第21話 私の知らない物語
240+5話で完結予定と以前お伝えしましたが、もう5話延びて来春完結予定です。
申し訳ありませんが、もう少しお付き合いくださいませ。
一晩経っても目蓋の裏に残るほどの鮮やかな花火。
その翌朝、アラームの音よりも先に、私は携帯端末の通知音で目を覚ました。
メッセージを送ってきたのは炎伽だ。送信先は私とあやめ。どういう理屈かはわからないけれど、昨夜の花火を用いて今の自分の姿を周囲に認知させた報告かと、最初は思った。
でも違った。
『こわいメイドさんに捕まったから、今日は学校に行けなくなっちゃった♡』
写真も添付されている。炎伽と晶さんが並んで写っていて、揃ってピースサインをしていた。晶さんはこれまで見たことのないほど弾けるような笑顔だ。一方、炎伽は悪戯が見つかった子どものように笑みが引き攣って見える。
昨夜の花火がきっかけで晶さんは炎伽を見つけたらしい。
ここでふと疑問に思った。炎伽はどうして晶さんーー現代にまで生き続ける友人にこれまで会いに行かなかったのだろうか。
晶さんは『一条蛍=蓮生司炎伽』を知らなかったけれど、炎伽は晶さんの存在を完璧に把握していたらしいのに。
何か特別な事情があったのかもしれない。けど、あまりに長い年月の絆は私なんかが簡単に踏み入れて良い領分じゃないと思う。
私たちが聞ける話ならば、またいずれ炎伽が語って聞かせてくれることだろう。
「それよりも、だ」
私は私の音楽を創らなければならない。
命の危険も無くなって、あやめも助かった。何を憂うこともなく、私は私の道を進むことができる。
でも。渇いた荒野から煌びやかな摩天楼へと急に放り出されたような気分。
別の言葉を用いるならばガス欠。
……うん、上手い比喩が出て来ない。率直に言って、今の私には情熱が乏しいのだった。
このやる気のなさはきっと誰にもわかってもらえないと思う。私にだってわからないのだから。
「ねえ、どうしたら良いのかな」
机の前に掛けてあるギターケースに話しかけた。勿論返答なんてなくて、返って奇妙な安心感を私に与えた。
父は出張で家に居ない。母が何かを嬉々として話しかけてきたけれど、気もそぞろで適当に相槌を打ち、何となくギターケースも担いで家を出た。
しばらく歩いていると、たったったっと軽快な足音と共にあやめが駆け寄ってきた。
「おはようございます、ミィちゃん! 新しい朝がやって来ましたね! 希望の朝と言っても過言ではありません」
おはよう無断で腕を組むな暑苦しいその無闇に明るいテンションは何とかならないのか温度差があり過ぎる。
「どうしたんです? いつもよりも四割増しでブルー入ってますね。何かあったんですか?」
「何かあったというか、何もないからなんだけど……」
私の今の微妙な心境をあやめに打ち明ける。
「ああ〜、わかりますよ。余裕があって恵まれているからこそ、逆にやる気が出なくなってしまう、ってことですよね」
「そうそう」
「わかります。私も親父殿や他の門弟たちが跡継ぎにとしつこいので、組み手でつい叩きのめしてしまうんですよね」
「……それはまた別の話じゃない?」
実力を示すことで返って後継ぎへの嘱望が高まっている気がする。
あやめは羽柴道場を継ぐつもりは依然ないらしい。
やる気はないのに殺る気満々なのが、この子の怖いところだ。
「逸れたまま本題に戻しますけど、やる気に欠けても、とりあえずは普段通りに歌ってみるのが良いのではないでしょうか。無為に時間を過ごすよりも有意義だと思います」
「稽古みたいに?」
「はい。同じ型、同じメニューをこなしていても新たな発見があることもしばしばです」
「ふむ」
やっぱりアスリートとしてのあやめの言葉はタメになる。
「ありがとう。放課後になったら、また河原に行ってみる。あやめは?」
「私はそろそろ部活に復帰しなければなりません。顧問の顔を立てないといけないというだけなので不毛ではありますが」
「ふふ。しっかりやんなよ」
苦笑混じりにそう言うと、あやめは突然立ちくらみでもしたかのようにその場で膝をついた。
「え、何、どうした?」
「…………ミィちゃんの不意打ちの笑顔、プライスレス……」
右手で目元を覆いつつ天を仰ぐあやめ。どうして、こういう気持ち悪いところを出さずに、素直に尊敬させてくれないのかな、こいつは。
放課後。一緒について行こうかと、しつこいあやめを引き剥がしてから、私は早々に学校を後にした。
今日はレッスンも仕事もないので、久しぶりの完全にフリーな時間。ギターケースを担ぎつつも、足取り軽く家よりも北方面に向かう。
交通量の多い国道を歩道橋で渡り、やがて見慣れた川沿いの並木道が見えてきた。
「……久しぶりだな」
春先に見た桜はとうに緑色に変わっていて、代わりに紅葉が目立っている。高架下まで降りて、コンクリートブロックに腰掛けて、ギターケースを膝に載せた。
ここは“陰”の場所だと改めて思う。日陰で、人通りも少なくて、明るさも賑やかさもない。
“陰”だからこそ自分の音がよく聴こえて、私はこの場所が好きだった。
でも、何も歌わず何も奏でずにいると、呼吸の音が虚しく聴こえるだけ。当たり前だ。
「…………」
私はここで黒子さんに見つけられたんだよな。大好きな音楽が誰かの為になるなんて思いもしなかった。黒子さんと契約して、利奈さんに導かれて、麗さんに鍛えてもらって、私は私一人では辿り着けないところまで行きつつある。
歌うことが大好きだった、ただの私は、
「どこへ行くんだろう?」
「やっぱりここに居た」
不意に陽の光が差すような、優しい声が降りかかってきた。反射的に全身が跳ね起きる。
「久しぶり。大きくなったね、美空」
私の目の前で、兄が優しく微笑んでいた。
「あ、え、うえ、お、おに、おに、お兄ちゃん⁉︎」
「いや、驚き過ぎだろう。すごい吃り方してるぞ」
そう言って苦笑する兄。
本物だ。すごい。本物のお兄ちゃんだ。やばい。カッコいい。好き。え、でも、なんで、
「なんで、お兄ちゃんが居るの?」
「あれ、母さんから聞いてなかったのか? 事件がやっと片付いたから、東京に戻る前に実家に寄るって」
「……………………」
心当たりはあった。今朝がたお母さんの機嫌が良さそうだったのは、お兄ちゃんが帰って来るからだったのかもしれない。気もそぞろだったとは言え、何という重大かつ衝撃の内容を聞き逃していたのだ、今朝の私は!
「さっき帰ってきたところなんだけど、美空がここに行ってるかもって聞いたから、顔を出しに来たんだよ。すまない、一人の時間に迷惑だったか?」
「ぜんぜん! ぜんぜんぜんぜぜんぜん!」
むしろ、仕事終わりで疲れているだろうお兄ちゃんに、ここまで足を運ばせてしまったことが、申し訳なくてしょうがない。
罪悪感で押し潰されそうになる。
「そうか。でも、ギターも開けずにぼんやりしていたようだけど、何かあったのか?」
「……うーん。何かあったというか、何もないというか……」
「良かったら聞かせてごらん。……昔は語る方が得意だったけど、今は人の話を、物語を聞くのも上手くなったつもりだよ」
大好きな兄に良く思われたくて、つい見栄を張りたくなる内なる私が居る。生まれた時から見守ってくれている人相手に、そんなことをしたって意味がないって解っているんだけれど。
兄にはやっぱり通用しなくて、結局全部話してしまった。
……そもそも大前提として、現職の刑事さんに黙秘を続けられる訳などないのだった。
一通り聞き終えた兄は「よしっ」と、膝を打ってから、
「美空、ギターを出して。何でも良いから歌ってくれ」
「話聞いてた⁉︎」
気分が乗らないという話を散々していたつもりだったのだけれど。
「だからこそ、だよ。何もしないよりはよっぽど良い」
「それは、そうだけど、……」
「どうしても嫌だったら……」
「嫌じゃない嫌じゃない! お兄ちゃんが言い出すまでもなく、私もそろそろ歌おうと思っていたところだった!」
兄を落胆させることなどあってはならない。
そんな自分を自分自身が許せない。
兄のしょげた顔を見て、反射的にやりたいと言わずにはいられなかった。
「何の曲が良い? ……お兄ちゃんが好きな曲は確か……」
慌ててギターのチューニングをしながら訊いたのだが、
「さっき何でも良いと言ったのは訂正させてくれ。美空のオリジナル曲が聴きたい」
「うぇ、お、オリジナル⁉︎」
完全にカバーを歌うつもりだったので、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
敢えて心中でも言葉にしなかったのだけれど、最近は自分の作った曲への自信が喪失気味だった。
黒子さんに立たせてもらったステージで様々な曲をカバーさせていただいて、改めて偉大な先人の方々の曲の素晴らしさを思い知ったーー同時に、自分の曲を世に出す余地があるのか、自信が持てなくなってしまった。
歌うことが好きで、自分の歌をもっと高めたいという最初の志は変わらないし揺るがないけれど、それは作り手としての自分とはまた別の話だから。
「本当に良いの、オリジナルで?」
「良いよ。オリジナルが良い」
「……あんまり明るい曲多くないよ?」
「美空らしさがあるなら何も問題ない」
兄が全く引き下がってくれない。無敵なのだろうか、お兄ちゃんは。
すると、不意に私の携帯端末がメッセージの着信を知らせた。兄が「良いよ、開いてごらん」と言うので、何故か兄に促されるようにして開くと、メッセージはかけるくんからだった。
そこには、手術が成功したこと、病状が快方に向かっていること、私への感謝が綴られていた。思わず安堵の吐息が漏れた。かけるくんからのメッセージの最後はこう締め括られていた。
『母さんとの思い出の曲を歌ってくれてありがとう。次に会う時は美空さんの曲を聴かせてください』
私は素早く兄の方を見た。端末の画面が見える角度じゃないはずだけれど、兄は満足そうに頷いていた。
「これ、お兄ちゃんが取り計らったの?」
「良いや。夕霧くんからかけるくんのことを聞いてはいたけど、僕から何かを促すようなことはしていない。メッセージを書いたのは全部かけるくんの意思で、僕はタイミングを見計らっていただけだよ」
そう言う兄の言葉は本当のようだ。見計らったタイミングがあまりに良過ぎる気がするけれど。
「そういうことだから、」と兄は私の隣に回り込んで、
「美空の大事なファンの一人も望んでいるんだ。プロとして応えない手はないと思わないか?」
間近に見る兄の眩しい笑顔が、今日は意地悪に映る。
「……うう、お兄ちゃんに追い込まれたら敵いっこないのに」
「大事な妹を想ってのことさ。それとも、意地悪をしてくるお兄ちゃんのことは嫌いになってしまったかな?」
「…………」
その問いかけが一番ずるい。
私が最愛の兄のことを嫌いになるなんて万に一つもあり得ないのだから。
「お兄ちゃんなんて知らないっ。……かけるくんに歌う曲の練習に付き合ってくれたら許してあげる」
思い切り歌った後はやっぱり心地良い。疲れも微かに滲む汗も気持ち良く感じられる。
私と兄は並んで帰路を歩くーー手を繋ぎたくなる欲求を懸命に抑えながら。流石にもう高校生になったから恥ずかしい。恥ずかしいけど惜しい気もする。何が正解なのだろう。
快感と悶々とした気分を併せて内に秘めていると、不意に兄が言った。
「少し迷ったんだけど、美空には話しておいた方が良いよな……」
「え、何を?」
そこから黙って四歩ほど歩いてから、
「作詞作曲の参考にもなるかもしれないしな」
「だから、何の話?」
変に焦らさないで欲しい。兄は何の話をするつもりなのか。
「僕が調べて話したということは誰にも内緒にして欲しい。若干、職権濫用にあたるからね。美空に関わる人たちに纏わる“語られていない物語”があるんだ」
「語られていない、物語?」
「美空ならもしかしたら、バッドエンドを変えられるかもしれない。そう願いつつ、僕は、ずるい大人は勝手に語って聞かせるよ」
兄は静かに語り始めた。
決して初めて知った話じゃない。これまでも断片的に聞いていたけれど、遠慮してあと一歩のところで引き返していた個人の事情。本当はずっと感じていた諦観と寂寥の入り混じった空気。それ以上に感じていた“彼女”の愛情。
兄による物語を通して、私の物語の原点に在る有耶無耶にしていた謎に、私は回帰する。
黒子晋作はどうして寺井美空を見つけることができたのか?
炎伽と晶さんの再会の話は現状書く予定はないのですが、ご要望があれば書くかもしれません。




