28.不機嫌な背中
「まさか瀧ちゃんだとは思わなかったわ!でもそうよね、慎埜と同じ高校なんだから、あの場に居合わせても不思議じゃないよね」
二人して事情説明の為の任意同行を終えた後、外はとうに日が落ちており真っ暗だった。
もうすっかり恐怖も遠退いたらしく、獅夜さんはとても明るく振る舞っていた。
「こっちこそ獅夜さんがあそこにいるとは思わなかったですよ?」
獅夜さんは7つ年上だが、そんな事を感じないぐらい幼く見えるし、温和な性格に似合わず砕けた言葉を使うので、とても話しやすい。
瀧もあの場にいるのがまさか獅夜さんだとは暫く信じられなかった。
が、間違いようがないのも確かだが。
「ははは。ちょっとあの辺の仕事が入ってたからね」
笑って言ってはいるが、簡単な仕事でないのは明らかだった。
獅夜さんは高校の三年間を入学校の姉妹校であるアメリカに留学し、英語がペラペラなのは当然として、留学後も単身アメリカの大学を受験、見事合格、卒業後大手の外資系会社に勤める列記としたキャリアウーマンなのである。
「大変ですね…」
「そう?結構楽しんでるよ♪」
労いを込めて言ったつもりだが、どうやらそうは取られなかったらしい。
たわいない会話を話しながら帰路を辿っていく。
「姉貴!!」
遠くから聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、電柱の明かりに照らされて慎埜が走って来ていた。
「…慎埜!?
「――って瀧!?何やって…」
真っ直ぐに獅夜さんの姿だけ捕らえていたのだろう。
明らかに驚いているのがわかった。
「慎埜…!瀧ちゃんが犯人取り押さえてくれたんだから!」
「――はぁ!?」
話がややこしくなるとは思いつつ、結構疲れていたので説明は全て獅夜さんに任せることにする。
不思議なことに、瀧を真ん中にして向かい合う形で神林家の兄弟は話している。
時々慎埜が瀧をちらっと見ていたが、気付かない振りをしておく。
かい摘まんで一通りの説明を終えた後の慎埜の顔はそれは複雑そうな顔をしていた。
例えるなら、驚き+戸惑い+喜び+怒り+苛立ちといった感じだ。
何度かパクパクと口を鯉のように動かした後、やっと喉から声を搾り出した。
「…ったく、危ないことしてんなよ」
「…ふぇ?」
情けない声を出しながら考えを巡らせると、確かにとても危ない事をしたことを実感し、背筋に何とも言えない恐怖が走る。
「…はぁ。考えなしかよ」
心底呆れたかのようにそう呟くと、慎埜は瀧の頭を小突いた。
その事で自分が立ち止まっていたことに初めて気付き、愕然とする。
「慎埜は実の姉より瀧ちゃんの事の方が心配?」
その雰囲気を打ち破るように、獅夜さんは誰が聞いてもからかっている口調でそう告げる。
頭が真っ白になるのを自覚していた瀧だが、慎埜は違った。
「当たり前だろ?いつどこにいるのかわからない姉貴よりは、瀧の方が心配にもなるさ。どうみても姉貴は大丈夫そうだしな」
その慎埜の言葉が瀧の顔を赤く染めている。
獅夜さんはというと、瀧を見ながらニコニコと微笑んでいた。
からかわれた――というのも少し――いや、大分あるだろうが、それ以上に瀧を意識してのことだろう。
獅夜さんは唯一瀧の親友の振りを見破った人なのだから。
「そっかぁ。じゃあ瀧ちゃんには危ないことしないようによく言っておきなさいよ♪あと、ちゃんと瀧ちゃんを送り届けなさい」
「――獅夜さん…!」
「わぁった。いくぞ瀧」
そういうと瀧の腕を掴むとつかつかと足早に歩いていく。
急な事に助けを求めて獅夜さんを振り返ると、獅夜さんはただただ嬉しそうに、面白そうに、笑って手を振っていた。
それ以上は掴む藁すらなかったので、ズルズル引っ張られる形のままで、角を曲がり、獅夜さんの姿は視界から消えてしまっていた。
夜中の道は静かだ。
その事を瀧は初めて実感した。
もしかしたら瀧達の住んでいる所が住宅街だからなのかもしれないが、瀧の耳には慎埜と自分の足音の他は、瀧自身の心臓の音しか聞こえてはいなかった。
慎埜はさっきから黙って瀧の手を引いている。
その後ろ姿が明らかに怒っているように見えるのは、見間違いではないだろう。
ここまで怒っている慎埜を瀧は見たことがなかった。
――なんかしたかな?――
自分自身に自問してみるが、呆れるならともかく怒らせる理由は何も見つからない。
そうこう考えてるうちに慎埜は道を左折する。
「ぇ?」
瀧の家に行くとしたら左折ではなく右折のはずだ。
左折した先には小さい公園があるだけなのだから。
おかしいとは思うが慎埜の足取りははっきりしていて、目的地を間違えているようではなかった。
そのままずんずんと進んでいく慎埜の後を、瀧はただ着いていった。