“グレブレ編”〜心の回廊〜
目まぐるしく展開が動くのでどこから驚けば良いのかすらわからないけれど、とりあえずは優雨ちゃんの登場について本人に訊いてみることにした。
「七海ちゃんに頼んで、プログラムを再構築してもらったんだよ。巫女じゃなくて、戦士がわたしの本来の役割だったからね、すぐに組みなおしてくれたの」
「なるほど」
「戦えるようになってから、そこのAIお父さんと合流して馳せ参じたわけよ」
AIお父さんってすごい字面だな。
「ということは、優雨ちゃんは現実から操作してる優雨ちゃんだけど、ヨースケおじさんはこのゲームの中だけの存在なのね」
「そういうことになるな」
引き継いで答えてくれたのはヨースケおじさんだった。
「俺も水川七海によって作られたAIだ。君たちのよく知る寺井洋介をモデルに組まれたらしいが、どうだ、ちゃんと似ているか? 良いオルテガポジションになってるか?」
「ええ、それはもう」
そういう軽口を言うあたりが特に。
「パパスは流石に結末が哀れだからな。いや、でもオルテガはオルテガで……」
「おじさん、ドラクエの話はこの辺で……」
今は雑談に花を咲かせている場合じゃない。私たちは倒れている魔王のもとへと駆け寄った。魔王は爆発のダメージ、そして優雨ちゃんからの斬撃を受けてぐったりとしているようだった。
「……ここまでか。あっけないものだな」
「魔王」
「君たちの勝ちだ。君たちの正義がおれの正義に勝った。おれが弱かっただけのこと」
素直に負けを認める魔王。そんな彼の姿を見ても、不思議と達成感はなく気分は晴れなかった。
「間もなくおれは消える訳だが、その前に伝えておかなければならない。眠る勇者のことだ」
「!」
「勇者が眠っているのは“心”が限界まで弱っているからだ」
心……。
「かつておれと勇者が戦いおれが敗れた際、おれは勇者の心の闇をかすめ取り密かに生き延びた。闇の部分が無理矢理切り離されたことで、勇者の心には亀裂が生じたのだ――つまり、外部からのダメージに対して脆くなっていたという訳さ。そんな状態で、勇者は人間の悪意に晒されたんだ」
私はそこでヨースケおじさんの書いた手紙の内容を思い出した。傍に居る書いた本人は険しい表情をしている。
「魔王さん、遅ればせながら私にもわかりましたよ。勇者の故郷を滅ぼしたのは魔物ではなく人間なんですね?」
深刻そうな表情を浮かべて訊ねる香純ちゃんに、魔王は黙って頷いた。
「魔物たちの仕業ならば爪や牙の跡があったはず。しかし、道具によって焼かれ打ち壊された跡しかなかったからな。……英雄とは敬われるか畏れられるかの二者択一。魔王を倒すという偉業を成し遂げたはみ出し者に対して、人間たちは矮小な己を守るために畏れ疎む仕打ちでもって応えたのさ」
「そんな……」
そんな、残酷な話があって良い訳がない。勇者は人間たちやその住む世界を守るために単身魔物たちに戦いを挑んだのに、守った人たちから拒絶されてしまうなんて。
ヨースケおじさんもこうなることを予想していたことになる。彼はこう続けた。
「俺は人間だ、旅していた間に内側からいろいろ見てきたよ。魔王率いる魔物たちという人類共通の敵が居れば、打倒を目的として人間たちは団結できる。しかし、それを失えば人間の敵は人間になる――自らの富、名声、財力や権力を脅かしうるのは同じ人間なんだからな。勇者の名声を脅威に感じる権力者たちも居る訳だ」
「でも、そんな人たちばかりではないでしょう」
私は取り戻した平和を喜び分かち合う街の人たちのことを思い出しながら言った。しかし、魔王はそれに対して力なく笑って、
「ックク、君たちの現実ではどうか知らないが、おれの知る限り、善意ある言葉よりも悪意のこもった言葉の方が心には刺さりやすいのさ。99の称賛よりも1の批判の方が嫌でも心を揺さぶるようにな」
残念ながら、魔王の指摘には心当たりがあった。私たちの現実でも、優しい言葉よりも傷つける言葉の方が、どうしても印象が大きく心に刺さる。決して望んでなどいないのに。
「理解してくれたと受け取るよ。さて、じきにおれが消えて心の闇が勇者に戻るだろう。戻ったところで“心の回廊”というものが出現するはずだ」
「“心の回廊”?」
「“心の回廊”は心象風景が具現化したものだ。闇をただ心に戻しただけではバランスが崩れる。誰かがそのバランスを回廊で整えに行かなければならない」
「誰かが……」
「父親が行けば話は早いだろうが、そこの死にぞこないも命の灯が今にも消えようとしているようだ」
私は即座にヨースケおじさんの方を振り返る。彼の身体からは光の粒が立ち上り、存在が薄れているようだった。
おじさんは眉を下げて笑う。
「バレていたか。……そうだ、以前の魔王との戦いから辛うじて生き残っていたところで、さっきの撃ち合いの時に魔力だけでなく生命エネルギーを放出してしまった。魔王と同じく、俺もここまでのようだな」
「そんな! おじさん……」
「悲しむことはない。俺はあくまでAI。君たちのよく知る本物の俺は健在しているんだから」
でも、そんな簡単には割り切れない。例え洋介おじさんをモデルとしたAIだとしても、本当のおじさんのように私たちを見守り助けてくれた人なのだから。
「その優しさを向けてくれるだけで俺はもう十分だ。だから、俺のことはもう良い。息子のことを頼む。……おい、魔王よ。代わりに誰を回廊に行かせるかは考えてあるのか?」
「魔法使いのお嬢さんはどうだろう。彼女は心の闇を上手く扱える人間だ」
「同感だ」
私は香純ちゃんの方を向いた。黙って聞いていた彼女は、唇を引き結びその瞳は決意の色に満ち満ちていた。
「あの、心の回廊には私も行けないんですか?」
「悪いな、僧侶のお嬢さん。心の回廊は本来他人の入るような場所ではないんだ。入れて一人が限界だ。……そこのスーツの兄ちゃんは同行できるだろうがな。他人ではないのだから」
大人の晴輝が前に進み出た。そうか、彼もまた模した存在とはいえ晴輝に違いないのだ。
私はこの場で待っているしかないのか。
「咲良ちゃん、わたしも他の人に下駄を預けるのは性に合わないけど、香純ちゃんを信じよう。信じて待つことにだって絶対に意味はあるはずだから」
優雨ちゃんに笑顔を向けられて、私は頷くことができた。
ずっと自身の心の闇と戦ってきた彼女なら。……直向きに“彼”のことを想い続けた彼女なら。
「香純ちゃん、晴輝のことをお願いね」
香純ちゃんは私の言葉に一瞬呆気に取られたような表情を浮かべたけれど、すぐに不敵な笑みを取り戻して力強く頷いた。
「はいっ、お任せください!」
「どうやら話は纏まったようだな」
セリフに割って入った魔王の身体からも、ヨースケおじさんと同じように光の粒が立ち上り始めていた。彼の命もまた尽きようとしている。
「心の回廊に入ったら、とにかく奥を目指せ。そこに行けば何を為すべきかわかるはずだ。…………これが最後の冒険だよ」
理解していると、私たちは頷いた。元々、私たちの冒険の目的は魔王を倒すことではなく、勇者を――晴輝を救うことにあったのだから。
魔王が、そしてヨースケおじさんが満足そうに笑うと、彼らから立ち上る光の粒の量が増した。もう、お別れしなければならない。
「本当にありがとう。そして、息子のことをどうかよろしく頼む」
「敗れはしたが後悔はない。向こうで同胞たちが待っているだろうしな。……短い間ではあったが、君との冒険は楽しかったよ、香純ちゃん」
眩い光に包まれて、二人は光の柱となって空に吸い込まれるようにして消えていった。そして、その片割れ――魔王の居たところから黒い靄のようなものが現れた。その靄は横たわる勇者のもとに移動して、そこで大きく膨れ上がった。まるでトンネルの入り口のように人がくぐれるくらいの大きさにまで。
「ここから心の回廊に入れるのね」
「そう見るべきでしょうね。……私は行きます。そこの大人な晴輝先輩はどうしますか?」
香純ちゃんが訊ねると、彼は鞘に収めた剣を手に取って前に進み出る。
「僕も行かせて欲しい。君たちの冒険を助けることが僕の存在意義なのだから」
その言葉に頷き、香純ちゃんは私と優雨ちゃんの方へ振り返った。
「それでは、行ってきますね!」
「「行ってらっしゃい!」」
香純ちゃんとその後ろに続く大人晴輝は、振り返ることなく黒い靄の中に入って行った。
どうか、最後の冒険が上手く行きますように。




