スウィート・レイン
この話から、シリーズの完結編に入ろうとしていたんです。そう思っていた時期もありました。
さあさ、お立ち合い。
ここからは、バラエティ要素が減ってしまうけど、そこはそれ、読者の皆さんの寛容な態度に期待して、わたしの兄をとっちめる話を語りたいと思う。
いや、言い方が悪いかな。誤解を招いちゃう?
でもなあ、わたしが今の兄さんが気に食わないのは事実なんだよね。とっちめるのはないにしても、これは本当に何とかしたい。
皆さんもそろそろお察しのこととは思うけど、兄さんはあるときから人が変わってしまった。正確に言うと、あるときから段階的に。
メガネをかけるようになったり、無造作ヘアーだった髪型を整えたり、やたら本を読むようになったり。
何よりも、ひどく物分かりが良く自己主張の少ない人になってしまった。
精神が成熟した、大人っぽくなったというよりは、これまでの自分を否定するかのように、兄さんはキャラが変わってしまった。
別に他人の人格形成にまで口を挿むつもりなんてメンドくさいから無いんだけど、あれだよ、あんなブラザーでも他人じゃない私のファミリーなのだ。
メンドくさいけど、放っておけない。
だからこの可愛い妹様がどうにかしようと思ったものの、実際どんなアプローチから攻めればいいのか分からなかった。決定打となるようなものが見つからない。
兄さんのこのキャラ変化は何かしらの原因と呼ぶべきものがあるはず。でも、兄さんはそれについて全く口を割ろうとしないので、結局のところ手を拱くしかなかった。
「なかった」っていうのはね、文法のごとく過去の話で、今現在のわたしには強力な助っ人がいるんだ。
その助っ人たる雲居香純ちゃんと一緒にこれから兄さんをとっちめる。でもって、窮屈そうにしてる兄さんの元のキャラを取り戻すのだ。
本当、しょうがないんだから。
でも、その前に助っ人でありわたしの天使でもある雲居香純ちゃんに力を貸してもらうことになった経緯から話したいと思う。
「へーい、君可愛いね。わたしとデートしようぜ!」
「う、うわあ、何ですか⁉︎」
いつものようにわたしが可愛い女の子を口説いているときに、わたしは香純ちゃんに出会った。
入学時の自己紹介の時から目をつけていたけれど、この娘やっぱ可愛い! 咲良ちゃんにも勝らずとも劣らない逸材だ。
「女子を口説くなんて、ユニークな方ですねえ」
そう言いながらわたしの方を振り返ると、彼女はなぜか目を見開きわたしを凝視した。え? なに?
「その目。顔つき。…………あの人に似ている」
「ん? どしたの?」
「いえ、あの、名前を教えていただけますか?」
「優雨だよ。寺井優雨」
「寺井…………やはり」
「だから、どうしたのさ?」
わたしは鈍感主人公じゃないんだから、このリアクションは気になるな。でも、謎めいた美少女も守備範囲だ。
むしろ、ストライクゾーン!
「なんで、わたしの名前が気になるの? 苗字を気にしてる――――もしかして兄さんの知り合い?」
と、わたしが言うと、名探偵に犯人だと指名されたふてぶてしい犯人のように、香純ちゃんは微笑んだ。
いや、我ながら変な比喩だけど。
「私が迂闊だった、というよりはあなたが鋭いのでしょうね。ええ、その通り。あなたのお兄さんを知っています。昔助けてもらったことがありまして」
「はあん、兄さんがねぇ」
「キラキラした目が似ていたので、もしやと思ったのです。さすがは兄妹、といったところでしょうか」
「えー。わたしと兄さん、そんなに似てないよー。やっだー」
「くふふ、自覚はないのですね。まあ、良いでしょう。それでは行きましょうか」
「え、どこに?」
ふふっ、どこにって、と彼女は笑いながら答えた。
「あなたが、私をデートに誘ってくれたのでしょう」
それ以後、わたしと香純ちゃんは学校で一緒に居ることが多くなったり、色んな所に遊びに行ったりするようになった。
そして、仲良くなる過程で、わたしは彼女の特技を知ることになる。
ある日の学校帰り、わたしと香純ちゃんはコンビニスイーツに舌鼓を打つべく、某青いコンビニに訪れていた。学校帰りの寄り道って、ほんの些細な日常風景に過ぎないんだけど、後で振り返ってみると青春の一ページっぽくてエモーショナルだよね。この時も香純ちゃんとのデートを楽しみ、雑談に花を咲かせていたんだけど、
「おや?」
目当てのロールケーキを手に取り会計をしに行こうとしていたところで。香純ちゃんは、訝しげにわたしの肩を通り越した先に視線を向けた。わたしも同じ方向を見ると、コンビニの中入ってすぐのところで、ウロウロしているらしいおばあさんが居た。
「ん? どしたの?」
「いえ、ちょっと。これ持っていてもらえますか?」
「ん、うん」
と言って、香純ちゃんはおばあさんの元に小走りで行き、
「突然すみません。もしかして、電子マネーを買おうとしていらっしゃいますか?」
と、声をかけた。おばあさんは知らない女の子から急に話しかけられたことに戸惑っているようだったけど、
「ええ、そうだけど……」
「ひょっとしてですが、ご家族に電話で頼まれたプリペイドカードを買ってきて欲しいと頼まれたのでは?」
「ええ、言っていたわ。孫に頼まれたのよ。だけど、みんな同じに見えてしまって、どれを買えば良いのかわからなくて……」
「もしよろしければ私が見つけて差し上げますよ」
「本当に。助かるわ。えっと、〇〇ペイカードっていうカードらしいんだけど……」
「なるほど、〇〇ですか。……失礼ですが、お教えする前に、お孫さんにもう一度電話をかけていただけませんか。履歴からでなく電話帳から」
「え、でも……」
「お願いします。どうしても、私の杞憂で済めば良いのですが」
「杞憂って? あなた、何を言っているの?」
「お孫さんからの用件を言い当てて差し上げましょうか? 〇〇のネットショッピングサイトで滞っていた請求を支払わなければならなくなった。自分はすぐにそれを支払うことができないが、このままでは警察に逮捕されてしまう。すまないが、コンビニで買えるプリペイドカードを買ってきてくれないか。自分の代理人が取りに行くから」
「えぇっ⁉︎ あなたの言った通りよ! どうしてわかったの⁉︎」
「先ほどあなたに電話をかけてきた相手は、お孫さんでない可能性があります。新手の振り込め詐欺ですね。銀行振込の詐欺がメジャーになったのを逆手に取って、年配の方に馴染みのないプリペイドカード、実質的には金券でもあるそれを買わせようとする手口です。とにかく、お孫さんにご連絡を。通話履歴からではなく電話帳に登録された番号から」
「え、ええ、分かったわ」
おばあさんは戸惑いながらも、再び携帯電話を手にとって、電話をし始めた。
少し話をしたかと思うと、彼女は驚いたような顔を香純ちゃんに向ける。当たりかな?
その後、おばあさんは二言三言で電話を切った。
「ありがとう。あなたの言っていた通り、さっき電話をかけてきたのは孫じゃなかったわ。私、詐欺にかけられそうになっていたのね! ありがとう! 何かお礼をしないと……」
「お礼は結構です。それよりも、お孫さんを装った人物からの電話番号を警察に連絡して知らせてください。それからは、警察からの指示に従ってください」
「そうするわ。本当にありがとう」
おばあさんが再び携帯電話を耳に当てたところで、香純ちゃんがこちらに戻ってきた。
「香純ちゃん、すごい! あなた何者⁉」
「何者って、私は私ですよ」
「香純ちゃん、詐欺だってどうやって分かったの?」
「ああ、あれは難しいことじゃありません。というより、ほとんど当てずっぽうです。そういう手口の詐欺が流行っているという内容をテレビでやっていたのを思い出して、声をかけただけです。推理というほどの推理じゃありません」
ただ、ご年配の方がそう利用するとは思えないプリペイドカードのコーナーで迷っているようだったのが気になってね。
と、美少女名探偵さんは言った。
「すごいね、すごいね。いやぁ、名探偵って現実に居るもんなんだね。あと、バーローの人とかじっちゃんじっちゃんうるさい人とか、男の名探偵ばっかりだからさ。ヴィクトリカちゃん以外にも可愛い女の子の名探偵に会えたことに二重で感動! 優雨ちゃんが今日は奢ったげよう!」
わたしが激しめのシェイクハンドをすると、
「え、えへへ、ありがとうございます」
香純ちゃんは少し頬を赤らめ、照れ笑いを浮かべた。もしもこの世界がライトノベルなら、ここを挿絵にすべきであろうシーンだ。
その直後に、思った以上に上手く行ったな、と香純ちゃんが小声で漏らしたのを、わたしは聞き逃さなかった。
多分、さっきの推理が上手くいったことに安堵したのだろう。
アッハッハ、まさか自分の推理能力の高さをわたしに印象付けておこう、なんて企んでる訳ないだろうしね。
そんなこともあって、夏休みに入った頃、わたしは思い切ってヘタレ化した兄のことについて香純ちゃんに相談してみることにした。調査依頼とも言えるかもしれない。
電話である。
「…………って訳なんだよ。兄さんがああなった原因を探るのに、香純ちゃんの力を貸してくれないかな?」
香純ちゃんは、くふふふと笑いながら、
『もちろん構いませんよ。私の至らぬ力で良ければ、いくらでもお貸しします。優雨ちゃんと大恩ある“おにーさん”のためならば、いくらでも』
「良かったぁ」
「つきましては、お宅へお邪魔してもよろしいでしょうか? おにーさんと直接お話しがしたくて」
「もちのろんだよ。というか、香純ちゃん、今さらだけど友達相手に口調が丁寧すぎない? もっとフランクで良いのに」
『ああ、これは私の悪癖ですよ。中々抜けなくてね。謙って、体良く済ませた方が人間関係は円滑に、……理性的にことが運ぶでしょう?』
「んー?」
『ああいえ、誰が相手でもこうなってしまうので、余り気にしないでください』
「ふぅん。あ、あとさ、さっきも大恩あるとか言ってたけど、香純ちゃんは兄さんに何をどう助けてもらったの?」
『……ごめんなさい。ちょっと所用があるので、電話はそろそろ終えなくては。また、お宅へ伺うのに都合の良い日時を教えてください』
「……うん、分かった。じゃあ、また連絡するね」
と、わたしが言い切ったのと同じタイミングで電話が切れた。
…………何かあるよね、これは。
重ねて言うけど、わたしは鈍感主人公(少女マンガの女主人公にも多い)じゃないんだから、大事な伏線は見逃さない、もとい聞き逃さないんである。
香純ちゃんほどズバ抜けて冴えてる訳じゃない頭を、わたしは巡らせ始めた。
でもって、わたしがどんなことを企んだかどうかはともかくとして、今は夏休み明けのある日の夕方。メタなことを言うと、『雲に覆われて』の直後のことである。
時系列が度々変わってごめんね、もうそろそろ終わるから。
「おぅ、おかえり」
「…………」
香純ちゃんを送ってきた兄さんが帰ってきた。
…………まあ、こうなるよね、兄さんはむっつり顏である。送り狼になったりしてないでしょうね、なんてからかえるような雰囲気ではなさそうだ。
兄さんは、何とも言えない、何も言いたくないというオーラを纏いながら二階の自分の部屋に戻って行く。
「兄さん、お茶がまだ残ってるよ。飲まないの?」
「ああ、要らない。流し台にこぼして良いよ。…………勉強してくる」
――――勉強してくる、ねぇ。
階段を上って行く「優等生」さんを呆れながら見ていると、わたしのスマホが着信音を鳴らした。
「ハァイ、香純ちゃん♪」
『……無理に明るく振舞わなくても結構ですよ。落ち込んでいたんですか?』
「うんにゃ、ちょっとムカついてただけ。で、香純ちゃん。電話をくれたってことは……」
『ええ、完全に把握出来ましたよ。前調べしておいた情報と今日おにーさんの状態を観させていただいた結果から、彼に何が起きたかの全てをね。…………お話ししても大丈夫ですか?』
深呼吸をひとつ。
「もちろん。そのために今日はウチに来てもらったんだからさ」
半分はね。
そして、わたしは香純ちゃんから全てを聞いた。
「ありがとう、香純ちゃん。あなたに頼んで良かったよ」
『………………優雨ちゃん、本当に大丈夫?』
「え、何が? えーっと、その、あれ、ノープロブレムだよ」
『本当に? 一度出て行って何ですが、フォローに戻りましょうか?』
「だいじょぶだって、本当に。ありがと、じゃあまた明日学校でね」
わたしは慌てて、電話を切った。いやあ、危ない危ない。危うく、大事な友達に当たり散らすところだった。
全く良かったよ、わたしの髪がショートカットで。
怒髪が天を突かずに済みそうだから。
冷えた水をコップ一杯飲んでから、わたしは兄さんの部屋に向かった。階段を上ってすぐの部屋、わたしはノックなしに入る。
兄さんはベッドの上に倒れ込み、白い天井を見上げていた。勉強してるんじゃなかったっけ?
「入るよー、兄さん」
「…………入ってから言うな。ノックくらいしろ」
「テレパシーで送ったもん。兄さん、受信出来なかったの?」
「僕とお前はエスパーか」
「じゃないけどね。でも、お父さんとお母さんの高校の時のクラスメイトに超能力持った人が居たらしいよ」
「この世界のジャンルって、SFとかじゃないよな?」
とか何とか、軽く前座を整えたところで、――――本当のところは頭をクールダウンさせる時間を取ったところで、わたしは本題に入ることにした。
「ねえ、兄さん」
「何?」
「あの時のことは、兄さんが悪いんじゃないんだよ」
そう、 兄さんは悪くない。わたしのはらわたが煮えくりかえるような、あの件は兄さんのせいじゃない。
そして、元の自分のキャラを、わたしがまだ「お兄ちゃん」と呼んでいた頃のキャラを変えようとする兄さんにも、わたしはムカつく。
全国のブラコン妹達よ、見ているが良い!
お人好しを拗らせちゃったおバカな兄を、わたしは甘やかしたりなんかしないんだからね!