師匠と弟子
父さんが凄まじい“才能”の持ち主だったとか、その頃から井坂文弥が絡んでいたのかとか、色々とツッコミたいけれど、今は話を聞くことに専念したい。
「あたくしと香純が出会って以降のことは、あなたも知っていますわね。あたくしは“技術”に変換した己の“才能”を香純に授けました。
「しかし、その一方でそのまま側に居続けることが、香純の為にはならないと考え、事務所を東京に構えることを機にあの子の元を離れました。
「それでも、あたくしは香純のことを気にかけない日はなかった。“才能”持ちの子どもは他にも多く見てきたし、人任せとは言え保護もしてきましたが、どうしてでしょうね、香純のことだけは頭から離れませんでした。
「晴輝たちと交流を持つようになったのは完全に偶然でしたが、それをきっかけに香純の様子を見るように寺井さんに頼んだこともありましたわね。
「寺井さんから、晴輝や香純たちが井坂文弥に会ったことを聞いて、あたくしは香純の“才能”の喪失の可能性を思い浮かべました。
「前述の定義でも言ったでしょう。井坂文弥との遭遇後に“才能”が失われる、と。
「その可能性を考えた上で、さらに香純の“才能”が失われた時のリスクを想定して、すぐに行動を起こせるように、この町に少し前から滞在していました。…………まさか、こんな真夜中に呼び出されるとは思いませんでしたが。
「リスクとは何か……香純の“才能”の特性上、人格との結びつきが強い。何せ記憶力ですから。通常レベルまで、とは言え急激に記憶力が落ちれば、人格へのダメージは甚大なものになるでしょう。
「だから、一度眠らせることで現在の記憶力を脳に固着させた後で、今の状況をゆっくりと受け入れさせる必要がありました。
「以上が、あたくしのこれまでの行動の経緯ですわ。
「何か質問はありまして、晴輝?
家達さんは長い話を終えて、湯呑み茶碗の中身を一気に飲み干して喉を潤した。
質問、か。訊きたいことならば山ほどある。家達さんは行動の背景を“才能”と共に説明してくれたけれど、説明の指向性が香純ちゃんに寄っていたせいで、かなり“才能”に纏わる話として聞くと随分と穴だらけになっている。
“才能”が遺伝するのならば、水川行成さんの娘である七海が“創る力”を引き継いだように、僕や優雨、咲良も何かの“才能”を持っているのか、とか。
しかし、それは後でも訊ける。今訊くべきことは……。
「井坂文弥と出会うと、何故“才能”が消えてしまうんでしょう?」
井坂と会った時には“才能”については何も話していなかった。増してや、“才能”を消すような行動なんて何も取っていなかったように思うけれど。
「確証はありませんが、恐らく……」
「察するに、井坂文弥が彼自身として姿を現す時は物語が終わる時と同じ。そして、“才能”とは物語の潤滑剤として作られたものですから、物語の終わりと共に役目を終える、と考えられるんじゃないでしょうか」
三人目の声に、僕と家達さんは慌てて振り返った。香純ちゃんが目を覚ましたのだ。彼女は毛布を膝に掛けたまま、ゆっくりと身体を起こす。
「香純、起きるにはまだ早いですわ。まだ寝てなさい」
「いいえ、十分記憶の整理はできましたよ。師匠が一服盛ってくれたおかげでね。前に晴輝先輩の家でお義父様が仕込んだものと同じでしょう」
そんなこともあったな。アレは悪戯にしてはやり過ぎな部類のものだった。
下手すれば法的にもアウトなくらい。弁護士なのに。
家達さん、いつの間にアレと同じものを手に入れていたのか。
「ええ、そうよ。出処はわかっていましたから。二度目は効き目がやはり弱くなるのかしら。でも、関係ありません。まだ寝ていなさい。記憶は良くてもメンタルがめちゃくちゃな筈よ」
「そちらも平気ですよ。これ以上なく冷静です。……あー、そうとも言い切れないかもしれません。晴輝先輩にあんな情けない姿を晒して、恥ずかし過ぎます。マリアナ海溝にダイブしたいくらい」
香純ちゃんがさっきから僕と目を合わせてくれなかったのはそのせいか。
「香純ちゃん、落ち着いたようで良かった。それに、もっと弱みを見せてくれても良いんだよ。一側面だけしか見られないなんて寂しいじゃないか」
「…………弱っているところに、会心の一撃を当てないでください。ノクターン行きになるような行為に及びたくなります」
「腐ってもあたくしが保護者役を買って出ている間に、そんなことをさせる訳がないでしょう。このクソガキ」
一連のやり取りを通して、僕にも何となく伝わってくるものがあった。
家達さんが言うように、香純ちゃんはまだ本調子じゃない。
「それで香純、いつから狸寝入りしていたのかしら。少なくとも、ここに着いた時には起きていたようですが」
「その通りですよ。このソファに寝かされたあたりで目が覚めました。ですので、話は全て聞いていましたよ」
「そう。同じ内容を二度説明する手間は省けて何よりですわ。寝なさい」
「寝て治るなら苦労しませんよ。なくなった記憶が戻るんですか? 無理なんでしょう。私の情緒不安定の根本的な原因がどうにもならない以上、何をどうしたって無駄なんです」
「寝なさい。ガキが起きている時間じゃありませんわ」
「あなたの語彙から『寝なさい』以外のワードが紛失したんですか? それとも、私みたいなガキ相手に言葉を多く費やす必要はないとでも?」
「無駄に喚き散らすところがガキだと言ってるんですわ」
「二人ともそこまでだ」
これ以上、聞いていられない。割って入らずにはいられなかった。
家達さんも香純ちゃんも、日頃から言い合いをすることが多いけれど、今のそれはどうにも質が異なるように感じる。
赤の他人みたいに硬質で冷たい家達さんの声色と、冷静さを欠いて攻撃的な調子の香純ちゃん。
対照的に見えて、二人には相通ずるものがある。
「悪戯に傷つけ合うのはもう沢山だ。二人とも、本当に言いたいことを言ってくれ」
語彙が豊富でコミュニケーションが得意な二人が何をやっているんだ。と、そう簡単に言えるものではないけれど、だからと言って黙して見ていられない。
二人の口論は途絶えて、しばらく重い沈黙に包まれる。が、やがて、香純ちゃんが上目遣いに家達さんを見つめながら、
「……師匠は、私に“才能”がなければ、声を掛けることも、気に掛けることもなかったんですか?」
その縋るような声に、家達さんは一瞬キッと鋭い目付きになったけれど、すぐに眉を八の字にして唇を半月状に歪めた。「莫迦な子……」
呟きながら、家達さんは香純ちゃんの頭に手を伸ばす。
「あたくしが香純を初めて見た時に、“何か”あるとは思いましたが、“才能”があることまではわかりませんでしたわ。それに、お前の他にも“才能”を持つ子どもは沢山見てきたけれど、ここまで気に掛けた子は居なかったわ。……あたくしは面倒見の良い人間ではないのにね、」
そのまま髪を撫でながら、どこか困ったような優しい微笑みを浮かべて、
「心底不本意ではありますが、……お前が可愛いから放っておけなかったのよ。幸せになって欲しいと思ったから、赤の他人なのに『師匠』なんて呼ばせて、勝手に気に掛けているだけ」
その場に屈み込んで、香純ちゃんを真っ直ぐに見つめて、家達さんは言った。
「ごめんなさい、お前の“才能”を守れなくて。……お前の思い出を守れなくて」
…………。
香純ちゃんは自身の“絶対記憶能力”を呪われた力と呼んでいたけれど、その一方で、楽しかった思い出ーー特に両親や家達さんと過ごした日々を少しも欠けることなく記憶に留め続けることができていた。“才能”が失われて、昔の記憶が薄れて曖昧になったからこそ、香純ちゃんはあんなに不安になって不安定になっていた。
家達さんは香純ちゃんの能力を“才能”だと知っていて、ずっと向き合ってきたからこそ、香純ちゃんのことを深く理解できたのだと思う。だからこそ、自らの力が及ぶところと及ばないところまで分かってしまうーー理解できるから、抗えない無力感に苦しんだのだと思う。
二人とも、それを内に秘めるでも、察してもらうのを待つでもなく、伝えるべきだったのだ。
「……。師匠と私はやっぱり似ています。周りから強い人と思われて、自身でも強くあろうと思っていて、繊細な内面を表に出すのが苦手な人」
「……香純」
「似ている不幸な子どもだった私に、師匠は同情しなかった。クソガキと呼びながら、私を一人の人間として見てくれた。ただの子ども扱いをしてくれた。それに、私はとても救われたんです」
「…………」
「私にとってあなたは何なんだろうと思ったんです。親子くらい歳が離れていますけど、私のお母さんはお母さんしか居ません。義理のお母様(予定)も素敵な方が居て、叔母も居ますし。大事な人たちの枠がほぼ埋まってしまっているのです。だからね、」
香純ちゃんが家達さんの頭に手を乗せ返して、その金髪をクシャクシャに掻き混ぜる。
「しょうがないので、あなたを私の師匠にしてあげます」
弟子の弾むような声に、家達さんは一瞬言葉を失った。けれど、師匠は弟子を乱暴に抱き寄せてから、黒髪を同じようにクシャクシャにさせて、
「本当っ、生意気なクソガキね……!」
僕の角度からは家達さんの表情は見えず、少々涙声になっていることしかわからなかった。
でも、想像はできる。
きっと、弟子と同じように無邪気な笑顔を咲かせているに違いない、と。




