番外編 アンジェリーナの日常2
アンジェリーナがアンソニーと結婚してから六年が経っていた。
アンジェリーナが二十四歳、アンソニーが二十七歳になっていた。二人の子供のアリエノールとアンドルーも六歳と四歳になっている。
アンジェリーナは三人目の第二王子ーイアンを産んでいた。彼は二歳である。
アンジェリーナは四人目を懐妊中だ。大事をとって執務はアンソニーが代行していた。乳母もアリエノールとアンドルー、イアンにそれぞれ付けられて三人に増えている。
「お母様。イアンがまた泣いているわ」
アリエノールが母のアンジェリーナに知らせてきた。またと聞いてため息をつく。
「そう。アリエ、イアンを連れてきて。お昼寝の時間だと思うから」
「わかった。連れてくるわね」
六歳になったアリエノールはなかなかにしっかりしている。アンジェリーナは子供の成長は早いとしみじみ思った。アンドルーも最近はおしゃまな口をきくようになった。
アンソニーは王代行をしているため、アンジェリーナのいる後宮の内宮にはいない。周りには侍女たちで守られていて女騎士も常駐している。
しばらくしてイアンを連れてアリエノールが戻ってきた。ぐすぐすと泣くイアンを姉は困った顔で見ている。
「…おだあさま」
母の顔を見てイアンはわっと泣き出した。駆け寄りながら膝に縋りつく。
「イアン。どこにいたの。アリエも探していたのよ」
「おたあさまがいなかったから。おそとにでていた」
「イアン。お母様はここよ。夢を見ていたのね」
アンジェリーナはそう言いながらイアンの頭を撫でた。イアンは船を漕ぎながらうとうとし始める。仕方ないとアリエノールの後ろにいたイアン付きの乳母に目配せをした。
乳母は頷いて静かにイアンを抱き上げる。おとなしく彼は乳母と部屋を出ていく。それを見送りアンジェリーナとアリエノールは目を合わせた。
アンソニーが戻ってきたのは夜遅くだった。懐妊中のアンジェリーナは先に寝ようとしていたが。既に八ヶ月で臨月に近い彼女は大きいお腹のせいで寝返りをうまくできない。
いつもはアンソニーが寝返りをしやすいように手助けしてくれていた。が、今夜はまだ戻ってきていない。
(ふう。毎度のことながら辛い…)
大きく息をついてよっこらしょと寝返りを打った。一回するだけでも一苦労だ。仕方ないと起き上がる。
アンソニーが戻ってくるまで本でも読んでいようとベッドから出ようとした。不意に寝室のドアが開く。
誰かと思ったらアンソニーの金色の髪と淡い緑の瞳が魔法石の明かりでぼんやりと浮かびあがった。魔法石の明かりは最近、発明されて王宮でも使われている。スルティア皇国の魔術師が共同研究した物でルクセン王国にも提供してくれた。
さて、アンソニーは目を見開いた。
「あれ。アンジェ、どうしたんだい?」
「ソニー。執務は終わったのね」
「あ、まあね。けど、早めに寝ていたはずなのに。起きたりしてどうしたんだい?」
「何だか眠れなくて。ソニーを待っていたのよ」
「…嬉しい事ではあるけど。でも駄目だよ。懐妊中なんだから」
アンソニーは苦笑いしながらアンジェリーナに近づいた。既に彼は入浴を終えていて寝間着を身に纏っている。「ソニー。寝返りがしにくいのよ。まさか、侍女に一緒に寝てもらうわけにもいかないでしょ。それであなたを待っていたの」
「なんだ。そういうことか。わかった、寝返りをしにくいのだったら僕も手伝うよ」
アンソニーは笑いながらアンジェリーナに手招きをした。アンジェリーナはベッドに入る。
「ふう。アンソニーが寝返りをしやすいように手を腰とかに添えてくれるから助かるわ。いつもごめんなさいね」
「いいんだよ。アンジェは大事な体だし」
アンジェリーナが謝るとアンソニーは何てことないと返答した。そうやって夜は更けていったのだった。
翌日、またアンソニーは朝早くに執務のために支度をした。そして、寝室を慌ただしく出ていく。アンジェリーナはまだ寝ていた。
侍女達に起こされて目を覚ます。カーテンは既に開けられていたがアンジェリーナは夜遅くまで起きていたせいで気づかなかった。
「陛下。おはようございます。アリエノール様方も起きていらっしゃいますよ」
「そう。アリエ達も起きているの」
頷くと侍女の内の一人がベッドから降りるのを助けてくれた。洗面所にて歯磨きなどを簡単にすませてから妊婦用のゆったりとしたドレスと踵の低い靴に替える。
ドレスは淡い緑色でアンソニーの瞳と同じだ。優しい印象を見る者に与える。
アンジェリーナは鏡台に向かう。椅子に座ると侍女が髪をブラシで梳かした。香油を塗り込んでさらに梳いた。整うといくつものヘアピンを使ってアップにする。耳の上、サイドにアンジェリーナの瞳と似た色の小粒のシトリンー黄水晶を葉っぱの形に散りばめた贅沢な髪飾りをつけた。これはアンソニーの兄のアンドレイから贈られたものだ。
といっても彼と正妃の女性、イレーヌが選んだらしい。アンドレイはアンジェリーナを妃には迎えなかった。皇太子である彼では王配にはなれない。
弟のアンソニーに快く王配を勧めたのはそのためだ。アンドレイとアンジェリーナの間には恋愛感情はないが。さて、アンジェリーナは着替えや髪を結い上げたり化粧も終えた。ゆっくりと立ち上がり寝室を出る。応接間には朝食が運び込まれていた。
ソファーに座ると皿やカップはソーサーの上に置かれる。フォークやナイフ、スプーンなども机に置かれたが。侍女達は黙ってロールパンや黒パン、ミネストローネ、オムレツなどをアンジェリーナの前に用意した。
アンジェリーナも全てが机に並べられるとスプーンを手に取る。ミネストローネを口に運んで黒パンも浸して食べた。
あっさりとした味付けで妊婦の身であっても食べやすい。つわりの時はなかなか食べ物を胃が受け付けなくて困った。
それに比べたら今は食べられるだけまだいい。そう思いつつも少しずつ食べる。
ミネストローネを食べてしまい、オムレツやサラダも自分で適量を取るように言う。皿に中盛りくらいにしてまた口に運んだ。サラダもゴマのドレッシングであるがするすると入る。アンジェリーナはこれを気に入っていた。
他には鶏肉にシソという植物の葉を挟んで蒸し焼きにしたものやデザートのシフォンケーキがあった。鶏肉のシソ焼きを少し食べてからシフォンケーキもいただく。
小一時間ほど朝食を楽しんだ後、アンジェリーナは赤子用の帽子や手袋、靴下を毛糸で作る。編み物は幼い頃に母のシェラから習った。
少しずつできあがっていて帽子が二つ仕上がっている。
「陛下。手袋は何色になさいますか?」
「そうね。今度は女の子みたいだから。ピンクにしようかと思うのよ」
「可愛らしい色ですね。王女様でしたらお似合いになりそうです」
他愛ない会話をしながらアンジェリーナは腹を撫でた。お腹の中の子が答えるように動く。侍女も微笑ましそうに眺める。
静かな時間が過ぎ行く中でアンジェリーナは手袋作りに精を出したのだった。
また、翌日もアンジェリーナは編み物に精を出していた。アリエノールも横で静かにお絵描きをしている。アンドルーとイアンは昼寝中だ。アリエノールも眠いだろうに母の側にいると言って聞かない。
「お母様。アンドルーとイアンはお昼寝ね」
「そうね。二人ともまだ小さいから」
「ふふ。わたしはお母様と一緒にいれるから得をしたわ。アンドルーとイアン、すぐケンカするのよ」
「あらあら。アリエは止めたりしないの?」
「だってわたしの言うことをきかないんだもの。お母様かお父様でないと止められないみたいよ」
そうと言うとアリエノールは困った弟達だわとため息をつく。すっかり、姉として成長しているようだ。アンジェリーナはくすりと笑った。
「でもアリエノール。アンドルーとイアンはあなたの弟よ。私がいない時はあなたがあの子達を守るの。それは忘れないで」
「…わかった。お母様の言った事は忘れないわ」
アリエノールが頷くとアンジェリーナは笑った。娘に手招きをする。アリエノールはすぐにお絵描きをやめて側にやってきた。
ふわふわの金色の髪を撫でてやる。アリエノールはしばらく身を任せていた。アンジェリーナは母の微笑みを顔に浮かべた。
「アリエノール。いつか、あなたにも嫁がなければならない時が来るわ。それまでは私が守るけど。だからそれまではアンドルー達をよろしくお願いするわ」
「お母様?」
「ごめんなさいね。妙な事を言って。けど、あなたもわかる時が来るから」
はあと言ってアリエノールは首を傾げた。アンジェリーナは椅子から降りて娘を抱き締める。しばらくはそうしていたのだった。