温かさの理由
「雲に覆われて」からの一件は秋の話になるのですが、これは色々片が付いた後の冬の話です。
ある冬の日。吐く息が白く、思わずブルっと震えてしまうほどに寒い朝。
私、葉山咲良は、晴輝と一緒に冬休みの課題を終わらせる約束で、彼の家までやって来ていた。
インターホンを鳴らす。馴染みに馴染んだ、勝手知ったる人の家だけれど、親しき仲にも当たり前の礼儀は必要だからね。
おや? 数十秒ほど待ってみても、スピーカーから返事がない。ついでに言えば、玄関に近づく足音が家の中から聞こえない。おかしいな? 約束していた晴輝はもちろんのこと、優雨ちゃんも今日は家に居ると聞いていたのだけれど。ちなみに、車がないから、恐らくおじさんとおばさんは外出していると思われる(洋介おじさんと茉衣子おばさんは二人で揃って外出することが多い。うちも似たようなものだけど、あやかりたいものだ)。
こんなことを考えていると、私のスマホが通知音を鳴らした。画面を見ると、晴輝からのLINEのメッセージだった。
『遅れてすまない。鍵は開いてるから、入ってくれ。』
と、書かれているのを見て、私は首を傾げる。リビングの壁にインターホンのパネルがあるのに、何故それを使わないのだろう?
まあ良いかと思い、家に上がらせていただく。が、リビングに着いたところで私は全てを理解させられた。
「おはよう、咲良」
「やっほー、咲良ちゃん♪」
私を出迎える兄妹は、二人ともコタツの中に自分の半身を埋めていた。そして、コタツの上とその周囲に飲み物、食べ物(スナック菓子とみかん)、リモコン類に本などが置かれている。つまり、ほぼ全ての用事がコタツ内で済ませることができるということだ。とすると、
「玄関のドアを開けてくれなかったのは、コタツから出たくなかったから?」
『うん』
兄妹仲良く、お返事した。
「コタツがあまりに快適で暖かくてさ、気付いたら出られなくなっちゃってな」
「その割には、コタツから出ないための仕度が徹底してる気がするんだけど」
「気のせいだよ、咲良ちゃん。偶然、たまたま」
あれ、珍しい。優雨ちゃんが晴輝の援護射撃をしてきた。少なくとも、表面上はこの二人は仲の悪い兄妹を自称していたのに。
「えー、別にわたしたち仲良くないよう。今朝も、ホットケーキを食べる時にメープルシロップが残りが少なくて……」
「ああ、どちらがメープルシロップを使うかで喧嘩になったとか?」
「いや、違う。お互いに譲り合ってるうちに喧嘩になった」
「やっぱり本当は仲が良いよね、あなたたち」
えーと、そもそも私は何故こんなことを考え始めたのだったっけ。
思い出した。
この兄妹は客観的に見れば仲が良いのに、本人たちは仲が悪いと主張している。しかし、今日の二人は仲の良さが表面化している。何故だろう?
ということだった。後ろ暗さもないので、思ったままを訊いてみると、
「それね。お母さんにコタツを没収されちゃって、さっきまで探してたんだよね。『コタツに篭ってばかりじゃいけません!』って」
「僕も優雨も困ってな。それで、母さんが隠したコタツを探し出し、再びセッティングする上で僕たちは手を組むことにしたんだ。その名も、」
『晴雨雲コタツ友好条約‼』
「あなたたちって、そんなにコタツ好きだったかしら?」
「うん、コタツさん、だーいすき♡」
「コタツ、僕は絶対に君を離さない!」
「兄妹揃って、コタツを口説かないで!」
………………嘘。嘘でしょう。今回って、こんなユルい企画で、しかも私ひとりでツッコミをしなければならないの?
胸の中に暗雲立ち籠めそうになりかけた時、ふと気づいた――晴輝ほどツッコミに手馴れていないせいか、気づくのに少し遅れてしまったけれど。
「晴、雨はわかるけど、雲っていうのは?」
「私ですよ、葉山先輩」
背後から聞こえた声に振り返ると、いつの間にか雲居香純ちゃんが立っていた。ニット帽にダッフルコートが可愛らしい。
「こ、こんにちは、香純ちゃん。いつからそこに居たの?」
「今、コンビニから戻って来たばかりですよ。はは、そんな人をオバケみたいに言うのはやめてくださいよ。私、もうミステリアスキャラはやめたつもりなんですが」
「そ、そうね。ごめんなさい。少しびっくりしちゃって」
「画的には大丈夫ですよ。おっかなびっくりしている美少女は基本的に受けが良いですから。ちなみに、先ほど貴女が呈した質問にはこう返しましょう。お母様が隠されたコタツを探すのに、私の足りないおつむを提供させていただいた、です」
「そうだったんだ。……ところでさっき『戻って来た』って言ったけれど、一回ここに来てから今まで外に出ていたということ?」
「ええまあ。財布だけを持って、コンビニに行っていましたから。コタツの近くにバッグを置いておいたので、それで察していただけると思ったんですけれどね。心ない誰かに、お前の目は節穴か、と言われてしまいますよ」
「もしかして私、遠回しに批判されてる?」
キャラをやめるというのなら、まずそこから改めてもらえないかな。
香純ちゃんはニット帽とダッフルコートを脱いで、コタツの中に滑り込んだ。なんとなく、入ったら負けなような気がして、私はコタツの中に入りそびれているけれど、いい加減寒くなってきたな。
「ほら、雪見だいふくを買って来ましたよ。食べましょう。あ、立っているついでに葉山先輩、フォークを持ってきていただけますか?」
「う、うん。分かったわ」
台所に向かう途中で少し考える。どうして、私、すぐにコタツに入らなかったのだろう。意地を張っているから? でも、何の意地を?
今日は考えることが多い。いや、まだ朝だけれど。何も特別なことは起こらなかったけれど。
最近の私は少し変だ。変というよりは変化なのか、色々なことで考えることが増えたように思う。ものの見方が広がったのかな。もし、そうなったのならば良いのだろうけれど、少し身動きが取れなくなってしまったような気もする。
『貴女はとても美しいけれど、心の闇を知らない。貴女はこれまでに心から思い悩んだことがありますか? 自分の醜さを思い知らされたことがありますか? そんな当たり前のことも知らないようでは、いくら美しくとも、店頭にすら並べられない欠陥製品だ』
心に刺さった棘のような、彼女の言葉。痛むけれど、まだその棘を抜いてはいけない。私はそう思う。
私が人数分のフォークを持って戻ってくると、コタツでは微妙に席替えが行われていた。さっきまでは、空いている箇所にそれぞれ入っていたのに、香純ちゃんが晴輝のすぐ隣に移動していたのである。ほぼゼロ距離。香純ちゃんのものらしいスマホの画面に顔を寄せて、二人は表情を緩ませている。
ええと、これはどういう了見なのかな?
「あ、咲良ちゃん。ありがとね〜」
と、晴輝と香純ちゃんの向かいにいる優雨ちゃんに緩んだ笑顔でお礼を言ってもらえるのは嬉しいのだけれど。
「わざわざごめんな、咲良。お客なのに、働かせちゃって」
「うん、それは良いんだけど。晴輝、何してるの?」
「香純ちゃんにスマホの猫画像を見せてもらってるんだ。可愛くて可愛くて、咲良も見るか?」
「申し訳ありません、先輩を使いパシるようなことをしてしまって。お寒いでしょう、葉山先輩もどうぞ、コタツに入ってください」
…………何かモヤモヤするものがあるけれど、私は言われた通りにコタツに入ることにする。
「晴輝、課題をやる約束だったよね。テキストとかルーズリーフはあるの?」
「あるよ」
何故か、HEROに出てくるマスターを彷彿とさせる言い方で、晴輝はコタツの中からテキストとルーズリーフを取り出した。暖かそうだなあ。
「ごめんなさい、香純ちゃん。今から勉強を始めるから、」
「ええ、分かってますよ。そんな、私なんかに遠慮しないでください。私こそ邪魔しないようにしますから」
そう言って、香純ちゃんはコタツから立ち上がり、優雨ちゃんのところに移動した。優雨ちゃんは、自分の隣を少し空けて「めんそーれ♪」と、香純ちゃんを出迎える。いや、ここ沖縄じゃないよ。寒いし。
その後数時間、私と晴輝は勉強、優雨ちゃんと香純ちゃんはイチャイチャ(?)して、穏やかに時を過ごした。やがて、私たちの冬休みの課題がひと段落ついたところで、晴輝が、
「今日は四人もいることだし、トランプしないか?」
「お、良いね。やろうやろう。兄さん、美少女に囲まれてトランプなんて、スマホのアプリみたいだね」
「微妙な例えでツッコミができねーよ。って、あ、言い出しといて何だけどトランプが近くにないから出来ないや。ごめん」
「兄さん、男のドジっ子って基本的にはウケ悪いからね」
「狙ってやってねーよ。というか、男も今日はホントは井坂も誘ったんだけどな、……」
一応、説明します。晴輝が今言ったのは、井坂文弥くんのこと。晴輝のクラスメイトで、最近できた晴輝のお友達。趣味は小説を書くことで、おまけに、文芸部と図書委員会所属という、文学少年を思わせるようなプロフィールなんだけど、実際の彼はとてもフランクな人だ。私はあまり会ったことがないけれど、晴輝曰く彼は「面白い人間」が好きとのことらしい。
「でも、なんか良い小説のアイデアが頭に降りてきたらしくて、今日は来ないって言われてさ」
「わたしは良いよぅ、兄さんがいることに目をつむれば、両手に花だし」
「私は花を名乗る自信がないんですけど。しかし、晴輝先輩。井坂先輩、でしたっけ? その方が来られなくて残念でしたか?」
「いや、来れないなら来れないでしょうがないから、別に良いよ」
「そう言っていただけて安心しました。………………井坂先輩に図書委員の仕事の時間中に接触して、少しばかりアイデアを差し上げて、この場を欠席していただいた私の罪悪感も薄れるというものです」
「香純ちゃん、あなたのその陰謀癖は何とかならないの⁉」
「なりませんね」
「そんなに、あっさり返されても!」
「葉山先輩はどうしようかと思ったんですけどね、ま、良いかな、と」
「その気になれば、みたいに言わないで!」
香純ちゃん、やっぱり恐ろしい娘!
「いやでも、晴輝先輩を攻略する上で場の人数は減らしておきたいじゃないですか」
「本人の前でそういうことを言わないでくれる? 僕、どんな反応すれば良いか分からんのだが」
「ドキッという効果音をつけて、頬を赤らめれば良いと思いますよ」
「惚れる場面じゃないからな」
「難攻不落な主人公ですねえ。ねえ、葉山先輩、どうしたら良いと思います?」
「あえて私に訊かないでくれる⁉」
「おや、あえて貴女に訊いてはいけない理由でもあるのですか?」
「と、とにかく、あんまり晴輝を困らせないでね」
「あーあ、良いなあ兄さん。こんな美少女たちに囲まれるなら、わたしも男に生まれたかったよ。百合の気はないけど、やっぱりそこらのへっぽこ野郎共よりも可愛い女の子の方が好きだもん」
「おや、優雨ちゃん。あの彼とは割と仲が良いと思うのは、私の気のせいなのかな?」
「はあっ⁉ 全然違うよ! ひどいよ、香純ちゃん! あの女たらしは、むしろ私の敵だよ」
「敵というなら、むしろ優雨ちゃんが彼の敵という気がするけれどね」
「ん? どゆこと?」
「どうもしないよ。私は優雨ちゃんが大好きだけど、それでは不満かな?」
「ぜんっぜん!」
優雨ちゃんからの、香純ちゃんへの熱烈なハグ。優雨ちゃん、背景に百合が咲き誇っているのは私の気のせい?
特にすることがなくても、四人もいれば雑談はなかなか尽きない。そんな折、私たちはこんなことも話した。
「みんなはさあ、自分はボケとツッコミどっちだと思う?」
言い出したのは優雨ちゃん――いや、何がきっかけでこんなことになったのかは大いに疑問なんだけど。
「優雨、お前がボケなのは確実だよな」
「ん、否定はしない。でも兄さんはツッコミだよね。新八だよね」
「……その補足情報要るか?」
「でー、咲良ちゃんは…………ツッコミ?」
「うん、そうだね。私はボケは出来ないから」
「私は両方出来ますよ。これまで臨機応変に対応してきましたから。だが、優雨ちゃん。思うに、そもそも日常会話って普通ボケもツッコミもないよね?」
『それを言ったらおしまいだ‼』
思わず、晴輝、優雨ちゃん、私の三人で全力のツッコミを入れてしまった。
これまでのシリーズ作品全否定は良くない!
「た、確かにそうなんだけど……。あ、でも優雨ちゃんって実はわざとボケてるところはあるよね」
「おおっと⁉ 咲良ちゃん? 何のことかにゃ⁉」
噛んでる噛んでる。
「今は良いにしても、ちょっと前から、大好きなお兄ちゃんに構って欲しくてボケをする振る舞いが増えたかなーって」
「あ、葉山先輩もお気付きでしたか? 実は、私もその点を前から気になっていまして」
「ちょっ、そんなところで二人とも珍しく意気投合しないでよ! 兄さん、可愛い妹を助けて‼」
「いや、さっきから僕がコメントし辛い話題ばかりで何も言えない。から、僕は黙って見守ってるよ。うん、まあ、頑張れ」
「そんな無責任な! わたしが狼狽える場面なんて読者のみんなは望んでないよ!」
読者って何のことだろう?
あまり行き過ぎたメタネタは受けつけません。
「優雨ちゃん、大丈夫だよ。みんなもう分かってるから。にやにや」
「ええ、本当に羨ましいですねえ。こんな兄妹関係。にやにや」
「やめてよ、もうっ! 別に、兄さんが素っ気なくてつまんないから、わたしがボケれば、兄さんツッコミ入れてくれるかなーっなんて思ってなかったんだからね!」
『………………』
問うに落ちず、語るに落ちている優雨ちゃんなのだった。
夕方になったので、そろそろお暇させていただくことにした。もう少し残っているという香純ちゃんが少し気になるけれど、気になる理由が自分でも良く分からないので気にしないことにする。
「また明日〜」と手を振る晴輝と、さっき珍しくイジられてしまって頬を膨らませた優雨ちゃん、そして、やっぱり表面上は礼儀正しい香純ちゃんに一礼されて、私は寺井家を出た。
外に出ると、日没の寒さに襲われる。いつの間にこんなに日が沈んでいたのだろう。思わずブルっと震えてしまう。冬の外は寒い。だけど……………。
もうちょっとコタツの中にいても良かったかもしれないな、なんて思いながら、私は思わず笑ってしまった。
「…………ふふっ、寒いや♪」