「ようこそ」
「僕が、井坂文弥だって?」
こういう時に取るべきリアクションに迷ってしまったが、とりあえず素直に驚きを前面に出してみた。
「ええ。そう考えれば全ての辻褄が合うんです」
…………。香純ちゃんの背後で何やらコソコソしている七海の姿を目の端に捉えつつ、僕はさらに話を促す。
「もし入れ替わったとして、それはいつからだと思ってるんだい?」
「変化が起きる直前、本来の歴史で言えば大晦日の夜じゃないでしょうか」彼女は即答する。
「入れ替わったのだとしたら、そうかもしれないね。それが本当にあったことならば」
「作り話をしているつもりはありませんよ。推理パートで嘘をついても仕方がないでしょう」
「嘘をついたつもりがなくても、事実としてそれが嘘となってしまうことはある。“誤り”という形でね」
「……ふふっ、晴輝先輩の顔でそういうセリフを言われるのは中々ゾクゾクしますね。今度は是非本物のダーリンから聞いてみたいものです」
そう言う彼女のセリフにこそアイロニーがたっぷりと含まれている。この子、完全に僕を偽物扱いしてるよ。
「ならば訊くが、僕が偽物だったとして、本物はどこに居るんだ?」
「あ、すみません。パス1で」
「パス1⁉︎」
推理にパスなんて聞いたことないぞ!
トランプやってるんじゃないんだから!
「パスしたいのは本当です。一度保留させてください。……あなたにとっても想定外な事態だったでしょうし」
「…………。良いよ、続けてくれ。」
「先程述べたこともそうですが、私は今回の件をホワイダニット、つまり動機から考えてみることにしたんです。続けて、何故半年前の6月に時系列を巻き戻したのかをお話ししても?」
「ああ、勿論。ところで、ここまででさっき言った“半分”になるのかな」
「いいえ」香純ちゃんは首を横に振る。「4分の1くらいでしょうか」
「メタ的な視点になることを最初にお詫びしておきますね。
「半年前の6月と言いますと、『兄妹シリーズ』が始まった時期です。「優しい雨」の頃でしょうかね。
「最初からやり直す意味では特に不思議なことはありません。……ただ、初期設定を忘れてもらっては困ります。
「晴輝先輩は物語の最初期は眼鏡をかけていました。伊達ではありますけれど、かけていたことに変わりはない。ただ、改変後に6月になったにも関わらず、晴輝先輩は眼鏡をかけていなかった。
「…………ええ、そうですね、大晦日時点の晴輝先輩が6月に戻ってきたのならば、かけていないのは当たり前です。しかし、周りはどうでしょうか?
「眼鏡をかけていた人間がある日突然眼鏡をかけるのをやめた時、果たして周りはノーリアクションでいられるでしょうか? そんな訳はありませんよね。特に優雨ちゃん、お義父様やお義母様たちご家族が放ってはおかないでしょう。
「にも関わらず、誰もその変化については触れていなかった。この世界の6月の晴輝先輩は眼鏡をかけていないことが当たり前だったからです。
「彼にとっての眼鏡は彼の苦悩の象徴。それがないということは、物語世界として彼の問題は重要視されていないことになります。
「他の変化についても考えてみましょう。
「この私のことです。改変後の私からは完全記憶能力が失われ、さらには実の両親が死んだ事実さえなくなり、雲居家の娘として、普通の女の子として生活をしていました。
「そうなることで、もう一つ失われたものがあります。
「幼い頃の晴輝先輩との出会いです。
「彼に救われて、彼への憧れを抱いた私は、過去の不幸がなければあり得なかったんです。
「もっと分かりやすい変化は咲良先輩です。彼女からは晴輝先輩への恋愛感情が完璧に削除されていました。
「あんな近くにあんな素敵な人が居たら惚れない訳ないでしょうに。……まあ、これは私感なので一般論としては語れませんが、とにかく以上のことから世界を改変させた理由がわかりますね。
「この作品の恋愛要素をなくしたいから。
「あなたの日記にも書かれていたじゃないですか。恋愛に対して不信感や猜疑心があると。しかし、物語の流れはそちらの方向へ進み続けた。恋愛フラグはどんどん立ち続け、挙げ句の果てには、ヒロインたちが主人公に告白までする始末。
「一度は公園での咲良先輩の告白を強引に止めたこともありましたね、そんなことをしても、結局は流れを止められなかった。
「だから、やり直そうとしたんですよね。
「この作品を恋愛がなくても充実した青春を送れる物語にするために。
聞いていて素直に感心した。本当に。
「説得力があるね。よくもまあ、これまでのことをここまで丁寧に拾えたものだよ。マジに感心する」
「お褒めに預かり光栄の至ですよ」
「だが、定番のセリフを言っても良いかな? あらゆるミステリで聞かずにはいられないあのセリフを。『その推理に証拠はあるのかな?』」
「ありません」香純ちゃんは即答した。
今度は流石にズッコケたね。パスの時は何とか踏み止まったけれど、今回は流石に無理だった。
「おい!」
「仕方がないでしょう。殺人事件の凶器じゃあるまいし、証拠の用意のしようがないですから」
「まあ、確かにそうなんだけどね」
「ただ、代わりにあなたがより自白したくなるような状況は用意できますよ。……ねぇ、七海?」
香純ちゃんがそう言って背後を振り返ると、
「はい、バッチリ空間同期できました!」
七海が張り切ったような声で右手を挙げた。その手元にはスマホのような、また少し形が違うような端末がある。何をする気だ?
「晴輝兄、いえ、井坂さんとやら! この私が部屋に居たことはあなたにとっても意外なことだったでしょう」
「……驚いたのは本当だ」
「多少時空が違えど、私と香純おねーさんは悪巧み慣れしているんですから! ……私が、空間のスペシャリストな私が、この空間のガイドだけしかできないとでも?」
……何のことだ。悪巧み?
空間のガイド……空間座標……端末。おいおい、まさか。
思い至ったと同時に、部屋の扉が再び開かれた。
勢いよく、遠慮なく。
「ここで会ったが100年目! 観念してもらいますよ、井坂文弥っ!」
「観念云々はさておき、まずはそのややこしい格好はやめてもらうぞ、井坂」
現れたのは、小学生の水川七海。そして、寺井晴輝だった。
七海は部屋着、晴輝は外出用の格好をしているが、両者揃って冬の装いだった。
なるほどな、こいつは一本取られたよ。
「どうですか? 認める気になりましたか? それとも、『僕が本物だ。いや、僕の方こそ本物だ』みたいなやり取りを続けます?」
笑み混じりに言うが、彼女もわかっているはずだ。
僕が、……俺がそんな不毛なやり取りを好むはずがないことを。
「やめておく。その類のやり取りを見ていて面白かったのは『ルパン三世』ぐらいしかねえよ」
晴輝の要望通り自らの姿を戻してから、改めて彼らに向き合った。
「見事だよ、お前たち」
そして、ようこそ、俺の部屋へ。




