第22話 物語は読まない
今年最後の更新です。
来年ももう少しだけよろしくお願いします。
「黒子晋作は周囲から天才と思われ、彼自身だけがそうではないことを知っていた。
何をやらせても人並み以上にこなして、あらゆる物事への理解が早く、高いコミュニケーション能力のお陰で彼の周囲に人が絶えなかった。
しかし、彼は自身の能力を弁えていて、本物の天才の存在を認知していたから、自身を“天才”という一つの到達点に置くことに違和感を覚えていた。
やがて彼は自身の真の“才能”に気付くことになる。
きっかけは些細なことだ。
小学校の体育の授業でサッカーをした時に、自分たちでポジションを決めることになった。振り分けられたチームの人員を見た瞬間、彼の脳内では各人の能力と適正が整理されていた。カンにも似た速さと確信だった。
目立ちたがりの所謂ガキ大将ポジションの男子はFWを望んでいたが、黒子のカンでは彼がDFをするべきだと告げていた。彼の提案にガキ大将は勿論抵抗を覚えたが、結果的には簡単に言いくるめられて、ガキ大将はDFで大活躍し、チームは完全勝利を収めた。
彼はここで気づいた。自分が『他人の“才能”を見つけて伸ばす』才能を持っていることに。
その出来事のほぼ直後に、彼は一人の女性と出会ったーー奇しくも“才能”を持つ子どもを探し求める人物、家達紗奈に。
別方面ではあるが、雲居香純以来の強力な“才能”持ちを見つけた家達は、彼に協力を要請した。……香純の時とは違い、彼の人生は順風満帆そのもので特別な配慮は必要なかったからだ。
彼らは黒子晋作の“才能”を活かして、さらに多くの“才能”持ちを見つけていった。この体制を整えた家達自身が困惑するほど順調に。
しかし、黒子晋作と家達紗奈の間には目指す方向性の違いがあった。彼は“才能”のさらなる開花を目指していたが、家達は“才能”持ちの“才能”を円満に終わらせることを目的としていた。
発見と保護までしか彼らの魂胆は一致していなかったのだ。次第にズレは大きくなり、二人の関係は破綻した(家達は『破門』という言い方をしていた)。
家達の元を去った彼は高校に進学し、大多数の同年代の中に埋没することを與儀無くされた。
ーー不満と欲求を溜め込んだ当時の彼は、“才能”に関わる人間の中で最も危険な存在だったのかもしれない。
自身の“才能”の使い方を自覚し、当人の意思を顧みず“才能”の開花のみに執着していた彼は危険だった。
もしも“彼女”との出会いがなかったならば、あるいはーー。
高校一年の夏の昼休み、理由は不明だが校舎裏を訪れた彼は、ホースで花壇の花に水をやる女子に出くわした。
クラスは違うが見覚えはあった。確か同学年だったように思う。しかし、
『君は美化委員ではなかったよね?』
この高校では花の水やりは美化委員の担当だった。しかし、彼の記憶の中では図書室のカウンターの内側に座っていたーーつまり図書委員のはずだった。
『今日担当だった子が同じクラスなんだけど、先生から急に呼び出されちゃってね』
『お願いされたのかい?』
『いいえ。そんな暇もなかったから、私が勝手にやっただけ』
つまり、彼女は気を利かせて自ら動いたのだということ。
……既にわかっていたが、彼女に“才能”はない。彼がこれまで関心を寄せてきた要素を、彼女は持ち合わせていなかった。それなのに。
『僕も手伝うよ』
無意識に口がそう言って、傍に置かれていたジョウロを手に取っていた。
自覚の有無に関わらず。
誰にでもできそうでできない、“善意のあと一歩”を踏み出せる彼女に強く惹かれていた。
陰の薄い印象の優等生。黒子晋作という男子は周囲にそう認識されていたが、百地利奈は彼の本当の姿を少しずつ知っていく。
“才能”という概念、そして彼が“才能”を見つけて伸ばす“才能”を持つこと。彼女の知らない世界で彼は生きてきたのだということーーこれらは彼の語ったこと。
彼女は彼を知ると共に、彼の弱さをも知った。自らを自身の“才能”の道具とする時以外には、彼は自らを省みなくなってしまいがちなところがある。
そして、一風変わった形ではあるが、非凡な“才能”を持ってしまったが故の孤独。彼のことを本当に理解できた人はこれまで一人も居なかったのではないだろうか。
彼女は彼と共に居る時間が楽しくて、それ以上に彼を幸せにしたいと思うようになった。
彼は彼女と過ごす時間に、かつて味わったことのない安らぎを得ていた。
彼の人生の大半を占めていた“才能”を忘れて、ごく普通の幸せを享受し始めていた。
小柄で童顔ながらも、気配りができて頭の回転が速い彼女。百地利奈は彼にとって他の誰にも代え難い特別な存在で、彼女に向けてのみ湧き上がる感情の名前は、恐らく初めて会った時からわかっていただろう。
しかし、この平凡な幸せは非凡な彼を苦しめた。
自身の“才能”と業に逆らえない。
彼女を最も大事にできない自身に見切りをつけ、彼は高校卒業と同時に彼女に別れを告げた。
彼は親戚筋を頼って、兼ねてから関心のあった芸能界の裏方に身を置いた。
自らの“才能”に身を捧げるように、或いは最も大切にしたかった彼女を吹っ切るべく彼は仕事に邁進した。
人脈と土台を固めつつ、彼は彼を支えられる事務員が欲しいと考えるようになった。
募集をかけた彼を驚かせたのは、履歴書の束の中に百地利奈の名前があったことだ。
彼は頭を悩ませた。あらゆる意味で私情を交えずに最適な人物を判断しても、百地利奈という女性を弾くことができない。彼と別れた後も研鑽を積み続けた彼女を拒む理由がなかったのである。
結局。
『事務員として精一杯勤めに努めます。よろしくお願いしますね、プロデューサーさん♪』
揺るがぬ決意と覚悟を持ち続けた彼女は、フェザープロダクションの事務員となったのだった。
それからの日々は忙しくも充実したものだった。
歌手として落ち目だった女性にトレーナーとしての資質を見出した。
感情の動かない少女を演技の道で花開かせた。
ーーーーそして、歌を愛し歌に愛された少女を、新たなる世界へと導こうとしている。
人に物語あり。それは黒子に徹しようとする彼ですら例外ではない」
まるで当人たちであるかのような兄の語り口に少々畏れにも似たものを覚えつつ、私は黒子さんと利奈さん、麗さんや純菜先輩たちのことを想う。
只者じゃないとは思っていたけれど、黒子さんも“才”……“才能”に関わる人だとは思わなかった。しかし、私が出会った人たちのこと、そして私と出会った時のことを考えれば、全てが腑に落ちる。
兄姉、両親たちだけでなく、黒子さんたちも含めて多くの人たちの歴史の先に、私が生きているーー歴史の授業で識っていたことよりも更なる実感を伴って思い知らされた。
そして、私は考える。
黒子さんの“才能”は多くの人たちを幸福にしている。……私もその恩恵を授かっている身であるけれど、だからこそ思わずにはいられない。
黒子さんの“才能”は黒子さん自身を幸せにしてくれるのだろうか、と。
やり甲斐があるから、黒子さんは利奈さんの元から離れようとしてまで今の道を進んでいる。でも、以前彼が倒れた姿と、それを案じる利奈さんのことを想うと、進んだ道の果てに不安を感じる。
兄も危惧するバッドエンドが待ち受けているような気がしてならない。
でも、私に何ができるのだろう。
バッドエンドを変えられるかもしれないという兄の期待を裏切りたくないけれど、私はただ歌うことしかできないというのに。
家に着くと、リビングのソファで父が寝そべっていた。
「おう、おかえり。晴輝も。久しぶりだな」
「ただいま。父さんも出張お疲れ」
父と兄のやり取りは一見淡白にも思えるけれど、言葉を多く費やす必要のない信頼が窺えた。多分このくらいは“才能”がなくても、娘で妹ならば解ると思う。
「おかえりなさい。世界的料理研究家と腕に寄りをかけて作っているから楽しみにしてて」
「もう、そんなにハードルを上げないでください。この家の“お母さん”は茉衣子おばさんなんだから」
キッチンには母と咲良さんが居た。
すごく驚いたのに、咲良さんはすごく家に溶け込んでいた。
「久しぶりだね、咲良。香純から聞いてたけど、日本に帰ってきてたんだな」
「ええ。忙しそうだったから香純ちゃんに先に伝えておいたの。晴輝もすっかり警察のお偉いさんになっちゃったみたいで」
「世界のサクラ・ハヤマほどじゃないよ」
「……久しぶりに黒咲良ちゃんになってあげようか」
「やめてくださいお願いしますやめてください」
兄と咲良さんが幼馴染同士で和気藹々と会話を交わし始めていた。二人とも普段はとてもカッコいい大人なのに、揃うと私と同じ歳くらいまで若返っているような気がする。男子高校生みたいな兄もカッコいい好き。
リビングには私と父の二人が残された。私は私の家族と違って沈黙が平気な性質なので、テレビがついていたらもう完璧に黙っていられる。
が、今は父にも訊きたいことがある。晶さんが父について「“才”の存在を否定する立場にある」と言っていたが、実際のところはどうなのか。訊いてはみたいけれど、話の切り出し方がわからない。
兄姉たちと違って、私は会話の駆け引きが不得手なのだから。
「思春期は思い悩むのが仕事だけどよ、晴輝や咲良ちゃんも来てるんだ。あんまり辛気くさい顔するもんじゃねーぞ」
「え? あ、うん、ごめんなさい」
「人に話して解決するような悩みか?」
言われて少し考えてみるが、考えるまでもなく違う。
「もっと複雑」
「そうか」
「ねえ、お父さん」
「あん?」
「お父さんは“才”とか“才能”って知ってる?」
「知ってる。正確には、知ってると言い張ってる連中を知ってると言った方が良いかな」
その突き放した言い方で、父のスタンスが大凡わかった気がする。
「考え方そのものを否定するつもりはねーよ。単に好みの問題だ。俺は個人の特性を“才能”だとか何とか言ってカテゴライズするのが好かねえ」
「好み? 嫌いってこと?」
「ああ。特性、あるいは適性とも呼べるものがあるのは確かだ。だが、全ての結果には過程と努力が必ずある。それを蔑ろにするような考え方を、俺は認められねえ」
「…………」
「美空の歌もそうだ。適性が元々あったとしても、歌を好きになって歌い続けなければ、何を成すこともなかっただろう。ミィちゃんの意思と努力があったからこそだ」
「努力……努力したつもりはなかったんだけど」
「だろうよ。好きこそ物の上手なれってな。それは苦しむことなく努力を楽しむことができるからだ。わかりやすいだろ」
「うん……うん、確かに」
ちょっとポジティブ過ぎるような気もするけれど、自分の内で納得できる考え方だ。
「でも、晶さんとかは? “不老”って努力じゃどうにもならないと思うよ」
「ありゃあ体質だろ。人間何十億も居るんだ、例外の一つや二つあったって不思議じゃねえ」
ものは言いようだ。あるいは屁理屈とも。
「どうだ。良いこと言うお父さんだろ。褒めてくれても良いんだぜ。俺は褒められて伸びるタイプだから」
「思春期で成長期の娘相手に何を伸ばすつもりなの」
……自分で言わなければ、と思わなくもなかったのに。
「良いこと言うお父さんがついでに、可愛い愛娘にありがたーいアドバイスをしてやろう」
「押し付けがましい……。……で、なに?」
「大人の言うことを聞き過ぎるな」
「…………え?」
何だって。今までの多くの先達の言葉を全てひっくり返すようなことを言われなかったか、今?
「ミィちゃんの周りには大人が多過ぎたからな。色んなことを言われただろうし、ミィちゃん自身も聞くことに慣れちまってたと思う」
「まあ確かに」
鬱陶しくなるくらい聞かされてきた。ただ、気付かぬ内に私自身も大人に助言を求めがちなっていたのかもしれない。
「けど、美空ももう高校生だ。まだまだ未熟だが、人間の根っこになる部分はきちっと教えたつもりだし、自分ってもんがもう出来上がってるだろ。美空は自慢の娘だ」
「お父さん……」
「俺は美空を信じる。美空もてめーを信じて、好きなようにやんな。大人なんて良いように使ってやれ」
……言っていることが滅茶苦茶だ。
「それって矛盾してない? お父さんのありがたーいアドバイスをも聞くなってことになるけど」
「そうさ。俺の言ってることだって鵜呑みにするこたーねーよ。……何だ、よくわかってるじゃねーか」
「……ふっ」
失笑を禁じ得ない。こんな人が外に出れば常勝弁護士なのだから可笑しな話だ。
でも、父らしいとは思う。
ありがたーいアドバイスだなんて認めないけど、お陰で肩の力が良い具合に抜けた気がする。
敬愛する兄の期待に応えられなくてももう知ったことか。
私の大好きで大事なものの為に。
私は私のやりたいようにやってやる。




