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夕闇食堂  作者: 夢屋夢迷
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第4話

 眠ってから数時間後、市子はまだ明るい内に目を覚ました。朝食を食べてから約二時間ぐらい。さすがに寝てばかりではいられず、市子は部屋から出た。

 家の中は静かだった。お店の方からも音が聞こえなかった。兄達は出かけているのだろうか・・・階段を降りて店の方も居間も見たが、誰もいなかった。古い家には、市子しかいないようだった。

 市子は居間の隣の部屋に入ってみた。誰も使っていないような畳の部屋だった。居間と襖で仕切られており、隣より少し狭いが襖を開けたらきっと広くなるだろう。

 仏壇の上を見ると、見覚えのある老人が二人と父と母の写真が飾られていた。二人の老人はおそらく、市子にとって祖父母だろう。

 市子は仏壇の前に座り、手を合わせた。線香は迷ったが、兄達の許可なく使うのは不安があったから無しにした。

 和室の窓から先は小さな庭になっていて、名前はよくわからない植物が点々と生えていた。そろそろ夏が来る季節であり、唯一知っている紫陽花の花が咲きかけていた。他にも、所々に花が咲いているのが見えた。夏に咲く花もきっとあるのだろう。母が死ぬ前まで手入れされてたのだろうか、雑草はほとんど見えない。

 庭を眺めていた時、チリンッと微かな音が聞こえた。市子が音に気づいて庭を見渡すと、玄関がある方から黒い塊が歩いてきた。市子はその塊に小さく驚いた。

 猫だった。黒いすらりとした細い猫。赤い首輪をつけていて、金色の鈴を付けていた。鈴の色と同じ金色の目は市子を見つけるとじっと見ていた。


「可愛い・・・どこの子?」


 市子は話しかけながら手を伸ばすと、猫はすぐに市子の傍に近寄ってきた。にゃあと鳴きながら、部屋に入ってきた。市子は一瞬いけない事だと思いながらも、追い出す事はできなかった。

 黒猫は市子の手に頭を擦り付けてきた。人懐こい性格なのか、喉をぐるぐる鳴らしてうっとりした顔をしている。市子も嬉しくなり、そっと猫の頭を撫でた。

 首輪をしているから飼い猫なのはわかるが、この家で飼われているのだろうか。兄達が世話をする事が、あまり想像できない。もし猫を家に上がらせるのを嫌ったら怒られてしまいそうだった。市子は困りながらも、どうしても愛らしい黒猫を放っておくことができないでいた。

 どうしようか考えていると、玄関が開く音が聞こえて二人分の足音が聞こえた。市子はぎくりとして思わず猫を庭に出そうとした。しかし、猫はその場から離れなかった。

 居間に一人の足音が近づき、和室とを隔てていた襖がガラリと開いた。仁だった。

 仁は市子と黒猫を見ると、小さく驚いた顔をした。市子は焦り言い訳をしようとした。


「あの、兄さん、これは・・・」


「・・・黒姫、帰ってきたのか」


「え?」


 黒姫、と名前を呼ばれると、黒猫は一声鳴いた。


「おふくろが死んだ時にいなくなった猫だ。捨てられていたのを、おふくろが拾って育ててた」


「じゃあ・・・うちの猫なの?」


「まあ、そうなるな。帰ってくるとは思わなかった」


 仁の表情が僅かに緩んだのが見えた気がした。黒姫と呼ばれた猫は市子の傍を離れず、撫でろと言うように黒い腹を見せた。市子はそっと手を伸ばして撫でてあげた。

 その様子を黙って見ていた仁だったが、やがて溜息を一つ漏らし部屋を出て行った。

 市子は触り心地の良い毛並みを撫でながら、黒姫に話しかけた。


「黒姫、おかえり」


 母が死んだ時、それを悟るかのようにしていなくなったという猫に、そう言うべきだと思った。

 黒姫は返事をするわけでもなく、しばらく気持ちようさそうに目を閉じてされるがままになっていた。



 日が傾き、店が開く頃になった。黒姫をそのままにし、市子は店の方に行った。既に義樹と仁はいつでも調理できるように準備していて、何もしていない事に戸惑った。

 いくら母が営んでいた店とはいえ、あまり理解できていないしどんな客が来るのか想像できない。

 長男の義樹が慰めるように言葉をかけた。


「ヤクザだからって、いちが殺されるってのはまずないよ。絶対に。それに、何かあれば守ってあげるから」


「でも・・・」


「怖いってのはしょうがない。俺達も子供の時、そんな感じだったからさ」


 兄達が初めてこの店に立った時、どんな気持ちだったんだろう。市子はふと気になった。母の跡を継いで料理を提供する兄達は、もう慣れた手つきで行動している。足でまといにならないか不安になった。

 そろそろ店が開き、客が来る時間になる。市子は不安の波が大きくなるのを感じた。しかし、時間は迫るだけだった。


「市子」


 仁が話しかけ、市子は振り返った。


「怖がるな。お前の顔で判断できなくても、調子に乗る奴らは空気でわかる」


「・・・うん」


 無理な話だった。今まで自分とは関係ないはずだった世界に触れる事は、とても怖い事だった。些細な事で怒らせてしまうかもしれない。そうなったら、本当に兄達は守ってくれるのだろうか。母は、少しも怖くなかったのだろうか。

 いいや、母は強い人だった。自分は母に少しも似ていない。容姿だけを受け継いで、心は呆れるぐらいに弱い。

 震えそうな手を握った時、ドアの方で音がした。台所から見ていた義樹と仁が僅かに表情を固くしたのが見えた。ドアの方に向き直ろうとした瞬間、右腕を掴まれた。

 驚いて掴んだ主を見ると、黒っぽい紺色のスーツと銀色の髪が見えた。


「これはこれは・・・いつの間にこんな娘さんを店に入れたのかい?」


 色白で綺麗な顔をした男が、蛇のような目で観察しながら言った。左側の首筋に口を開けた蛇の刺青が見えた。

 市子は僅かに抵抗したが、彼は離す気がないのか掴む力を強めた。


飛蛇(ひじゃ)、あんまり虐めないでくれよ。俺達の可愛い妹なんだからさ」


 義樹が妹という言葉を強めにして言うと、蛇の刺青をした男は動きを止め、まじまじと市子を見た。そして、パッと手を離した。


「ごめんごめん、まさかあの人の娘さんとはね・・・俺は飛蛇って言うんだ、飛ぶ蛇って書いてね。まだ他の客はいない?こりゃあラッキーだ」


 飛蛇はそのまま入って右端の席に座った。市子は軽く痛む手首を摩りながら、彼に水を出した。

 飛蛇は白い手袋をした手で水を一口飲むと、市子ではなく台所にいる義樹達に向かって声をかけた。


「久しぶりに来たから味が落ちてるか試していい?幸恵さんのエビチリの味が忘れられなくてね。お兄さん達はできるかな」


「・・・面倒なものを最初から頼む嫌な客だな」


 仁が苛立ちを含んだ声で言ったが、飛蛇はニコニコと楽しみにしている様子だった。

 市子はその場に立っているのに居心地の悪さを感じていたが、再びドアから誰かが入ってきた。市子がそちらに顔を向けると、目を見開いた。飛蛇が口笛を吹いて笑った。

 入ってきたのは背が高く、細い体をした男だった。もうすぐ夏にも関わらず黒いトレンチコートに黒い帽子を被っていた。顔には皮膚がほとんど見えない程に包帯が巻かれていた。唯一、口元と目だけが見えたがその皮膚が酷く爛れていた。

 男は飛蛇とは反対側の左端の席に座った。いつもそこに座っているのか、入ってすぐにその席に腰を下ろした。


「あの・・・いらっしゃいませ」


 市子が小さくながらも声を出すと、包帯の男は顔を上げて市子を見た。包帯をよく見ると血が滲んでいた。痛々しいぐらいの爛れた皮膚をした口から、意外にも穏やかな声が聞こえた。


「幸恵さんの娘、だろ?」


「!・・・は、はい」


「似てる」帽子の奥の目が細められた。「顔とか」


 市子は何も言えず、ただ軽く頭を下げるしかできなかった。台所から何かを炒める音が聞こえると同時に、強い視線を背中に感じた。兄か、飛蛇か。その視線に振り返りたくなかった。

 包帯の男が自分の席から見える仁に向かって「いつもの」と口にした。仁は手を軽く振って了解と合図したようだった。

 包帯の男はポケットから煙草を取り出すと、一本咥えて火を点けた。白い煙と独特の匂いがする。飛蛇が話しかける。


「これから食べるってのに煙草?体に悪いよ」


 ふーっと白い煙を吐き出し、包帯の男は皮肉気味に笑った。


「ヘビースモーカーなんだよ」


「くすっ、そうかい」


 市子はカウンター越しに会話する二人の声が、決して仲が良いという色ではない事に気付いていた。一見普通に見える飛蛇も、不気味な容姿をしている包帯の男も極道に関係している。そして、母の娘である市子の事を珍しい目で見ているようだった。彼らにとって自分がどんな存在なのか、全く把握できなかった。それが不安を大きくさせる原因の一つでもあった。

 仁に呼ばれて振り返ると、彼は赤いエビチリの乗った皿を市子に差し出していた。市子は受け取ると、ニコニコと待ち構えている飛蛇の前にそっと置いた。


「どうぞ」


「ありがとう」


 飛蛇は箸置きの場所から割り箸を取り、ゆっくり食べ始めた。辛いものは苦手だが、エビチリは美味しそうに見えて市子は彼の様子を眺めていた。大きなエビを一口食べて口を動かしながら、飛蛇は市子を見た。市子ははっとして慌てて目を逸らした。飛蛇がくすりと笑うのが聞こえた。


「お兄さん達に食べさせてもらえてる?やけに細い体をしているし、大丈夫かい?」


「だ、大丈夫です・・・」


 少し自分が恥ずかしくなった。しかし、その顔はぴくりとも変わらない。

 

「あ、名前なんだっけ?」


「市子です」


「ふぅん。変わった名前だけど、可愛い名前でもあるね。ああ、そこの包帯男さんはなんだっけ?」


 煙草を吸いながら店内を見渡していた男は飛蛇に視線を移すと「(ほむら)」と名乗った。

 義樹が台所からカウンターに出てきて焔の前に皿を置いた。一瞬だけ見えたそれは、懐かしさを感じさせる肉じゃがだった。


「君が来ると思って作っておいて良かった。時間かかるんだよこれ作るの」


 義樹はそう言うと再び台所に戻った。食器を洗う音が聞こえた。

 焔は持っていた携帯灰皿に煙草をもみ消すと、静かに食べ始めた。市子は二人が食べている様子を静かに見守っていた。ふと、市子が立っている場所に母が立っていたのだろうかと想像した。こうやって、お客が食べる姿を見守っていたのだろうか。優しい母の姿を思い出した。同時に、自分はこの場所にふさわしくないと思い始める。母のように優しい笑みを浮かべられず、人形のように表情を作れない。この場所ではほとんど無力に近かった。彼らの世界を知らず、不安と恐怖を抑えるのに精一杯の自分にこの場所は来るべきではないはずだった。

 俯いている市子に、食べ終えた皿をカウンターの上に置いた飛蛇が尋ねた。


「顔の筋肉が少しも動かないね。何かの病気かい?」


 市子はぎくりとして、おそるおそる頷いた。


「そりゃあ不便だね。せっかく綺麗な顔をしているのに。医者には?」


「月に何回か・・・」


「薬とかは?」


「安定剤を」


 市子が答えると、飛蛇は刺青がある方の首を軽く掻いた。そして、悪戯げな笑みを浮かべた。


「薬なんかで治るもんじゃなさそうだけどね。俺が君の笑みを最初に見たらさ、俺の女になってくれる?」


「えっ・・・そ、それは」


「ははっ、冗談だよ。でも俺の女にはしたいかもね」


 飛蛇の笑い声が店内に軽く響く。市子は困った顔をしたかったが、自分でも変わらない事を感じていた。

 ほんの少しでも、微笑むことさえできたらいいのに。いつもそう思っていた。父や母の前だと、少しだけ笑う事ができた記憶があるのに、今はそれができない。市子は人形のような顔をしている自分が嫌いだった。

 神様は意地悪ね。そう思わない日はなかった。家族を、顔を取って何も残さなかった。 

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