との間柄は昔も今も変わらないだろう」
「うん、そう。そうなんだけど、それだって今まで変わらなかったからといって、五年後十年後も変わらないという保証はないわ。……例えば、優雨ちゃんの苗字が変わるかもしれないし」
「優雨の苗字が変わる……結婚するってことか? ないない。美少女を愛でてばかりのあいつに限ってそんな……」
「でも、前に優雨ちゃん言ってたよ。美少女は超愛してるけど、恋愛をするんだったら男の人とが良い、って」
「そうなのか……」
「お兄ちゃんとしてはどう思う?」
「…………ノーコメントだ」
「……まあ、それは置いておいて、とにかく誰が相手でもその間柄はいつまでも同じという訳にはいかないの」
「ふぅ、……でもなあ。変わるものが多いのは確かだけど、それでも変わらないものもあって欲しいと思うよ」
「……例えば?」
「咲良」
「へ?」
「咲良との間柄だよ。色んな人と交流することがあるけど、咲良と居る時が一番心休まる。こういう間柄や気持ちはずっと変わらないで欲しいと思う」
「…………………………」
「ん? 咲良? どうした?」
急に咲良が沈黙してしまったので、どうしたのかと咲良の方を向こうとしたら、咲良がそっぽを向いているせいで表情が見えない。
何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。表情が見えない代わりに、少し茶色がかった髪から覗く耳が真っ赤になっているのだが。
「……晴輝って、自分が思ってるほど無個性じゃないと思う。そういうことをあっさりと言ってのけるし」
「え、何の話だ?」
話題があらぬ方向へ転じて、頭が追いついていかない。しかし、そう言う咲良の声も上擦っていて、そっぽを向いたまま咳払いをする。
「何でもない。……私は、晴輝とは半分同じで半分違うかな」
「半分違うっていうのは……?」
「だって、」と、咲良はこちらに向き直り、どこか子どもっぽいような笑みを浮かべながら言った。
「変わるということは、より良い方に変わることだってできるでしょう?」
その後、咲良に誘われて僕たちはウォータースライダーに来ていた(もちろん浮き輪は返している)。
「こうして上まで上がってみると結構高いな」
このウォータースライダーは高低差十二メートルを誇っており、高さの相場がわからないけれど、そこらのレジャー施設にあるウォータースライダー並の高さなんじゃなかろうか。本当、税金の使い道がよくわからないな、この町は。
「晴輝、もしかしてこわいの?」
「いや、僕はこういうの結構好きだぞ。ジェットコースターみたいな絶叫系は大好物だ。そういう咲良は?」
「うん、私も好きよ。好きなんだけど……」
咲良の表情は笑顔だ。笑顔なのだが、膝まで笑ってしまっている。
「違うの! ……気持ち的には好きなんだけど、身体が怯えちゃって……」
「なんだ、その複雑な愛憎模様は⁉︎」
「それで、お願いがあるんだけど、」
と、咲良が看板を指差した。…………。
その看板曰く、カップル限定で二人一緒に滑っても良いらしい。
「お願い! 一人で滑るのはちょっとこわくて……。ちょうど二人だからカップルに見えるだろうし」
「そんなに無理して滑ることないんじゃないか。今なら列から抜ければ良いだけだろ」
「こわい。こわいけど、どうしても滑りたいの……!」
「はぁ……。わかったよ、一緒に滑ればいいんだな」
「うん、ありがとう!」
てな訳で、僕たちの順番が回ってきた。滑る直前ともあって緊張感が増してきたのだけれど、それ以上僕が動揺しているのはスライダーのチューブが思っていたよりも狭いことだ。カップル限定で二人滑らせるだけあって、人間二人が這入るだけの広さはあるが、それだけの広さしかない。つまり、滑る時には二人が密着しなければならないのであって……。
「あのー、咲良さん? これやっぱり、一人で滑った方が……」
「ほら! 晴輝! 早く早く!」
ご機嫌な咲良さんはすっかり準備万端のようだ。……拒否権はないらしい。一緒に滑るしかないようだ。
係員の合図で僕たちは身を乗り出した。
左に回り、右に回り、遠心力と共に加速していく。その速さやら、密着した咲良の身体の柔らかさやら息づかいやらで意識が混濁してくる。危うく魂が抜けかけたところで、身体が水面に叩きつけられて、意識を覚醒させられた。
「ぷはっ!」
僕と咲良は全く同じタイミングで水中から顔を出した。
顔に貼りついた髪をかきあげるタイミングもまた同じで、思わず僕たちは笑ってしまった。
が、次に滑ってくる客も居るから、いつまでも同じ場所には居られない。早々に奥の方へ避けて行こうと思ったところで、「ひゃあっ!」と背後から悲鳴が聞こえた。同時に背中に体重がかかってくる。今まで感じたことのない柔らかい感触と共に。
「咲良か⁉︎ お前、何を……‼︎」
「お願いだから動かないで‼︎ って、きゃあ!」
また悲鳴をあげたと思ったら、一旦咲良が僕の背中から離れた。かと思えば、また、今度は腕を押しつけられたような感触が背中にあった。なんなんだ、一体⁉︎
首だけを動かして振り返ると、咲良が胸の前で腕を組んでいるようだったーーまるで何かを隠すように。
「咲良、…………お前、まさか……?」
恐る恐る聞いてみると、咲良は血の気が引いたような表情と声音で答えた。
「うん…………ブラが……ないの」
聞いた僕の血の気も引くようなセリフだった。大変だ。…………待てよ、先ほどの背中に押しつけられた柔らかい方の感触はもしかして……。
考えるのをやめた。
「とにかく、早く探さないと! 僕は向こうの方を探してくるから……」
「離れないで‼︎ ……お願い、壁になっていて」
「そんなこと言われても」
二人で固まっていても探しづらい。心情的にも。もはや一枚しか布を纏っていない女子が近くにいるのは、相手が幼馴染とは言え、非常に落ち着かない。
前言撤回だ!
咲良と居る時が一番心休まるなんて大嘘だ!
さっきからドキドキが止まらない!
ウォータースライダーの時の興奮も冷めやらぬままに起こったハプニングに、おかしな気分になりかけた、その時である。
「天誅ぅぅぅぅうううう‼︎」
「ぶべらぁぁああ‼︎」
謎の衝撃によって僕は吹っ飛ばされた。意識も刈り取られかねない威力だったが、状況が状況だったので、逆に目が覚めたような気がする。
ふらつきながらも身体を起こすと、そこには、咲良の水着のブラを右手に握りしめて踏ん反り返った、優雨が居た。
「オイタはそこまでだよ、兄さん」
突然現れた妹に、僕は一体どう声をかけたら良いのだろう。
お前今までどこに行ってたんだ、ウォータースライダーの勢いで人を蹴るな、天誅って何のつもりだ、その水着をどこで拾った、とかツッコミがあまりに渋滞し過ぎて、返すべき言葉が見つからなかったのだった。
後日談。というより、おまけ話。
その日のことを不意に思い出して香純ちゃんに話してみたところ、
「はあ、それを私に話してどういうつもりなんでしょうか。自慢ですか。当てつけですか。そうですかそうですか。良かったですねー、楽しかったんでしょう、葉山先輩とイチャつけて。僥倖僥倖。ポロリもあったんですか。はっはー、どこのとらぶるだよって話ですよ。ええ、それでどうなるんですか。若さ故の過ちに身でも委ねるんですか。気になるなー。続けてくださいよ。聞き手の感情を無視して、その面白おかしい話を続けてください」
視線と言葉で殺されるかと思った。特に視線の方が。ここまで冷え切った視線を向けられたことは今までなかった。
震え上がりながらも、僕は続ける。
「いや、それ以上は何もないよ。三人でプール内をぶらぶら回って、帰っただけだ。けど、優雨のやつがはぐれていた間にどこに居たのかがわからなくてさ。まさか、隠れて僕たちの後ろをつけていた訳じゃあるまいし」
「なんだ、わかってるんじゃないですか。では、晴輝先輩は私にとってただただ嫌がらせにしかならない話を延々と続けていた訳ですか。この落とし前をどうつけてもらいましょうかね?」
「いや、待った! 嫌がらせをするつもりなんてなかったし。え、本当にそうなのか? 優雨が僕たちの後をつけてたって」
「ええ、そうですよ。優雨ちゃんはプールの外には上がってないんでしょうが、潜って隠れることはできたはずです」
「ああ…………いや、でも、」
「うっかり見逃し、もとい聞き逃してしまいそうでしたが、貴方がたの中で優雨ちゃんが唯一ゴーグルを持っていたんでしょう。呼吸は隠れてする必要がありましたが、ゴーグルは目で守られていましたから、プールの中で尾行することくらい楽勝だったと思いますよ」
「なるほど。でも、なんで優雨はわざわざそんなことをしたんだ?」
「……最近、流行りの日常ミステリでは、しばしば探偵役の有能さを引き立てるために、助手役が『お前に考える頭はないのか?』というレベルでものを考えないキャラになってしまいがちなんですよね。晴輝先輩もそんなキャラになりたいんですか?」
今日の香純ちゃんはいつもよりも当たりが強い。
「そんなつもりはない。……うーん、僕と咲良を二人にしたかったってことか? でも、そんなことに何の意味が……?」
「さあ? 私の口からはお答えするつもりはありません。それよりもですよ、晴輝先輩。私はこの度とても不愉快な気持ちになりました。傷ついています。今にも、声を上げて泣き出してしまいそうです」
「ごめんごめん! それは悪かったよ」
「ごめんで済んだら警察は要りませんよ」
やれやれとばかりに肩をすくめる香純ちゃんだったが、不意に口角が上がりニヤリと笑った。何かを思いついたらしい。
「警察は要りませんが、罪を償う機会はありますよ、晴輝先輩」
「償う機会? 僕は何をすれば良いんだ?」
「簡単な話です。私とも一緒にプールに遊びに行きましょう、二人で」
「え」
「いやぁ、楽しみだなあ。晴輝先輩とプールに遊びに行けるなんて。まさか、優しい優しい晴輝先輩が後輩からのほんのささやかなお願いを断るはずがないものなあ。ねえ?」
「おいおい?」
「ちょうど良い! 今から水着を買いに行きましょう。晴輝先輩も一緒に来てください。何なら、私の水着を一緒に選んでくれても良いんですよ」
「いやいやいやいや‼︎」
そんなこんなで。
やれやれ、騒がしい水着回はまだまだ続くようだった。
続きません。
本編は続きます。




