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兄妹シリーズ  作者: モンブラン
1stシーズン〜兄妹と愉快な仲間たち編〜
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フラワー・ギフト(前)

 葉山咲良という私が、過剰なまでにポジティブな記号化・象徴化している誤解を解き、その上で、私は私のお話をしたいと思う。

 私から見た世界、私の物語……。

 この行為が何を意味するのかというと、私のありのままを知って欲しいというメッセージがやっぱりあるのだけれど、それ以上に、私は私自身を見つめ直したいのだ。

 客観的な評価では、恐れながら、私は多くの人たちから「万能な美少女」と言われてきた。

 下手な謙遜は人を不愉快にさせるだけだから、正直に私が思うところをいうと、確かに私はあらゆる面で人よりも優れている。

 学業でも運動でも、私よりも上にいる人より下にいる人の方が多い。外見についても、褒められることがお世辞で言われる以上の回数あって、特に幼い頃から一緒に居る、晴輝の妹の優雨ちゃんからは、「咲良ちゃん、可愛い! マジ天使! ぺろぺろ!」としょっちゅう言われている。

 天使って……。ぺろぺろって……。

 自分の性格については、特に自分ではちゃんとした判断がつけられないものだけど、一応私なりに人当たりは良くしているつもりだ。

 …………我ながら、傲慢これ極まれりな自己評価ではあるけれど、多分客観的な評価からは大きく外れていないだろう。

 人よりも多くのものに恵まれている私は、しかし、そんな自分に時々寂しくなる。あるいは、怖くなる。

 恵まれたものは、私と人との間にそびえる壁。壁の中にいる私を見てくれる人は、一体何人居るのだろうか?

 恵まれたものは、私を支える柱。その柱には、一人の人間を支えるのに十分な丈夫さがあるのだろうか?

 そもそも、恵まれたものを持つ私自身は、結局のところ何者なのだろうか?

 これら問いかけを不愉快に感じることなく、答えてくれる人が居るのだろうか?

 疑問と不安は、私の胸の奥にたゆたう。

 私は優れた人間じゃない。人並みの暗さ明るさを持っている、ただの葉山咲良だ――――誰にも届かない叫び。

 けれど、私の弱さは嘘をついていた。

 ありのままの私を見てくれる人は、本当はずっと私の側に居たのだ――――これは、私が私を知り、私を知ってもらうための、最後のお話。





 某ディズニー映画の劇中歌が大流行し、ありのままで良いという風潮が一昔前にあったけれど、それが少しずつ収まりつつある今、私たちは何故今までありのままでいることが出来なかったのかを、もう一度考えるべきだと思う。

 リスクを警戒するばかりでは何も進展がないのは百も承知だけれど、それでもリスクの種類や性質ぐらいは念頭に置いておかなければならない。

 例えば、


「………………」


 ある晩、私がいつものようにお風呂上がりに、洗面所の鏡の前でウエストチェックをしていることなんて、誰にも言っていない。というより、言えない。

 ありのまま過ぎる。恥ずかし過ぎる。

 ありのままでいるというのは、言葉通りありのままということであって、自分の良い面も悪い面も露出してしまうことであって、出来れば内に秘しておきたいことも表に出てしまうのであって。

 私が「今日、ちょっと夕飯を食べ過ぎちゃったかなぁ。お腹に余分なお肉がついてないかなぁ」と、寝間着を少し捲り上げてソワソワしているところなんて、絶対に人には見られたくない。人に見せようと思える、私の一面ではない。もしも、晴輝に見られたらおしまいだ。

 …………どうしてここで幼馴染の名前が出てきたのかは自分のことながらよくわからないけれど、ああ、優雨ちゃんだったら、こんな姿の私にでも「可愛い!」と言って飛びついて来るんだろうなぁ、あの子は女の子にはとても甘いからなぁ、とか何とか、私が自分の中で何かを誤魔化しているような気配を感じる。

 けれど、見ないフリ聞かないフリ。

 昨日と較べてみた限りでは、どうやら大丈夫そうだ。見た目からも摘んだ感触からも、ウエストは現状維持出来ている。

 けれど、と、私は棚の上に置いてある体重計を見上げる。アレに乗るとなると、どうしても怖気づいてしまう。数字というのは、正確で残酷だ。温情措置はない。晴輝にはあまり共感してもらえないのだけれど、一キロでも体重が増えていたら、女の子にとっては大惨事なのだ。次の食事が喉を通らないくらい。

 体重は増えていない。ウエストが変わらないのだから、大丈夫。もしも増えているとしたら、腕まわり足まわり輪郭、もしくは…………。

 顎を少し引いて、視線を胸元に移した。…………これも人から羨ましがられるのだけれど、私は胸が人よりも少し大きいらしいのだ。でも、こればかりは、羨ましがられてもどこを誇れば良いのかが分からない。下着の種類が限られてくるし、結構邪魔だし、男子からの視線がしつこいのだ(そういう視線には、女子はみんな敏感なんだよ)。

 何だか色々考えすぎてちょっと疲れてしまったので、棚から視線を外して洗面所から出て行く。また機会があれば、お会いしましょう、体重計さん(悪いけれど、お世辞です)。





「やっほー、咲良ちゃん!」


 麦茶を持ってリビングに行くと、優雨ちゃんが居た。ソファに座って、足をバタつかせている。


「こんばんは。って、え、なんで優雨ちゃんがうちに? しかも、こんな時間に」


 私はそう言いながら、掛け時計を見た。午後九時四十五分、どう見ても夜だ。尋ねた私に対して、優雨ちゃんは悠々とした態度で(シャレじゃないです)答えた。


「うん。久しぶりに兄さんと派手に喧嘩をしちゃってね、顔合わせるとムカつくから咲良ちゃんちに泊めてもらおうと思って。……ダメだった?」

「ううん、私は大丈夫だよ。でも、あれ、そう言えば、お母さんは?」

「さっき会ったけど、『パパが居なくてつまんないから、もう寝る』って言って寝室に行っちゃったよ」

「はは……」


 お母さんらしいと言えば、お母さんらしい。

 お父さんが海外出張で数日家を空けているので、寂しがっているのだ。

 一方、お父さんもお父さんで、そんなお母さんが心配なので、いつもすごく頑張って仕事を早く終わらせて早く家に帰るようにしている。

 小学生の時に両親についての作文を書いて発表した際には、晴輝以外のみんなから引かれてしまったのだけれど。変なことを言った自覚はなかったのに。


「それならうちの方は構わないけれど、茉衣子おばさんや洋介おじさんは何か言ってなかったの?」

「心配ご無用! ちゃんと、許可をもらってるから。…………明日の朝は面白いことが起きそうだしね」

「え?」

「わたし、家でお風呂は入ってきたから、もう寝ちゃう?」

「ごめんね、まだ髪が乾ききってないから、もうちょっと待っててくれる?」

「おっけー」


 私はタオルで髪を拭きながら、優雨ちゃんの隣に腰掛けた。途端に優雨ちゃんは私の肩に頭を乗せて寄りかかってくる。甘え上手な娘だ。


「えへへへ。咲良ちゃん、久しぶりに一緒のベッドで寝る?」

「良いよ。私は良いけれど、狭くなっちゃっても大丈夫?」

「そこが良いんだよ! 密着することに意義があるのだと、わたしは訴えたい!」

「…………もうちょっと、あなたは慎ましくしていても良いんじゃないかと、私は訴えたい」


 こんな調子で、わたしは髪を乾かした後、久しぶりに優雨ちゃんと同じベッドに入った。優雨ちゃんの怪しげな手つきを払いのけながらも、心地よい眠りについた私は、翌朝あんなことが起ころうとはまるで思いもしなかった。





「……………………」


 翌朝、とある一悶着の後で、私は寺井家でご相伴にあずかることとなった。寺井家は計四人の家族であるのだけれど、今朝は朝食の席を六人が囲んでいる。増えた二人のうち一人が私であるのは言うまでもなく、もう一人は、


「あ、お初にお目にかかりますー。私、優雨ちゃんの親友にして、晴輝先輩の彼女候補に名乗りを上げました、雲居香純と申しますー」


 と、名乗った。名乗ったのだけれど、この娘には、先ほどのあの場面で私に出くわした気まずさはないのだろうか。

 あの場面というのは、


「香純ちゃん⁉ 僕、さっき、本当に申し訳ないけど、その、君に告白されたのを断ったよねぇ⁉」


 晴輝が全部説明してくれた。より細かいことを言えば、晴輝が朝起きたところ、雲居さん? がベッドの上にいて告白、そこに何故かタイミング良く私と優雨ちゃんが出くわしたのだった。そして、晴輝の答えは、


「『ごめん、今は誰のことも恋愛対象として見られないんだ』でしたよね。今、ということは将来には期待しても良いということじゃあないですか」


 晴輝の答えは、断りを入れつつも、中途半端に相手に希望を持たせてしまう、ヘタレで意気地なしで臆病で女たらしでスケコマシなラノベ主人公のようだった――――あれ、私ここまでヒドいことを言うつもりはなかったのに?

 雲居さんの指摘に、晴輝は、


「いや、でもね、でもだよ、君のそういう思いには答えられないと意を表明した訳で……」

「……私には過去現在未来を通して、夢も希望もないんですね。私って、どうして生まれてきたんだろう……」


 うなだれる雲居さん。晴輝はなっさけなく(あれあれ? 本当にこんなこと思ってないのに)慌てて、


「待て待て待て! あるから! 夢も希望もあるから!」

「あるんですか! こんな私にも!」

「あるある。どんな君にも、夢も希望もあるよ」


 晴輝がそう言うと、「うわぁ、嬉しいですね」と、雲居さんは顔を上げてパアッと輝くような笑顔になった。

 すごい百面相ぶりだけど、優雨ちゃんの友達だけあって、すごく可愛い。晴輝がだらしなく(…………)デレデレするのも分かる気がする。


「では、晴輝先輩。彼女ではなく、特別親しい後輩、くらいでいかがです? 色々とやり直しも効くと思いません?」

「……まぁ、それなら、うん、良いよ。改めて仲良くしようか。それに、やり直しをするつもりはない」

「ふふ、やったぁ! ……なんてね。ありがとうございます」


 私はさっきから何を見せつけられているのだろう。

 別に私がここで不機嫌になる理由は全くないのだけれど、ところで、さっきから優雨ちゃんが大人しいと思ったら、どうやら私たちを見てニヤニヤ面白がっているらしい。さっきの修羅場ならぬ修羅場にちょうど出くわしたのも、多分この子の仕業だ。


「優雨ちゃん、何か企んでる?」

「えー、何もー。ただ、反応する人は反応しちゃうかもだけどね♪」


 可愛らしい優雨ちゃんのウィンクも、今はちょっと恨めしい。後で、晴輝共々しっかり問い詰めよう。

 一方、寺井家のご両親、洋介おじさんと茉衣子おばさんはというと、


「うわー、やべーわ。俺、最近近くのものにもピントが合わなくなってきた」

「洋くん、もしかして老眼?」

「まだだ! 俺はそんなに老けて……はぁ、俺ももうそんな歳か。くっそー、同い年の茉衣子はまだ若く美しいのに。美魔女なのに」

「あの、私を褒めても視力は回復しないわよ? ……洋くんも、そんなに老けてないし」

「やっぱレーシックかな。しかし、まとまった時間が取れないからなぁ」

「術後も快復するのに時間がかかるものね」

「それじゃあ、茉衣子の顔を見るのも…………このくらい近くないとな」

「近い近い近い近い近い!」


 仲が良さそうで何よりだ。……あやかりたいな。





 素早く支度を終えた晴輝は、逃げるように(多分「ように」は要らない)、先に学校に行ってしまった。

 仕方なくという訳ではないけれど、私は優雨ちゃん、雲居さんと一緒に登校することとなった。

 私としては、初対面の雲居さんとの間を優雨ちゃんに取り持って欲しいところなのだけれど、その一方でどこかで会ったことがあるような気もして、混乱してしまっている。


「あー、それはですね、他の姿で実は何度もお会いしているからですよ」

「え、私、口に出してないのに⁉」

「不肖私、表情から読み取ってみました」

「すごい! というよりも、怖い!」


 どんな表情をしてたの、私⁉

 感心半分恐怖半分で驚いてしまったけれど、それよりも気になるのは、「……ねえ、ところで他の姿で会ったことがあるって本当?」ということだ。

 雲居さんは平然とした様子で、


「ええ。最近では、八月に変装した姿で……」

「変装って…………、え、あの、うちの前に居た人のこと⁉」

「はい、そうです。髪を帽子にしまいこんで、低い声を出してました。って、これは多分読者の皆さんにはすでにバレてると思うので、話を先に進めて良いですか?」

「ど、どうぞ……」


 急にメタネタを入れてくるのはやめて欲しい。私、まだ慣れてない。


「で、それよりも前にお会いしたのは、私が九歳の頃ですね。これに関しては、話すと長いのですが……、」


 そう前置きして、雲居さんは長い過去の話を始めた。聞いていると、次第に私の記憶の中の靄が晴れていく。 

 …………この子は……。


「という感じでした。とっぴんぱらりのぷぅ、です。おやおや、どうしました? 浮かない顔ですねぇ?」

「こんな話を聞かされたら、浮かない顔もするよ! あなた、香純ちゃんだったのね!」

「はい。改めまして、お久しぶりです、おねーさん」 


 おねーさん、と言われるのは、本当に久しぶりだ。

 香純ちゃんとは、ほんの短い期間だったけれど、昔、晴輝とも一緒に遊んだことがあった。遠い記憶の少女と重なる面影を残しながらも、今の彼女はもうすっかり成長している。


「でも、香純ちゃんにそんなことがあったなんて、私知らなくて……」

「いえ、それは良いんですよ。私の中ではある程度折り合いをつけたことですし。それに、おねーさん、都合の悪いことはすぐに忘れてしまうじゃないですか」

「………………え?」


 自然な流れで言われたので、危うく聞き逃しそうになったけれど。

 都合悪いことを、忘れる?


「はい。だって、あなた、私とどうやって出会ったかを覚えていないでしょう?」

「ええ、確かに。でも、それは、」

「あなたは多くのものに恵まれ、挫折を味わったことがないでしょう。失敗がゼロとは言わないものの、成功が常であるあなたは失敗に慣れていない。防衛本能として、自らに暗雲をもたらすものを記憶せず忘却するのではありませんか――まあ、これは誰にとってもあり得ることではありますが、特にあなたはそれが顕著なのではありませんか、おねーさん」


 私は――何も答えられなかった。図星なのかどうなのか、自分のことながら自分のことが分からなかった。まあ、最も、と彼女は続ける。


「あなたに対しての場合は、お節介ではなく、ただのやっかみですよ。私の暗雲を全く見ようとしないあなたではありますが、一応はお世話になったあなたに箴言させていただきますね――光だけでなく、闇にも向き合わなければ、本当の人付き合いは出来ませんよ」


 それこそ、恋愛なんて――ね。あなたをヒロインに据えようと思っていた気も変わってしまいました。


「だから、おねーさん、ではなく、一人のライバルとして、私はあなたに挑戦します――葉山先輩」


 そう言う、彼女の唇は笑みを浮かべていても、私をまっすぐに見つめる彼女の瞳は、私を射抜かんばかりだ。敵わない。

 私は生まれて初めてそう思った。





 優雨ちゃんは、私たちの会話に一度も茶々を入れることなく、ひたすら沈黙を保っていた。

 普段から口数の多い、お話好きなこの子ではあるけれど、人の話を聞くのもまた好きな子なのだ。だから、より雄弁な雲居さんと良い友達付き合いが出来ているのかもしれない――ああ、ダメだ。私はまた自分のことから他人のことへ思考を逸らそうとしている。

 このまま、自分のことを突き詰めていったら、多分私にとって都合が悪いからだろう。

 普通は、自分の汚点に向き合わなければやっていけないはずだ。失敗して、自分の負の面を知り、反省しながら前に進むのが、多分普通なのだろう――それでも、私が今に至るまで生きていけたのは、器用だったからだ。自分や他人の汚点に向き合いながら生きる不器用さが、私にはない。

 ない、ということがない。

 そういうことなのだろうか――いや、多分違う。

 そんな完璧超人のような人が居る訳がないし、完璧であるという責任を負うこともできない。

 香純ちゃんの言葉に「違う」と言うことはできた。けれど、どう違うのかを説明することが出来ない――ああ、完璧とは全く程遠いじゃないか。

 私は私が何者であるかを人に伝える言葉を持たない。

 そんな簡単なことも、私は出来ないのである――――だとしたら、私は何者なのだろう。何者だと思われたいのだろう。





「考えてどうしようもないことは、考えない方が良いんじゃねーの。頭痛になるだけだ」


 私が、クラスメイトで晴輝の友達でもある、井坂(いさか)文弥(ふみや)くんに相談してみると、彼はそんな投げやりな答えを返してきた。

 …………あれ? 私、彼とは相談を持ちかけるほど親しかったっけ? そして、私はいつの間に、他人には中々話せないことを井坂くんに打ち明けたのだろう?


「なんだよ、葉山さんから俺に話しかけてきたんだろ? 数分前のことなのに、もう忘れたのか?」


 私から? けれど、彼がそう言うのならその通りなのだろう。記憶が飛ぶほど、私は思いつめていたのかな?


「それに、投げやりな答えなんて失礼なことを言うなよ」

「言ってない」


 地の文を読まれてる? いや、まさか……?


「まあ良い。それはともかく、俺が言いたいのは考え過ぎるなってことだ。人間は考える葦じゃない。考えたり考えなかったりの緩急をつけて、あちらこちらへフラフラする、ただの人間っつー動物だ。考え疲れたら、休め。疲れが取れたら、また動け。一心不乱にフラフラしてるだけでも、見えてくるもんがあるじゃねーの」

「私、疲れてるのかな?」

「ああ、疲れて拗らせてるように見える。…………あまり言い過ぎると晴輝の領分に入るようで悪いが、他人にどう見られたいのか、というあんたの自問自体がすでに他人を気にし過ぎなんだよ。もうちょっと自分の欲求に従っても良いんじゃねーのか。自分が何かをしたいと思う心は、他の誰でもない、自分自身のものなんだからよ」

「欲求に…………でも、良いのかな? 他の誰かに迷惑をかけてしまうと思うんだけど」

「誰にも迷惑をかけないなんて、できやしねーよ。人間、生きてるだけで、いつも誰かに迷惑をかけてんだから。聖人君子なんてそもそも存在しないんだから、目指すだけ無駄だぜ。…………晴輝だって、完全無欠なヒーローじゃあないだろ」

「…………」

「っと、怖い顔をするなよ。嘘は言ってない。あいつは良い奴だが、ダメなところもある。なあ、葉山さん、恋愛的な意味でなく、晴輝のことをどう思ってる?」

「どう、思ってるか…………」

「じゃあ、好きか嫌いかで良い。どうだ?」

「それは、好き、よ」

「だろうな。誰にも長所短所はあるが、その上でその人のことを好きだと言えるのは、相手の短所や欠点以上にも好きだと言えるところがあるからだ。それに、好き……嫌いじゃないと確信できてるんだろう」

「ええ、嫌い、とは、どうやっても言えないわ。そういうことで良いの?」

「そういうことで良い。良いというか、あたり前なんだけどな。だから、はじめに言ったように、あんまり考え過ぎるな。過剰に誰かを慮らずに、思うままに振る舞えば良いのさ」





 んじゃ、ばいばいきーん、と言って去って行った彼の背中は、すぐに教室から消えた。嵐のようにと言うには規模は小さいけれども、井坂君は私の心にまた新たな波紋を残した。

 天邪鬼ではないけれども、考えるなと言われて、言われるがままに考えるのをやめてしまえるほど、私は単純ではない。

 私は私。でも、世界には私ではない他人が数え切れないほど大勢いる(人口を統計で出されたとしても、私個人で数え切れる規模ではない)。

 私はその中でどのような個性を持っているのだろう。

 光だけでなく闇にも――人の良いところにも悪いところにも向き合わなければならない、香純ちゃんからそう言われた。

 きっと、彼女は人間のあらゆる面を見てきて、どちらかと言えば、悪い面と接してきたのだと思う。それでも、ここまで生きてこられたのは、希望を失っていないから――そして、その一因はやっぱり晴輝にあるのだろう。

 晴輝。寺井晴輝。お母さんのお腹の中からの、私の幼馴染。

 彼は自分が輝くというよりも、他の誰かを照らすような人だ。大地全てを照らし、私たちみんなの生きる源になる太陽のような、そんな人だ。最近は私にはよく分からない理由で陰りを見せていたけれど、段々と元に戻りつつある気がする。

 妹の優雨ちゃんは兄とは対照的に見えるけれど、根っこのところは多分一緒。彼の背中を見て育ち、最近ではその背中を蹴っ飛ばすほどのヤンチャさを見せる彼女も、名前の通りに周りに潤いを与える優しい雨のような娘だ。

 私の名前のサクラは、特に日本では花の代表格にされているけれど、花は一人では咲けない。太陽と雨と土があってはじめて、花を開かせる。一人では生きられない。

 私もまた、私一人では葉山咲良ではいられない。





 朝から話せずじまいである晴輝をずっと待っているのだけれど、彼はなかなか教室に現れない。先に学校に行ったはずなのに、遅刻どころかこれでは欠席になってしまう。

 ついには帰りのHRも終わり、放課後になってしまった。いよいよ彼のことが心配になって来た私は、担任の先生に尋ねてみた。すると、先生は表情を曇らせながら、こう答えてくださった。


「寺井なら、朝職員室に電話がかかって来たよ。アイツ曰く、『海馬が爆発して頭痛、腰が砕けて腰痛、腸チフスと腸ねん転がタッグを組んで腹痛、ぼんやりとした不安からの神経痛。痛みの四重苦を抱えてしまったため、今日は欠席させていただきます』だとさ」


 …………百パーセント、間違いなく仮病だ。





 晴輝が訳の分からない理由で欠席していたため、私は一人で下校することになった。もう、近所の住宅街まで来ているから、家までの残りの距離は少ない。

 それにしたって、どういうことだろう。

 家は出ているはずなのに、学校には来ていない。だとしたら、晴輝は今どこにいるのだろう。学校に自分で連絡できる余裕はあるから、多分無事ではあると思う。まさか、朝の気まずい空気から逃げ続けているわけではないだろうから、何かに妙な事態に巻き込まれているのかもしれない――ありえる、彼は巻きこまれ体質とあらゆる窮状に首を突っ込む性格を兼ね備えている。

 だから、可能性として全然ありえないことではないのだ。

 けれども、私は私で、こういう事態は、実は結構慣れていた。

 久しぶりのことではあるけれど、そろそろ彼とは十七年の付き合いになる。小学生中学生の頃から、彼はこんな風にフラッといなくなることが多かったのだ。

 後でいなくなった理由を訊いてみると、大体が「迷子のお母さんを探していた」「道にいたおばあさんの重そうな荷物を持っていた」「ケガをしたスズメの手当てをしていた」など、他の誰か(動物も多い)を助けていたからだった。

 こういう親切は誰にでも出来そうで、けれども実際はとても難しい。親切をするために一歩踏み出すことを、億劫に思ったり物怖じしてしまったりすることがほとんどだろう。

 しかし、彼はその一歩を軽々と越えて助けに行き、行きっ放しではなく、彼はきちんと私たちのもとに帰って来てくれる。そして、大したことではないかのように、その時のことを語って聞かせてくれるのだ。そんな彼だから、私は彼のことを――と、その時。

 突然、視界が左右に揺れた。足元がフラフラする。

 身体がよろけてまっすぐ立てなくなり、近くの塀に手を置こうとして、空振りしてしまう。とうとう私はその場にうずくまり、両手で頭を押さえた。目も開けられない。頭の中がまるで竜巻が起こっているかのようにグルグルする。悲鳴もあげられず、息を漏らすことしかできない。痛い。怖い。助けて――。

 どれくらいそれが続いたか分からない。けれど、急に眩暈は波が引くようにおさまった。何だったのだろう、今のは?

 私は目を開けて、ゆっくりと立ち上がる。


「…………?」


 何か違和感がある。住宅が並ぶ景色は先ほどとは何も変わらな――いや、何だか家が新しくなっているような気がする。構造は違うように思えないけれども、雰囲気が新しい。いや、むしろ年季が経っていないような。

 多分疲れているのかもしれない。早く帰って、家で休もう。手前の角を曲がれば、すぐに家に着く。

 少し歩調を早めて角を曲がろうとした時、小さい男の子が私にぶつかった。「きゃっ」と声をあげてしまい、私はその場に尻もちをつく。

 じんじんと痛む腰をさすりながら、男の子の方を見やる。男の子も転んでしまったようだけれど、両手をばねにして立ち上がり、私の方に駆け寄って来た――え? えぇ⁉

 そんな、まさか…………?


「ごめん、ねーちゃん。だいじょうぶか?」


 声変わりをしていない、高い、懐かしい(?)声。

 男の子は――デニムの短パンに真っ赤なTシャツ、野球帽を後ろ向きに被り、その下から覗くよく輝く瞳を持つ、男の子は私に手を差し伸べてきた。私はその小さな手を取って、立ち上がる。


「ありがとう」

「いーよ。ちゃんとみないではしってたおれがわるい」


 と、男の子は申し訳なさそうに言う――私はその顔にとても見覚えがある。だけど、ありえない。そんなことがあるはずがない。頭が混乱してきそうだけれど、男の子の心配そうな顔を、そのままにしておけない。この子にそんな顔をしてほしくない――何故か、そう強く思った。


「私は大丈夫よ。こちらこそごめんなさい」


 私は何とか声を絞り出して、男の子に訊いてみる。


「それよりも、あなたの名前を私に教えてくれない? それと、…………何歳かも教えてほしいな」


 男の子は顔を上げて、まっすぐ私の目を見て答えた。


「おれはてらいはるき。ろくさいだっ」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 恵まれた部分があって、人からは苦労もなく一見幸せそうに見える桜良ちゃんであっても、1人の人間として弱い部分もあり、むしろ分かってもらえない孤独感を抱えているという冒頭にまず、胸を打たれまし…
2020/08/15 19:38 退会済み
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