縦の糸
今回で70万字突破らしいです。
それが理由で張り切ったとかいうことは全然ないのですが、今回はやや長めです。
以下回想。12月31日の夜。
「…………」
「兄さーん、いつまで居眠りこいてんのさ。もうウチに着いたよ」
優雨に肩を揺すられて、僕は目を覚ました。言葉通り、ここはウチの駐車場だ。何より、隣の座席には優雨が座っていて、運転席からは父さんが、助手席からは母さんが降りようとしているところだった。
「びっくりしたなー、もう。気付いたら、兄さんめっちゃ熟睡してるから」
「あ、ああ、ありがとな、起こしてくれて」
優雨にお礼を告げてから、僕は車から降りた。慣れ親しんだ我が家に帰ってきて、いつも以上に安心感を覚える。
珍しく、僕は見た夢の内容を鮮明に覚えていた。アレは本当に夢だったのかと疑いたくなるほど、リアルな光景だったーーそれでいて、車の運転席から井坂に妙な話を聞かされるという、リアリティの欠けた夢。
前からどこか胡散臭いところのあった友人が、年の瀬に何かをしようとしている。それが何かは判然としないけれど、「お前たちの青春を踏みにじる」と言った言葉が不穏だ。
一体何をしようというのか。
足取りが自然と重くなったせいで、もう両親と優雨はとっくに家に入っていて、外に残されたのは僕だけになっていた。寒いから僕も早く中に入ろう。そう思い、ドアノブに右手をかけようとしたところで。
左手を何かに掴まれた。
「っ⁉︎」
ビクリと背中がすくみ上がって、声にならない声が出た。え、なになに。瞬間的に鋭敏になった感覚が、僕の手を握った手が少し小さめな女の子の手であることを伝える。
恐る恐る後ろを振り返ると、そこに居たのは、
「七海、か?」
僕たち庶民よりかは高級感があるけれど、間違いなく部屋着姿に違いない七海だった。
「こんな時間に何の用だ? というか、その格好は……」
「晴輝兄、今は時間がありません。何も言わずに私に付いてきてください」
七海はそう言うと、僕の手をグイグイと外に向かって引っ張って行こうとする。待ってくれ。どこへ行くつもりなんだ。
「晴輝兄、これに乗って! 私の作ったとっておきです! まさかこんなに早く出番が来るとは思わなかったけど」
七海の指す方を見ると、いつの間にか家の前に一台の車が停まっていた。ガルウィングドアを搭載した、70〜80年代のアメ車……というか、デロリアンじゃん!
「またタイムマシンを作ったのか⁉︎」
「この車種でタイムマシンを連想するのはわかりますが、似て非なるものです。良いから、乗って乗って!」
七海が運転席に乗ったので、僕も助手席に滑り込んだ。って、え、未成年が運転しちゃまずいだろ。
「大丈夫です。公道は走りませんから」
「なら、どこを走るんだ?」
「虚数空間です」
七海は答えるとすぐに何かのレバーを引いた。すると、車が急発進した時のGによって後ろに引っ張られるような感覚と同時に、目の前が眩い光に包まれて……。
そもそも、“虚数空間”という言葉は物理用語にはないらしい。“虚数時間”が元になっている造語で、SF作品にたまに登場する概念なのだとか。
「それ故に、定義も曖昧なんですけどね。ざっくり異空間だと理解していただければ大丈夫です」
「で、僕はどうしてそんな定義も曖昧な場所に連れて来られなければならないんだ?」
デロリアンの窓から映る光景は、青みがかった暗い背景に形の歪んだ時計のようなものがあちこちにある、といった感じだ。お前これ、ドラえもんのタイムマシンに乗り込む時の空間じゃん。
「虚数空間は視覚で認知できませんから。よくあるじゃないですか、“画像はイメージです”って」
「他の高名な作品からイメージを拝借するな」
『バックトゥザ・フューチャー』関係者や『ドラえもん』関係者に謝罪しなきゃいけない羽目になったらどうするんだ。菓子折いくつあっても足りないぞ。
「わざわざ虚数空間まで来たのは、単刀直入に言えば、逃げるためです」
「逃げる? 何から?」
僕が訊ねると、七海は一呼吸置いてから、真剣な面持ちで答えた。
「間もなく日付が変わると同時に、世界が改変されます。時間は6月に戻り、ごく一部、私たちの周りの人間は同じようで同じじゃない別人に変えられるのです」
「世界……改変……?」
“世界”と聞くとスケールが大きく聞こえるが、自分が認識できる世界と言うと、自分の周囲のみに限られる。それは広義における“世界”と比べたら小規模に思えるけれど、やっぱり自分にとっては小さくないものな訳で。
それが変えられるというのか。
「例えば、私なんかは発明も何もできないただの小学生に、香純おねーさんは完全記憶能力なんかない普通の女子高生にされるでしょうね。もっと言えば、咲良姉の晴輝兄への恋愛感情も削除されるでしょう。あの男は本当はラブコメなんか書きたくなかったんでしょうから」
「でも、そんなのって……」
変わる前と変わった後のどちらが良いとか、そういうことじゃない。どちらが彼女たちらしいのか。そう考えれば、悩むまでもない。
「本当は他の皆さんも連れてきたかったんですが、晴輝兄を連れてくるだけで精一杯でした」
「なあ、七海。その流れだと、お前が逃してくれなかったら、僕もまた何か変えられてしまっていたのか?」
「いいえ。晴輝兄は何も変えられることはなかったでしょう」
「え?」
「私のところに先程宣戦布告に来たように、晴輝兄のところにも井坂文弥が現れたでしょう?」
「あ、ああ」
七海のところにも行っていたのか。
「その時、フェアプレー云々言ってませんでした?」
「ああ、言ってたよ」
他にも、確かこんなことを言っていた。
『自分は開発者としてプレイヤーの需要に応えるべくゲームを制作してきた。だが、その内に自分の意図しない方向へとその世界が進んで行ってしまったーーだが、開発者の自分ならばデータに手を加えて一から書き換えることができる』
あの言葉には、あの比喩にはそういう意味があったのか。つまり、これから世界を造り変えるぞ、と。
「晴輝兄だけが元の世界の記憶を残されたまま、造り変えられた世界を生きることになったのです」
「それは……困るよな」
「違和感故に元の世界に戻そうとするモチベーションだけは持てる。そういう意味でのフェアプレーなのでしょう。実際のところは、晴輝兄には何の手立てもないので、圧倒的劣勢ではあったのですが」
「うん、無理に決まってるだろう」
僕はSF担当じゃない。学業という名の艱難辛苦に身をやつす、ただの高校生なのだから。
「それにはちょっと異論があるんですけど、まあ、そうです。だから、私がおっとり刀で参上したのです。念のため、晶さんにも手紙を託しておきましたし」
「手紙……。え、でも、晶さんも世界改変に巻き込まれるんじゃないのか?」
「そこはほら、晶さんは晶さんですから」
晶さんは晶さんだから。なんて、説得力のある言葉だろう。
前からどこか超然とした人だとは思っていたけれど、さらにぶっ飛んだプロフィールを聞いた後は余計にな。
「ちなみに、手紙の内容はどんな感じなんだ?」
「改変後のことを託した内容を、晴輝兄宛てに書きました」
うんうん。ちょっと待て。
「晴輝兄、今ここに居るよね?」
「正確には、晴輝兄に成り代わっているだろう井坂文弥を誘導するための手紙です」
「僕に成り代わってるだって⁉︎」
さっきから僕の理解を超える内容が多過ぎる。
みんなはついて来れてる? 大丈夫?
「現在、世界からは私と晴輝兄の存在が消失している状態です。その分、空間に穴が空いている訳です。改変する上では、その穴をどうにかして埋めなければなりません。しかも、空いたのが主人公ですからね、どうにかして埋めなければなりません」
「それを井坂文弥が僕になりすますことで埋めた、と」
「そういうことです。晴輝兄の存在を演じながらも、彼にとっては予定外なことが満載だったと思いますよ。ざまあみろ」
その手紙の存在によって、その指示に従う方向に物語が進むことになるのか。井坂よりもお前の方が黒幕じみてないか、七海?
「私はただやられたことを倍返ししているだけです」
「ところで、七海が居なくなった穴はどうやって埋められるんだ?」
ふと気になったことを訊ねると、これまでの雄弁さがなりを潜めるかのような、沈黙がしばらく続いた。そして、七海はゆっくりと答える。
「……恐らく、私は生まれていないことになって、代わりに母様が生きていると思います」
「母様……翠さんか」
彼女は水川行成さんの奥さんで、水川七海の母である。親同士の交流から、幼い頃に翠さんと会った記憶がある。ただ、彼女は生まれつき病弱だったらしくて、翠さんと会うのは彼女の寝室が多かった気がする。
そして、翠さんは七海を産んですぐに亡くなった。産後の肥立ちが悪かったのだという。あの時の、赤ん坊の七海を抱えて打ちひしがれていた行成さんの表情は、幼心に強く印象に残っていた。
「あ、多分そのモノローグは晴輝兄に扮した井坂文弥が既にやってると思いますよ」
「メタな発言で茶化すな」
時系列も色々めちゃくちゃな発言だからな、それ。
「ところで、晴輝兄。私がどうしてタイムマシンを作ろうと思ったのかわかりますか?」
「タイムマシン? どうしてって単に興味があったからじゃないのか?」
「それもあります。……でもね、それ以上に、一度でも良いから母様に会いたかったんです」
「七海……」
七海の母を慕う気持ちは端々から伝わってくる。もしもう一度翠さんに会う機会があったとしたら、僕はきっとすぐに翠さんのことに気づくだろう。何故なら、七海の部屋にずっと翠さんの写真が飾られているからだ。
「晶さんにもう一度母様に会わせたいというのもあるんですけどね。ただ、それは叶いませんでした」
「そうだな」
七海のタイムマシンは完成した直後から、彼女の制御を離れてしまったからだ。こちらからの操作は受け付けず、逆にタイムマシンの側から移動する人物と時間を指定する始末で、とにかく好きな時間と場所へは行けなくなってしまっている。
幼い咲良を助けた時も、それ以外にも。
「恐らく、倫理的な制約なんでしょう。時間移動を個人の意思で好き放題にやっていたら、世界がめちゃくちゃになりますからね」
そう考えると、私利私欲の規模をある程度までで抑え込んでいるのび太くんはすごい。
『どくさいスイッチ』みたいな、初期のSF色の強かった頃はさて置くとして。
「その制約をかけていたのも、恐らくは井坂文弥でしょう。間接的にタイムマシンを使用させられたこともありましたから……まあ、アレは夕霧くんの助けになったから良かったですが」
「ああ、七海の家でたまたま会った、あの時か」
過去という糸を手繰り寄せると、これまでのことが芋蔓式に繋がっていく。
「そんな訳で、近頃はタイムマシンを用いた“縦の繋がり”は諦め気味だったのです。そこで、今度は“横の繋がり”に着目することにしました」
「“横の繋がり”というのは?」
「並行世界です。タイムマシンの研究の過程で、その存在は確認できていました。その方面は未熟なのですが、未熟なりにコンタクトを試みたのです。その結果、向こうの方からすぐに私を見つけてくれたのです」
「向こうの方って、何のことなんだ?」
相槌と疑問を兼ねて訊いてみると、今度はわざとらしく溜めてから、両手の人差し指を立てながら七海は言った。
「並行世界の私です」




