19.バイバイ
寒いと思って目を開けると、辺りはすっかりと暗くなっていた。
どうやら久しぶりに泣いて、泣き付かれてそのまま寝てしまったらしい。
もう一度目をつぶって闇に包まれた辺りに耳を澄ますと、色々な音が生まれていた。
吹奏楽の音は何度も同じ所を繰り返しているし、野球ボールの甲高い音も聞こえてくる。
そして遠くの体育館で色々なボールの音が響き渡っていた。
部に所属していない瀧には、もうすでに懐かしいと思えてしまうように、身近ではなくなってしまった音。
誰も来ないということは、きっと里奈が上手く言っておいてくれたのだろう。
もうしばらく懐かしい雰囲気の中にいたいと思ったが、時間が時間なのでゆっくりとその身を起こした。
いつの間にか屋上の貯水庫の上に上っていたらしい。
辺りの闇を精一杯睨みながら、梯子をさがす。
そう遠くない場所に目的のものを見つけると、瀧はソロソロと梯子を降りて行った。
「やっと降りて来たか」
突然聞こえた声に、残りの梯子を飛び降りて声の聞こえた方を見る。
辺りは暗く顔の判別は出来ないが、声音プラスその影で誰なのか一応の見当はつく。
「――っ!?慎埜!?」
「――…そんなに驚く…?」
「当たり前!ってかいつからいた?なんでいるんだ?」
パニック寸前の頭はなかなか元に戻ることは無い。
暗い闇に今までにないぐらい感謝し、同時に声がいつもと変わらないことに安心する。
「放課後になってから。話しあったから」
「なっ!?今日じゃなくてもいいじゃないか!」
「――今日のがよかったから―。お前さ、葵先輩に会った?」
「―っ…!なんでそんな事聞くんだ?」
「――…会ったんだな?」
墓穴を掘ったと思ったがもう遅かった。
「―…あぁ…」
「土曜だろ?公園で……」
「…公園に行ったら偶然先輩がいたんだよ」
「――違うな」
「は…?」
「――偶然じゃないんだ」
何を言い出すんだ?
こいつは。
「俺が先輩に教えたんだから…―」
木づちで殴られたときは、きっと今みたいな気分になるんだろうな。
「―…慎埜が仕組んだんだ?」
「あぁ」
「そ。それで?」
心はもう何も感じない。
痛覚を通り過ぎてしまったようだ。
もう何も感じない。
感じられない。
「―付き合ってるのか?今……」
なんでそんな事を好きな人に聞かれなきゃならないんだろう。
「…付き合っててほしいんだ?」
もう自棄だ。
はっきりしてしまえばいい。
例え終わってしまっても。
「―…わかんねぇ…」
「わかんないって…!だって仕組んだんでしょ…!」
勘違いしそうになる感情をどうにか押し止めようとする。
別に深い意味はないんだから――。
思う所があって言った言葉ではないのだから――。
勘違いしちゃいけない。
また傷付くだけだから。
「…仕組んだって言うか…、先輩は中学の時から瀧の事好きだっただろ?」
なんで慎埜はそんなことまで知っているのだろう。
「聞かれてたんだよ。お前と仲いいから。色々……。今回も瀧が先輩の事避けてて会えないって言われたから……」
あぁ、そうか。
そういう事なんだ。
「だから応援したんだ。先輩の事…」
我ながら冷たい声だと思ったが、これくらいは許されるだろう。
「しゃーねーだろ?頼まれたんだから…」
「頼まれたから…。…そう。私の気持ちはまるっきり無視なんだ」
「いやっ、別にっ…そういう訳じゃっ…」
感情の篭らない目で慎埜を見上げると、この暗闇でもわかるぐらい動揺していたが、これは私の態度のせいだろう。
「もう、―いい――」
すんなりと出てきたその言葉は、とても冷たく、しかしなにかの決意を感じさせるそんな声。
「――……瀧…?」
そんな私の声を聞いたのは初めてであろう慎埜は、戸惑い気味に名を呼ぶ。
しかしもうどうでもよかった。
「もう、十分だよ。これ以上慎埜の口から聞きたくない」
「―…瀧…?」
言ってしまおう。
全部。
それで壊れるなら諦めもつく。
「私はあんたが、――慎埜が……好きだから」
「…瀧?―何言ってるんだ?」
予想通りの声がかかる。
当然だ。
私は慎埜にとってそういう対象ではなかったのだから。
でも、言ってしまう。
もう嫌だから。
我慢なんてしてられないから。
「――…ずっと好きだった…!……慎埜だけを見てた……」
「……」
「…だから、その慎埜の口から先輩の事なんて聞きたくない…!!」
涙が溢れ声が曇ったが、気にしなかった。
たった今、親友を演じるのをやめたから。
泣いている所を見られても構わない。
もう今までの関係には戻れないんだから……。
「―…もう……いや…だから…」
慎埜は何も言わない。
それが答えだった。
「…神林…バイバイ…」
笑って言ったつもりだが、果たして笑えていただろうか。
全ての気持ちを吐露すると、瀧はそのままその場を去った。
あとには状況の把握が困難な神林慎埜のみが残されていた。
彼は重い音とともに閉まる屋上の扉の音を、混乱の渦の中に微かに聞いた。